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生き仏・生き神信仰


  1,生き仏・生き神信仰とは?

 麻原彰晃は最終解脱者だと自称し、統一協会の文鮮明は自分はメシア(救世主)だと説き、幸福の科学の大川隆法は釈尊の生まれ変わりだと言っています。このように、新興宗教の教祖には神様や仏様がゴロゴロしています。
 生き仏・生き神によって救われようとする、あるいは願い事をかなえてもらおうとすることを、生き仏信仰・生き神信仰といいます。カリスマ信仰もこれに含まれると思います。

 これは今に始まったことではありません。仏教の歴史を見ますと、釈尊の絶対化の歴史とも言えます。そもそも釈尊は法、すなわち永遠なる真実を発見しました。私たちは釈尊の教えによって法にうなずいていきます。
 ところが、後世の仏教徒は、釈尊を尊敬するあまり釈尊を絶対視して神格化するようになりました。釈尊は絶対化を否定しているのですが、法よりも釈尊を上に置き、法そのものを見ようとしなくなる傾向があると、増谷文雄先生は書いています。こうした絶対視は各宗派の開祖に対してもなされています。

 蓮如は生き仏信仰を善知識だのみとして否定し、「阿弥陀如来が救われるのであって、私が救うのではない」と、くり返し注意しています。しかしそれでも、蓮如によって救ってもらおうと、蓮如をたのむ人がたくさんいました。

 末木文美士『
日本宗教史』によると、江戸時代には、突発的に流行して熱狂的に信仰されるが、やがて忘れられてしまう生き仏・生き神が大勢いたそうです。
「何の特別のこともない庶民が突然仏の化身とされ、やがて大々的な宣伝によってブームを呼ぶこともあった」
 たとえばお竹大日です。出羽国から出てきて江戸の商人のところで奉公していたお竹が、羽黒の修験者によって大日如来の化身として信仰されたそうです。

  2,なぜ生き仏・生き神を信じたがるのか

 「自分は悟った」とか「私は神だ」と言っている人、生き仏・生き神としてあがめられている人が、立派な人格を持ったすぐれた人物かもしれません。だけど、金が目当てでウソを言ってだまそうとしていることもあります。権力欲の強い人だったら、信者を自分の言いなりにしようとするでしょう。傲慢なだけかもしれませんし、ひょっとしたら頭がおかしい可能性だってあります。ですから、頭から信じるのではなく、まずは眉につばをつけてみる必要があります。

 ところが私たちは、生き仏・生き神を立てて拝むのが好きなんですから、困ったものです。
 どうして私たちは生き仏・生き神が好きなのでしょうか。それは、仏や神といった見えないものによってではなく、権威ある人間から「あなたは大丈夫だ」と言ってもらって安心したいという気持ちが私たちにあるからだと思います。

 NHKのアンケートをまとめた『日本人の宗教意識』に、占いについてこういうことが書かれてあります。
「占いというものに対するわたしたちの気持ちの中には、つねに幾分かの本気が混じっているのではないだろうか。それは、見通すことのできない未来に対して、わたしたちが時として感ずる不安に根ざしたものである」
 その不安を信頼できる誰かにしずめてもらいたい、心配ないと保障してほしい、そうして安心したいと、私たちは思っています。

 瀬戸内寂聴が出している「寂庵だより」にこんな投書がありました。
「四十九歳から更年期に入り、突発性難聴、うつ、めまいに苦しみ、ほとんど寝たきりの状態です。
 先日、法話の会で、「こんな私ですが治りますか」と質問した私に、「治ります」と寂聴さんは断言してくれました。その言葉を信じ、写経をはじめ、少しは心も落ち着きました」

 医者ではない瀬戸内寂聴が「治る」と断言したのは、この方が治るという確信があったからではなく、「治ります」という言葉を期待しているのがわかったからでしょう。
 この方の病気が更年期障害だったら、時間が来れば自然に治ります。しかし、投書した方は今、苦しんでいて、これからどうなるのかと不安に思っているわけです。

