石塚 朋子さん
『この一本道を』法蔵館 |
表紙 |
人間の悩み苦しみは大切ないただきものだったのだ。それは私自身をいただいて生きることにほかならないことをやっと知りました。 ひかり ここにも 私 というものがいた 何をしても どんなことをしても 私が した 私が 思ったのだ 私が のこしたのだ 私が…… 私が…… ただ無限に その 私 とは何だろう 照らされて 照らされて ただ聞く その声を 孫よ 孫よ ひょっとして おまえの聖なるいのちを 私は 汚しているのでなかろうか わが子 ありがとう 千恵 おかげさま 三希子 すまなかった 万里子 あなたがたを導く資格は この母になし 気がつけば わたしが 手を合わせねばならない方々であった 三人のわが子 菩薩さま おとしもの もう二度と見たくない もう二度と聞きたくない もう二度と会いたくない そんなものを ぽろぽろと おとしてきた あるとき だまって 私の手元に かえってくる 自我 それは自我だと認めたくないので それを どんなに正当化してきたことだろう 自我だと頷いた今でも やっぱり 自我礼賛している 雑草 雑草の上を歩けば 雑草たちの 声がする 大地にしっかり根をはった あたたかな声なのだ 強いひびきなのだ このねむれる者を 叱咤し はげます声なのだ ひかり 思いに叶わぬことの ひとつやふたつある方が ずっとしあわせなんだということ 五十八年かかって やっと学んだ どこまでも 逃げて いいわけして とりつくろっていたその壁が 光に遇うて やっと 少しずつみえてきた なんまんだぶつ 世界 這い這いする孫 目を輝かせ 手と足と体を いっぱいに動かせて ゆくところ みなみな お前の世界 私の世界は 行きつ もどりつ 五十八年 ひとつところを さ迷っている 月夜 お隣へおはぎをもっていった お母さんは流しで洗いもの 明るい灯の下で お父さんは新聞をひろげて読み 高校生のおねえちゃんが 厚い英語の辞書ひらいていた このなんでもない光景に 月がこうこうと輝き 私は下駄を鳴らして歩いた 蜂 蜂が羽を痛めて 地面で うごめいていた 私が 近づくと さっと身構えた 蜂よ お前もか 畑 大根は 大根を語り 白菜は 白菜を語る 同じ黒い土から生えて それぞれの 身の上を語る 畑には 畑の念仏 如来の仰せ 膝が痛む づきづきと痛む 忘れかけていた 老 病 死 これは たまわりたる 如来の仰せであります どうにもならない どうにもならない苦しみが 人間を育ててくれるのよ というてきかせている私が どうにもならないものを前に あわてふためいています 念仏 ごみとヘドロとぬかるみと 臭く汚れた水を湛えて この溝川は ようやくすこし流れています この汚泥をもてあまし もてあまし この川底を掘り抜いたら 清冽な地下水が 流れているにちがいありません 私の念仏も 固い自我の層を破って 汚泥の中に ふきあげてくださいます 言葉 言葉ひとつにも 「私」がいうているものと 如来さまが 言わせてくださるものと あるということ 先を歩いてくださる方々の お育てで それが すこうし わかる 重きもの 五十八年 この重きものとの力くらべ この重きもの どんな理屈をつけても片付かなかった 時が過ぎれば軽くなるかと思った この重きもの 如来さまが担うてくださると 勝手に思って慰めた みんな ひとりずもうだった この重さこそ 「わたし」であった 蜂 洗濯ものに 紛れこんで入ってきた 蜂 鋭い毒矢を収めて たたみの上を 遠慮しながら 歩いている 仏法 「み教え」に遇うと いうことは まだ 教えに出遇わない人が そのことの大事さを はっきりと 教えてくださる 花 花が咲いても やがて 散っていくように 私のこころに 時折 美しい花が咲くのです でも 散っていくから いいのですね よくもまあ ここまできて ようやく 地獄の闇が みえてきました それにしても 飛べない羽で よくもまあ とんでいたものです 地獄探訪 朝起きて 身支度、洗濯、掃除、片付け そして 幼稚園へ 孫を送り届けて やっと 一人になれた時間 さあて 私の地獄行きは ぐーんとスピードアップして 今日はどこまで いくのだろうか 補聴器 補聴器をはずすと しんとした静けさの中につき放される 補聴器をかけ スイッチを入れよう この騒音の中に 私は生きているんだから この騒音からも 何かを聞くために 補聴器をかけよう 会話 思いきり話すことの下手な夫と 耳の遠くなったその妻と いつのまにか 沈黙という すばらしい 会話をしていた 念仏 頭上がらんもんが ここにおったと 知れたとき 世界は みんな うつくしい 念仏 言葉は ほとけさま 怒った 言葉 愚痴った 言葉 高慢な 言葉 …… どの言葉も ふり返れば ほとけさま 言葉になった ほとけさまが 教えてくださる |