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  オウム真理教の元信徒の手記

広瀬健一『悔悟』

 1 はじめに
オウム真理教は特殊なセクトであり、麻原彰晃という異常な人間のせいで事件が起きたんだと、あっさりと片づけてしまうべきではないと思います。麻原彰晃に人間的魅力があり、教えや話に説得力があったからこそ、信者はもちろん、ダライラマや中沢新一、そして西本願寺の門主といった人たちが麻原に対して好意的な言葉を寄せているのです。
カルト宗教とまともな宗教とがあって、その間にはっきりとした境界線があるわけではありません。伝統宗教や既成教団にもカルト的要素はあります。オウム真理教を「いかさま」として切り捨ててしまったら、オウム真理教のどこが問題なのかが見えないままになるでしょう。

地下鉄サリン事件の実行犯で、去年7月に死刑を執行された広瀬健一さんの手記が『悔悟』という本になりました。広瀬さんはどうしてオウム真理教に入ったのでしょうか。そして、なぜ事件に関与したのでしょうか。
『悔悟』には、オウム真理教の教義は何か、麻原彰晃をなぜ信奉したかなどが詳しく説明されています。

 2 入信の動機
 ① 神秘体験
広瀬健一さんは早稲田大学で物理学を専攻し、大学院を出て研究所に就職する予定でした。ところが、オウム真理教に入信し、さらには出家までしました。それには神秘体験が大きいです。広瀬さんの指導教授は法廷で「結局、神秘体験だと言っていた」と証言しています。

神秘体験を「宗教的経験」と広瀬さんは表現しています。宗教的経験とは「宗教的な意味合いを包含する幻覚的な経験」、つまり神秘体験や超越体験のことです。麻原彰晃の命令に信徒がためらうことなく従ったのは、「信徒もまた、幻覚的な宗教的経験が豊富だったから」です。

広瀬さんは高校三年生のときに「生まれた意味」の問題を明確に意識するようになり、たまたま麻原彰晃の著作を読みました。
「偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです。昭和六十三年二月ごろ、大学院一年のときでした。その後、関連書を何冊か読みました。(略)
本を読み始めた一週間後くらいから、不可解なことが起こりました。修行もしていないのに、本に書かれていた、修行の過程で起こる体験が、私の身体に現れたのです。そして、約一か月後の、昭和六十三年三月八日深夜のことでした。
眠りの静寂を破り、突然、私の内部で爆発音が鳴り響きました。それは、幼いころに山奥で聞いたことのある、発破のような音でした。音は体の内部で生じた感覚があったものの、はるか遠くで鳴ったような、奇妙な立体感がありました。
「クンダリニーの覚醒―」
意識を戻した私は、直ちに事態を理解しました。爆発音と共にクンダリニーが覚醒した――読んでいたオウムの本の記述が脳裏に閃いたからです。クンダリニーとは、ヨガで「生命エネルギー」などとも呼ばれるもので、解脱するためにはこれを覚醒させる、つまり活動する状態にさせることが不可欠とされていました。
続いて、粘性のある温かい液体のようなものが尾底骨から溶け出してきました。本によると、クンダリニーは尾底骨から生じる熱いエネルギーとのことでした。そして、それはゆっくりと背骨に沿って体を上昇してきました。腰の位置までくると、体の前面の腹部にパッと広がりました。経験したことのない、この世のものとは思えない感覚でした。(略)
私はクンダリニーの動きを止めようと試みました。しかし、意思に反して、クンダリニーは上昇を続けました。
クンダリニーは、胸まで上昇すると、胸いっぱいに広がりました。ヨガでいうチャクラ(体内の霊的器官とされる)の位置にくると広がるようでした。クンダリニーが喉の下まで達すると、熱の上昇を感じなくなりました。代わりに、熱くない気体のようなものが上昇しました。これが頭頂まで達すると圧迫感が生じ、頭蓋がククッときしむ音がしました。それでも、私は身体を硬くして耐えるしかなす術がありませんでした」

麻原彰晃の本に「複数のグル(修行の指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分裂する」との記述があり、広瀬さんは不安にかられてオウム真理教に入信しました。

本を読んだだけで神秘体験を経験するとは驚きですが、神秘体験が入信の原因となっている信者は他にもいます。
滝本太郎弁護士によると、中川智正さんは子供のころから神秘体験を経験しています。
「同人(中川智正)に特異なことは、幼いころからさまざまな「神秘体験」をしてきており、これが不安のままに成長してきたところ、麻原彰晃に出会ってしまったということであった。被告人としては、実際に前生の自分を見ていて、日常的に物理的に麻原彰晃が光っており、麻原彰晃を見ると心臓が喜び同心円状に体に広がっていった、と言うのである。(略)法廷で麻原を見るとやはり光り輝いて見えると言うのである」(滝本太郎「オウム裁判10年を振り返る」)

