慰安婦問題についての意見の違いは6点ほどあるように思います。
1,軍の関与があったかどうか
2,軍や官憲による強制連行があったかどうか
3,慰安婦は売春婦なのかどうか
4,慰安婦の証言はウソが多いかどうか
5,どこの国でも同じようなことをやっているかどうか
6,慰安婦問題の責任追及は自虐的かどうか
1,軍の関与があったかどうか
吉見義明によると、そもそも慰安所には三つのタイプがありました。
「第一は、軍直営の軍人・軍属専用の慰安所、第二は、形式上民間業者が経営するが、軍が管理・統制する軍人・軍属専用の慰安所、第三は、軍が指定した慰安所で、一般人も利用するが、軍が特別の便宜を求める慰安所である」
いずれも軍と無関係ではありません。陸軍は岡村寧次参謀副長や岡部直三郎高級参謀が海軍にならって慰安所の設置を指示しています。つまり、最初から軍が組織的に関与して慰安所が作られたわけです。
慰安所がどうしてできたかというと、性病防止と強姦防止のためです。
①性病防止
「性病予防等のため兵一〇〇人につき一名の割合で慰安隊を輸入す」(金原節三「陸軍省業務日誌摘録」)
②強姦防止
歩兵第九旅団の「陣中日誌」の中にこういう記述があります。 「而して諸情報によるに、斯くの如き強烈なる反日意識を激成せしめし原因は、各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、実に予想外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りと謂う。(略)
右の如く軍人個人の行為を厳重取締ると共に、一面成るべく速に性的慰安の設備を整え、設備の無きため不本意乍ら禁を侵す者無からしむを緊要とす」(吉見義明編『従軍慰安婦資料』)
中国人にとって強姦は許すことのできない犯罪ですから、反日感情が強まってしまう、それで軍部は兵士たちが強姦しなくなるよう、慰安所を作ったというわけです。
ところが、慰安所を作っても強姦が減るどころかかえって増えています。第十一軍の岡村寧次司令官はこう言っています。
「現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」(『岡村寧次大将資料』)
国府台陸軍病院付中尉早尾乕雄軍医はこう記しています。
「軍当局は軍人の性欲は抑えることは不可能だとして支那夫人を強姦せぬようにと慰安所を設けた、然し、強姦は甚だ旺(さか)んに行われて支那良民は日本軍人を見れば必ず是を恐れた」
結局のところ、慰安所を作っても、強姦防止にも性病防止にもならなかったわけです。
ちなみに、中曽根元首相は軍慰安所を開設したことを書いています。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった」(『終わりなき海軍』)
陸軍経理学校で慰安所開設の仕方を教わった鹿内信隆の話はもっと生々しいです。
「その時(慰安所の開設時)に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの〝待ち時間〟が、焼香は何分、下士官は何分、兵は何分…といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要項」というんで、これも経理学校で教わった」(『いま明かす戦後秘史』)
鹿内信隆としては自慢話のつもりなんでしょうけど。
2,軍や官憲による強制連行があったかどうか
吉見義明は強制連行をこう定義しています。
「強制連行とは本人の意志に反してつれていくことである。このような広い意味での強制連行には、①前借金でしばってつれていくことや、②看護の仕事だとか、食事をつくる仕事だとか、工場で働くとかいってだましてつれていくことや(誘拐)、③拉致などもふくまれる。 ②のだましてつれていくケースを強制連行にふくめるのは、慰安所についたとき、むりやり慰安婦にされるからである。最初から暴力的に連行するよりもこのほうがかんたんに移送できた」
秦郁彦は「官憲による組織的な「強制連行」はなかったと断言できる」と書いていますが、秦郁彦が聞き取りした中でも、歌や踊り等の慰問とだまされた、部隊の炊事手伝いとだまされた、事務員・女中・看護婦などとだまされた、金儲けができるとだまされた、といった例があります。業者の甘言にだまされて、慰安所に入れられた女性が多いようです。
兵站司令部の山田清吉慰安係長は
「内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓などの経歴のある二十から二十七、八の妓が多かったのにくらべて、(朝鮮)半島から来たものは前歴もなく、年齢も十八、九の若い妓が多かった」
と語り、性病検査をした麻生徹男軍医少尉は、朝鮮人女性は若くて性経験のない初心な者が多かった、と書いています。
海原治主計少尉(のち防衛庁長官)の談話では、
「民間のピー屋が日本人主体なのに、こちらは朝鮮人が主だった。 軍医の話では「初検診でバージンや小学校の先生もいたので聞くと、女衒から軍の酒保でサービスするとだまされてきたよし。帰ったらとすすめたら、前借金があるので返してからでないと帰れないと語った」とのことだった」
売春の経験がなく、おまけに処女の女性が自ら進んで慰安婦になるとは考えられません。親が娘を売ったか、業者たちにだまされたかでしょう。
強制の例もあります。「警備隊長は、治安維持会長に、まず女を差し出すよう要求したという」話を聞いた平原一男第一大隊長は、
「小さな警備隊では自らの力で慰安所を経営する能力がないので、中国側の協力に期待することになっており、ある場合には強制という形になっていたのかもしれない」
と述べています。
インドネシアの例ですが、深田軍医少佐は
「バンドンその他性病多きをもって、村長に割当て、厳重なる検黴の下に慰安所を設くる要あり」
と報告しています。村長に慰安婦になる女性の人数を割当てしているわけですから、強制徴集につながるのは当然でしょう。
豪北のアンボンでは、
「慰安所の復活が計画され、特警隊と政務隊が現地人警官を使って女性の徴集に乗り出した。近くの島から女を連れていく時に「住民がどんどんやってきて〝返せ〟と叫び、こぶしをふりあげ、思わず腰のピストルに手を」と禾中尉が書いているくらいだから、拉致まがいの徴集もあったにちがいない」
