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  一殺多生

三浦和浩「『立正安国論』における「釈迦の以前」と「能仁の以後」に関する一考察 : 仏典に見られる殺害肯定記事をめぐって」

辻村優英「苦しみという名の贈りもの - ダライ・ラマ14世における思いやりと普遍的責任」

広瀬健一『悔悟』

一殺多生(いっせつたしょう)という言葉があります。一人を殺すことで多くの人を生かす、大きな救済のためには小さな犠牲もやむを得ないという意味で、仏教の言葉です。

真宗大谷派機関誌『開導新聞』(明治16年)で初めて使われたと思っていました。
「一殺多生ハ仏ノ遮スル所ニ非スシテ愛国ノ公義公徳ナリ 身ヲ殺シテ仁ヲナスハ教化ノ功績ト云フベシ」

ところが、森章司『国語のなかの仏教語辞典』の「一殺多生」の項に、『涅槃経』に悪婆羅門を殺す話、『瑜伽師地論』に大勢を殺そうとする人を殺害する話が説かれており、謡曲『鵜飼』にも一殺多生という言葉が使われているとあります。

ネットで調べると、三浦和浩「『立正安国論』における「釈迦の以前」と「能仁の以後」に関する一考察 : 仏典に見られる殺害肯定記事をめぐって」(2014年)という論文がありました。

『立正安国論』に、正法を誹謗する僧侶の存在、悪比丘すなわち「法然―選択集―浄土教」こそが災難の原因であるとし、第六問答から第十領解においては、その「悪」を誡める方法(=善)が示されている。

第六問答では、国家諫暁の是非について客と主人の対話がなされ、そこで『涅槃経』長寿品の文を引用して、悪侶を誡めることの意義が説かれている。謗法者の存在を知った者は、謗法者を呵責し追放しなければ、それがたとえ善比丘と言われている者であっても、その者は仏教の怨敵となってしまうとされている。

第七問答では、客に災難を防止する具体策を尋ねられた主人が、経典を引用する形でそれに答えている。

①一闡提の定義と、それに対する布施の停止(涅槃経「如来性品」)
②仙予王による謗法者(婆羅門)殺害の故事(涅槃経「聖行品」)
③釈尊の前生(国王)における婆羅門殺害の事実(涅槃経「聖行品」)
④婆羅門(=一闡提)殺害が「殺の三種」に入らないこと(涅槃経「梵行品」)
⑤国王への正法付嘱の理由がその権威・権力にあること(仁王護国般若経「奉持品」)
⑥諸王・大臣・宰相・四部の衆による謗法呵責の勧奨(涅槃経「寿命品」)
⑦釈尊の金剛身獲得は正法護持によること。正法護持の為に武器を持つことは持戒であること(涅槃経「金剛身品」)
⑧武器を持って正法を護持する者は五戒を受けずとも持戒の者であること(涅槃経「金剛身品」)
⑨覚徳比丘を護る為に武器を持って悪比丘(=謗法者)と戦った有徳王の故事(涅槃経「金剛身品」)
⑩法華経を誹謗する者が阿鼻地獄に堕ちること(法華経「譬喩品」)
私には②~④は殺人の肯定、⑦~⑨は戦争の肯定のように思えます。

『大宝積経』の大悲導師に関する記述。
「燃灯仏の在世時、五百人の商人があったが、この中の一人は悪人であった。この悪人が五百人の商人と同じ船にのった際に、商人達を殺して宝物を奪おうと考えた。さて、この船には、大悲という名の大導師があった。ある時、夢の中に海の鬼神が現れ、悪人が行おうとしていることを大悲導師に伝え、警告した。(中略)そこで、大悲導師は七日にわたって思惟したが、よい方法を見つけることができず、結局次のような考えにいたった。「自分がこの悪人を殺せば、百千劫にわたって地獄の苦痛を受けることになるが、私であればこの苦を忍ぶことができるであろう。また、そうすることで、この悪人は五百人の菩薩を害するという罪を背負うことがなくなる」と。実はこの大悲導師は釈尊の前生で、大悲導師はこの悪人を刺し殺したが、このことによって百千劫の生死の難を超越することを得、殺された悪人も命終の後に善道の天上に生じた」

