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 亀井 鑛さん「正信の日暮らし」 
2006年6月27日 
 
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 皆さん、こんにちは。名古屋市に住んでおります亀井鑛と申します。同朋会運動でご縁をいただいて以来、四十数年間、私なりに仏法の道を歩ませていただいております。今日は同朋大会という光栄ある機会をいただき、皆様とご一緒に親鸞聖人のみ教えを学ばせていただきたいと思っております。

 「正信の日暮らし」という講題を出させていただきました。これは東本願寺出版部から、昨年末に『日暮らし正信偈』という本を出していただきました。ご本山からの出版は初めてで、大変ありがたく思っております。その本の題から、今日の講題を「正信の日暮らし」としたわけでございます。

 「日暮らし」と『正信偈』ということですが、日暮らしとは私たちの生活であります。親鸞聖人の書かれた『正信偈』は宗教を意味します。宗教と生活とが一つに結びついているのが、本来の人生でないかと、私は思うんですね。
 先ほども、「命にとって大切なのは地下水である。人生の地下水は仏法である」という言葉を紹介されていましたが、まさに仏法は人生の地下水です。ですから、仏法は人生と密着したものでなくてはならないはずです。

 ところが、現代という時代は、宗教不在の生活が広く世界を覆っています。私たちもその例外ではない。真宗門徒でありながら、真宗の教えの眼目であります『正信偈』と、私自身の日暮らしとが、バラバラになってしまっておるのが、今日の私たちの状況でないでしょうか。
 このことは、同朋会運動が発足した四十数年前の状況もまったく同じ。あるいは百年前に、清沢満之という先生が出られた明治の状況も同じ。そして五百年前、蓮如上人が出られたころの真宗門徒の状況も同じ。ともすれば、生活と宗教とがバラバラになってしまっているということが、続いてきたんでないかと思わされます。

 皆様の生活の中でも、はたして宗教が生きておるのか。真宗門徒でありながら、私たちの日暮らしの中に『正信偈』が生きておるのか。そういうことを思いますと、まさに現代という時代は、宗教不在の生活でないかと思います。
 そしてまた逆に、宗教のほうは生活不在の宗教になっている、こういうことが言えるんでないでしょうか。仏法と言ってもいい。あるいは浄土真宗と言ってもいい。親鸞聖人の教えを学んでおりながら、そこに生活というものが抜け落ちてしまっている。生活とは関係のない観念的な宗教の学習ということが、一般的になってしまっているのでないか、ということを感じずにはおれません。

 現代は宗教も衰えている。そして私たちの生活もまた衰えている。生活不在の宗教、あるいは宗教不在の生活。これは人間が生きていく上で不健康ですね。地下水が切れてしまった人生であります。これは恐い。病的だと言わざるを得ない。
 こんにち次から次へと起きてくるいまわしい社会的問題、社会的な事件が続発していることも、地下水が切れてしまった現代人の生活、そして現代の宗教が生活から浮き上がってしまっているというところに、大きな問題点があるのではないかと思わざるを得ないわけでございます。

 生活と宗教、言いかえれば日暮らしと『正信偈』をしっかりと結びつけて、一つのものにしていく営みが、真宗の聞法の歴史の中にかつてあった。それは私たち在家仏教者、在家念仏者の先輩である、妙好人の人たちではないかと考えております。そんなことから、私は妙好人の方たちに関心を持っておりまして、妙好人の勉強会を毎月しておることでございます。

