真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  HIROの母
   
「HIRO―息子の生と死が与えてくれたもの―」
 2002年~2003年
 


  第一章 息子HIROの死

 HIROは私の長男。17年間と10ヵ月、私はHIROとこの世で生きてきました。
 HIROは初めての子でした。赤ちゃんのころから好奇心旺盛で感性の豊かな子でした。だから、あの子がしでかす様々なことを、私は「大変な子」とか「苦労をかける子」と思うよりも、
「子どもっていうものは、目に映るものは全てが初めてのことなのだから、何に対しても不思議で、珍しくて、好奇心をもって触りたくなってしまう。それは普通の感情なのだから、変でも何でもない!」
 と大いに評価して、HIROが起こしてしまう困ったこと(周りの人たちの目には)を「賢さ・心の豊かさの表れ」と、楽しい気持ちで見ていました。
 HIROは私にとって、それはそれは楽しい子でした。もちろん、いろいろしでかしてくれましたから、怒ってばっかりの母親でもありましたよ、当時の私は。それでも心の底では面白く思っていました。そしてHIROの成長をずうっと楽しみにしていました。
 小学一年生のころの作文。先生に言われて書いた文章です。

 『母の日にお母さんに一言書きましょう』
 おかあさん、げんきですか。かたをもんであげるの。ごがつになるとぷうるにはいって、あきになるとおちばであそぶの。ふゆになるとゆきであそぶの。


 他の子たちは、「おかあさん、ありがとう」とか「おこるとこわい」ぐらいの表現しかできないころの作文です。なんと感受性の豊かな子なんでしょう! 私は感動しました。
 学校のプールに初めて入った時は、こんな作文を書きました。

 きのうはぷうるですべってかおがしたについたけど、おきあがれたの。それで、ぷうるとおはなししたの。こわかったよっておはなししたの。

 遠足に行けば、石ころと遊んだことを作文に書くような子でした。
 そんなHIROの感性が楽しくて楽しくて、私はあの子の感性を豊かにするために、たくさんの本をよく読んでやりました。もちろん読み聞かせの時間が楽しかったからです。寝る前の本の読み聞かせは日課になっていました。
 けれど、あの子の感性は学校教育の中で潰されていきました。

 私も教職についていますから、あまり先生のことを非難できません。しかし、先生といってもいろいろな人がいます。固定観念を押しつけるような人に対して、HIROは拒否反応を示すようになってしまいました。小学三年生の時にあたった担任はそんな先生でした。そこからHIROの人生は影を落とし始めました。そして、HIROは不登校児になりました。同時に、HIROは子どもたちの集団を見ただけで、恐怖感に陥るようになりました。
 私は必死でした。HIROは先生と直接闘うことはできませんので、HIROの代わりに先生と理解し合おうと努力しました。でも、とうとう三年生は暗黒の状態で終わってしまいました。その後も先生に対するHIROの信頼感は失われてしまい、それは大人社会に対する不信感にもつながっていったように思われます。
 HIROは自由に自分を出せる相手だとか、場所においては、楽に生きることができました。こんな健全な日記を書けるHIROでもあったのです。五年生の時の日記です。夫が長期入院をしていて、一時帰宅した時のことを書いています。

 『お父さんが一日帰ってきた』
 きのうは土遊びがたのしかったなあと言いながら、朝起きると、うちのお父さんが今日の十時ぐらいに病院から一日帰って来るという。
 やったー! ぼくはものすごくうれしくなった。
 おかあさんは、だから部屋をかたづけたらと言う。
 ぼくは、そうしたいなと思うけど、どちらかというと、ぼくはあんまりそうじはしなくて、テレビを見ている方であった。
 十時をすぎただろうか、車の音がして、うちのお父さんが帰ってきた。
 ぼくは、そのうちへんな作文をあたまで考えていた。
「ぼくのお父さん」
「ぼくのお父さんは力持ち。今もぼくをだっこできる。」
「ぼくのお父さんは働き者。せんたく・ふろそうじ・お茶わん洗いがじょうず。」
「ぼくのお父さんは日曜大工・つくえ・いすが作れる。」
「ぼくのお父さん。ぼくはお父さんのことが大大大大大大すきです。」
 なんて、あたまで考えていた。
 そのとき、お父さんはHIROと言いながら顔をさすり、にこにこわらい、またぼくの顔を見て、わらっていた。
 ぼくもいっしょにわらっていた。


 けれど、一旦、緊張感を感じてしまう「場所・空間」の中では、ありのままの自分では生きていくことができなくなっていきました。
 中学に入った時、「生まれ変わって一からがんばろう」と決意したようです。しかし、やり過ぎました。学校では自分の能力の二倍ものがんばりを見せてしまうような習性を身につけていきました。そういうのはいつまでも続くものではありません。
 学校で精いっぱいにがんばる自分を演出するのですから、家ではそのバランスをとるために、今度は極端にわがままになっていきました。中学生とは思えないような甘えを母である私に求めたりもしました。

 学校と家庭。HIROの精神構造は両極端に振れることが続きました。
 そんなことが続いていくうちに、HIROの精神はボロボロになっていきました。そして始まったのが、家庭内暴力、拒食、過食、失語症、自傷行為……。そして、狂言自殺までも……。ある時は警察のお世話にもなりました。
 私はHIROの命を護るために一睡もできない日が続きました。「もうHIROの命を護ってやれない」。私には彼を精神病院に入院させる道しか残っていませんでした。
 もちろん、すぐに適当な施設が見つかったわけではありません。いろんな相談機関や保健所、そして精神病院にも何軒あたったでしょうか。でも、そんな中で一番明るくて清潔な雰囲気、かつ家庭的なところ(思春期病棟)に巡り合えました。
 HIROが中二の時でした。そこでの入院生活で、HIROは自分の心に湧き起こる不安感、焦燥感、またその一方で未来への夢、希望を詩に表現していきました。
 15、6歳の時に作った詩です。

 〈信じる力〉
人を信じる事ができなかった
とてもみんなが怖かった
会う人、会う人、みんなのその目が
緑色に見えてきて、不安になった
多分、自分も変わってた
多分、やりかたまちがえてた
多分、みんなを知らないところで
いろいろ、本当に傷つけてた
自分も痛かったし、周りも痛かったし
自分もつらかったし、みんなもつかれてた

だけど、いつかのためを思い
だけど、未来のために自分にできるだけの事ガンバッタ
多分、みんなも周りも何かを考えてた
自分を守る一つの義務で……

だけど、ほんの少しの力が
だけど、周りを考えられないくらい
本当に足りなかったんだ
だけど、そのことは
だけど、昔の苦しいあのことは
たぶん、自分一人僕だけの考えだから……
だからいいんだ
それでいいんだ
もう、そのことは

けど、少しこの今の自分が
けど、少し周りでみんなが
不思議なオーラでおおわれている

そうだな
一歩や二歩は前進しているだろう
考えてこの道を歩き続けていこう
本当の終わりの終着駅のことは考えず
今を、前にまっすぐ
そして、信じる力を身につけて 走ろう!


 病院での生活の中で友情も芽生え、HIROの心は徐々に癒されていったようでした。自傷行為、拒食症、失語症が改善されていきました。死にたいという気持ちが無くなったころ、入院治療から外来治療に変わり、学校に戻ることもできました。
 しかし、根本的に治ったわけではありません。学校生活が彼に与えるストレスにすぐに負けてしまいました。そして、再び引き込もり生活へ。思春期病棟への入退院が繰り返されました。(全部で三回の入院生活)
 そんなHIROでしたが、幸いに彼のような子を受け入れてくれる高校も見つかり、病院生活を送りながらも、そこから通学することもできるようになりました。HIROの心の中では葛藤があったものの、その中でも希望の光が見え始めてきました。17歳の時の詩です。

 〈出発駅〉
意外に〝時〟というものは非情なもので
本当に刻一刻と時間は経過していきます
でも、自分はどうだと考えると
今の場所・道・街から、どこまでやって
どうやって抜け出すかが決め手

だから、今から出発だ
無駄なことは全部どっかに捨てて
この場所から飛び立っていくのさ
あの雲にのって
そう、あれが出発駅
だいじょうぶさ
もちろん、不安はしょうちの上
でも、今やらなければいつできる?
だから、さあ、飛び出そう

意外に〝人〟というものは頑丈に見えて傷つきやすく
本当に相手を思って、思ってやらないといけないんです
「あいつはムカツク」なんていっていたヤツもいつのまにか
反対の立場にいたりするんです

だから、今から出発だ
人の気持ちが分からないのは最初はみんな同じだから
この場所から飛び立って
しっかり、相手のキモチ・こころ・そして自分の自覚が出発駅
だいじょうぶさ
もちろん、つらいのはしょうちの上
でも、今やらなければ何ができる?
さあ、今飛び立とう

いつか、きっと気づくのさ、途中の駅で
自分のやってきた事の意味、人の気持ちを
そして、いつか、それはよろこびに
輝きに変わるのさ


 〈お母さんへ〉
ねえ、人生ってなんなのかな?
みんな(僕と同学年の子)はどんどん高校に行って、
そして、あと一年経てば卒業をする年になります。
そんな中、僕はもうその前から浪人して、一年遅れ、
そしてまた入院して、さらに留年して二年遅れになろうとしています。
……もどりたい。本当に。
本当は、みんなと同じ時に受験だってしたかったし、ライバルだっていたし、
だけど、この病院の環境だと、その勉強もすることができない。
すると、一人孤独になり、いじめられた覚えもあり、
もう知能LEVELを低くしたくない。
みんなと同じくらいの理解力のある、応用力のある人間になりたい。
今ならどうですか? 退院。
たとえば、このまま、この病棟にいて、
考えなくちゃいけない事が何年もかかるのをお母さんはただ見ているだけ。
それよりも退院して、親の言うことを必ず聞いて、応用していきたいんです。
だって、人生の青春時代をけがされるのはもうたくさん。
みんなと同じになりたい。
ぜったい、このままだと遅れるどころか、
閉じこめられる生活を続けると……、
「生きる」ということに楽しみまでもてなくなってしまう。

お母さんはどう思いますか?