 ② 空しさ
そもそも広瀬健一さんはなぜ麻原の本を読んだのでしょうか。
「私自身は高校三年生のとき、「生きる意味」の問題を意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引き処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を見て、むなしさを感じたのです。
それ以来どういうわけか、私はこの「むなしさの感情」を通して世界を見るようになってしまいました。事あるごとに、物事の価値の移り変わりが気にかかり、その価値そのものに疑いが生じるのです。〈結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか……〉との思いが浮かぶこともありました。
あらゆることに価値が感じられなくなれば、何を求めて生きるべきか、「生きる意味」を見失ってしまいます。そのために、私は意味が感じられる生き方を模索するようになったのです。(略)
その後私は、簡単な瞑想を指導する団体に入会したり、目を引いた本を読んだりしたものの、その問題は棚上げ状態でした。大学で学ぶことが将来の職業に直結するので、学業や学費のためのアルバイトに忙殺されていたのです。
そのようなとき偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです」

生きがいを求めたりして入信した信者は少なくありません。
「結局、僕が麻原さんについていけば大丈夫なんだって感じたのが、壮大な救済ドラマだったわけ。三万人の成就者が出れば、世の中の人たちを救済できるって言ってたけど、そこなんですよ。もし単なる一兵卒で終わってしまったとしても、人生をまっとうできると思った。でも、今から思えば、純粋に世の衆生のためにやろうとしていたんだけど、その裏側ではそれを必ず誇らしく思っている自分がいる。純粋に見返りのない愛なんていうけれど、じつは違う。でも、当時は、自分は存在していてもかまわないんだ、自分にも価値があるんだって思えた」(カナリアの会編『オウムをやめた私たち』)

 3 オウム真理教の教義
広瀬さんが「オウムは多くの文化遺産を採用――濫用というほうが正確かもしれません――してきたのです」と指摘するように、オウム真理教の教義自体はいろんな宗教や思想の寄せ集めています。このことも、信者がオウム真理教の教えに違和感を持たなかった要因の一つだと思います。

 ① カルマの法則
オウム真理教の教義の中心はカルマの法則と六道輪廻からの解脱ということです。
人間が死んだら生まれ変わる。人間に生まれ変わるとは限らず、地獄・餓鬼・動物(畜生)・修羅・人・天の六道を輪廻する。六道のどこに輪廻するかは、どんな業(カルマ)を作ったかによって決まる。善い行為(善業)をすれば善い報いを受けるので、天や人に生まれ変わる。悪いこと(悪業)をすれば悪い報いがあるから、地獄や動物に生まれ変わる。人間に生まれるとしても、どの身分に生まれるか、どういう人生になるかは前世の行いによって決まる。だから、現在の境遇や出来事などは過去世の業の結果である。
つまり、カルマの法則とは因果応報ということです

広瀬健一さんはオウム真理教の教義を次のように説明しています。
「教義において、修行の究極の目的は最終解脱をすること、つまり、輪廻から解放されることでした。なぜ解脱しなければならないのか――それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、幸福でいられる善業が尽きてしまえば、これまでに為してきた悪業が優位になり、苦しみの世界に転生するということでした。特に、地獄・餓鬼・動物の三つの世界は三悪趣と呼ばれ、信徒の最も恐れる苦界でした。
それに対して、解脱はすべての束縛から解放された崇高な境地でした。解脱に至るには、次のように、私たちが本来の最終解脱の状態から落下していった原因を除去していくことが必要と説かれていました。
私たちは自己が存在するだけで完全な状態にあったにもかかわらず、他の存在に対する執着が生じたために輪廻転生を始めたとされていました。それ以来、私たちは煩悩(私たちを苦しみの世界に結びつける執着)と悪業を増大させ、それに応じた世界に転生して肉体を持ち、苦しみ続けているとのことでした。たとえば、殺生や嫌悪の念は地獄、盗みや貪りの心は餓鬼、快楽を求めることや真理(精神を高める教え=オウムの教義)を知らないことは動物に、それぞれ転生する原因になるとされていました。
これらの煩悩と行為は、過去世のものも含め、情報として私たちの内部に蓄積しているとのことでした。この蓄積された情報が「カルマ(業)」でした。そして、「悪業に応じた世界に転生する」というように、自己のカルマが身の上に返ってくることを「カルマの法則」といい、これも重要な教義でした」

カルマの法則は麻原彰晃が考え出したものではありません。
紀元前8~6世紀、古代インドのウパニシャッド哲学で輪廻思想、六道思想、業報思想が一つにまとめられました。
・業思想 行為をすると業(カルマ)が残って影響を与える
・輪廻思想 死んだら生まれ変わる
・六道思想 六つの世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)がある

この思想は仏教にも取り入れられています。『仏説無量寿経』ではこのように説かれています。
「善を修することを知らず。悪逆無道にして後に殃罰を受く。自然に趣向して神明記識す。犯せる者を赦さず。かるがゆえに貧窮・下賎・乞匃・孤独・聾盲瘖瘂・愚痴・弊悪のものあり。尩・狂・不逮の属あるに至る。また尊貴・豪富・高才・明達なるあり」(善い行いをすることを知らず、悪逆のために後にその罪の罰を受ける。神々がその人の犯した罪を記録していて、決して許さない。そのために貧乏人、身分の卑しい者、物乞い、身よりのない者、身体障害者、愚か者、悪人などがいるのである。また身分の高い者、金持ち、才能がある者、聡明な者がいるのは、みな過去世で人を慈しみ、親に孝行を尽すなどの善い行いをして徳を積んだことによるのである)