 平成23年に、親鸞聖人七百五十回忌御遠忌法要が勤まります。その翌年は同朋会運動五十周年の年なんですね。私は親鸞聖人七百五十回忌御遠忌と、同朋会運動五十周年がめぐってくる時期というのは、非常に大切なつながりがあるのではないかと考えています。ところが、同朋会運動五十周年については、宗門でもあまり言われない。
 同朋会運動は、生活の中で生きてはたらく宗教を、回復する運動として始まったはずです。そして、生活を荷い、大黒柱になって働いております働き盛りの青壮年層の人たちが、同朋会運動に呼び寄せられ、ご縁をいただいて学んでまいりました。私もその一人でございます。
 生活と宗教をしっかりと結びつけていく、日暮らしと『正信偈』をぴたりと密着したものにしていく、ということが同朋会運動でないかと思うんです。今でも思い返されますのは、一番最初に『現代の聖典』という本をいただきました。本その冒頭に「生活の事実に立って教えを聞き開いていく」という言葉が出ておりました。これが真宗門徒として現代を生きていく私たちに、一番大切なことでしょう。

 生活の事実の上に教えを聞き開いていく。ところが、実際には生活と教えがバラバラになってしまっておる。ここに私たちの生き方の不健康さ、あるいは行き詰まった状況があるのではないかと思うんですね。

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 で、「正信の日暮らし」ということでございますけど、「正信」とは「正しい信心」ということです。これは「他力の信心」と言い換えてもいい。信心をわかりやすく申しますと、「信心とは私の生き方である」、そのように私は自分に言い聞かせております。生き方が確立することを信心をいただくとか、信心獲得とか言われておるのでないかと考えております。
 他力の信心、他力に拠った生き方、これが人間と仏法という地下水とが一つになって、瑞々しく、うるおい豊かに生きていく生き方でないかと思うんですね。

 他力の反対が自力でございます。が、「自力の信心」という言葉はありません。あるのは自力の執心です。執心とはとらわれの心です。信心と言えば、すべからく他力であります。他力の信心しかない。

 他力を詳しく申しますと、『正信偈』の冒頭に「帰命無量寿如来、南無不可思議光」とあります。「不可思議光」とは「無量光」と言ってもいい。無量寿・無量光ということが、他力の内容でありましょう。この無量寿・無量光ということを私たちの生活の中でどういうふうに受けとめていったらいいのでしょうか。

 無量寿は果てしのない、無限大のいのちのつながりということです。それを私たちの日常生活の具体的な姿で受けとめるならば、私の顔とか、皆さん方お一人お一人の顔というのは、生まれてきてからこのかた、五十年、六十年かかって、自分で作り上げてきた顔だろうかと考えてみましょう。
 しかし、好むと好まざるとに関わらず、この顔は親譲りの顔じゃないですか。父親似、母親似という多少の片寄りはあっても、親譲りの顔であります。私がこの世に生まれてくるに先立って、自分の顔というのは、親そっくりの顔になるように生まれついておったわけです。
 そして両親の顔は、これもやはりおじいさん、おばあさんから受け継いだ顔であります。おじいさん、おばあさんは誰からその顔をもらったかというと、そのまたおじいさん、おばあさんです。
 そういうふうにずっとたどっていくと、これは無限大です。無限大のご先祖からいただいた顔が、ただ今の私の顔、皆さん方の顔になって相続されているわけでしょう。
 いくら私の顔が気に入らない、こんな顔じゃいやだと言ってみたって、生まれるに先立ってこういう顔に生まれるべく必然づけられていた、決められていた顔でございましょう。否応なしに受けとめていかなくちゃならんということです。

 顔ばかりじゃありません。広島で生まれ育った方でしたら、広島弁を使う。私は名古屋で生まれて、名古屋で育っておりますから名古屋弁です。
 私はNHKの名古屋局で司会をさせていただくことがあります。すると、ディレクターから「亀井さん、発音に名古屋なまりがあるから、それを消してください」とよく注意されるんですね。どうしても名古屋弁が出る。いくら土地なまりをなくそうと思っても、どうしても出るんですね。
 言葉のなまりというのは、親譲りどころじゃないですよ。土地の長い歴史の中にしみこんだ、どうしてみようもない歴史的な所産でしょう。こんな地域的な特性も、私たちの身体を作り上げておるわけです。

