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大手拓次小辞典

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    大手拓次について

         明治の終わりから大正時代を中心に昭和初期まで、ひたすら孤高の詩作に埋没した大手拓次

        の詩業については、ごく限られた人をのぞいては残念ながら人々の口の端にのぼることはあ

        まりない。

        萩原朔太郎、室生犀星とならんで北原白秋門下の三羽烏とうたわれ、白秋からも「もっと早

        く世に出ていなくてはならなかった」と称された拓次だったが、生涯を通じて二千四百篇も

        の詩篇を持つ彼の評価が、朔太郎、犀星のそれに比して著しい落差を見るようにわたしには

        思われてならない。

        生来の極度の羞恥癖から当時の詩壇から距離をおき、わずかに彼が私淑して止まなかった白

        秋との数回の出合いと、拓次の異才に畏敬の念を惜しまず、自身の詩集「青猫」には拓次の

        影響が大であったと公言してはばからなかった朔太郎との一二度の邂逅が、当時の詩壇との

        かかわりのすべてであったといっても過言ではないと思われる拓次は、生前一冊の詩集も出

        すこともなく四十七歳の生涯を茅ヶ崎南湖院で静かに終えたのである。

        彼の性癖からも、当時の詩壇に積極的に参入し、自身の詩集の実現に奔走するなど到底出来

        なかったであろうことは(たとえ本心ではそれを望んだとしても)当然と言えるのではなか

        ろうか。

        数少ない拓次の詩集は、そのすべてが没後、彼の終生の友であった逸見享によって編まれ世

        に出た。

        大手拓次の詩業のすべてを俯瞰しうるものとして、昭和五十四年に刊行された「大手拓次全

        集」(全六巻 五百部限定、白鳳社刊)がある。

        拓次の生き方を首肯するか否かは別として、より多くの人が彼の詩を知り、その生涯に触れ

        ることで理解され、再評価につながればとの思いを強くしている。



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