現在の境遇は前世の報いなんだ。金持ちは前世で徳を積んだから金持ちの家に生まれた。貧しい者や差別される者は前世で悪いことをしたからだ。しかし、苦しくても我慢して真面目にしていたら、来世でいいところに生まれるかもしれない。このように仏教は説いてきたのです。

因果応報を説く宗教はたくさんあります。
「自殺者の遺族が通夜や葬儀の法話で僧侶から「命を粗末にした人間は浮かばれない」「自殺は許されないことだから地獄に落ちる」と言われたといった話をよく聞くという」(毎日新聞2009年6月4日)

「幸福の科学会員の杉船誠一さんは、東日本大震災で、高さ十メートルの津波から避難しました。
高台で一夜を過ごし、翌日、自宅に戻ると、自宅裏の通りには腰の高さまで水が残り、流されたガレキや車、家具が散乱する、ひどい状況だったのに、自宅には津波の被害がありませんでした。浸水地域は自宅から内陸部に1キロ先まで広がっていたのに、なぜか自宅前の通りだけ津波が避けて通ったのです。
「信仰によって守られた」」(幸福の科学のチラシから)

 ② カルマの浄化
三悪道に落ちることを防ぎ、解脱するためにはカルマを消滅しなければいけません。それをカルマの浄化といいます。

「カルマの法則に基づいて考えると、解脱、つまり輪廻からの解放に必要なのは、転生の原因である煩悩・カルマを減少・消滅すること――オウムではカルマの浄化といいました――です。煩悩・カルマを滅尽すると、最終解脱に至るとされていました。ですからオウムにおいては、カルマの(特に悪業の)浄化が至上命令でした」
では、どうすればカルマが浄化されるのでしょうか。

 ⅰ 新しいカルマ(悪業)を作らない
現代において、一般人が悪業を作らないことは不可能だと説かれていました。
「オウムの教義の見地からは、現代人は悪業を積んでいるために、三悪趣に転生するのは必至でした。さらに、悪業を積み過ぎているので、真理(精神を高める教え=オウムの教義)を受容できる因も尽きており、通常の布教方法では救済されないとされていました」

 ⅱ 信者以外の人と接しない
他人と接することによって、その人のカルマが移ってくることがあると考えられていました。そこで、オウム真理教では出家すると世俗的な関係を一切絶つことになります。
「出家者は、教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした」

広瀬さんは他人のカルマの影響を受ける体験をしています。
「当時私は、会話をするなどして非信徒の方と接したり、街中を歩いたりすると、カルマ(悪業)が自身に移ってくるのを感じました。これは、気体のようなものが振動(ヴァイブレーション)を伴いながら身体に入ってくるような感覚でした。また同時に、表現し難い不快な感覚も誘起されました。まるで、自身の生命活動を維持している源が、蝕まれるような。そして、この感覚の後に私は、自分が気味悪い暗い世界にいるヴィジョンや、奇妙な生物になったヴィジョン――カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある――などを見ました。
このビジョンは、カルマが移り、自身が三悪趣に転生する状態になったことを示すとされていました(ですから私は、この経験によって、人々が三悪趣に転生することを実感していました)。さらに、その感覚(エネルギー交換)の後に私は、心身の状態も悪化しました。エネルギーの通る管が詰まり、身体に違和感を覚えたのです。あたかもカルマが管を詰まらせたかのように。同時に私は、エネルギーの流れが阻害されてそれが身体に充満しなくなり、消沈した精神状態になりました」

他人のカルマが移るということは、細菌やウイルスに感染するような理屈だと思います。あるいは、ケガレが移るというようなことでしょうか。

 ⅲ 麻原彰晃の教えのとおりに修行する(極厳修行)
「解脱・悟りを目的としたオウムの極厳修行は、総じて「カルマ落とし」であり、修行者に苦痛を与えるものだったのです。教義上、それは当然でした。カルマが浄化されて、解脱・悟りに到達するのですから。
その修行は約三か月間に及びましたが、一日の食事が「丹」二〇〇グラム(そば粉に蜂蜜を加えて練り、焼いた食物。麻原のエネルギーが込められているとされる)と「ソーマ」一八〇cc、睡眠――座法を組んだ姿勢でした――が三時間という条件でした。この状況ですと、修行者は肉体的にかなり衰弱します。
私は居眠りを防ぐために立位で修行しましたが、それでも眠ってしまい、繰り返し床に倒れ込みました。また半覚醒ともいえる状態にもなりました。修行監督から「変なことをしている」と言われて意識が戻るのですが、自分が何をしていたのか記憶にないのです。その間、私は目を開けており、眠っていたわけではありません」