 身体の格好でも声でも、あらゆるものが無限大の祖先からいただいたものだと言わざるを得ない。これは仏教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、日本人だろうと、外国人だろうと、否応なしに納得せざるを得ない道理であります。

 そうすると、私のいのちは、私が生まれてから今日までの日数だけでは数えきれない。無限大のいのちが私になっている。
 そういうものに立って、私たちは生きておるわけじゃないですか。それが無量寿という言葉で言われておるわけであります。
 そういうことを思いますと、私たちの身体、私たちが生きておるということは、無量寿のいのちをいただいているということです。そういう果てしないつながりの中で、生かされて生きていることがうなずかされます。

 じゃ、無量光とはどういうことか。無量光は光です。光がつくとパアッと横に広がっていく。空間が明るくなる。そういう空間の広がりであります。そういう広い、全世界を覆うようなつながりの中で、私たちは生かされて生きている。これを無量光と言われます。

 たとえて言いますと、皆さん、今日は何を食べましたか。広島に住んでいるから、広島でとれたお米を食べて、近くの海でとれた魚を食べて、というわけにはいきません。今の世の中、日本だけではなく、アジアやアメリカ、世界中から運んできた食物を食べております。世界中のものを集めて、今日の私の食事が成り立っている。
 食事一つ取り上げてもそうです。私の着ているもの、住んでいる家、いろんなものすべてが、広い世界のつながりの中で私に与えられている。つまりは、無限大の広がりの中で私が生かされているんだと、納得せざるを得ないじゃないですか。

 それを無量寿・無量光という言葉で受けとめ、それに拠った、しっかりした生き方をしてくださいというのが、如来さまから私たちへの呼びかけなんでしょう。それが私たちに呼びかけられているお念仏の中身でありましょう。

 無量寿・無量光を言葉をかえて申しますと、宿業、因縁ということでございますね。そして、一つにひっくるめてしまうと、他力と言えるんでないでしょうか。さらにまた、親鸞聖人は、自然という言い方でも言い表してくださっています。自然法爾という言葉がお手紙にもございます。

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 無量寿・無量光のはたらきをうなずかせていただいて、私の生き方が開かれてくる。このことにつきまして、三十年ぐらい前ですが、私は「同朋新聞」で全国の念仏者の方を取材しました。生活と結びついた仏法をうなずき、確かめていらっしゃる方のお話を聞いて、その体験報告を「同朋新聞」に出させていただいておりました。そういう仕事を二十年間させていただきました。
 その中のお一人に、小谷一雄さんという方がおられます。(以下は文章朗読)

「岐阜県高山市の小谷一雄さんという、小学校の校長先生をしていらした方ですが、校長を定年退職されるとすぐ、お寺の世話方を依頼されました。まあ世間体もいいし、皆の中でいい顔もできるしと、あれこれ役職を仰せつかって、奉仕していました。でも、まだ本気で聞いていたわけではありません。疑いの情が心の底に残ったまま、蓮如上人のいわれるような「人目・仁義ばかりに、名聞のこころ」で、お寺とおつきあいしてられたんでしょう。それが暴露される時がきました。

 先生の三人娘のうち、同じ高山の家に住むのはまん中の娘さんだけ。小谷先生は心ひそかに自分にまさかのことがあったら、この娘が死に水をとってくれる、事実上の跡目相続者だとあてにしていた、その娘さんが三十八歳の若さで、夫と高校生の息子を残して亡くなられた。ガックリきたお父さん、ショックで寝込んだりしたあげく、気力も萎えて、お寺へも顔を出す気が失せ果ててしまった。
 「何が仏法や。何が同朋会や。この世に神も仏もあるものか。いくらお寺に行っても、今のこの私にぽっかり空いた心の空洞を、埋めてくれる何もいただけないじゃないか。お寺とおつきあいしていても、何の足しにもならん。もうやめた」と。私たちは常に、何か「足し」になるものを求めて生きているんです。さもしい人間の知恵です。小谷先生もその範囲を出ていなかった。

