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因幡の源左
      柳宗悦『妙好人 因幡の源左』
          (『大乗仏典 中国・日本篇 28 妙好人』中央公論)
               現代仮名遣いに変えているところがあります

 
  入信
同行「源左さん、あんたはいつ頃から法を聞き始めなさいましたかやあ。」
源左「十九の歳だったいな。おらが十八の歳の秋、旧の八月二十五日のこってやあ。親爺と一緒に昼まで稲刈しとったら親爺はふいに気分が悪いちって家に戻って寝さんしたが、その日の晩げにや死なんしたいな。親爺は死なんす前に、「おらが死んだら親様をたのめ」ちってなあ。その時から死ぬるちゅなあ、どがんこったらあか。親様ちゅうなあ、どがなむんだらあか。おらあ不思議で、ごっついこの二つが苦になって、仕事がいっかな手につかいで、夜さも思案し昼も思案し、その年も暮れたいな。翌年の春になってやっとこさ目が覚めて、一生懸命になって顕正寺様に聞きに参ったり、そこらぢゅう聞いてまわったいな。
お寺の御隠居さんにゃ、さいさい聞かして貰い、長いことうお世話になってやあ。いっつも御隠居さんは「源左、もう聞こえたなあ、有難いなあ」と云ってごしなはっただけどやあ、どがしても聞こえなんだいな。(略)
ところが或年の夏でやあ。城谷に牛を追うて朝草刈に行って、いつものやあに六把刈って、牛の背の右と左とに一把づつ附けて、三把目を負わしょうとしたら、ふいっと分からしてもらったいな。牛や、われが負うてごせっだけ、これがお他力だわいやあ。ああ、お親さんの御縁はここかいなあ、おらあその時にゃ、うれしいてやあ。(略)」

    

  盗草
宇三郎、源左の畑で盗草をしておった。そこへ源左が下りて来た。こりゃ悪いところを見られたわいと思っていると、源左、
「ここもええけど、そっちのええところを刈んなはれなあ」
後日宇三郎、心境を述懐して、
「叱られたのなら飛んで逃げるということもあるけんど、ああいわれては逃げるにも逃げられず、あがあに困ったことは知らんがやあ。」

    

  源左と天香
智頭町の有志が、京都の一燈園主西田天香氏を招いて講演会を開いたことがあった。源左は十八里に余る道を、わざわざ智頭まで来たのである。時間に遅れて会場に着いた頃にはちょうど講演の済んだ後であった。
天香氏も気の毒に思って宿で会われた。

天香、「お爺さん、聞けばあんたは遠い所からおいでたのに、間に合わなんだそうで悪かったなあ。歩いて来たそうで、しんどいことはないかなあ。」
源左、「有難う御座んす、おらは先生様に比べたら近い所だが、先生様こそ遠い所から見えて、おら共によいお話をなさったそうでさぞ肩がお凝りでしょうがやあ。打たせてつかんせ。」
こういって肩を揉みつつ問答が始まった。

源左、「今日のお話は、どがなお話で御座んしたな。」
天香、「お爺さん、年が寄ると気が短くなって、よく腹が立つようになるものだが、何でも堪忍して、こらえて暮らしなされや。そのことを話したんだが。」
源左、「おらは、まんだ人さんに堪忍して上げたことはござんせんやあ。人さんに堪忍してもらってばっかりおりますだいな。」

天香氏はこの答えが一度では分かりかね、また念問をされた。
「お爺さん、何といわれたか、今一度いうてくれんかな。」
源左、「おらあは、人さんに堪忍して上げたことはないだけっど。おらの方が悪いで、人さんに堪忍してもらってばっかりおりますだがやあ。」
流石の天香氏もこの言葉には三舎を避けた様子であった。

    

  泥凡夫
天香氏が帰られる時源左に、
「あんたもせい出いてお念仏申して、よい仏になんなされや。」というと、
源左、「先生様、何をおっしゃるだいなあ。おらがやあな底下の泥凡夫に、なにが仏になるやあな甲斐性が御座んしょうに。だっけどなあ、親様が仏にしてやるとおっしゃいますだけに、仏にしてもらいますだいなあ。」

    

  癇癪性
谷口光造氏が源左に、
「わしゃ癇癪性でやあ」というと、
源左、「旦那さん、なんとあんたはええものを持っとなんすなあ。癇癪は癇癪玉ちって、宝ですけなあ。玉ちゅうものはめったに人に見せなはんすなよ。」

    

  障子
「爺さん、子供が障子を破りおるがなあ。なして叱らんだいのう。」
源左、「子供の時分でなけらにゃ、破る時がないだけのう。」

    

  忘れるこそ
ある男、「おっさん、わしゃ同行の前では喜ぶけれど、独りになると忘れるがやあ。」
源左、「忘れるこそよけれ。あるけえ忘れるだけのう。忘れるがずっとええだ。」

    

  邪魔者
ある男、「人が源左同行のやあにならにゃ助からぬというけ、あんたが邪魔になるがやあ」
源左、「源左のやあな邪魔者でも助かるに、助からんとはおかしいのう。」

    