 信頼する人に「大丈夫」と言ってもらって安心したいのは情です。この情が生き神・生き仏を求めるわけです。

  3,生き仏・生き神信仰の問題点

 人間を生き神・生き仏としてあがめることはいろんな問題を生みます。米本和広『
教祖逮捕』にこんな問題提起がされています。
絶対を旨とし信者の全精神を支配する教祖と、教祖に対する病的なまでの依存(批判力の喪失)。
 つまり、人間を生き神・生き仏としてあがめるならば、教祖が「絶対を旨とし信者の全精神を支配」し、そして信者の「教祖に対する病的なまでの依存(批判力の喪失)」という問題が生じるのです。

①「絶対を旨とし信者の全精神を支配する」

 教祖や教団のトップが信仰の対象となり、私たちを救うということになれば、教えを説く人が同時に救う人になるわけですから、何が正しいか間違っているか、誰が救われて、救われないのは誰か、といったことを決める力を、教え主が持つことになります。

 生き仏信仰を異義として否定する真宗でも、江戸時代は本願寺の住職が生き仏でした。
 本願寺住職を法主と称し、その法主が認めれば、助かった、信心を得た、とされ、それ以外は認められなかった。(竹中智秀『浄土を本国としてこの世を生きる』)
 法主がこの人は救われるか救われないかを決めていたわけです。

 生き仏や生き神から「お前はダメだ」と言われたら、もう救われることはないわけです。ですから、信者はただ従うしかありません。こうして生き仏・生き神は絶対的な権威を持ち、信者を支配します。

 法主が生き仏だと信じられていたころは、法主が地方に巡行した時、法主が入った風呂の残り湯を競って飲んだことがあったそうです。これじゃお竹大日を拝んだ人たちを笑えないですね。
 風呂の湯を飲むなど馬鹿げたことですが、法主を絶対視する心性が今でもないわけではありません。インターネットでこんなことを書いている住職がいました。
「門主を別にありがたがってはいませんが、人間(とりわけ凡夫)は何ものかに帰属したがるものです。そして、せっかくこの宗派に入らせていただいた以上、帰属したことの証として、そこで尊崇されておりますものを大事にしようという心理があります。
 ただことは宗教ですから、場合によっては死生の大事にも係わるでしょうね。内閣総理大臣は偉い人ですが、首相から死んでくれと言われてもご免です。しかし門主から死んでくれと言われたら、その時はやはり死ななければならんだろうと思っております」

 この住職はどこまで本気なのかよくわかりませんが、こんなことを言われるとぎょっとしますね。命よりも法主の命令を重んじるわけですから、オウム真理教の信者と変わりません。
 オウムでは、「上司の指示はグル麻原の指示」とされていました。指示に疑問を持つことは、グルに対する疑念を意味し、弟子として恥ずべきこととされていました。また、指示に従わなければ、オウムにいることはできなくなります。そのことは生活の基盤のすべてを失ってしまうだけでなく、修行ができなくなり地獄行きになってしまうと思い込んでいたのです。(カナリヤの会編『オウムをやめた私たち』)

 新興宗教の教祖の中には、自分は生き仏・生き神ではない、信仰の対象ではない、と自らの神性を否定する人もいます。しかし、神ではないとしても、神と信者を結びつける唯一の存在とされるのですから、神と同じようなものです。

 たとえば、福永法源は日本で唯一、天の声を聞き伝えることのできる、天と修行者とのパイプ役でした。真光では教祖は神に選ばれた人です。
 これは真光の信者の言葉です。
 教え主さまは私達を導いて下さいますけど、信仰対象にしてはいけない方です。教え主様は神様と我々組み手の中間に位置し(御神意を我々組み手に伝える方とでも言いましょうか)、神様の御光は教え主様を通して送られると教えられております。また教え主様は御神意によって選ばれます。現在の教え主様も御神意によって選ばれたそうです。