 一年ほどお寺へ足を運ばなかった頃、お寺から呼び出されて重い腰をあげ、聞法の席に顔を出した小谷先生、そこで講師の先生から、「仏法は、業の自覚をさずける教えだが、なかなか理解が難しい。私はこれを“身の歴史”と受けとめている。このわが身とは、遠い、また広い歴史の積み重ね(無量寿・無量光)から成り立っている。一切の出来事は、身の歴史により成り立ち、運ばれる。それに身をまかせ、従って生きるのが、われわれ人間の、法にかなった生き方です」と聞かされ、はじめて仏法に手応えを覚えたといいます。
 「そうか。すべては身の歴史によることだったのか。してみれば、娘が三十八歳の若さで死ぬのも、娘の身の歴史によること。そしてこの私が、娘を失って悲しむのも、私の身の歴史がしからしめるところ。それならこれからも私が生きる限り、身の歴史はつづく。それなのに、こんなところで今、頭を抱えて、うずくまってなどおれんでないか」と、心の見通しがひらかれました。

 一つの突破口がビシッと心に穴があきますと、もうそれからはそこを起点にして、どんな話を聞いてもうなずけるようになる。これが聞法のおきまりコースです。
 小谷先生もそれ以来、お寺の聞法会にはいつも顔を出して聞く。聞けばうなずけるものが獲られるということで、もう疑いの情は晴れた。
 もともと校長さんをしていた人ですから、筆も立つし弁も立つ。同朋会のハガキ案内から、当日の司会まで何でもこなして、お寺にとってなくてはならぬ、ご住職の協力者として、やがて組の役から教区の役まで仰せつかって、壮者をしのぐ元気で、若い人たちの尻をたたいて、旗を振りつづけておられました」(「同朋新聞」1990年5月号)

 無量寿・無量光、あるいは他力と、仏教の言葉で言ってもなかなか私たちにはピンとこない。それを生活の中の言葉、日常の言葉でご講師が「身の歴史」と小谷先生にほぐしてくださった。
 そうすると、因縁とか宿業とか他力とかが、身の歴史という言葉で、「ああそうか、そういうことだったのか」と初めてうなずける。
 一つ突破口が開くと、そこからどんどん仏法がわかってくるんですね。聞法とはそういうもんです。「正信の日暮らし」とはまさにこういうことでないかと思うんですね。

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 身の歴史が無量寿・無量光ということなんだけれども、問題は他力によって無限大のいのちのつながりと、無限大の世界の広がりの中で生かされておりながら、そのことにまったく気がついていないのが私たちだ、ということです。いつでも、俺の力だ、俺の甲斐性だ、俺の手柄だと、自分が中心になっておるんですね。
 つまり、他力を無視し、踏みにじっておるのが私たちのあり方です。それが私たちの日常的な生き方であります。それを自力の執心と言うんです。そのことに気づくということが大事なんでしょう。

 これが如来の本願からの、私たちへの呼びかけでないかと思うんです。無量寿・無量光に背いて生きている私に焦点を当てて、お前たちのやっていることは、明けても暮れても無量寿・無量光からはずれた生き方しかしていない、そういう自力執心に立ったお前の姿にどうか気づいてくれよ、間違っていたと気づいてくれよと、呼びかけてくださっているのが、如来の本願の呼びかけなんですね。

 特に一番浅ましいのが、他力のはたらきとの接点になっております両親を、私たちは無視し、軽視していることです。
 聞法をとおして、それが私だということを暴露されてくる、化けの皮がはがれてくるということがあります。

 『大無量寿経』の中で、阿弥陀如来は四十八の願いを誓われていますが、その中で第十八願が中心です。第十八願は「念仏すればどんな人でも助けよう」と誓われてあります。まことに如来のお心は広大無辺、どんな人でももらさず救いとってくださる。