ちゃんと言ったことは全て守ります。
だから、先生を裏切る形になるけれど、
毎週ちゃんと外来を二回でも三回でも言われたら通うから退院したい。

もう、最近、何のために生きているのか? まで考えている。
もっと、知識とかをつけてみんなを追い越したい。


 病棟から毎日のように家族に手紙を書いて送ってくれました。HIROが逝ってしまう一ヵ月くらい前から、その頻度は多くなっていき、十日くらい前には毎日になりました。その手紙はたいてい私宛てでした。
 HIROが亡くなる一週間前(5月22日)に私にくれた手紙は、今の私の心を癒してくれるような内容でした。その手紙があるから、私は今、救われるようです。
 その手紙をここでご紹介したいと思います。

 『HIRO~! ガッツだぜ~!』
お母さん、本当に今、HIROは生まれてきて良かった! と実感しています。
なぜでしょう?
この間までは「死にたいよ」と心の中で叫んでいた自分が
〝本当に駄目で醜い〟と今は思えるくらいにプラス思考になることができました。
やっぱり、最近、友達と仲がよくなったことも理由の一つだと今は思います。
生きているってサイコー!!
そして、なにより、そんな〝HIRO〟を作り出してくれたお母さんに感謝!!(パチパチ)
HIROはプラスに生きるよ。信じてね!
今だって、HIROは制限されていても、
そこがポイント~! ガッツだぜ~!
今のHIROに与えられている課題が今の制限なんだ! って思うと、
何に対してだって平気な顔をしていられると思うんだ。
そして、「今、HIROはHIROの力で生きているんだあ……。」
なんて思えれば最高だよね!
もう一度思いだしてみよう。
 (Ayu)♪
 今日がとても悲しくて明日もしも泣いていても、
 そんな日々もあったねと笑える日が来るだろう♪
的な感じかな?
(中略)
本当にHIROは生まれてきて、「良かった、ありがとう」と心の底から思っています。


 HIROは私を、その日の気分で「お母さん」と呼んだり、「ママ」と呼んだり、時には手紙の中では本名で呼びかけたりするような子でした。
「生きる希望」が湧いてきた! 良かった――と心からホッとした家族でした。しかし、そんな矢先、魔がさしたのでしょうか? 6月1日、入院先の病院から脱走してしまったのでした。四階の病棟窓から抜け出したのですが、奇跡的に落ちることなく、タクシーを使って我が家に戻ってきたのです。
「あの病院にもう戻りたくない! この家で暮らしたい。」
 彼は必死に私や夫に懇願しました。
 けれど私は、一泊だけでもさせれば良かったのに、HIROを病院に帰すことしか考えられませんでした。その明後日に私の勤務校の運動会が予定されていて、明日は運動会の準備の日だったからです。私は総責任者にあたっていました。そのことが頭のほとんどを支配していたため、HIROを一泊さえもさせることができなかったのです。
「こんな僕と嫌々ながら暮らすのと、あの病院に放り込んで一生会えなくなるのと、お母さんはどっちをとるの?」
 彼は迫りました。
 私は答えました。(その時にあの子にかけた私の言葉の冷たさが、いつまでも私を苛ま(さいな)せる結果となりました。あの子を殺したのは私だ、としばらくの間そう思って、自分を責め、呪いました)
「嫌なお前と暮らすことは選ばないよ。でも、病院にいたら絶対に治るんだから。一生会えないなんて思わない。とにかく今日は泊めるわけにはいかないのよ。病院に送るからね。」
 きっと、この言葉によってHIROは絶望したのでしょう。それなのにHIROの絶望には、私は全く気がつきませんでした。
 おとなしくなったHIROを車に乗せようとした瞬間、サッと彼は逃げました。ものすごい勢いでした。私も夫もお祖母ちゃんも、みんなでHIROを追いかけました。でも、暗闇の中にHIROは消えてしまいました。必死になってみんなでHIROを捜しました。見つけた時、近くのマンションの二階の廊下の手すりにいました。そして、アッという間にそこから飛び降りてしまいました。打ち所が悪くて(肋骨が折れてしまい、肺に突き刺さり心臓を圧迫したのでした)、即死に近い状態であの子は逝ってしまいました。私の目の前であの子は逝ってしまいました。

 私は目の前で起こった出来事が信じられませんでした。なんだか「仮想現実」を見せられているような気持ちでいました。私の目の前のHIROは息もせず、安らかな寝顔にも見えましたが、まるで蝋人形のようでもあり、「悪夢」なら早く覚めてほしいと、私はずっと叫び続けていたようにも思います。しばらくは意識がなくなってしまいました。意識が戻っても、その「悪夢」のような「現実」は変わりませんでした。いつまでも、HIROは蝋人形のようでした。

 HIROの死に顔を何人もの人が見に来ましたが、誰もが、
「本当に安らかだねえ。まるで眠っているようだ……。」
「この寝顔のような安らかな顔を見ると、あの世にいるおじいちゃんに、だっこしてもらえたって分かるねえ。」
 などと泣きながら言っていたようにも思います。でも、その時の記憶はあんまりないので、ぼんやりとしか分かりません。
 ただ、いくら気が狂ったように泣いても、わめいても、蝋人形のようになってしまったHIROは、二度と動くことも、目を開くこともしてくれませんでした。冷たく、硬くなってしまった頬を、身体を、何度も何度もさすっても、頬ずりしても、頭を撫でても、HIROの温もりは帰ってきませんでした。
 「絶望のどん底」というものを、その時、私は生まれて初めて経験しました。
 HIROのお通夜・葬式・火葬……と進みましたが、私はいつまでも「仮想現実」を見させられている気持ちをぬぐい去ることはできませんでした。

 人間って、ショックが大きすぎると涙も出ないことがあるのだと、今回のことで私は知りました。私はHIROの死を医者から伝えられた時は、発狂してしまったように泣き喚いて、その後、意識を失ってしまったのです。意識から覚めてからは、「泣く」というよりも「大声で気が狂ったように喚いていた」私でした。(恥ずかしいなんて感情は無でした)
でも、その後のお通夜やお葬式では涙は一滴も出なくなってしまいました。感情が無くなったようで、それこそ「私の抜け殻」がただ息をしていただけでした。泣かない私を見て、私の友人達はとっても心配してくれましたが、どうしても泣けないのです。泣きたいのに泣けない。
(こんなに悲しいのに何で泣けないのだろう……)
 泣いてくれる大勢の人を見て、泣ける人を心の中で私はとっても羨ましく思っていたのを覚えています。

 それから今日まで……、
「HIROの死を無にしてはいけない。」
「HIROがこの世でやりたかったことを、私が代わりにやらなくてはいけない。」
 そんな思いに取り憑かれたように、私は「HIROの詩集」作りに精を出し、全国のみなさんにHIROの思いを伝えなければいけないと「HIROのホームページ」作りに励んだり、などと様々なことに時間を費やしてきました。
 けれど、あの日から全く変わっていないことが一つ。それは朝、気づかされます。
「あ……。また、HIROがいない世界で生きていかねばならないのか……。」
 という気だるさの中で朝を迎えること。どんな感動的な出来事があっても、どんな素晴らしい本に巡り合えても、どんな優しさに出会えても、その感動は一過性のもの……。
「HIROがこの世にいない。」
「私の心にいるかもしれないけど、それを本当に感じることは二度とできないのだ。」
 という現実に向き合うその時間、なんにも誤魔化せないで、ぼんやりとした頭でいるのが朝なのです。