  飯と餅
「お爺さん、飯だで」というと源左、「あゝあゝ、飯よりうまいものがあるかいや。」
「お爺さん、餅だで」といえば、源左、「あゝあゝ、餅よりうまいものはあるかいや。」

    

  狂う竹蔵
源左の長男の竹蔵は、中年の頃一時精神に異常を来した。高い木に登ったりして、皆をてこずらせた。源左が下から
「竹や、済まんが降りてごせいや」
というと、素直に降りて来た。竹蔵が狂ったまんまに歩けば、何もいわずに後について歩いた。日暮れになった時、たった一言
「竹や、まあいなあいや。」

    

  竹蔵
御本山の布教使が源左に悔みを云われた。「長男の竹蔵さんが亡くなられて、お淋しいでござんしょう。」
すると源左、「有難う御座んす、竹奴(め)は早うお浄土に参らして貰いまして、ええことをしましただがやあ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。」

    

  万蔵
次男の万蔵が気がふれた時、小谷ひでが源左に、
「万さんが、あがあな身にならはって、いとしげになあ」
といえば、
源左「あゝ、ようこそようこそ、このたび万はらくな身にしてもらってのう」

    

  畔(くろ)
源左、「山におる時、おい源左、もう仕舞いなあいやっていわんすけえ、一緒にもどりかけても、このおらは欲が深いけえ、帰りの畔(くろ)でお日さんがある間にと思って、水をつついとると、何時の間にだか日が暮れてしまってのう。するとお月さんが、はや出て下さるけえ、続けて仕事しとると、孫が迎えにきてごしますだいなあ。」

    

  夕立雨
源左が夕立雨に、びしょ濡れになって帰って来た。願正寺の和上さんが、
「爺さん、よう濡れたのう」
というと、
源左、「ありがと御座んす。御院家さん、鼻が下に向いとるで有難いぞなあ」

    

  鬼と仏
源左、「御法義を聞かしてもらやあ、たった一つ変わることがあるがやあ。世界中のことが皆本当になっだいなあ。
人さんが、『源左は鬼のやあなで』っていわれりゃ、そりゃ本当だけれ、地獄の出店の子だけのう。
また人さんが、『源左は活仏さんのやあなで』っていわれりゃ、それも本当だし。今に仏にしてもらうだけのう。」

    

  二重腰
八十なにがしに成っても、腰を二重にして這うように田の草を取っていた。
享哉和上、「爺さん、えらからあがや」
というと、
源左、「御院家さん、この爺めは丁度田の草這うのに都合がええやあに出来ておつだがやあ。人さんよりいっち楽で御座んすけなあ」
源左は七十歳頃からもう腰が曲がっていた。

    

  腰と頭
井関氏が源左と同道している時、「おっつあん、お前腰がかごんでいるで、歩くにえらからあなあ。」
源左、「井関さん、何いうだいなあ、頭が先に出ておるけれ、足だき歩きやあ、ええだけのう。」

    

  若衆
村仕事で若衆と一緒に働きながら、
源左、「若い衆は、ぼつぼつやんなはれよ、おらあ先が短いけれ、一生(ほんぎ)懸命にやるけれのう」

    

  御領解
同行、「どっかいでも極楽まいりがしたあて、源左さんの御縁に会いに来ただいな。」
源左、「おらあ、おちるよりほかにゃないだいな。」
同行、「おちりゃこそ助かりたあて、わざわざたづねて来ただいな、ええ御縁に会わしなはれな。」
源左、「おらなあ、おちるよりほかにゃなんにもないだいな、なんとしたことか親さん助けたるっておっしゃっでのう。」
と言ったきり源左は念仏するばかりであった。
同行、「こがなこったら、わざわざ山越した甲斐がなかったぞなあ。」
同行を追いかけてきた源左、「御同行衆、そがなええ話しがあったらおらにも聞かしなはれな。」

    

  おらより悪い者
源左、「おらより悪い者は無いと知らしてもらやええだけなあ。助ける助けんは、おらの仕事じゃないだけ。」

    

  愚痴
はつ、「お爺さん、なんぼ聞かしてもろうても、この心はええもんにならんがやあ。」
源左、「この心がこの喜ばれの奴が、喜ばれるやあになったり、愚痴の起こるのが起こらぬやあになったり、腹の立たのやあになってしまったら、そがあなれたら、何ぼう助けてもらいたあても、助けてむらわれのだけのう。
我が心は何ぼう聞いても、愚痴も止まず、喜びづめにもなれのだがやあ。それが直られる奴だったら、親さんは凡夫と仰っしゃらんだけのう。そがあに成れたら善人だでのう。」

    

  布教
享哉和上が岐阜県に布教に行くことになった。
「爺さん、遺言でもあるかえ、何でもいってつかんせえ。」
源左、「そがなこっちゃ御座んせんだがやあ。美濃の国だかに行きなはっだっちゅうことで御座んすが、決して美しい話をしてつかんすなえ。皆を悦ばすやあな話はせずに、ただ如来さんのお手伝いだけをしてつかわんせ。そのことだけをいっておきたかっただがやあ。」

    