と秦郁彦は書いています。この事例など「組織的な強制連行」ではないでしょうか。
また、フィリピンやインドネシアでは現地人への強姦が多く、その被害者と慰安婦とがごっちゃになっていると秦郁彦は言っています。強姦であって、強制して慰安婦にさせたのではない、だから強制連行はなかった、というのは説得力がないと思います。
慰安所は軍が管理、指定していたわけですから、慰安婦がどのようにして連れて来られたのかを知らずにいた、もしくは黙認していたとしたら問題があると言えるでしょう。
3,慰安婦は売春婦なのかどうか
たしかに娼婦だった女性が慰安婦になることはあったし、金のために志願して慰安婦になった人もいたでしょうし、親が娘を売ることもありました。だからといって、自分から進んで娼婦になる人はほとんどいないと思いますし、ましてだまされて無理矢理に慰安婦にさせられた人たちに対して、「売春婦」と罵声を浴びる神経にはあきれます。
仕事があるとだまされて、インドで売春をさせられるネパールの少女が多いそうですが、彼女たちにも「金儲けがしたいから売春婦になったんだろう」とののしるのでしょうか。
4,慰安婦の証言はウソが多いかどうか
元慰安婦の証言には嘘も混じっているだろうし、誇張もあるでしょう。吉見義明はこう書いています。
「もちろん50年もまえの出来事の回想なので、記憶違いがないとはいえない。実際、韓国人やフィリピン人の元慰安婦の多くは、十分な学校教育を受ける機会がなかったこともあってか、証言内容が矛盾したり、年代などあいまいだったりする」
しかし、
「その証言は、記憶ちがいや、事実をかくしている場合をのぞけば、大変重要である。文字の世界に生きていないだけに、逆に、強烈な体験はそのときどきの鮮烈な記憶となっており、くりかえし聞くことによって当事者でなくては語り得ない事実関係が浮かびあがってくるからである。軍や政府の文書・記録や統計には決して出てこない生なましい現実は、彼女たちの証言からしかわからないのだ」
と述べています。
5,どこの国でも同じようなことをやっている
だから責任はありませんよ、ということなのでしょうか。みんな賄賂をもらっているからとか、誰もが裏金で飲食しているとかいうのも、まあ、みんな同じようなことをやっているのだから水に流して、ということなのでしょうか。
慰安婦問題とは昔の話ではなく、タイやフィリピンなどの女性が「日本に行けばいい仕事がある」とだまされ、売春させられるのと同じ構造だと思います。
6,慰安婦問題の責任追及は自虐的かどうか
慰安婦問題についても、「自虐的」とか「隠すべき」といった言葉がよく使われています。はたしてそうなのでしょうか。吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』に、
「こんな問題(慰安婦問題)を子どもに教えようとするのは自虐的な考えで、日本人としての誇りを失わせることになる」
というQに対するAの中にこういうことが書かれています。
「次の時代をになう日本の子どもたちが、将来、アジアの人々との友好関係を築きあげていくうえで、アジア太平洋戦争の真実を知っておくことは欠かせない条件である。なぜなら、アジア諸国の子どもたちは、近代における日本軍の侵略行為について、日本の子どもたちに数倍する知識を持っているのだから」
ベトナム帰還兵のアレン・ネルソンは講演で
「(広島・長崎の)平和資料館に入って、私がアメリカの小学校で受けてきた原爆に関する授業内容が、いかにアメリカ政府に都合のいい、ウソとデマの宣伝であったか…、ということを悟りました」(『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』) と話し、そして「どのように教えられたのか」という質問にはこう答えています。
「教科書については、「きのこ雲」の写真があって、「これによって正義が勝利した…」という意味の記述があり、また「いわゆる民家といえども、兵器の部品製造に協力していたから軍需工場であった…」という解説がありました」
日本に限らずどの国も、学校で自国の加害責任についてあまり教えないものらしいようです。
中学生だから慰安婦問題を理解できないだろうとバカにしてはいけません。慰安婦問題を習った中学生たちの感想が『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』に引用されています。
「自国を守るために戦争をしたのだから、仕方がなかったという人がいますが、犠牲になったアジアの人たち一人ひとりの傷跡はすごく深く、埋めあわせるのはきっとできないけど、だからこそ傷跡を少しでも浅くしてあげたい。戦後50年というけれど、まだ本当の戦後50年ではないと思う。本当の戦後50年は戦争の後始末がついてからだと思う」
「今、私たちは子どもだけれど、大人になって子供を産んだら、もう戦争を体験した人は少なくなっていると思う。だから、未来に生まれてくる戦争をまったく知らない子どもたちにも、こういうことをちゃんと教え、わかりやすく戦争というものがどれだけ悲惨かをわからせてあげたいと思う」
いいこと言ってるなと感心しました。戦争体験を語る人が少なくなっていますが、実体験をしていない人でも戦争の悲惨さを語り継ぐことはできるし、またしなくてはいけません。そのためには若い世代に事実を伝えていくべきです。
アレン・ネルソンはアメリカと日本の反戦運動のどこが違うのか、このように指摘しています。
「アメリカの反戦運動を支えているのは、若者たちです。中学生・高校生・大学生たちの若者の世代です。しかし、日本の平和運動は、お年寄りが中心ではないでしょうか。私は、小・中・高校・大学でも講演をしていますが、日本の若者は非常に保守的だと思います」
「戦争というものがどれだけ悲惨か」を学校で教えないのはアメリカも日本も同じなのに、この違いはどうしてでしょうか。
「事実にたいして目をふさいだところから、「誇り」が生まれようもない」
というのは、先のQに対する答えの中にある言葉ですが、事実と向き合わないと反省も生まれようがないと思います。
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