「HIROの死は自殺ではない。」
「HIROは私に心配をかけたかっただけなのだ。」
「怪我をして入院しても、あの病院だけには戻りたくなかったのだ。」
「HIROには辛すぎた人生だったから、あの世にいるお祖父ちゃんがあの子を救ってくれたのだ。」
「HIROの早すぎる死は彼の運命だったのだ。」
 そんなふうに自分にいくら言い聞かせても、「HIROにはもう会えない」という事実だけは変えるわけにいきません。
 また、「HIRO君はあなたの心の中にいるのだから、あなたが幸せにならなかったらHIRO君は幸せになれないのよ」という言葉も、その場限りの慰めになってしまって、そのうち空しさに変わってしまいます。
 私はこんな言葉で傷ついてしまったこともあります。
「元気そうになったね。良かった。」(元気に見える? 私の心の闇なんて知らないくせに)
「早く元気になってね。」(そんなに簡単になれるものでない、一生なれないかも)
 これなんか「いい言葉」にほかならないでしょう? 相手に悪意なんか何もないのです。それでも傷ついてしまったのでした。

 「HIROの死」の現実は、どこまで行っても、いつまでたっても変わらないのです! こんな「我」ばかりの私でいる限り……。そう気がついた時に、わたしは「我」とうまく付き合っていける方法はないかと思いました。そんな中で出会ったのが「坐禅修行」です。
「坐禅によって何か得るだろうと期待してはいけない。」
 ご縁があった師匠(曹洞宗のお坊さんです)には言われています。でも、「我」に出会った時には、
「正しい坐禅によって、我をうまくやりすごすことができるようになる。」
「坐禅中に頭に生じてくる我を相手にせず、邪魔にもしないようにしていけるようでないと……。」
 と言われて、やはり、その境地に期待してしまっている私です。
 HIROが亡くなって7ヵ月。私の今の心境はこんなところです。(2002年1月3日記)


  第二章 メールから

☆私はあの日から、あまり家族に腹を立てることがなくなりました。喧嘩もほとんどしません。それはなぜだかお分かりになるでしょうか?
 今回のことで「家族の死が一番恐怖」だってことが分かったからです。相手にどんなに苦労をさせられても、「その存在そのもの」がどんなに価値のあることなのかが、痛いほど分かったからです。そして、家族の死に顔は誰のだって、もう二度と見たくないのです!
 だから、例えば夫に対してムッと腹を立てる瞬間があっても、次の瞬間には「棺に入った蝋人形みたいな夫」を想像してしまう私です。それは本当に悲しく、辛く、怖いことです。それを瞬間に思ってしまうから、今ここにいる「ちょっと腹の立つ」夫がとっても愛おしくなります。「ああ、生きていてくれて良かった」って心底思えます。
あの「恐怖の日」から、私たち遺された家族はより一層、心を寄り添わせて生きている感じがします。唯一それが、息子の死が私たち家族に与えてくれたことのような気がしています。(2002年1月4日)

☆朝日新聞の2002年1月9日付の記事に、私と似たような境遇の方のことが載っていました。その記事には、24歳の息子さんが自宅のマンションから飛び降り自殺されてしまった主婦の方の、悲しみの中から次第に自分を取り戻すことができるようになるまでの軌跡が書かれていました。
 そのお母様の息子さんとの苦闘の日々や、死んでしまったことを自分のせいにして悔いていることについて書かれている部分は、私と全く同じだったので、共感し、涙を流してしまいました。
 でも、その中に「子を亡くした夫婦の仲は壊れやすい」ということが書かれてあって、後追いまで考えてしまったというその方と私との違いについて考えてみました。
 そして気がついたのは、私にはカウンセラーという存在があったことです。HIROは精神科にかかっていました。だからHIROが死んでしまった後に、私の心のことを心配してくださった担当医が私にカウンセリングを勧めてくれたのでした。

 私としては、そこに入院していたあの子を感じたくて、そのためだけにカウンセリングを受けることにしましたが、その中で自分の思いをぶつけていきました。
「夫は、あまり仏壇の前で拝んでいない。」
「夫は、あまり涙も見せない。」
「夫は、忌明けの日から職場に戻れた。」
 こんなことが「夫の息子に対する愛情の不足」だと感じていました。そして、自分の悲しみを分かってくれる人は家族にもいないと、初めのころは思っていました。だって、夫や娘たちはお笑い番組に大笑いをしているんです。私の感覚は麻痺していましたから、テレビを見て笑っている家族を許せませんでした。
(私は一生、心から笑うことはないだろうに、なぜ家族は笑えるんだろう? 可哀想なHIRO……。お母さんだけはあなたのことを思って一生悲しんでいるからね。笑うことなんか一生ないよ)
 こんなふうな孤独感にひたっていました。

 そんな不満をカウンセラーにぶつけました。でも、カウンセラーはこんなふうに話してくださいました。
〈悲しみの表現は人それぞれに違うんですよ。泣いて悲しむという表現もある。泣けないほど悲しい人もいる。また、悲しみをどう乗り越えるかも人それぞれ違います。旦那さんのように仕事に逃れる人もいる。あなたのように悲しみにひたっている人もいる。
 でも、これだけは言えますよ。家族が同じ悲しみ方をしないから救われているってこともあるんです。
 仏壇の前で時間をかけてお経を読んでいる妻を見て、旦那さんは自分ができないことをしてくれているあなたに救われているのでしょうし、旦那さんが仕事に向かってくれているからこそ、あなたは息子を思うことに専念できるっていう事実もある。
 もしも夫婦そろって仕事に就けなくなって、家で二人して泣いてばかりいて、暗くなってしまったらどうなりますか? 共倒れでしょう?
 どちらかがしっかりしなければならないと思うから、旦那さんはしっかりせずにはいられないのかもしれません。あなたを支えなくてはいけないと思って、しっかりしていることで救われているかもしれない。つまり、家族はバランスをとっているんでしょう。〉

 私はそのお話を聞いて、ハッと気づかされました。夫の悲しみと娘たちの悲しみについて初めて目が向きました。母である私が家族の中で一番悲しいのだと思い込んでいましたが、多感な年頃に、兄を亡くしてしまった娘たちの気持ちは、そうした経験のない私には分からないのかもしれない……。
 娘は絶対に仏壇の前で拝んだりしませんでした。そんな娘のことを冷たいと思っていました。しかし、人の心の中は娘といえども分からないのだと、あらためて思い知らされました。自分の浅はかな心を恥じ、思わず娘をしっかりと抱いている自分がいました。娘も私の気持ちを肌で感じとってくれたのでしょう。母に抱かれることに抵抗せずに、私の胸の中でいつまでも抱かれ、そして泣いていました。二人一緒にいつまでも……。
 きっときっと夫の心もそうなのかもしれない。そう思った矢先に知った事実です。夫が人知れずに仏壇の前で泣いているのを……。声を上げずにじっと耐えるように、涙を堪えるように……。仏壇の前の夫の姿は本当に小さかったです。その彼の姿に胸が痛んでしかたがありませんでした。
 それからでしょう、家族に対して心から愛おしく思え始めたのは。(1月13日)

☆自分の心の底をのぞいてみると、自分に「絶望」した私が見えてくるのです。あの時、何はさておき自分の身の心配をした私です。私が自分の命よりも大事に思っていたはずの、大事な大事な息子HIROのことよりも、自分の身を心配に思ってしまったのです。私は自分自身の方が大事だったのです……。
 もちろんその時は、その選択があの子の命を絶ってしまうことになるとは露ほども思ってはいませんでしたが、でも結果として自分の利害をとったためにHIROを失ってしまった。
 私は自分に「絶望」しました。
 なんてひどい親でしょう。私は自分を責めました。でも、どんなに責めても悔いても事実は変えることはできませんでした。私は我が息子を殺してしまった。そんな真っ暗な思いでいた時、
「自我と一度は真正面から向き合わないと仏には出会えない!」
 インターネットの掲示板でこの言葉が目に飛び込んできました。私はその掲示板に自分の思いを書き込み続けました。しかし、掲示板での会話の中で、
「自我と正面から向き合うのは難しい。自分の心の底をのぞいたとしてもそれは上げ底だ。」
 との指摘を受けました。私が見てしまった心の底は上げ底かもしれませんが、そんな上げ底でさえも醜く、目を背けたくなるような状態だったのです。でも、そこを見なさい、そうしないと「絶対他力の世界」の境地には至れない、とおっしゃってくれる方もおられました。
 誰が見ているかもしれないインターネットの掲示板に、自分の醜い姿を書いてしまったのも、格好つけてもどうしようもない自分を見つけたからです。こんな愚かな私を参考に自分自身の人生について考えてくださる方がいらっしゃったらなあ……という願いもありました。
そんな自分に「絶望」した私ですが、願いに向かって自力を尽くしたいとは思うのです。こんなひどい私でも、最初から「私はなんにもできない」と、すべてを神や仏に託すことはやはりできませんでした。
 とにかく何かをやってみる。「できる」「できない」とか、結果はあんまり考えずに、とにかく今やってみる。その結果は、未来に任せたらいい。大事なのは「何かやってみる今」しかないのだと、私はそう思うのです。(1月16日)