『大方便仏報恩経』の記述。
「一人の持戒の婆羅門が五百人の眷属とともに遠国へ行った帰りに、五百人の群賊の住む険しい道に入り込んでしまった。婆羅門のグループの五百人の中には群賊から送り込まれた密使が一人潜んでいた。時を見てその密使が婆羅門の眷属達を殺すという計画であった。一方、群賊達の中にその婆羅門と親しい人物がいた。婆羅門はその人からこの計画の存在を聞かされる。そこで婆羅門は考えた。「このことを仲間に知らせれば仲間がこの密使を殺し三悪道に堕ちることになる。もしこのまま黙っておけば仲間は皆殺され、それによって群賊の密使も三悪道の無量の苦を受けることになる。しかし、私がこの密使を殺してしまえば、私は三悪道の苦をうけることになるがそれは私の望むところである。それによって仲間達が安穏になるのであるから、私は刀を持って賊の命を断つ」と。(中略)釈尊は阿難に告げた。「この時の婆羅門こそ他ならぬ私(釈尊)であり、この因縁をもって私は九劫を超越し、疾く阿耨多羅三藐三菩提を成じたのである」と」
同じ話は『根本有部律・薬事』にもある。

これには驚きました。というのが、麻原彰晃が似たたとえ話をしているからです。
「これは仏陀釈迦牟尼の前世の例でね。彼はある生で貿易商だった。その船は大変大きな船で貿易商人が200~300人乗っていた。荷物を積んでの帰り。その中の1人が大変悪い心を持っていて、全ての貿易商を殺して商品を自分のものにしようとした。仏陀釈迦牟尼はどうしたか?」
https://www.circam.jp/reports/02/detail/id=3274

この話は麻原彰晃の創作だと思ってたら、元ネタは経典だったのです。大乗経典に殺人を肯定することが説かれているとは。

同じ法話をダライ・ラマ14世もしています。『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』にありますが、辻村優英「苦しみという名の贈りもの - ダライ・ラマ14世における思いやりと普遍的責任」(2009年)に詳しく紹介されています。

「ダライ・ラマは人々の行為は非暴力であるべきだと説くが、きわめて特殊な場合にかぎって思いやり(共苦)にもとづいた力の行使の可能性を認めている。残虐な行為をなす者と遭遇した場合についてダライ・ラマは以下のように説いている。
「菩薩のための4つの賢明な行動の様式というものがある。第一の様式は、なだめることである。言葉や理性、慰めによって状況を落ち着かせることである。もしこれがうまくいかなければ、第二の少々強い様式、何かを与えるということにまで推し進めるべきである。事態を落ち着かせる何かを与えるのである。知識や状況を調整し問題を解決するのに確実なものを与えることも考えられる。それもうまくいかなければ、支配や権力といった第三の様式に移る。相手が人であれ、国であれ、それらを抑え込むために大きな権力を行使する。それすらも効果がないという場合に、最後の様式は蛮行や憤怒)になる。そこでは暴力でさえも可能性のうちに含まれる。菩薩の46軽戒の一つに、利他的な動機にもとづいた力が必要とされる状況では力強い対応をすべきであるという誓約がある。怒りに満ちた思いやり(共苦)を伴っていれば、暴力もありうるのである。理論的には、思いやり(共苦)から生じる暴力は許されることになる」[Dalai Lama 2004(2003): 288]
菩薩が取ることのできる暴力の例として、ダライ・ラマは釈迦の前世の物語に言及している。釈迦は前世において「大悲のある船長」として生まれた。彼の船には 500 人の人々が乗っていた。その中の一人が、残りの 499 人を殺害し財産を奪おうと考えていた。そのような悪行をやめるよう船長は何度も説得しようとしたが無駄だった。船長は 499 人の命を救おうと思うと同時に、殺人を犯そうとしている者にも思いやり(共苦)の心を抱いた。499 人を殺すという悪いカルマをその者に積ませるくらいなら、自分が一人分の殺人のカルマを背負うことにしようと船長は考えた。そうして船長は殺人を犯そうとしている者を殺害した。[Dalai Lama 2005(1996): 175]
ダライ・ラマは理論上では、このような暴力の行使を認めはするが、しかし以下のように暴力の行使に対して慎重な姿勢を崩すことはない。
「しかし、実際にこれは非常に難しいことであって、傷つけようとする人間の態度を改めさせる方法が他に何一つない場合にかぎられる。一度暴力を行使してしまえば、状況は予測できないものとなり、さらなる暴力を生み出してしまう。多くの望まないことが生じることになる。じっと待ちながら状況を観察するほうがより安全である」[Dalai Lama 2004(2003): 288-289]。
ダライ・ラマがチベット問題解決に向けてあえて非暴力を貫いているのは、暴力を無批判に否定しているからではない。むしろ暴力をふるうの可能性を吟味した上での選択だったと考えられよう。力の行使を認めるか否かは、あくまでも「思いやり(共苦)」に従属する問題なのである」