 ⅳ 功徳を積む(奉仕行)
オウム真理教における善業(功徳となる行為)は、麻原彰晃や教団に対する奉仕行です。在家信徒の代表的な奉仕行は布施と布教(入信勧誘・チラシ配りなど)でした。しかし、善業を積む努力だけでカルマを減らせるわけではないようです。
「布施を含む奉仕行は教義上、さらに重要な意味がありました。麻原が意思する善行の実践によって、彼との〝絆〟が強まるとされていたのです。その結果、麻原の「エネルギー」を得ることができ、それによって自身のカルマが浄化されると説かれていました」
いくら善行を積んでも、麻原彰晃がいなければカルマの浄化には結びつかないのです。

 ⅴ 苦を受ける(カルマ落とし)
「麻原が信徒に「苦しみ」を与えることによって、両者の間に〝関係〟が生じ、「エネルギー交換」が起こるわけです。そのとき、麻原の持つ最終解脱状態の情報が信徒に移り、また同時に、信徒のカルマが麻原に移ります。その結果、信徒はカルマが浄化され、解脱・悟りに導かれるのです。(略)
麻原が信徒に「苦しみ」を与えたのは、カルマを清算させる意味もありました。教義では、自身のカルマに応じた苦しみが身の上に起こると、そのカルマが消滅するとされていたからです。
実際に麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞い
たのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました」

苦しむことでカルマが浄化されることは、他の信者も話しています。
「たとえばなにか悪いことが起こっても「あ、カルマが落ちた。よかったね」って言って、みんなで喜んだりします。失敗しても叱られても、なんでも「これで私の汚れが落ちたんだ」になってしまう」(カナリアの会編『オウムをやめた私たち』)

カルマ落としということで、熊谷直実が出家した時のエピソードを思い出しました。
法然に入門する際、法然は「ただ念仏だに申せば往生するなり、別の様なし」と話しました。熊谷直実は涙を流し、「手足をも切り、命をも捨ててこそ後生が助かると言われるかと思っていたらのに、念仏だけ申したら往生するとおっしゃったので、あまりにうれしくて泣いてしまった」と話しています。
手足を切り、命を捨てる苦痛によって、今まで作ってきた悪業を消し(カルマ落とし)、そうして往生(オウムの場合だと解脱)できると、熊谷直実は考えたのでしょう。

あるいは、ハンセン病は業病と言われていました。元患者の吉田藤作さんは「昔のお説教の時に、「病気(ハンセン病)になったのは業病なんだ、前世に悪いことをしたからその祟りだ」とか、「あなたたちはこういう病気になったのだからあきらめなさい」というような話をするお坊さんがいた」と話されています。
前世の悪業でハンセン病になったんだから、苦しい目に遭うことでカルマが浄化するというわけです。

冤罪で34年間死刑囚だった免田栄さんは、浄土真宗の教誨師がこう言ったと書いています。
「毎週、教誨師が来て説かれる説法は因果律で、前世において死刑囚になる因を持っていたから現世において死刑囚になっている、故にそのままの姿で処刑されねば救われない、とまことしやかに説かれては、宗教に弱い臆病な者は確定判決に不服があっても再審をあきらめるしかない」(『免田栄獄中ノート』)
この教誨師は、無実であっても、それは前世の業なんだ、処刑されることがカルマ落としになると説いたわけです。

カルマについてもっともらしいことを言う人は後を絶ちません。
京セラの稲盛和夫が自分の私塾である盛和会で行った講話です(盛和会の塾生の多くは企業の経営者)。
「大病になるとか挫折するとか、そういう災難に遭うのは、自分が過去に――先祖をも含めて――魂が積んできたカルマ、業というものが消えるときなのです。私は皆さんに、災難に遭ったら喜びなさい、とよく言います。それは、自分が今まで犯した罪が消えるのだから、その程度のことで済んでよかったではないかと言いたいわけです。実際、今度の震災では不運にも亡くなられた方がたくさんいらっしゃいますが、皆さんはこうして元気に生きておられます。つまり、あなたの魂が今まで積み重ねてきた因果が災難に遭って消え、カルマが消えたのです。
大地にもカルマがあります。神戸周辺は昔の源平合戦やいろんなことがあって、そこには定着したカルマがあったのでしょう。私には、そういう積み重ねられたカルマを清算するために、今度のような大震災が起きたとしか思えません。しかし逆に考えれば、神戸周辺のカルマはいま消えたのです。ですから今後、神戸地区は大きく発展するはずです」(斉藤貴男『カルト資本主義』)
地震によって苦しむこともカルマ落としだそうです。

江原啓之の本『日本のオーラ――天国からの視点』の視点を、櫻井義秀『霊と金』は次のようにまとめています。
①同性愛者には人を差別してきたカルマが見える。だから差別を受けることでカルマの法則を学ぶのではないか。
②アメリカの9・11テロも広島の原爆もカルマの法則で捉えられる。奪ってきたものがあるから、奪われる。戦争という形で魂の浄化が果たされる悲劇がある。
③社会貢献や慈善事業はカルマ落としになる。国税も稼いだ人に国がカルマ落としをさせるようなもの。
江原啓之は差別や戦争をカルマを浄化させるものとして肯定しているのです。