☆私はあの日を境に、自分の感情が無くなってしまいました。悲しいという感情だけが研ぎ澄まされていて、あとは麻痺してしまったみたいに……。夫婦げんかをしないのも、麻痺からかもしれません。何を言われても、「私が悪かったね、ごめん」です。傷つきすぎた私の感情は麻痺してしまったのです。
 娘からも言われます。
「お母さん、最近怒らないね。」
 夫もあまり腹を立てません。彼も感情が麻痺してしまったからかもしれません。「あのこと」があんまり辛すぎて、それ以外のことは、「なんでもないじゃない」みたいな感じがしてくるのです。(2月8日)

☆私は今まで味わったことのない感情を毎日感じています。例えばバレンタインデー。毎年、HIROには私からあげていたんですよ。でも今年は仏壇に供えるだけ。その空しさは経験者にしか分からないと思います。そして、その事実はみんな自分のせいなんだと思ってしまう時、私は自分の中の「悪」をいやでも感じてしまうのです。(2月13日)

☆私はどん底に落ちて、醜い自分を知って、けれども、そこからここまで救われました。ここまで救ってくれた存在は、神(仏)だと思っています。だから、根底では「大いなる偉大な存在のおはたらき」(他力)を感じているのです。
 「坐禅修行」でのお師匠は、こうおっしゃいます。
「まずは、ただ坐ることだ。」
 とにかく坐れと言うのです。そうして坐っていましても、無我の境地に立てるわけではありません。それを言いますと、
「それでいい。でも、ただ坐る。頭の中はいろいろ浮かんでくるだろう。それを邪魔にして追い払うでもなく、逆に楽しく相手にするでもなく、頭に浮かんできたものをすーっとやりすごして、とにかくひたすら真剣に坐る。その姿は紛れもなく仏の姿そのものなのだ。」
 私はその言葉通り一生懸命に坐っています。「ただただ坐ることが仏の姿」という言葉がとっても嬉しく心に響いたからです。

 お師匠は、こうも語ってくれました。
〈あなたは息子さんを亡くして悲しみにくれていますね。それは我々人間から見れば親の優しい情愛に見える。しかし、本当はあなたの我がつくり出している悲しみなのだ。悲しんではいけないと言っているのではない。それにとらわれてはいけないということだ。
 坐禅によって何か得ることを期待してはいけない。もちろん坐禅を始めたからには「さとり」は大事であるが、さとれなくても一向に構わない。ただ坐禅を続けることによって定力は(じょうりき)ついてくる。我を捨てようなんて思わなくてもいいが、我が生じてしまっても、それをうまく上手にやり過ごせるだけの定力はついてくるからね。〉
 とても勇気の湧いてくる言葉でした。この言葉を信じて、現在は精進しているところです。週に三回、40分を2セットです。土曜日だけ40分を3セット行います。家では40分を1セットのみ。家だと甘えてしまって40分を一回やるのがせいぜいです。とっても熱心なお師匠で、たまには私と二人きりの時もあるのですが、それでも付き合ってくれます。有り難いです。 (3月7日)

☆もちろん悲劇には遭いたくありませんが、でも「何もなくて、なんとなく人生が終わってしまった」という人生って、私には無意味だという感じがしてきました。なんにもなかったけれど、今までの人生に「何か満ち足りていなかった」私。それがなぜだったのか、今回のことでちょっと分かったような気がしてきました。「何もなかったら、仏にも遇わなかった」のです。
「気づかされた人生」ということについてある先生がおっしゃっていましたが、気づかされた人生になったのです。それを知るための授業料としては、「HIROの死」は高すぎましたが、それを払わなくては私には到底気づかなかった真実だったのです。(3月8日)

☆理想と現実の狭間で窮屈に生きている私。でも、「求める気持ち」は人一倍あると思います。求める気持ちは必死に近いと思います。
 私には「息子の死を無にしたくない」という強い強い思いがあるからです。私が息子の死をもってしても何も得なかったら、その時は「息子の死」が無になるってこと。それは絶対にしてはならないのです。(3月19日)


  第三章 「徒然日記」

  2月18日(月)  日記開始
 徒然なるままに、日記をつけることにする。
 今日出会った本。葉祥明さんの『アッシジの光』『ひかりの世界』『リトルブッダ』。素晴らしい世界、HIROの世界がそこにあった。HIROが今そこにいるのかと思っただけで、幸せになれる世界……。
 本屋さんで立ち読みをしながら、涙があふれてしまって、本を汚しやしないかと心配になった。結局、三冊立ち読みして、三冊とも買った。今夜は睡眠薬を飲まないで、この三冊の本を読みながら眠りにつくことにしよう……。きっと眠れるような気がする。
 『アッシジの光』と『リトルブッダ』は、娘に読んで欲しいから娘に勧めてみたけど、目を通してくれるかな?

  2月19日(火)  我が家で「わんこ」を飼う?
 私は子どもの頃から、動物に全く興味を持たないタイプだった。「好きな動物は?」と問われると、仕方がないから「人間」と答えていた。子どもに聞かれた場合は、そんな答えでは不満顔。だから、一番飼うのに手のかからない「うさぎ」と答えていた。
 母がこうだから、我が子らが「犬を飼いたい」「猫を飼って」と言っても、
「ママはお仕事があるから飼えないの。動物を飼うには責任感がいるんだから。かわいいだけでは飼えないのよ。」
 と、誤魔化した。
 要は「動物に愛着を感じないから、飼いたくない」、ただそれだけだった。

 けれど、事態は変わった。長女がちょっとアブナイのだ。大袈裟に言ったら、生きることに対する意欲そのものを失ってしまった状態だ。これはヤバイぞ……。ドキドキしてきた。どうしたらいいのだろう?
 不安感でいっぱいになっていたある日の朝、娘は夢の話をする。
「わたし、夢の中でわんこを飼っているんだよ。ちっこくてね、こっちに向かって走ってくるの。かわいくてね。でも、抱っこしようとしたとたんに、夢覚めちゃった。残念!」
 頬を紅潮させて話す娘。
「淋しいなあ……わんこが欲しいなあ……」
 この子を救えるのは「わんこ」かもしれない……。

 そう思っていた時に、高校時代の友人に会った。彼女、大の猫好き。道ばたで猫にあっても、「ねこ、ねこ~」と声かけしちゃうほど。その彼女の一言。
「猫って、抱いているだけで癒されるんだよね~。なんだか、生きる力が漲ってくるような……。今度の新しい猫はミルクティー色の赤ちゃん。楽しみだなあ~。」
 これを聞いた途端に心は決まった!
「娘のために、わんこを飼うぞ!」
 早速、昨日と今日ペットショップに行った。いろいろ見たが、結局、十二月末に生まれたばかりのヨークシャー・テリアを買うことにした。我が家に来るのは明日以降。(明日かも)
 果たしてわんこをちゃんと飼うことができるのか? しつけはできるのか? あんまり考えないで決めてしまった私。だが、娘の笑顔を得た私は、
「まあ、なんとかなるさ!」
 といった能天気さ。我ながら、アブナ~イ!

  2月28日(木)  久しぶりの更新
 HP作りを始めてから5ヵ月になる。一月まではがんばっていたのに、二月に入ってからはさぼってばかりいた。何だか、気力がなくなってしまった。だから、いろんな掲示板に書き込んだり、気のあった人とメールのやりとりをして誤魔化して一日を過ごした。
 あの日からがんばって走り続けてきたので、ちょっと自分に「お休み」をあげたくなったのかもしれない、と自己弁護する私。結果、「何にもやっていない自分」を自分が嫌いになってきた。
 このHPを作る中で、HIROを感じたいと思っていたのに、それをお休みしてしまうと、HIROが私から遠ざかってしまうようで、それも怖い気がしてきた……。
 でもさ、仕方がなかったのよねと、またまた言い訳をさせておくれ。だって、大変だったんだもの。HIROだって分かってくれるよね。だから、だから、更新どころじゃなかったってこともあるのさ!
 でも、だったら、なんで他の掲示板に書き込んだり、メールしたりできたの? そんな時間があったら、HIROのHP作りができたのでは?
 責める自分と言い訳する自分が心の中で闘っていて、自分が苦しくなったから、今日は申し訳程度の更新をしたわけ。がんばる自分を私は大好きだけど、がんばらない自分も認めてやらないと、これからの人生やっていけないかもな……。
 いろいろとぐだぐだ言っている今日の私。明日から三月。あと1ヵ月で復職。やりすぎない程度にがんばりたいなと思う、二月最後の日の私。

  3月1日(金)  今日は月命日
 毎月一日は月命日だ。あの日から、もう九ヵ月も経ってしまった……。きっと、
 毎月、「もう○○ヵ月も経ってしまった。」
 毎年、「もう○○年も経ってしまった。」
 と思うのだろう。1ヵ月経った時も、「もう1ヵ月も経ってしまったのか……」と思ったもの……。
 「どんなに時間が過ぎても、あの子の姿をこの世で見ることはないのだ」、そう思った時、自分が絶望の淵に立たされていることに気づく。そして、「ここに心がある」と分かるくらいに、胸がきゅーんと痛む。苦しいくらいに……。
 あの子を思う時、「後悔」ばかりが頭を占める。「後悔」しかない。「後悔先に立たず」という諺があっても、実際に後悔した時に初めて分かる、その言葉の重さ。
 人間が教育によって悟れることなんか皆無かもしれない。実際に私が悟ったことは、「失敗」「後悔」などの「経験」からのみのようだ。「HIROの死」を「後悔」だけで済ませないように、これからの私の人生をしっかり歩まないといけない。とはいえ、大袈裟な立派なことなど何一つできないだろう。
「この一日を無にしない。」
 それだけを肝に銘じて毎日を生きていこう。
「今日を自分らしく生きることにします。四月には四月の風が吹くでしょう……。」
 私の同僚から最近頂いたメールの言葉である。とってもステキな言葉なので、心にインプット!