三浦和浩さんは、有徳王と仙予王(仙預王)が仏教を誹謗する婆羅門を殺したという『涅槃経』の記述を紹介しています。
「『涅槃経』には、覚徳比丘を護る為に武器を持って謗法者と戦った有徳王の故事や、仙予王による謗法者(婆羅門)殺害の故事、あるいは釈尊の前生(国王)における婆羅門殺害などが説かれている。これらの殺害行為の結末がどのようであったかと言えば、有徳王は阿閦仏国土に往生して仏の第一の弟子となり、また仙予王はそれ以来地獄に堕ちることがなかったというのであるから、『涅槃経』においては正法を護持する為の武装、あるいは謗法者の殺害については、それを積極的に肯定しているものと捉えることが出来る」

この問題について迦葉菩薩が、菩薩が我が子を愛するように一切衆生を救済するならば、どうして如来は前世に国王として菩薩の修行をしていた時に婆羅門の命を断絶したのか、そしてどうして地獄に堕ちないのかと、釈尊に質問をする。釈尊はこのように答えている。

「どうして婆羅門を殺すようなことがあろうか。菩薩は様々な方便を用いて衆生に無量の寿命を恵施する。菩薩は六波羅蜜を行じて衆生に無量の寿命を恵施するのであるから、菩薩が衆生の命を奪うということは無いのである。(略)
大乗を誹謗した婆羅門を殺害したことで、結果的に彼らの寿命を延ばしたのであり、その意味ではこれは「殺」にはあたらない」


弥勒『喩伽師地論』には次のように書かれています。
「若し諸の菩薩、菩薩の浄戒律儀に安住すれば、善権方便にして利他の為の故に、諸の性罪少分現行するに於て、是の因縁に由りて、菩薩戒に於て違犯する所なく、多くの功徳を生ず。謂く菩薩、劫盗賊の財を貪らんが為の故に多くの生を殺さんと欲し、或いは復た大徳の声聞独覚菩薩を害せんと欲し、或いは復た多くの無間の業を造らんと欲するを見るが如し。是の事を見已りて発心し思惟す。我れ若し彼の悪衆生の命を断たば、那落迦に堕つ。如(も)し其れ断たざれば、無間の業成じて当に大苦を受くべし。我れ寧ろ彼れを殺し那落迦に堕つるも、終に其をして無間の苦を受けしめざらんと。是の如く菩薩意楽し思惟し、彼の衆生に於いて、或いは善心、或いは無記心を以って、此の事を知り已りて、当来の為の故に深く慚愧を生じ、憐愍の心を以って、而も彼の命を断ず。是の因縁に由りて、菩薩戒に於いて違犯する所なく、多くの功徳を生ず。(もし菩薩戒をそなえている菩薩が、他者を救済する目的において罪を犯すことがあったとしても、それは戒律を犯したことにはならず、むしろ多くの功徳を生ずることになる。例えば物ほしさに多くの人を殺そうとしている盗賊がいて、それを見た菩薩が、「私がこの悪人を殺せば私は地獄に堕ちる。もし彼を殺さなければ彼が地獄に堕ちる。私はむしろ彼を殺して私が地獄の苦しみを受けることで彼を地獄に堕ちないようにしようと思う」と考えて、憐れみを以てその悪人を殺した場合、それは戒律を犯したことにはならず、逆に多くの功徳を生ずる)」

無着『摂大乗論本』には、菩薩行として次の記述がみられる。
「諸の菩薩は是の品類の方便善巧に由りて殺生等の十種の作業を行ずるも、而も罪有ること無く、無量の福を生じて速かに無上正等菩提を證す。(菩薩の殺生は過失がなく無量の福を生み、速やかに菩提を得る)」