 ところが、十八願には「五逆と正法を誹謗せんをば除く」という但し書きがあります。「ただし五逆の者と正法を誹謗する者はいくら念仏したって助からんぞ」という除外規定が書いてある。五逆というのは、人間にとってしてはならない、もっとも重大な反逆の罪であります。父殺し母殺しがその代表です。
 私たちはこれを、誰のことやら、そんな不心得な奴がこの世におるのかと思っている。少なくとも自分のことだとは考えていない。
 「滅相もない。私は親を殺してなどおりません。世間並みの親孝行をしたつもりだし、死んでからもちゃんと法事や墓参りを怠りなくしております」、こうおっしゃるかもしれません。
 私はお寺に通って真面目に聞法している。そして、こういう会にも欠かさず足を運んで出席している。だから、まさか私のことではあるまい。そう皆さんお思いになるかもしれません。

 けれども、はたしてそう言えるのか。十八願の但し書きは、実はこの私自身のことを指しているのではないか、という目覚めを促しているんです。
 ですけど、はたしてそう言えるのか。「親殺しはお前でないか」と如来さまは私に向かって指さしていらっしゃる。それはいったいどういうことなのでしょうか。

 親鸞聖人はお手紙の中で「親をそしるものをば、五逆のものともうすなり」と書いていらっしゃいます。親殺しというのは、親を刃にかけて殺すという話と違います。親殺しとは、親を馬鹿にし、親を無視し、親を邪魔者扱いすることだと、親鸞聖人は受けとめていらっしゃいます。

 それは誰のことかということを、『日暮らし正信偈』の中で紹介しています。滋賀県木之本町の岩根ふみ子さんという方のお話です。親殺しとは誰のことか、わかっていただけるでしょう。(以下、文章を読む)

「一昨年、実家のお母さんが老人性痴呆症の末、八十七歳で亡くなった。三年間の介護で、年長の兄一家ばかりか、五人の兄妹が振り回された。交代で泊まり込みの看取りに当たった。正直言って老母の体調が衰え、食が細ると「もう間近」と眉をひらき」……
 病気のお母さんが食べられなくなると、「しめた」と、腹の中で喜ぶ気持ちが起きてくるということですね。
「食事が細ると「もう間近」と眉をひらき、回復して食が進むとしょげたりしながら、「亡くなったお父さん、何してはるやら、早うお迎えにくればいいのに」と、呆けた母に向かって口に出していたという。

 その葬儀の日、岩根家の手次ぎ寺で、いつも聞法に通っている明楽寺の藤谷住職から、長文の弔電が届いた。
『オカアサンハ、オイタミヲアゲテセイイッパイ、ワタシタチノナカニアルジゴクヲエグリダシテミセテ、ヨヲサラレタブツデアルトオモワレマセンカ? サキニイカレタオトウサンハ、オマエゴクロウデアッタトムカエラレタデショウ。ミョウラクジジュウショク』

 ふみ子さんは息をのんだ。私たちの地獄をえぐり出して見せてくださった老いた母は仏でなかったか、と問われたのだ。自分の胸に去来した「これがいつまで続くか。早く死んでくれれば…」の思いが、あらためて照らし出された。ふみ子さんは兄弟そろっているところで、この電文を皆に聞かせた。私の内の地獄―「兄ちゃん姉ちゃん。早う死んでくれたらええのにと思わへんかった? 私は思った、思わずにいられへんかった」と、自らの〝親殺し〟五逆の大罪を告白した。全員がうなずいてくれた。みんなの〝地獄〟をそこでひしと学ばされた。ホッとして肩の荷がおりた思いの葬儀の場が、深い慙愧から、ひいては自我放棄の瞬間にまで転ぜられた。転ぜしめた老母はまさしく仏だった。

 「仏法を聞いて、いつもこの私が転ぜられるのです。自分本位の計算ずくの意識が転ぜられていきます。それを明楽寺の聞法会で住職からいつもいただきます。実母の死も大きな機縁でした…」(「同朋新聞」1992年4月号)