  3月4日(月)  カウンセリング
 私は隔週ごとにカウンセリングを受けている。カウンセラーはHIROの担当医だった女医さん。素晴らしい方だ。彼女と話すたびに、涙と共に心の中の「氷のような悲しみの塊」が溶けていくのを感じる。だから毎回楽しみに行っている。
 本当のことをバラしてしまうと、私にとって彼女に会うのが楽しみである一番の理由は、【彼女に会う=HIROに会う】だからである。
 そこはHIROが入院していた病院。そして担当医はHIROの第二の母。彼女は私の知らないHIROを知っていて、教えてくれる人。だから、彼女に会うだけで、私は「生HIRO」を感じることができる。それが私の心にはとってもイイのだ。(「彼女、彼女」というと冷たい感じがするので、以後、「K先生」と書く)

 今日も隔週のカウンセリングの日だった。いつもそうであるように、今回もなんにも話題を考えずにカウンセリングを受けた。でも、毎度のように中身の濃いカウンセリングタイムになった。(一時間のカウンセリングタイムをオーバーし、一時間十五分もお話しできて、良かった! 先生には申し訳ありません)
「最近、泣きたいのに泣けない。」
「それは、何だかHIROに対する愛情が少ないように感じて悲しい。」
「悲しい映画を観ると、滝のように涙があふれて止まらなくなるのに、HIRO関係では最近、ほとんど泣かなくなってしまった。」
「HP作りを淡々と行える私の精神は、周りからは強いと思われているけど、そうなんだろうか?」
 なんにも考えていなかった話題だったが、次々に脈絡もなく支離滅裂な状態で、自分の気持ちを吐き出す私。

 そんな私に、K先生はいつものように、とっても嬉しい言葉をかけてくれた。
〈お母さんは、HIROの死の当初は半狂乱だったよ、大抵の人がそうなってしまうようにね。でも、お母さんはずっと泣いたままではいなかった。詩集作りを始めたり、HPの開設をしたり。
 それは、ある人からは強い人間に思われてしまうかもしれない。泣き続けている方が、その人の悲しみの程度を理解しやすいもの。
 けど、私にはお母さんが強かったからやれたとは思えない。それは、お母さんのHIROに対する深い愛情の形だったんだよ。お母さんは、「HIROはどうしたら喜んでくれるかな」とばかり考えていたんでしょう?
 そして、HPを開設した時、それは悲しい事だったの? いいえ、嬉しい事なんじゃない! HIROができないことをHIROに代わってやれたんだもの。HIROを喜ばせたかったお母さんなんだもの。HIROが喜ぶことをやれて、嬉しく思って当然じゃない!
 だから、泣かなかったんだよ。
 でも、悲しい映画を観て泣いてしまうのは、それは、悲しみの部屋のカギを開けられたから。心の中はきっと泣きたい気持ちでいっぱいだったんだもの。いつ泣いていいか、無意識の中で自分で「悲しみのお部屋のカギを開けてもいいか、いけないか」のコントロールができるようになったんだよ。
 HIROを思って泣くのも、HIROが喜ぶようなことをやって泣かずにがんばるのも、どちらもまさしくお母さんの愛情の形なんだよ。HIROはきっと喜んでいるよ。
 一番お母さんを好きだったHIROだったんだもの、お母さんが自分のために一生懸命にがんばっているのを嬉しく思うに決まっているじゃない!〉

 私はK先生のお話を聞きながら、涙が止まらなくなってしまった。いつもながら、有り難いK先生のお言葉……。
 こうして、私はまた一週間がんばれる。後の一週間は、ちょっと喘ぎ喘ぎ暮らしていくって感じ。そして、「薬が切れた~」状態になって、K先生のところに駆け込むのだ。
 ああ~、カウンセリングってありがたい。K先生に感謝、感謝

  3月6日(水)  HIRO教
 HIROは私の天使になった。
 HIROは私の仏になった。
 HIROは私の神になった。
 そう。私はそう確信しているのだ。「願い」ではなくて、「信じている」のである。
 宗教というのは、「目に見えないものを信仰し、その信仰によって救われる」ことなのだろうと思うが、その勝手な公式に当てはめた時、私は確かに宗教を持っているし、信仰心の厚い信者となる。
 ただし、もちろん既成の宗教ではない。強いて言うならば、名付けて「HIRO教」! 教祖さまは誰もいない。信徒は私一人の宗教である。
 この宗教は、いろいろな宗教や思想の影響を受けている。

【キリスト教】
 叔父がキリスト教の牧師をしているために、いろいろな聖書の聖句をもって私に勇気や希望を与えてくれた。
 ネット上で出会ったTさんからも多大な影響を受けた。葉祥明さんの美しい絵本にある、「魂の故郷」の考え方もTさんからも得て、大大大感激した。

【真宗(仏教)】
 これはネット上での出会いのみである。でも、阿弥陀さまは悪人こそ救ってくださるという。私は「悪人」を自認しているので、この教えには大変救われた。そして、救われない私だからこそ救ってやまない仏の慈愛の心を知って、私は大きな安心を得た。

【禅宗(仏教)】
 毎日行っている坐禅。素晴らしきお師匠との出会い。
 悪人であれ、善人であれ、一切衆生は仏だ。
 そんなバカな……。最初に聞いた時は、正直そう思った。
 でも、仏教の教えは深く、容易な道ではない。仏であるが、自分の中の仏の姿に出会うのはそうそう容易ではないのだ。そのための修行が坐禅。十年が一つの単位というから、その道は遠く険しい。本当の悟りの境地に立てるまでには、何千年もかかるという。つまり、生まれ変わり死に変わりして、何代にもわたって悟りを求めないと得られない境地だそうだ。
 果たして、軟弱なこの私に続けられるのか?

 でも、私は前記の出会いや感動は全て「HIRO」が私に与えてくれたものと信じきっている。
「お母さん、よくここまで、ぼくを信じ、ぼくの声に従ってくれたね。」
 そんな声が聞こえてくるような気がするのだ。
 師匠も言った。
「人生に偶然など一つもない。全ては必然、因縁なのだ。」
 私も実感として、それは受け入れられる。全ての出会いは、私に必要だからあるのだ。人間の私の目には不必要にしか思えない出会いも、遠回りにしか思えない事柄も、全てHIROが与えてくれた出会いであるし、一番の近道になっているのだ。何かを私に伝えたくて、わざわざイヤな出会いを与えている場合もあるに違いない。
 こんな境地に立っているので、私にはこれからの人生で「本当の嫌悪感」はないと思う。人間だから、無論、「嫌悪」してしまうことは多々あることだろうが、それでも、「HIROが私に何かを伝えたくて、わざわざ与えてくれた試練」だと思えたら、きっとそれを受け入れられるだろうと思う。

 そんな気持ちで、
今の苦痛=①HIROに会えない。寂しいなあ。
     ②娘たちが心配。
     ③胃が痛い。つ、辛い。
     ④味覚の異常。ああ、不快だあ。
 ……等々、身に起こる困難を乗り越えられる私になりたいと思う。
 だから、私のメシアの「HIRO」、どうか私を助けてね! そして、私をいつも救ってくれて有り難うございます。

  3月14日(木)  人の心
 たとえば、笑っている人を見る。「ああ、あの人は楽しいんだな」と単純に思う。
 たとえば、泣いている人を見る。「ああ、あの人は悲しいんだな」とまたまた単純に考える。
 普通の顔をした人。その人の心の中は全く見えない。
 悲しみを心に秘めているのか?
 喜びに満ちているのか?
 失敗を悔いているのか?
 明日への不安におののいているのか?
 しんどい身体と嫌々ながら付き合っているのか?
 だから、人は分かり合いたい時、話をする。話し合えば、少しは分かる気がする。
 でも、人間の会話ほどあてにならないものはない。話をすると、分かったような気になるだけ。そして、安心するだけ。