南岳慧思『法華経安楽行義』には、正法護持のためには必ずしも軟語によらず、仙予王や有徳王の警えのように、謗法の婆羅門や悪比丘を殺害して、結果として彼らの寿命を延ばすなどの功徳を与えた場合もあることを指摘している。

殺生是認論は『倶舎論』や『理趣経』『大日経』などにも説かれています。
望月信亨『仏教大辞典』の「殺生戒」の項には、『瑜伽師地論』を引用し、「古来、一殺多生の説と称せらるゝ所なり」とあります。

一殺多生の初出が何かわかりませんが、能『鵜飼』には一殺多生という言葉が出てきます。
「岩落と申す処は上下三里が間は堅き殺生禁断の処なり。鵜使多し。夜な夜な忍び上つて鵜を使ふ。何者なれば堅き殺生禁断の処にて鵜を使うらん。(略)狙ふ人々ばっと寄り。一殺多生の理に任せ、かれを殺せと云ひ合へり」
室町時代初期には多くの人が一殺多生の意味を知っていたわけです。

三浦和浩さんは「釈尊の前生における衆生救済の為の方便としては殺害行為も許容されるものと考えられる」と書いています。
単純に「婆羅門は一聞提であるから殺されても構わない」ということではない。殺生を是認するというのは仏菩薩の場合に限って説かれている。殺生という行為が衆生に許される説示例はない。
多くの人の命を奪おうとしている悪人について、菩薩が憐れみの心をもってその悪人の命を断っても罪にはならず、むしろ功徳になる。菩薩の殺害行為の動機は、殺されようとしている多くの衆生の命を救うという意味での慈悲の心によるのみならず、悪人が堕地獄することを防ぐという慈悲の心が存するのである。
菩薩の殺生は智慧と慈悲による菩薩行の一面であり、菩薩の衆生救済という利他行を指すものである。謗法の婆羅門の寿命を延ばすということにこそ、『涅槃経』の主張の本質があると考えることができる。

つまり、仏法を誹謗することは大罪だから、殺害することで三悪道に堕ちることを防ぐ、すなわち救済だというわけです。

チベット仏教には呪殺という考えがあり、実際に敵対する人を殺す僧侶がいました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a5804d7d0e9183226d9636884b002bed

平雅行『日本中世の社会と仏教』に、顕密仏教では敵対者(年貢を納めないものも含む)に対して呪詛が行われたとあります。
「領主への敵対という世俗的行為を宗教的悪業へと転化させ、反逆者は神仏の怨敵として現当二世にわたる仮借ない仏罰神罰を受けることになる。しかも下知に従わない者への呪詛すら行われている。
だからといって、こうした行為が仏教の慈悲の精神と矛盾するわけではない。なぜなら宗教領主にとって、寺敵を呪詛・調伏して寿命を奪うのは、我欲にかられた寺敵の煩悩を砕いて菩提へと導くための方便だからである。
彼らはまさに慈悲の精神にのっとって寺敵を呪詛し、神仏を恐れぬ愚かな民衆の罪業を制止したのである」


保立道久『中世の女の一生』に、鎌倉時代、下人の女が恋愛相手に呪詛を僧侶に依頼したと書いてあります。
呪殺、呪詛、調伏という形での殺生を認めていたのです。

一殺多生とは、一人を殺すことで大勢を生かすという意味だけでありません。謗法や殺生などをしようとしている人を殺すことで三悪道に堕ちることを防ぐという意味があります(その代わりに殺人という業を自分が背負わなければいけない)。だから、一殺多生は慈悲行だとされるのです。

ダライ・ラマ14世は菩薩の暴力を否定していません。ダライ・ラマは観音菩薩の化身ですから、ダライ・ラマが行う暴力や殺人は許容されることになります。
殺人を救済であり、慈悲行であるという考えは、オウム真理教のポアと同じです。
しかし、三浦和浩さんやダライ・ラマ14世、辻村優英さんはオウム真理教の事件には触れていません。どうしてなのかと思います。

広瀬健一『悔悟』では「「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です」と説明しています。

一殺多生やポアの前提となるのは、六道輪廻と業の思想(カルマの法則)、すなわち業の報いによって六道のどこに輪廻するかが決まるという考えです。
一殺多生が許されるためには、相手のカルマを見極める能力が必要です。広瀬健一さんによると、「麻原は人のカルマの状態を見極め、これを効率的に浄化する指導ができる」とされていたそうです。