 ⅵ 麻原彰晃にカルマを交換してもらう(カルマの交換・エネルギー交換)
カルマの浄化には、「救済」の能力を有するとされている麻原彰晃の存在が不可欠でした。そのため、麻原彰晃は教えと救いの両方において絶対的な位置を占めていました。

「麻原は人のカルマの状態を見極め、これを効率的に浄化する指導ができるとされていました。
さらに麻原は、私たちに「エネルギー」を注入して最終解脱状態の情報を与え、また私たちが蓄積してきたカルマを背負う――つまり、カルマを引き受ける――とも主張していました。このようなカルマの移転は、「エネルギー交換」あるいは「カルマの交換」と呼ばれていました。このエネルギー交換は、接触でも、会話・思念でも――私たちまたは麻原の一方が相手を思念した場合でも――、さては麻原に対する布施でも、私たちと麻原の間に何らかの〝関係〟が生じれば、程度の差はあれ起こるとされていました」

広瀬さんは麻原彰晃によってカルマを浄化してもらう体験をしています。
「入信の一週間後に、麻原の「エネルギー」を感じる体験が現われました。麻原の「エネルギー」を込めたとされる石に触れたところ、気体のようなものが私の身体に入ってきました。そして、胸いっぱいに広がり、倒れそうになったのです。そのときは、ハッカを吸ったような感覚がして、私は自身の悪業が浄化されたと思いました。
その後も様ざまな形でこのような体験を重ねたので、私にとって、麻原が「カルマを背負う」能力を有することは現実でした」

「カルマの交換」はお金で考えるとわかりやすいと思います。悪いことをすると借金(悪業のカルマ)が増える。麻原は借金を肩代わり(カルマの交換)したり、金を与える(イニシエーション)ことによって借金をなくしてくれる。

麻原のエネルギーを得るための「イニシエーション(秘儀伝授)」がありました。
「イニシエーションとは、麻原が信徒にエネルギーを注いで最終解脱状態の情報を与え、また信徒のカルマを背負う〝儀式〟です。加えて、イニシエーションを受けると、麻原との縁や絆が強まり、解脱に至る因が培われるとされていました。
イニシエーションは種々ありましたが、最も代表的なのが「シャクティー・パット」でした。シャクティー・パットにおいて、麻原は信徒の額に親指を当て、10分間にわたってエネルギーを直接注入しました。このとき多くの信徒が宗教的経験を得、麻原に対する帰依を深めたのです」
現役の信徒は、今も、麻原の力でカルマが浄化されると感じる体験をしているから、麻原彰晃から離れることができないそうです。

カルマの浄化やカルマの交換ということもオウム真理教の専売特許ではありません。
あるお寺では大きな木魚の横に、「木魚に片手でふれるだけでも過去の罪障が消滅します」という貼り紙あるそうです。

A・スマナサーラ師(スリランカの高僧)
「善悪行為のエネルギーは簡単には消えません。ポテンシャル(潜在力・業)として蓄積されます。しかし業(カルマ)はエネルギーですから、悪いエネルギーを強い善いエネルギーで抑えることは可能なのです」(A・スマナサーラ『死後はどうなるの?』)

ロポン・ペマラ師(ブータンの高僧)
「病気には三つのタイプがあると言う。一つは、本当の病気で、これには医学的な治療がある。もう一つは、悪霊の祟りであり、これは占いと法要によって対処できる。最後は、過去世の業の結果であり、自分がいま体調が優れないのは、このタイプである。だから、薬も、法要も役にたたず、唯一の対処策は善業を積むことである。だから、自分は念仏を唱えているのである」(今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』)

『歎異抄』に「一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべし」という異義が取り上げられています。日ごろ念仏を称えない十悪五逆の罪人が、命終のときに初めて念仏を称えたら八十億劫の罪が滅せられるという考えです。称名による滅罪もカルマの浄化と同じ考えでしょう。
この異義に対して、唯円はこのように批判しています。
「業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあい、また病悩苦痛せめて、正念に住せずしておわらん。念仏もうすことかたし。そのあいだのつみは、いかがして滅すべきや。つみきえざれば、往生はかなうべからざるか」(業縁によってはどんなことが起こるかわからないし、病苦によって心の平静を保てずに命が終わることもある。その間の罪をどのようにして滅するのか。罪が消えなければ往生できないだろうか)
何らかの方法によってカルマを浄化できても、生きている限り業を作りつづけます。だから、死ぬ時にカルマが浄化されているかどうかはわかりません。

ジャイナ教の基本的な考えは、苦行によって過去の業を滅する、そして新しい業を作らないようにするということだそうです。そのためには、家族から完全に出家し、世俗から離れ、裸形でいて、遍歴をし、死に到るまでの断食が勧められる。
業について仏教とジャイナ教の違いは、仏教は意業を尊重し、ジャイナ教は身業を重んじることです。意業を重視するということは、業を作っているという自覚を問題にするということだと思います。この違いはオウム真理教と仏教との違いでもあります。

 4 入信後の神秘体験
オウム真理教の信徒にとって、カルマの交換やカルマの浄化、三悪趣への転生などは単なる理論ではなく、宗教的経験によって実感されることでした。
広瀬さんも「私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした」と書いています。