 なんだか、ひねくれたことばかり書いているみたいだが、「あの日」から、単純な私もちょっと複雑になった。
「元気そうなあなたを見て安心した。」
 HIROのことを語る時、私はなぜか涙が出るよりも嬉々としてしまうのだ。熱くHIROを語る私を見た人は、単純に立ち直ったと思ってしまうのだろうが、それは仕方のないことだ。(だから、責めているわけではない)
 でも、熱く語れば語るほど、実はその後の気分の落差は激しく、どーんと落ち込んでしまう私、おいおい泣いている私を誰も知らない。(家族だけは知っているが……)
 表面上の顔と言葉は、その人の心の内を語ってくれない。身をもって、そのことを知った。だからこそ私は思うのだ。道ですれ違ったあの人の心の中は、どうなんだろう?
 平静を装って歩いている私を、なんにも悲しみがない人と、きっと思われているように、普通の顔をしたあの人も何もなさそうに見えはするけれど、本当の心の内は誰にも分からないのだ。(もちろん、私にも……)

 HIROがいなくなって、私はこんなに悲しくて、寂しくて、心の中は真っ暗なのに、世間の人たちはみんな明るい。何であんなに明るい顔をしていられるのだろうか。
 当初はそう思っていた。けれど、それがどんなに浅はかで、自分勝手な考え方であったか、ということを思い知らされた。
 「思いやる」というのは、「相手の立場になりきって考えてみる」ということなのだろうと思うが、今までの私は、いつだって「自分の立場」からしか発していない「思いやり」だったことをつくづく思い知らされる。なんと思いやりのない、そして思い上がった人間だったのだろう。
 きっと、「元気そうね」という言葉を掛けてくれた人も、その人の心の中では、「本当は悲しいのでしょう」等といった、ものの分かったような言い方は口が裂けても言えない……と悶々としていたのかもしれない。
 分からないのだ、本当の気持ちは誰にも。そうだなあ……。人間(私)は人の心が分からないのだ。そういうことが分かったのだ。
 だから、自分勝手に想像して「あの人は幸せそう」なんて、羨んだりしないようにしたい。(笑って気分転換をはかっているのかもしれないのだ)
 また逆に、「あの人は悲しそう」なんて、哀れむのもおこがましいことなのだろう。(涙を流すことで立ち直ろうとしているのかもしれないから)

 家で飼っている愛犬のロウリィのように、なんにもしゃべらずにじっと見つめていた方が、本当は相手の心は見えてくるのかもしれない。その人の心が分かりたいと思ったら、ただただ相手に寄り添うしかないのかもしれない。そう……、だまって。

  3月20日(水)  忘れるもんか!
「どんなに悲しくても、それが嫌でも、あなたはその人のことを忘れていきます。あなたの深い感情は、砂浜の砂の城のように少しずつ無くなっていきます。もし、それが嫌でも、あなたの悲しみは砂浜の城と同じで、いつまでも残り続けることはありません。雨や風や波により、やがて砂浜の一部に戻り、海にあらわれるただの砂に戻ります。」
 この文章に出会った時、私の心は硬直した。
 私が、忘れる? HIROを忘れる? そんなバカな! そんなの絶対に嫌だ!!
「それが嫌でも、あなたはその人のことを忘れていきます。」
 その言葉が頭の中でリピートされた。その言葉との出会いがあったからかもしれない、私がHIROのHP作りを決意したのは。
 私は、「忘れない」努力を毎日した。HIROの癖・仕草・眼差し、そしていろいろな表情を……。(笑った顔・泣いた顔・怒った顔・照れた時の恥ずかしそうな顔・一心に何かに打ち込んでいる時の顔・喜びに輝く顔・美味しいものを食べている時の満足げな顔・歌ったり踊ったりした時の顔・得意になっている顔……)
 HIROのくるくる変わる表情をイメージしてみる。写真を見ながら、家事をやりながら、買い物をしながら。何をやっていても、心のHIROに話しかける習慣もついた。(この日記を書いている今も!)
「忘れるもんか、忘れるもんか」
 と私の脳の働きに逆らうように……。

 私は「忘れること」が得意中の得意だった。「あなたの長所は?」と聞かれたら「忘れる能力があること」と答えるくらいに……。
 嫌なことがあっても、嫌なことをされても、「忘れる」。
 夫婦げんかをしても、「忘れる」。
 穴があったら入りたくなるほどのことがあっても、「忘れる」。
 失恋をした時も「忘れる」という能力を発揮した。そうやって、人生の苦境を乗り越えてきた私だった。でも今は、その唯一の「能力」が呪わしい。だから、「忘れるもんか」「忘れるもんか」と、あの日から心の中で念仏のように称えて暮らしていた。

 先日のカウンセリングの時に、そのことを話題にした。
「忘れたくないから、必死になってイメージトレーニングをしているんですが。」
 そうしたら、我がカウンセラーのK先生はこのようにお話ししてくれたのだ。
〈お母さん、私は逆だと思うな、その言葉は。忘れたくなくても忘れてしまうのではなくて、忘れたくても忘れられないんだよ。それに忘れる訳ないじゃない!
 HIROはみんなにとってインパクトが強い子だったよ。私や看護婦さんの心に今でもしっかり焼き付いているよ。忘れたくないとお母さんが必死になんかならなくても忘れるもんですか。
 だから自然体でいいと思う。自然に暮らしていたって忘れるはずがないよ。そして、HIROを喪ってぽっかり空いた悲しみの穴がふさがることも、同時にないのだと思う。
 でも、悲しみは一生消えないんだけど、悲しみを心に持ちながらも、新たな幸せを見いだしていくんだと思う。前と同じ状態には戻らないけれど、幸せになっていくことはできるよ。〉
 私は「悲しみの穴がふさがることがない」という言葉が、なんだか嬉しかった。
HIROを忘れない=HIROを喪った悲しみが消えない
 なのだ。だから、他の悲しみと違って、私は悲しみと共にHIROを死ぬまで忘れない。
 K先生とのカウンセリングで、またまた元気になれた私。そうか、自然体でいいんだ。でも、まだまだ「忘れるもんか!」と頑なになっている心も、依然として私の中に存在している。

  3月28日(木)  この世に神も仏もサンタクロースも、そしてHIROもいる!
 HIROの突然の死からしばらく、
「この世に神も仏もいない。」
 この心境だった。けれど、今の私の心境は、
「この世に神も仏もいる。」
 こう、自信をもって言える。この心境の変化は?
 前にも書いたが、それは私だけの「HIRO教」のお陰なのだ。私の魂の救い主になってくれているHIROを目では見ることができないのに、私はその存在を確信できる。それはなぜか?
 あの日から今日まで、日々の暮らしの中で起こるさまざまな出来事(それが苦難に思えることでも)に、全て「HIROの有り難いおはたらき」があると確かに感じられるのである。

 例えば、
【私の体調不良】
 健康体だった私は、体の弱かったHIROの気持ちを、母でありながら本当には全く分かっていなかった。それを思うと、HIROに対しての悔恨の気持ちばかりなのだが、今は同じく身体の調子を崩している娘の気持ちに、心の底から寄り添うことができるようになった。(身をもって知った、具合の悪い者の辛さなのである)
 こう思うと、この体調の悪さもHIROが与えてくれたように感じる。

【ロウリィ】
 これも前に書いたが、私は子どもの頃から動物に愛着を感じないタイプだった。その私が犬を飼い(それも家犬)、もうめちゃくちゃに可愛がっている。その姿を見た私の妹(彼女は動物好き)は、不思議なものを見るように言った。
「お姉ちゃんのロウリィを可愛がっている姿が信じられないよ。まるで我が子みたいだね。犬なんて見向きもしなかったお姉ちゃんがねえ……」
 こんな私が犬を飼おうという発想になったのも、娘の精神の救済をペットにお願いしようと必死になったことがあるのだが、その発想はきっと「HIROのおはたらき」なのだ。

【学校の教え子たちからのラブコール】
 十ヵ月もお休みした職場復帰が迫っている。戻っても浦島太郎になってしまうのでは? という不安が頭をよぎる。また、明るい私に戻れるか? 自然な笑顔になれるのか? 不安は尽きない。でも、そんなときに届く、子どもや親たちのラブコール。これも、「HIROのあたたかいエール」に感じてしまう。

まだまだ例をあげるときりがないのだが、私にはあの日から、本当の意味で「不幸」と思えることがない。みんな「HIROのおはたらき」と感じられるから。
 「HIROのおはたらき」だなんて、そんなのは自分がそう思いたいだけなのでは? 自問自答してみた。確かにそういうこともあるかもしれない。でも、それだけではないのだ。
 HIROの肉体は既にないのだから、肉体の死は認めるが、だから命もなくなったとか、魂もないのだと、証明することは誰にもできないのだ。
「命は永遠に続く。」
 この言葉を『葉っぱのフレディ』で見つけた時、私はとっても幸福になれた。こういうのは、ただの「物語」に過ぎないのか? それだって誰にも証明できはしない。