「麻原は「神=救済者」といえる存在でした。カルマを滅尽した最終解脱者であり、苦界に転生する運命にある私たちのカルマを浄化し、私たちを幸福な世界への転生、ひいては解脱に導くことのできる「神通力」を具有するとされていたからです。
その神通力のなかには、仏教において解脱者に備わるとされている「六神通」がありました。六神通とは、天眼通(遠隔透視)・天耳通(遠隔透耳)・神足通(空中浮揚)・他心通(読心)・宿命通(自他の前世・来世を見通す)・漏尽通(人の煩悩の状態を見極める)の六つの能力のことです。この宿命通・漏尽通などを駆使して、麻原は人のカルマの状態を見極め、これを効果的に浄化する指導ができるとされていました。
さらに麻原は、私たちに「エネルギー」を注入して最終解脱状態の情報を与え、また私たちが蓄積してきたカルマを背負う―つまり、カルマを引き受ける―とも主張していました。このようなカルマの移転を、「エネルギー交換」あるいは「カルマの交換」といいます」


阿羅漢の位になると、三明といって、3つの神通力を持っているとされます。
・宿命明 自分と他人の過去世の状態を知る智慧
・天眼明 自分と他人の未来世の状態を知る智慧
・漏尽明 煩悩を断って迷いのない境地に至る智慧
仏や菩薩は衆生が作ってきた業と、その業報としてどこに輪廻するかがわかるのです。

『テーリーガーター』でイシダーシー尼は過去世を語っています。
長者の娘イシダーシーは3度結婚し、3度とも夫が家から出た。それで出家して7日間で悟った。そうして宿明通で自分の過去世のことを語る。
金細工師(かざりや)だったが他人の妻と親しくなった。死後、地獄で煮られ、その次に猿、山羊、牛として生まれ、いずれも去勢されたのだが、それは他人の妻を犯した報い。そして婢女(はしため)の家に生まれ、それから車夫の娘、そうしてイシダーシーとして生まれた、夫が去ったのは過去世で浮気したためと語る。

『高僧伝』に、安世高(後漢の訳経僧)の伝が書かれています。
安世高は、前世で首を切られて死んだが、それはさらにその前世における罪の報いだと語る。前世で自分を殺した少年を探しだすと、少年は以前に犯した罪を悔いた。そして、少年と会稽へ行き、市場に入ったとたん、安世高は喧嘩のまきぞえをくって一命を落とした。安世高は業がいまだに尽きていなかったために、現世でも殺された。
安世高は過去世の業を知っていたわけです。

オウム真理教では麻原彰晃は業と業報を見極める力があるとされていました。そして信者は、殺生のカルマを引き受ける能力が麻原彰晃にあると信じていました。
仏や菩薩が謗法者を殺害しても罪にはならないなら、信者にとって、最終解脱者と自称する麻原彰晃による殺人の命令に従うことは罪にはなりません。オウム真理教を批判する人は謗法者だから、殺生は慈悲ということになります。

明治以降、日本軍兵士が敵を殺すことは菩薩行だとされましたが、これはポアの論理と同じです。

日露戦争での太田覚眠(西本願寺布教僧)と乃木希典大将との会話。(太田覚眠「乃木大将の一逸詩」『大乗』1933年6月)
乃木「従軍僧は此光景を如何に見らるるか?」
太田「まことに残酷な事であると思ひます、併し一殺多生です、大なる平和を得んが為めには忍ばねばならんのでしょう、一殺多生は菩薩の行です、菩薩行を為て居らるるのでしょう」
乃木「一殺多生菩薩行、真によい言葉じゃ」

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou61/kai06103.html

敵を殺すことが菩薩行なら、兵士は菩薩だということになります。
暁烏敏「時局に対する我等の覚悟」(1937年8月)にこうあります。
「私は戦場に行く人を菩薩の行を行ずる人である、神仏の活動をする人であると思うときに、合掌礼拝せずにおられない」

命を奪うことは本人のためであり、社会のためでもあると、人を殺すことを是認する一殺多生の論理は、戦争、死刑、安楽死などとも関係していると思います。