 我々は手かざしによって幸福になれると教え主様から教えられております。それはつまり神様の言葉と同義なのです。神様そして教え主様の考えは我々一般の組み手には到底理解できないことです。しかし、そのお考えはおそらく素晴らしく、そして正しいのでしょう。


 教祖が生き神ではないとしても、神の意志を知るただ一人の人物なわけですから、どうしても信者の生殺与奪の権を持つことになります。ですから、やはり大きな力を持っていることには変わりありません。そうなると、信者は教祖に気に入ってもらうために何でもするようになります。こうして、生き神・生き仏は絶対的な力を持つのです。

②「教祖に対する病的なまでの依存(批判力の喪失)」

 教祖は生き仏・生き神なのですから、間違いはあり得ないという理屈になります。となると、信者は教祖や教義に疑いを持つことは許されません。さらには自分で考えることすら否定されます。

「真理の実践だ!麻原尊師の指し示す道こそ最善の救済だ!他のことは考えるな!自分の考えを持つな!疑問を持つな!……」とマインド・コントロールを受け、じぶんをなくした」(滝本太郎、永岡辰哉編『マインド・コントロールから逃れて』)

 これはオウム真理教だけの問題ではありません。真光もそうです。
 我々は疑ってはいけないのです。教え主様を疑うこと、手かざしを疑うこと、御み霊の力を疑うこと、これは神様を疑うことと同じで非常に悪いことであると教えられています。これらを疑うと神様からの霊線が切れてしまい、いろいろな不幸現象が起こることがあるとも言われます。
 疑うとよくないことがあるぞと脅し、自分で考えることをやめるように命令しているわけです。

 信者に疑問を持たせないために、外部からの批判や疑義はすべて誹謗、中傷だとしてに耳を傾けさせない宗教は珍しくありません。
 エホバの証人や統一協会では、教団や教義を批判する人はサタンの使いだと教え込みます。他の宗教でも、批判に耳を傾けたら地獄に堕ちるとか、誹謗されるからこそ教えの真実さが証明されるというふうに教えます。ですから、たとえ親がいさめても、サタンが誘惑しているとしか考えず、話を聞くことすらしません。

 オウム真理教の信者がサリンをまいたのも、自分で考えることをやめていたということがあるでしょう。オウム真理教の信者だって、最初のうちは人を殺したり、サリンをまくことに抵抗を感じたと思います。しかし、疑問を持つことは悪いことだと教え込まれ、無条件に従うことを要求されて自分で考えることをやめた信者たちは、結局は麻原や側近の言いなりにならざるを得なくなったのでしょう。
 その救済も、初めのうちは、曲がりなりにも他のために生きるということに主眼が置かれていたのですが、それがいつのまにか「グルのために生きる」→「グルの言いなりになってなんでもする」という方向にシフトしていってしましました。(カナリアの会編『オウムをやめた私たち』)

 特定の個人を絶対化、神格化し、思考停止するのは宗教の世界だけの話ではありません。あさま山荘事件で逮捕された連合赤軍の加藤倫教はこう書いています。
 
何かを絶対視して信じることは、楽で気持ちのよいものであるが、必ず自らの主体的な思考の放棄を伴ってしまう。(加藤倫教『連合赤軍少年A』)

 稲盛和夫の私塾の塾生の言葉です。
 右と左、どちらが正しいかをジャッジする場合,右が正しいとするのが通念とします。でも、塾長(稲盛和夫)が左が正しいと言われたら、周りの人間も納得して左が正しいと思わせてしまう神業みたいな力がありますね。

 塾長講話録第六巻『利他の心』を全員で拝聴し、心の底からこみあげてくる涙に只々嗚咽の連続で、すべてを忘れて利他愛の声に聞き入ってしまいました。我を忘れて肩をふるわせ、しゃくりあげ、ひとしきり泣いたあとのすがすがしさはいったい何なのでしょう
。(斎藤貴男『カルト資本主義』)
 これを書いた人は冗談ではないところが、おかしくもあり、恐ろしくもあります。宗教に限らず、疑問を持つことなく盲信し、感情に流されるべきではありません。

  4,人間を絶対化することを無化するには?