修行をする中でさまざまな神秘体験を広瀬さんはしています。
「私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立位の姿勢から体を床に投げだしての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修行において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした」

「始めは苦痛を感じましたが、やがて天にも昇るような解放感を味わうようになりました。あたかも煩悩やカルマが浄化されたように。また、意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう体験なども現れました。そして私は、麻原から「カルマもだいぶ落ちたようだ」と言われ、第二段階目の解脱・悟りを認められたのです」

麻原彰晃によるエネルギー交換ついて、広瀬さんはこういう体験をしています。
「私は修行をしていないときでも、麻原の心地よいエネルギーが頭頂から注がれて心が澄みわたり、自身のカルマが浄化されるのを感じることがありました。このような状態は、奉仕行(布施と布教)によってもたらされました。
これが当時の日常でしたから私は、一般社会の影響によって人々がカルマを増大して三悪趣に転生するのに対して、麻原だけが人々のカルマを浄化できることを肌で感じました」

「私は様ざまな状況・様態で、麻原のエネルギーを体感しました。その感覚は、麻原が強く意識される状況では必ず生起しました。たとえば、私が麻原の近傍にいるとき、あるいは麻原と(電話で)話しているとき、瞑想において麻原を観想しているときなどです。なお、麻原と距離を隔てた状況において、突然生起することもありました。
またそのエネルギーは、あるときは気体、あるときは液体のような感覚を伴って、私の身体に流入してきました。熱く感じることもあれば、冷たく感じることも、温度を感じないこともありました。
そして、このエネルギーこそが私にとって、麻原が神格を有することの証明でした。それが私の身体に注がれると、私の心が〝聖なる〟状態になったからです。心の汚濁は浄化され、意識はどこまでも透明になり、冴えわたりました。それは、人の五感が奏で得る、至上の感覚でした」

「私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験)などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました」

多くの信徒はこうした体験をしており、オウム真理教が説く世界(地獄や来世の実在)を現実のものとして認識していました。ある元信者はこのように語っています。
「初めての体験(神秘体験)の感動は「今までこのために生きてきたんだな」と思うほどでした。
具体的にはまず気持ちが良くなり、身体が驚くほど軽く、柔らかくなり、ものすごい解放感と自在感に包まれ、「この肉体は仮の姿だったんだ」と気づき、輪廻転生の存在を確信しました」(『オウムをやめた私たち』)

麻原彰晃の教えのとおりに修行すれば、教義にあるような神秘体験を体験するのですから、オウム真理教の教えが正しいと思うのは当然でしょう。麻原彰晃が絶対的な存在になったのも無理もありません。

 5 オウム真理教の救済
 ① ヴァジラヤーナの救済
 オウム真理教では、事件は救済であり、慈悲の行為とされました。その根拠となる考えがヴァジラヤーナの救済です。ヴァジラヤーナの救済とはカルマを浄化し、三悪趣に堕ちることを防ぎ、解脱へと導くことです。

「ヴァジラヤーナの救済におけるポアとは、麻原が救済の対象について、その生命を絶つことによってカルマを背負い、より幸福な世界に転生させる方法でした。ですから信徒が日頃なじんでいたヴァジラヤーナの指導法も、ヴァジラヤーナの救済におけるポアも、考え方そのものは変わらなかったのです。
異なるのは後者の場合、エネルギー交換を起こすための〝働きかけ〟が生命を絶つことだった点です。〝働きかけ〟が何であるべきかは、最終解脱者である麻原が、対象のカルマを見極めて決定することでした。現代人の場合、あまりにも悪業を蓄積しているために、その〝働きかけ〟が生命を絶つこととされたのです」
ヴァジラヤーナの救済において対象の生命を絶つのは、「カルマ落とし」の意味もありました。

「ヴァジラヤーナの指導法、つまり麻原との「エネルギー交換」や麻原による「カルマ落とし」によってカルマが浄化され、修行が進んだり、さらに解脱・悟りに誘われたりした(と感じた)信徒が多数存在しました。ですから信徒にとっては、ヴァジラヤーナの指導法ひいてはヴァジラヤーナの救済は、幻覚的ではありましたが、その効力が五感によって知覚され、身体に刻み込まれた実際的な教えだったのです」

 ② ポア
広瀬さんの説明によると、「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。
「私たちは地下鉄にサリンを散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意思とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです」

「麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は、悪党を殺したのです。これは、殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです」

信者は、「かかる現代人を救済するには、武力を用いて地球上にオウムの国家を樹立し、真理の実践をさせる以外の道はない。あるいは、「ポア」しかない」というヴァジラヤーナの教義に基づく救済を受け入れたのです。
死は終わりではない、来世もしくは死後の世界があると信じている人が殺人を犯し、しかもその殺人が慈悲行だと信じていたら、死刑には抑止効果はありません。