 ただ、私はこう思う。
「はたらきとしての〝HIRO〟は確実に存在するのだ。」
 例えばサンタクロースも同じだ。クリスマスのサンタクロースだって、大人には「いない」と分かっていて、子供だましだということになっている。が、私はクリスマスに愛するわが子にプレゼントしたくなる「はたらき」を、実在してはいないサンタクロースがしているのではないかと思う。だから、サンタクロースは「はたらきとして存在する」のだ。
 それなのに、物知り顔に「本当はサンタクロースなんていないんだよ」と言ってまわる子どもと、「サンタクロースは絶対にいる」と信じ切っている子どもでは、どちらが幸せなのだろう? 答えは決まっている!
 子どもの世界としては、目に見えないけれど毎年、プレゼントをくれるサンタクロースを信じ、「また今年ももらえた」と嬉々としている方が当然、幸福だと思う。同時に、「本当は親があげているのに」などと、子どもをうまく騙せたことを喜ぶ親は一人もいないだろう。子どもが喜ぶ姿を見て、サンタクロースのプレゼントを喜ぶ子ども以上の幸福感を得るのだ。
 大人は気がついていないだけだ。子どもに夢を与えたくなる親の心こそ「仏の心」だし「神の愛」だということに……。そんな親の心の中にこそ、「仏」も「神」も確かに「いる」のである。
 私は、そういう意味で「神」も「仏」も「HIRO」も「サンタクロース」も、その「存在」を信じている。実在してなくても、「はたらきとしての存在」を信じている。

 ちょっとしつこいが、なんだかもうちょっと書きたくなった。
「亡くなったHIROはきっと魂のふるさと(ひかりの世界)にいます。」
 葉祥明さんの絵本の世界のような「美しい物語」を私に与えてくれた人がいた。そのイメージは哀しかった私の心にあまりにも優しかったので、私はそれを信じようとした。それにはまずは自分を酔わせたり、信じようと思いこませたり……自然にしたくなる。
 自分の子どもをお持ちの方なら、この気持ちは「当たり前の親心」だと分かり、バカにはしないだろうと思う。

 でも、そういう優しいイメージを持たせてくれる「宗教物語」は人間にとって、とっても大事だと思う。それを「それは譬え話だよ。神や仏の実体があるわけではないのだ」と夢を壊すようなことを言うのは、「サンタクロースなんて、親がしていることだ」と子どもにばらしてしまうバカな親と同じだ。
(何を隠そう、もはやサンタクロースを信じていないと思って、中二のHIROにそれを告白したのは、この私。 なんと! HIROに「信じたかったのに……」と言われて、愕然となってしまった。)
「正しいことは、これこれこういうことだ」と、分かったような口をきくのが大人。でも、本当のことを分かっているのだろうか? だって、どんなに賢い人だって、所詮は人間なのだ。神でも仏でもない。(いくら本具仏性であっても)
そんな未熟な人間の分別なんてものは、大層なものではないはずだ。もちろん、私も前述したような「宗教物語」を信じ切っているわけではない。(悲しいことに。本当は信じ切れたらなあと思うくらいだ)
でも、「もしかしたら、そんな美しい世界――本当の魂のふるさと――ってものがあるのかもしれない!」と考えることは、ステキではないか。だって、私の人生が終わった時に、またHIROに会えるってことになるのだから!!

 今回は「この世に神も仏もいる」ことについての私なりの所見を書いてみた。思いのままを書き連らねてしまった。毎度のごとく支離滅裂な文章にご勘弁あれ。


  第三章 メールから

○問い 仏教でもキリスト教でも自分が罪人だということを強調しますね。
☆返事 このごろ、ずっと考えていることなのですが、「救い」を請うている人にしか、宗教は必要ないのですね。そういう人は少なからず、自分の中に罪の意識を持っているのだと思います。
 順風満帆な人生を歩んでいる人が宗教の世界に入る場合もありますが、そういう人は興味や関心から宗教の世界に入るわけでしょうから、その人にとっての宗教は単なる教養や娯楽の域を超えないのではないでしょうか? そういう人には罪の意識がありませんから、心の底からの願いがないと思うのです。
 本当に心の底から「救われたい!!」と願う人は、【絶望した人=自分の中に罪を見つけてしまった人】だと思います。神や仏が真っ先にそういう人を救いたくなるのは、至極当然だと思うのですが、いかがでしょう?
 そういう意味で、心の底から宗教を求める人たちには、ことごとく大なり小なりの「絶望体験」、そして「救われたい願い」があると思います。だから、罪の意識はどの宗教にも欠かせない大事な要素になるんだと思います。
 ただ、その「罪」について、「これでもか!」「まだ足りない!」「お前は煩悩だらけのどうしようもない人間なんだぞ!」と、何度も突きつけられてしまいそうな感じがあり、言われなくても罪の意識をいっぱいに持っている私にとってはなんだかしんどくなるのです。
 宗教を求めてやまない人たちというのは、もうすでに自分の中に罪の意識を持っていると思うのです。だから、そんな苦悩に満ちた人たちには、「もういいよ、そんなに自分を責めなくてもね。阿弥陀様がいつでも一緒におられるからもう安心だよ。阿弥陀様は、あなたを見守り、共に悲しみ、痛んでくださっている。だから、もう大丈夫だよ」って感じで話されたらいいように思うのですけれど。厳しさを強調してしまうと、今が一番しんどい人にとってはつらすぎると思うのです。
 まあ、人はそれぞれですから、同じように考えてしまってはいけないと思いますが、信仰心が厚い人たちは、とっても悲しいことを経験なさっているような気持ちがしています。(8月1日)

○問い どういうことが救いだと思いますか。
☆返事 私の場合ですと、「HIROを喪った悲しみを心の中に秘めつつも、それでも人生を生き抜いていかれ、その時その時に感動を見いだせるということ」が救いだと思います。悲しみを無くすとか、忘れるということは、私の場合には救いになりません。忘れる、無にするということは、私にはかえってつらいことですから。
 仏とか神とかと共に生きていくという実感を得ることを、悟るというのではないかと思うくらいです。私の場合は、HIROと共に生きていくということです。それを実感できた時、大安心感を得られると思います。悲しみを胸に秘めつつも、真の幸福感を得られると思うのです。 (8月3日)

○問い 苦しみや悲しみと喜びとはどういう関係にあると思いますか。
☆返事 HIROを喪ったことによって、私は心の傷を負ったわけです。それはある意味、障害的なもので、傷は薬でもリハビリでも、そして時間でも完治できません。例えば、目の障害を負ってしまった人は、その目を見えるようにすることはできません。「目が見えない」という一点では、「悲しい」「苦しい」わけです。
 でも、その目が見えなくなったという事実は、不幸ばかりをもたらすわけではありません(これは負け惜しみということではないのです)。目が見えなくなったことによって得られるものが、必ずあると思います。苦しいけれど、視力を失ったことによって得られた何かは、他の人には得られない「すばらしい」何かなのでしょうね。
 そんなたとえでは分かりにくいでしょうか?
 私の中で、愛するHIROは失われたわけです。その失われたHIROは二度と取り返すことはできませんが、失うことによって「自分自身」を知ることができました。そして、その自分がどんなに不安定なところで生きていたか、そういう自分の足下を見ることもできたわけです。
 そして、その不安定で真っ暗な世界の底にも暖かな光が注がれていることを知りました。それは、どん底の暗闇を知らない人には見ることができない暖かな光だったわけです(もちろん、精神的な光、たとえですよ)。HIROを失った悲しみ苦しみを持ちつつも(いえ! 持っているからこそ)出会えた光の存在。これなんです!!! (8月7日)

○問い 「光」とは具体的にどういうことでしょうか。
☆返事 「光」というと、何だかとってもまぶしくて、幸福一色の感じがしてしまう表現ですね。だから、「光」という言葉はこの場合、ふさわしくないのかもしれません。ただ、私が陥ってしまった絶望の世界は、あまりにも真っ暗闇だったので、そこに差し込んできた「光」はとっても有り難くて、精神的には目映く感じてしまったのでしょう。
 その「光」をもっと具体的にお話ししましょう。
 「HIRO」にも書いていますが、HIROの死が私の人生になかったとします。HIROだけでなく、三人の我が子の誰の死もなかったとします。つまり、普通の人生ではそうですよね。子供の死という経験は特別です。あまり経験される方はいないでしょう。
 その場合、きっと可もなく不可もなくという感じで人生が終わったことと思うのです。子供が「存在」するというだけで幸福だなんて思わなかったでしょう。自分の「存在」を有り難いと、自分の人生があることを感謝することもなかったに違いありません。今のように日常の当たり前な事柄一つ一つに感謝したでしょうか?(今は、感謝感謝です)
 それから、時たま腹立たしいことに遭遇することはあっても、後になって、「それも私の人生には必要なことだったなあ」と、感謝できる私になったこと。
 それら全ては、HIROの死がなかったら味わえなかった世界観です。HIROを失うという経験が、今までできなかった思考の仕方を生んでくれたのです。
 それは「光」でなくてなんでしょう? これが私にとっての、大事なものを失った時に初めて得られたことだったのです。
 私は視力を失う経験は持っていませんが、目が見えるという素晴らしさが本当にわかるのは、視力を失った人だと思うのです。
「今生きている!」
 この不思議で素晴らしいことについて、死を間近に控えた人が一番わかるように。
 息子の死によって自分の死を疑似体験した私です。自分の死とは違うと言われてしまえば、それに反論はできませんが、自分の死に一番近いのが、我が子の死ではなかろうかと思います。もっと言えば、ある意味、自分の死よりもつらいわけですから。
 このくらいにしましょう。ちょぴり「わたしにとっての光」について、わかっていただけたでしょうか?(8月8日)