 カリスマ性を持っている人の話を聞くと、場の雰囲気もあって、ついのめり込んでしまいがちです。ヒトラーたちもそういう力を持っていたと思います。しかし、どんなに立派な人であろうとも、理屈抜きでありがたがるのは危険です。批判的な眼は保ちたいものです。

 親鸞が我々を救うのではありません。まして本願寺の住職は人を救う力を持っていません。親鸞が教えられたように、私たちは阿弥陀仏の本願によって救われていくのです。親鸞も本願寺の住職も仏さまの弟子であり、阿弥陀仏の本願によらなければ救われない凡夫だという点では、私たちと同じです。

 親鸞は「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」と言われました。なぜ弟子を持たないかというと、自分の力で人に念仏を申させたのなら私の弟子と言えようが、阿弥陀如来のはたらきで念仏を称えている人を私の弟子とは言えないからだと言われています。
 優れた人を尊敬し、慕うのは当然のことです。親鸞も師匠の法然を一生涯うやまい、法然の言葉を大切にされました。しかし、尊敬しているからといって、その人の言いなりになるというのではおかしいですね。法主だから特別にえらいわけではないし、無条件に従わなければならないということにはなりません。

 そして、『蓮如上人御一代記聞書』には、
 蓮如上人、仰せられ候う。「物をいえいえ」と、仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。「信不信、ともに、ただ、物をいえ」と、仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と、仰せられ候う由候う。
という蓮如の言葉があります。
 自分の考えを人に話せば誤りを直してもらえる。だから、間違っているかもしれなくてもものを言うようにしなさい。このように蓮如上人はすすめています。人の言うことに耳を傾け、そして自分で考え、疑問があれば尋ねる。そのことが大切です。

 釈尊の弟子であるヴァッカリが病のため苦しんでいました。容体は悪く死が近づいていることを自覚したヴァッカリはそばにいる者にこう頼みました。
「友よ。私は病い重くして、もはや回復することは思いもよらない。最後の思い出に、釈尊のお顔をあおぎ、釈尊のお足を頂礼したい。しかし、この身体では釈尊のところまで行くことはできない。すまないが釈尊のところへ行って、ヴァッカリを憐れんでお出でくださるわけにはまいりませんか、とお願いしてもらえないだろうか」
 釈尊はすぐ承知してかけつけました。ヴァッカリは釈尊の姿が見えると、病床に起き上がって座りました。釈尊は「いけないよ、ヴァッカリ。寝ていなさい。私にそんな気を使うことはない」と言い、釈尊は枕元に座りました。
「病気は悪くなるばかりです。最後の思い出に釈尊のお顔を一目見たいと思ったのですが、この身体ではとても出かけていくことができませんでした」とヴァッカリが言うと、釈尊は「ヴァッカリよ。私の老耄した身体を見ても、何にもなりはしない。あなたはこう知らなければならぬ。〈法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る〉と」と注意しました。

 ヴァッカリは釈尊に「大丈夫だ」と言ってもらいたかったのでしょう。しかし、釈尊はそれを拒み、人をたのむのは迷いだと教えられたのです。
 死を目の前にした弟子に対していささか冷たいと思われるかもしれません。しかし、釈尊は都合のいい夢を与えるようなことはしません。つらくとも迷いから目覚めさせるのが仏の教えです。

 仏陀はおのれを礼拝せんとするものを拒んで、ただ法を見、法をこそ礼拝すべきことを説いているからである。(増谷文雄『仏教百話』)

 人ではなく法に依ること、独立者であることは今も昔も難しいことなんだと思います。カリスマ性を備えた人に頼りすぎて、自らを見失いがちになることは、現代の人々にとって大きな戒めです。