before the dawn
小鳥達が飛び交う木立を抜け、二つの影が駆け抜ける。 「ま…待つのだ……。」 日頃の運動不足のためか、息を切らしたクラヴィスは肩を落として立ち止まった。 「もうすぐですからゥ」 彼の手を無邪気に引っ張るちめを見詰め、彼は深い溜息をつく。 「お前は本当に元気者だな……。」 クラヴィスは苦笑すると気を取り直し、ちめに引き摺られるように湖へと向かった。 |
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誰もいない二人きりの湖畔。 細波に乱反射する水面。 そよ風に揺らめく梢。 ここは、恋人達の湖と呼ばれる緑溢れる美しい森の中。 ───ちめ…お前は何故に、この場所へといざなうのだ?─── クラヴィスの疑問に答えるように、ちめは溢れんばかりの笑顔を向けて彼の瞳を覗きこんだ。 「ここですよ!クラヴィス様。」 そこには色とりどりの鮮やかなアネモネの花が一面に咲き乱れている。 「これが、お前が言っていた私に見せたい物なのか?」 「はい。」 戸惑いがちなクラヴィスに、ちめは大きく肯いた。 「この花、クラヴィス様の瞳の色に似ていませんか?」 ちめの指し示したところには、紫色の花があった。緩やかな風に身を震わせて頼りなげに咲く花を見下ろし、クラヴィスは呟いた。 「そうかも知れぬな……。」 瞳を伏せた彼の顔から、笑みが消える。空ろな目をした彼を見上げ、ちめは日溜りの中で優しく微笑む。 「クラヴィス様、この花の花言葉を知っていますか?」 「いや……。」 彼女の問いかけにクラヴィスは軽く首を横に振り、短い答えを返しただけであった。 「あのね……。」 言い淀んだちめは、その場にしゃがみ込むと紫色の花へと視線を落とし、風に乱れた前髪を撫でつける。そして、摘み取った一輪の花を差し出し、彼に囁く。 「可能性を大切に……って、いうんですよ。」 まっすぐな眼差しを向けられて、クラヴィスの心がさざめく。 「お前は、この私に何が言いたいのだ?」 彼は躊躇いがちにその花を受け取りながら、ちめの瞳に映る自分を見た。 「諦めないで欲しいんです……。未来も運命も……。」 見詰め合う二人の間を一陣の風が吹き抜け、クラヴィスの漆黒の髪がちめの頬をくすぐる。傍らを流れ落ちる滝の音だけが、静かに時を刻んでいた。 沈黙に耐え兼ねたちめが、ゆっくりと立ち上がる。それを待っていたかのように、クラヴィスの口元が微かに緩む。 「そうだな……。お前のためだけならば、可能性を掛けても良いかも知れぬな……。」 「クラヴィス様!」 両手を差し伸べたクラヴィスの胸へと、飛び込むちめ。 その体を心ごと受け止めるクラヴィス……。 「永遠に続くと想っていた心の闇……。だが、それは間違いであったようだ……。」 抱きしめたクラヴィスの腕の中から、ちめの温かな温もりが伝わってくる。 夜明けを告げる、鐘を鳴らして……。 |
〜FIN〜
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