| 青草民人の宗教遍歴 | 青草民人の真宗入門 |
青草民人の宗教遍歴 3
| 8 帰敬式を受けたあとですが、根無し草の浮き草門徒である私は、練馬に真宗会館があることを知り、早速日曜礼拝に通いました。そしてそこで、「本山で帰敬式を受けたんだが、所属寺がないので、真宗会館の門徒にしてほしい」と言ったんです。 その時は一旦承知してもらったのですが、ちょうどオウム真理教の事件があったあとだったりして、すぐに電話がありまして、「どんなおつもりですか」と問いただされました。 腹が立つやら呆れるやらでしたが、教員であることで安心したのか、急に態度が変わって、所属寺を見つけるまであずかるということでした。 帰敬式が1月、転勤が4月。楽しい真宗lifeが本当の浄土真宗として自分のどん底を救うことになるなんて、新参門徒の知る由もありませんでした。 親鸞聖人は、35歳で越後に流されましたが、私は35歳で過酷な転勤を強いられました。不遜ですが、親鸞聖人の人生と私の年令が重なるのは、偶然でしょうが、不思議な気持ちがします。 転勤してしばらくは、仏教どころではありませんでしたね。教員として自信に満ちていた有頂天から、授業崩壊のクラスを担任するという地獄にたたき落とされたのですから。 何も考えられない状態というか、次に何が起きるのか、そればかりが頭の中にあって、整理がつかない状態でした。真宗の本を読む気力さえなかったです。ただ、自分で書いた阿弥陀様に手を合わせるだけです。 朝が来るのが恐い。眠りについても、学校の夢を見て夜中に起きる。不眠と疲労で限界までいきましたね。 そしてあの日。小田急線のホームでのこと。向かってくる電車に何となく飛び込もうとする寸前、思い止まりました。今思えば、恐くて死ぬことなんかできなかったのでしょうが、電車に向かう自分は自分でなかったような気がします。 真宗が本当に自分の求めていたものだと思ったのは、やはり学校が変わって、つらい思いの中で現実を受け止められるようになったときだと思っています。それまでは真宗の教義も、学問としてとか、雰囲気の問題であって、自分との関わりはなかったように思います。そこで踏み止まってからですかね。お寺に行ってみようと思ったのは。 9 授業崩壊のクラスを担任している間、練馬の真宗会館の日曜礼拝に通っていましたが、もう必死で何かにすがりたいような気持ちでした。いろいろな方の話を聞いて大変充実していたと思います。 ただ、練馬から帰るときいつも空しさを感じましたね。真宗門徒といってもつながる仲間がいない。話を聞いて帰るということだけでいいのか。ただの自己満足ではないかと。 年が変わり、受け持ちのクラスが変わって、気持ちにゆとりが出てきたころに、パソコンを買い替えたんです。そして、初めてインターネットを始めました。 その当時、同朋新聞を真宗会館でもらって読んでいましたが、あるお寺の総代さん(今でも仲良しですが)が「お寺を開く」という題で文章をのせていました。その中にお寺でホームページを開いていると書いてあったので、呼び出してみたところすぐ出てきたんですね。しかもアットホームな感じ。すぐにメールを送ってみたら、返事がきたんです。一度お寺に来ませんかということで。 早速、聞法会にお邪魔しました。住職にも紹介され、門徒になりました。住職もスタッフの人たちも気さくな人たちで、for beutiful sinnshuu life が展開されました。平成12年の2月でした。 お寺に行くと、連れ合いをなくされた方とかお子さんをなくされた方がいらして、そんな話の中で私も自分を見つめる機会を得ました。まだまだ私は自分の現実から逃れようとしているだけなんだと、そう思うようになりました。そしたら、現実が少しずつ冷静に見られるようになってきたのです。 いろいろな教えを聞いていくうちに、真宗の教えが自然法爾の教えだと受け止めるようになりましたね。あるがままの自分をどう受け止めて、川が流れるように生きていけるか。流れに逆らって生きている自分との往還。根本的にものの見方が変わりました。ものを裏側から見るというのでしょうか。 10 親類縁者みんなが真宗門徒ですから、私にとって真宗以外は宗教ではないという感覚ですね。 おばあさんが武家の出で、先祖が絶えて無縁になりそうな曹洞宗の位牌があって、うちのおやじが継ぐはずだったのですが、おやじは東京に出てきたので、おじさんが継ぎましたが、そのうちだけ曹洞宗。あとはどのうちにもお寺なみの仏壇がありますよ。 それでも、お大師様は今でも大切にしています。私が仏縁をいただいたのは弘法大師様ですから。さすがに「南無大師遍照金剛」とは唱えなくなりました。 私が帰敬式を受けた日の午後、時間があったので仁和寺に行きました。そこの大師堂にお大師様が座っていらっしゃったんですね。初め面と向かって拝めなかったです。裏切ったというような気持ちがあったんですね。 でも、お大師様の声が聞こえました(もろ私の都合ですが)。「この先は親鸞について行きなさい」と。 仏教八万四千の法門の中で出会えるものはわずかですが、仏法に触れる機会をいただいたと思っています。お大師様の声が聞こえるなんていうのは方便ですが、自分が仏道を志す方便だったのでしょうね。 11 仏教になぜ興味があるのか、自分でもはっきりしたことはわかりません。ただ、好きなんですね、仏教が。 仏教というもやのようなものの中にいた私には、真宗という私にとってもっとも根元にあったものが見えなかったというのでしょうか。灯台元暗しですね。これは家族にも言えることで、両親も私が真宗門徒になったことで、意識が変わってきました。 うちが日蓮宗だったら日蓮さんを崇拝していたかもしれませんね。久遠寺も行きましたし、「法華経」も全部ではありませんが書写していました。でも、やはり、親鸞さんや蓮如さんがやっぱり身近な人だったんですよね。 残念ながら実家には仏壇がありませんし、両親は熱心な門徒というわけでもなく、いまだ帰敬式も受けていません。親も変な息子だと思っているでしょうね。最近になってようやく私のしていることを認めてくれるようになりました。 帰敬式を受けることは妻には内緒でしたし、自分が決めたことなので、迷いはありませんでした。もともと家内の実家は真言宗だし、真宗の習慣とは相容れない家風でしたから、今さら納得してもらう気もありませんでしたね。むしろ、自分が信じるものをそれぞれが見つければいいんだというぐらいのものでした。 一度、家族みんなで真宗会館の初参り式というのに行ったことがありますが、みんなでお念仏をあげるのを見て、妻は気持ち悪がっていました。たしかにそう思ってもしょうがないのかなという気はあります。家族には押しつけないようにしています。その分、わたしも自由にさせてもらっていますが。 「親鸞一人がためなりけり」という気持ちが痛いほどわかります。 |