○問い 子どもを亡くすようなことがなければ光体験ができないのでしょうか。
☆返事 他の人たちはどうだかわかりません。少なくとも、わたしはそうだったのです。子供を亡くすということでなくてもいいのですが、相当な絶望体験がなければ「光」には出会えなかったと思います。今得ているものについて当然としか思わなかったのです。それが少しでも不足すれば、文句を言いこそすれ。
 何でも自分に生じたことを「ありがたい」と思える今(直ぐには思えないことはよくありますけれどね)。HIROのことがなかったら、そんな「今」を獲得できなかったと思います。(8月10日)

○問い 大切な人が死んだからといって、みながみな光体験をするわけじゃないように思いますが。
☆返事 みんな、光体験をしているのかもしれません、本当はね。ただ、それに気がつかないでいるだけか、それとも、みなさんは光体験をおおげさに考えているので、私の話を聞いたら、「ああ、それが光だとしたら、そんなことは私にも体験があるわ」と思われるほどのことかもしれません。
 つまり、わたしの光体験というのは、日常(生きているという事実そのもの)が有り難く、「自分の力を越えたもの」で成り立っていることに気がついたということですから。つまり、「他力本願」なのですよ、根本はね。
 「光」に自力で出会えた、というよりも、「光」が自分を照らしてくれていた(人生の初めから今までずっと)ということに気がついた、ということだと思います。悲しいことに、HIROの死がなくてはその真実に気がつかなかったということです、私の場合は。
 支離滅裂かな? わかりにくいでしょう?
 ただ、みんな光に出会えているのだとわたしは思うのです。それが一番言いたいかな?(8月11日)

○問い こうしたことを話されるあなたは、他の人から見れば、息子さんの死から立ち直ったと思われているんじゃないですか。
☆返事 まさか、私が「立ち直った」と思ってやしませんよね。でも、多くの人たちは私が立ち直ったと解釈しているでしょう。人の心の闇は誰にも見ることはできませんから。
 しかし、私が立ち直ったと誤解されてしまうことは、やはり悲しいです。それもまあ仕方がないかなとも思うのですけれどね……。「HIRO」をお読みいただけば、ここら辺の私の心境はおわかりいただけると思います。
 私は行動することで、悲しみから逃避しているだけかもしれません。自分の心の闇を見たくないから、それから目を背けるために、何か(HIROに関することだったら罪悪感に苦しめられることがないので、HIRO関係のこと)に夢中になった私だったと思うのですよ。そういう行動は、人からは「強い」「立ち直った」と誤解されやすいですよね。
 でも、今悲しみにひたって泣いてばかりいる人は、もしかしたら私よりも立ち直りは早いかもしれないなとも思います。私はこのごろ頃、「悲しさ」や「つらさ」では泣けないのです。
 悲しい時には泣くことのほうが素直な行動ですから、泣くことのできる人は自分に素直になっている分、心の傷も早く治っていくような気がしています。
 悲しい時に泣くのは精神的にとてもいいのでしょう。HIROの死で一番泣いたのは末娘でした。それこそ、タオルを抱えて大泣き。タオルを絞るとジャーッと涙がしぼり取れるのでは? と思ってしまうくらい。それに対して、長女は苦しむような泣き方でした。うまく泣けないのです。夫は目を真っ赤にさせながらぐっとこらえて震えていました。私は「HIRO」にも書いたとおり感情の全てが無くなって、きっと阿呆みたいな顔だったと思います。
 でも、一番泣くことができた末娘の立ち直りが一番早かったです。今、日常生活を順調に送れているのは彼女だけかも知れません。だから涙の効用は大きいと思います。
 それを知っているのに、なぜこんな方法をとっているのか自問自答してみると、ちょっと見えてきたようなんですが……。
 私は幼い頃から、自分自身で解決でき得なかった難題には、「忘れてしまう」という方法をとってきたのでした。いつでもそうでした。「HIRO」にも書きましたよね。
 でも、今回の人生最悪のできごとには、この「忘れてしまう」という方法が全く使えないのです。HIROの存在がなかったことにしたり、HIROの死がなかったことにしてしまうことができるわけがない(それができたらどんなに楽でしょうか)のは当たり前ですよね。
 でも、泣くという方法を今までの人生であまりとってこなかった私は、その方法も簡単には使えない。だから、HIROに関することに没頭して、一日を生きることしかできかった。ただ、それだけなのです。(8月12日)

○問い それでもあなたは強いと考える人は多いと思いますよ。
☆返事 私は、「強い方ですね」と言われるのが一番つらいのです。だって、「強い人」=「こんなつらすぎることに堪えられる人」=「もしかして、鈍感な人?」=「もしかして、息子に対して愛情が不足していた?」と、私の連想がいやな方向にどんどん進んでしまうから。
 そんなことを考えてしまう私です。
 私は本当に強いのか否か?についてずっと自分に問い続けました。そこで、思いついたことをお話ししたいと思います。
 私がこうして生きていられるのは、HIROが「無」にはなっていないと信じ切れていることが、大きいんだと思います。
 あるホームページの掲示板で、我が子を喪って半狂乱になってしまわれた方が、心の叫びを訴えられていました。その中で、我が子は「無」になってしまった、と絶望されていました。もう我が子には絶対に会えないのだ……と。我が子は「無」になってしまったのだから……と。
 そこを読みまして、私は全く違うと思いました。私は「肉体は一生見られないが、あの子は天使(仏・神)になって、私と共に生き続けてくれている」と信じています。その信仰が私の心の支えになっています。その信仰心を維持してくれるかのように、いろんな出会い(人・本・インターネット・宗教)が自分の元にやってくることが大きな力となっています。
 私はどの宗教や宗派にも属していませんが、その勝手な信仰心は、もしかしたら敬虔な信者のそれと一緒なくらい厚いものだと思います。
 こんな強さは私自身の精神的な強さではありません。
「HIROが私を支えてくれている」
 この一点を信じられるか否かが、本当に大きいです。
 もしかして、そんなことは「まやかしの世界」だと、正真正銘の神が現れて証明したのなら、その時を境に私の生きる意欲はゼロになってしまうでしょう。
 信仰心は人の心を強くしてくれるのだと思います。そして、その強さは、自分本来の強さではありません。HIROが私を強くしてくれたのだと、私には思えるのです。(8月13日)

○問い お子さんを亡くされたご夫婦は死んだお子さんのことを話さない場合が多いと聞いたことがあります。ご家族で息子さんのことを話し合われますか。
☆返事 勿論! です。我が家では、私が中心になってHIROのことを話題にします。
 HIROはこんなだったね。
 犬のロウリィの仕草はHIROそっくりだね。
 HIROの好物はお肉だったね。
 HIROはお寿司が一番大好きだったね。
 HIROはこんな失敗をして、みんなを振り回していたね。
 HIROは、それでも優しい子だったよ。
 私が中心になって、こうしてHIROを話題に出します。このごろでは、家族もそういう会話に慣れてきたようです。一番、話題に乗ってこなかった長女もちゃんと乗ってくるようになりました。
 わたしは、HIROがいつまでも我が家の家族の一員であること、我が家は五人家族であることを変えたくないのです。
 我が子は3人。
 我が家族は5人家族。
 HIROはお騒がせマンで、我が家のアイドル。
 亡くなったお子さんのことをどうして話さないのか、私にはわかりません。
 いえ……、そうじゃありません。私にはあの子が「無」になってしまうことが恐くてたまらないのです。泣けないということも、泣いてしまったらHIROの存在を否定してしまう感じがして、それがブレーキになっているのかもしれません。
 だから、HIROのことを話題にするのは本当はつらいですが、しかしあの子の存在を確認したくて話すのでしょう……。
 あの日から悟ったことですが、人の心は誰にもわかりません。だから、死んだ我が子のことを話せないというご夫婦のお気持ちを勝手に察したり、非難したりはできないのです。私のことを非難してほしくないと思うのですから。私だって、誰かを自分と一緒じゃないからと非難できるものではありません。心の闇は絶対にわからないのです……。(8月14日)