ポアの論理をまとめてみます。
ⅰ カルマの法則 人は生まれ変わりを繰り返す。死んだ後は、生きている間に作った業(カルマ)によって生まれるところが決まる。

ⅱ 来世を見通す力(天眼通)を持つ者は、ある人が悪業を作って地獄に堕ちるかどうかわかる。麻原はこの力があった。
仏教では、覚りを得た者は三明という神通力を持つとされています。
・宿命明 自分と他人の過去世の状態を知る
・天眼明 自分と他人の未来世の状態を知る
・漏尽明 煩悩を断って迷いのない境地に至る

ⅲ 悪業を作る前に殺せば、悪業を作ることができないし、地獄に堕ちることもない。
たとえば、Aさんはこれから殺人をすることがわかっている。人を殺すと地獄に堕ちる。Aさんが殺人という悪業を作る前に殺せば、悪業を作らずに死ぬから、Aさんは地獄に堕ちずにすむ。つまりAさんを殺すことは慈悲だ、救済だという考えです。
タイムマシンに乗ってヒトラーの子供時代に行き、ヒトラーを殺すようなものです。
仮に、ヒトラーを子供のころに殺したら、ナチスによる虐殺はないですが、そのことで世界の歴史は変わってしまい、ヒトラーよりひどい人間が出てくるかもしれません。
しかし、麻原は未来がどうなるかを見極める能力があるから、その問題は生じないということになります。

ⅳ ポアされる人は、本来生まれ変わるはずの世界よりも高い世界に生まれる。
ポアについてある信者はこう語っています。
「論理的には簡単なんですよ。もし誰かを殺したとしても、その相手を引き上げれば、その人はこのまま生きているよりは幸福なんです。だからそのへん(の道筋)は理解できます。ただ輪廻転生を本当に見極める能力のない人がそんなことをやってはいけないと、私は思います」(村上春樹『約束された場所で』)

ⅴ カルマの交換 
ポアが三悪趣への転生を防ぐ慈悲の行為だとしても、殺人には違いないから、実際に手を下す弟子はカルマ(悪業)を作り、地獄に堕ちることになる。そのカルマも麻原彰晃が背負うことによって、信者は人を殺しても地獄に落ちない。
「この「ポア」は、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています」

インドやチベット仏教、さらには日本の仏教でも、ポアと同じことが行われました。呪詛、調伏法です。
羽田野伯猷『チベット人の仏教受容について』によると、11~12世紀のチベットにはVajrabhairavaというタントラがあり、呪殺による度脱を最たる目的としていました。もっとも、このタントラは当時のチベット密教によって外道の烙印を捺されていたそうです。
Rwa翻訳官という、度脱においてはチベットにおける第一人者の人物がいて、多くの僧や外道たちを度脱、すなわち呪い殺していたということで有名でした。Rwa翻訳官は「度脱、呪殺事業は利他行である。方便善巧の大悲行である。仏の大悲である」と、オウム真理教と同じことを言ってたそうです。
当時のチベットでは、優れた僧はこうした能力を有しているとされており、そういった呪力を持つ者が畏れられ、尊敬されていました。

平雅行『日本中世の社会と仏教』によると、僧侶によって敵対者への呪詛が行われました。敵対者には、年貢を納めないものも含まれます。
「こうした行為(呪詛)が仏教の慈悲の精神と矛盾するわけではない。なぜなら宗教領主にとって、寺敵を呪詛・調伏して寿命を奪うのは、我欲にかられた寺敵の煩悩を砕いて菩提へと導くための方便だからである。彼らはまさに慈悲の精神にのっとって寺敵を呪詛し、神仏を恐れぬ愚かな民衆の罪業を制止したのである」
敵対する者を殺せば、その者は悪を作らずにすむから、呪詛は覚りへ導くための慈悲行とされたのです。
調伏の対象となった最大の人物は平将門です。将門を滅ぼした大元帥法は明治4年まで宮中において続けられました。太平洋戦争末期、ある密教僧によってルーズベルト大統領を調伏させたそうです。

死刑もポアと同じ理屈です。検事は「更生の可能性がない」と死刑を求刑し、裁判官も「更生の可能性がない」として死刑判決を下します。今までの悪業を死刑によって浄化し、これから悪業を作らせない。ポアと変わりません。
あるブログにこんなことが書いてありました。
「お坊さんでしたら〝死刑回避〟っていう〝現世利益〟にこだわらず、むしろ来世での救い、死を受け入れて浄土への往生を諭すのがお仕事なんじゃないのかしら?っと思うわけで。罪を悔いて刑に服し救済を願う。そのときに〝南無阿弥陀仏〟と唱えることで、阿弥陀様が浄土に連れていってくださるのではって。そう諭すことが真宗の僧侶の仕事であって、死刑・厳罰化に反対するのが本来の仕事ではないと、感じたりとか。なんか、ちょっと……ずれてる気がして」

戦争で敵を殺すことも同じ理屈です。
一殺多生という言葉があります。1人を殺すことで大勢の人の生命を救う、大きな救済のためには、小さな犠牲もやむを得ないということです。

「一殺多生ハ仏ノ遮スル所ニ非スシテ愛国ノ公義公徳ナリ 身ヲ殺シテ仁ヲナスハ教化ノ功績ト云フベシ」(一殺多生は仏の禁ずるところではなく、むしろ愛国の正義道徳である。身体を殺して仁とすることは教化の功績である)(真宗大谷派機関誌『開導新聞』明治16年)
大東仁氏によると、本願寺派、曹洞宗、日蓮宗なども一殺多生を説いています。