  源左と直次
源左の友達であった山名直次が床に就いた。
娘のこの「お爺さん、ちったあ念仏となえなはれのう。」
直次「おらあ腹にいらんだいやあ。」
この「お爺さん、聞きたけらや、そこに岡本さんがあっだけ、呼んで御縁に会わしてもらはあ、おがだいなあ。」
直次「うんにゃ、おら岡本さんに聞きゃあでもええいや。源左の方がええいや。」
この「お爺さん、一つ親の話だし、源左さんも岡本さんも、おなじこったあないかいなあ。」
直次「われがそがに聞かしたけらや、源左を呼んで来てごせいや。」
そう云われて娘このは、源左の所に来てみると、源左も大分前から寝ておるとのこと。病床へ来て見舞いを云い、こう伝言した、「直次爺さんも寝とっなはって、お前さんに会いたいちゅうで、来てみただけど。」
源左「おらも、えらあて、よう行かしてもらはんだがのう。会いたいだけど何の用だらあかいのう。」
この「寝とってみらや、後生が気にかかるらしいだいのう。」
源左「気にかかるだって。」
この「あのやいなあ、お爺さんは寝とったって、ちょっとも念仏が出んだけ、念仏となえさして貰らやあ、気がにぎやこうて、ええだけどって云うだけど、ねきからお爺さんにゃ、念仏が出んだいのう。」
源左「よしよし念仏は称えんでもええけんのう。助かるにきめて貰っとるだけ、念仏はいっかな後生のたりにゃならんだけのう。」
このはそのまま直次爺さんに伝えた。直次は「はあ」と云ったぎりだったが、それから二、三日して、直次が「出てごせ」というので行ってみると、
直次「源左は、そがなことを云ったって、おらあ、いっかなわけが分らんだいや。」
この「なして分からんだいなあ。」
直次「わっちゃ、念仏となえとなえちゅし、源左は称えでもええちゅし、わりゃ助かるにきめて貰っとるだけ心配せえでもええちったって、おらあ分らんだいやあ。源左はどがあしとるか行って見て来てごせえや。おらあ、いっかな喜ばれんだが、源左に、喜べるか喜べんか、源左の喜びを聞いてごせえや。」
ここで又このが使いに出た。
源左「源左はえらあて寝とるちってごせ。」
この「寝とるって、どがなだいなあ。」
源左「源左もいっかな喜ばれんちってごせ。直次爺さんはどがあないのう。お爺さんは何だっていやえ。」
この「お爺さんは、どっかにも喜びが出んだっていなあ。」
源左「源左も病いの方がえらいだけ、喜びが出んだがのう。」
ここでこのはそのままを又直次に伝えた。直次「ふん」と云って思案顔であった。それから又幾日が過ぎて又このに「出てごせ」と云って来たので行ってみると、
直次「われがせんと聞いて戻ってごしたけど、おらあ源左の云うことが、いっかなわけが分らんだいや。この年になってなりが悪いだけど、世話せにゃならんけお寺にゃ参っても、人並に参っとって、いっかなおらが事だと聞いとらんだけ、分らんだいや。」
この「なして分らんだいのう。」
直次「源左は助かるにきめて貰っとるちったって、そがに親心ちゅうむんが、はや分るかいや。」
この「なんで分らんだいのう、お爺さん、分る分らんは、こっちが知ったことじゃないだけ。お爺さんが助けるって云われるだけ、真受けさして貰うだがのう。わが力じゃ参れる身にはなれんだけ。」
直次「なら、源左はえらあても、なんまんだなんまんだ喜こんでおったが。まあ一辺行って見て来てごせえや。」
ここで又このは使いに出た。
源左「今更くわしいこたあ知らんでもええだ。この源左がしゃべらいでも、親さんはお前さんを助けにかかっておられるだけ、断りがたたん事にして貰っとるだけのう。このまま死んで行きさえすりゃ親の所だけんのう。こっちゃ持ち前の通り、死んで行きさえすりゃええだいのう。源左もその通りだって云ってごしなはれよ。」
このは之を又直次に伝えた。
直次「源左は又そが云ったかえ。」
それから幾日が過ぎて、又直次から「出て来てごせ。」と云われ、このが出かけて行くと、直次は頭をかかえて、「おらあ、よんべ、ぽっちりぽっちり思うや。源左は念仏となえでもええちったけど、聞かして貰ってみりゃ、称えさして貰わにゃ気が済まんがやあ。称えりゃ邪魔になっだろうかい。源左に、ちっくり聞いてみて来てごせや。」
このは爺さんにも念仏の気が出て来たわいと思って、又源左の所に使いに行った。
源左「よしよし、出る念仏は抑えでもよし、無理に出ん念仏を引張り出しゃあでもよし、称えてもよし称えでもよし。邪魔にならんでのう。何んにもこっちにゃいらんだけのう。ようこそようこそ、なんまんだぶなんまんだぶ。」
直次はそれからは、「なんてなんてようこそようこそ」と喜んだ。昭和五年二月二十日朝一時頃源左はこの世を去った。直次は源左の往生を囲炉裡端で聞いて「源左にぬけられたわい」と云った。翌二十一日の暮方五時頃に直次も往生を遂げた。