井上円了(大谷派寺院の出身、東洋大学の設立者)「露国は独り我国敵のみならず、仏敵なり。(略)今日仏教の依然として我那(我が国)に存するは、聖徳太子以来歴代の皇室の保護、皇族の帰依に基かざるは莫し。この点より視るも仏者は仏恩の為、皇恩の為に死を決して戦うは当然の事なり」

 6 事件の要因
事件が起きた大きな原因が麻原彰晃自身の神秘体験です。
「「アビラケツノミコトになれ――」
突如、麻原彰晃に訪れた啓示が、オウム真理教による破壊的活動の原点になりました。
1985年5月、神奈川県三浦海岸。
麻原は解脱・悟りの成就を発願し、頭陀(ずだ)を行じていました。頭陀とは、この世に対する執着を、禁欲的生活によって絶つ仏道です。恐らくは粗衣をまとい、野宿をしながら、修行に勤(いそ)しむ毎日だったことでしょう。
そのようなある日、麻原は神を礼拝していました。立位の姿勢から五体を大地に投げ出しての礼拝を繰り返す、仏教の伝統的な修行です。そのとき麻原は、天から降りてきた神の声を聞いたのです。
言葉の意味を調べたところ、「アビラケツ」はサンスクリット語であり、アビラケツノミコトは「神軍を率いる光の命――戦いの中心となる者」のことでした。神は麻原に、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが地上に興ることを告げ、その実現のためにアビラケツノミコトとして戦うように命じたのです。
そのときでした。シャンバラ建国の意志が、麻原の脳裏に刻印されたのは。そして、その意志の実現こそが、麻原が信徒に対して破壊的活動を指示した目的だったのです」

神の啓示を聞くという神秘体験がオウム真理教事件の発端だというのです。もしもこのことが事実なら、麻原彰晃は神秘体験の犠牲者と言えるかもしれません。

麻原彰晃はシヴァ神の啓示も受けています。
「「『ヨハネの黙示録』の封印を解いてしまいなさい――」
 麻原は1988年秋、シヴァ神から示唆を受けたといいます。そして側近の出家者と共に、『ヨハネの黙示録』の解読作業に取りかかりました。その作業の様子が、『滅亡の日』に描写されています。
オウムはヴァジラヤーナの救済によって、世界を統治する――。
そのように、麻原は『ヨハネの黙示録』を解釈したのです。「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう」という記述は、麻原が武力をもって諸国民を支配することを示すと」

神の啓示を聞いた人は、モーセ、イエス、パウロ、ムハンマド、そして中山みき、出口なおなど大勢います。ネットで検索すると、「神の啓示を聞いた」というので旅客機をハイジャックした牧師や連続殺人犯もいるぐらいです。神の啓示という神秘体験が暴力的行為の引きがねになることもあるわけです。

「神の言葉を聞くなどという夢のような体験が、麻原のあの途轍もない行動の動機となり得るのか?」と広瀬さんは手記の中で問題提起をし、自分の体験から、「宗教的経験は、その経験者にとってはあくまでも現実として知覚され、場合によっては、経験者の人生をも一変させるほどの影響力を秘めているのです」と説明します。

広瀬さんは神秘体験を絶対化することを批判しています。
「幻覚的な宗教的経験によっては、決して〝客観的〟な真実は検証できません。できるのは、〝主観的〟に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも〝個人的〟な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです」

門田隆将『オウム死刑囚 魂の遍歴』に、1988年(昭和63年)、麻原彰晃たちがカーギュ派のカール・リンポチェと会った時のことが書かれています。
上祐史浩の話。
「麻原がリンポチェ師に質問するわけです。自分はこういう体験をした、こんな瞑想体験をした、と。すると、リンポチェ師はそれに対して、すばらしい体験だと称賛するんじゃなくて、体験は解脱ではないんだ、というわけです。体験をコントロールできることが解脱なんだと、くり返し言うわけです。
それに対して、麻原は非常に不服そうでした。麻原オウムというのは、神秘体験中心主義みたいなところがあって、そういうところで麻原は自分の体験を認めてもらいたい、その価値を確認したいという気持ちがあったんだと思うんです。しかし、リンポチェ師に話したら、それは解脱じゃないんだよ、ということで、諭すように言ったわけです」
麻原彰晃が神秘体験を重要視していたことがわかる話です。同時に、神秘体験と覚りとは別だということもわかります。

 7 さいごに
『悔悟』は、宗教のどういうところに問題があるかを教えてくれます。
・自分の体験(神秘体験に限らない)を絶対視してしまう。
・「エネルギー」とか「いのち」とか「見えない世界」だとかいったことを実体化している。
・教祖が神とされ、信者に絶対的な力を持つ。
・信心が量(入信させた人数、寄付の金額など)で判断される。
といったことです。
こうした意味でも、オウム真理教はさまざまな問題を明らかにしてくれています。決して特殊な団体ではないと思います。