 こういうふうに私たちは、無量寿・無量光という他力、道理のはたらきから、いつでも背きづめに背いて、自分中心の、目先だけの損得そろばんや得手勝手で、親であろうと子供であろうと、都合によっては殺しかねない、排除して抹消しようとしている心がいつもある。そういう心を、五逆誹謗正法だと示されているわけです。

 そんな心を持ったままで、いくら念仏したって助かるか、そんな心を持った人間が、念仏したって助からんぞというのが、如来さまの本願の呼びかけ。十八願のお心というのは、そういうお心なんだと、親鸞聖人は『尊号真像銘文』の一番最初に言ってらっしゃるんですね。
 こういう真宗の教えを、私たちの生活の中で自分と重ね合わせて受けとめていかなくては、本当に生きた、いのちの通った聞法にはならないんではないかと思うんですね。そういうことを皆様方に、あらためて考え直していただけたらと思うわけでございます。

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 私たちはいつでも、俺のいのち、俺の財産だと信じて疑わない。俺の力だと力んでいます。けれども、この世の中に俺のものなんて一切ないんでしょ。みんな無量寿・無量光によってたまわったものでしょう。この顔でも、この手でも、この身体格好でも、性分でも、あらゆるものすべてが、無量寿・無量光によって、私の上にもたらされてきているものだとしか言いようがないじゃないですか。

 このことは真宗門徒という、小さな世界の話ではありません。この世の中の生きとし生けるものすべて、無量寿・無量光によって生かされているということが言えるんじゃないかと思います。それに逆らっているのは人間だけです。
 そういう私たちの根本的な間違いに、本願の導きによって気づかされていくことが聞法でありましょう。それがお念仏の歩みでありましょう。そういうことを、私たちは聞法の中でいただいていかねばならんのではないかと思います。

 無量寿・無量光、無限のいのちのつながりとは時間のつながり、世界の広がりとは空間の広がりです。そういうものによって私は私たらしめられておる。それを日本語では昔から「おかげさま」と言っています。「おかげさま」という言葉は、仏教の言葉でないかと思うんですよ。
 「おかげさま」とは、「かげ」という言葉の上に「お」の字をつけ、下に「さま」の字をつけます。「かげ」というのは何かと言えば、目に見えないかげなる力のはたらきということです。
 私たちは目に見えるものしか認めようとしません。しかし、それはうわべだけです。浅はか、皮相であります。そうではなくて、目に見えないかげなる力のはたらきによって、この私が成り立たせてもらっている。

 こういうふうに受けとめていく時には、この「おかげさま」という言葉は「帰命無量寿如来」ですよ。「お」の字が帰命です。無条件に頭が下がりますというのが、「お」の字ですね。下に、如来さまの仰せでございますというので、「さま」という字がついている。

 「おかげさま」をインドの言葉で言えば南無阿弥陀仏、中国の言葉で言えば帰命無量寿如来、南無不可思議光というんでしょう。目に見えないところにもいろんな根を張って広がってやまない世界の広がりと、長い歴史のつながりがある。それが無量寿・無量光ですし、それを一口でおかげさまという言葉で言い表している。

 目に見えないかげなる力、これはいいことばっかりじゃありません。悪いことも五分五分であります。ところが、私たちが日常生活の中で「おかげさま」と言っているのは、自分にとって都合のいいことだけを「おかげさま」と言っているんじゃないですか。

「おかげさまで私も七十になりました。今までお医者さんの世話になることもなく、達者で過ごさしていただきました。おかげさま」
「息子も立派な学校を出て、立派な会社に就職し、娘は立派なお婿さんを見つけて、子供もできて幸せに生活させていただいています。おかげさま」

 このように、自分の都合のいいことばっかりを数えたてて「おかげさま」と言っておりますけれども、これは本当のおかげさまじゃないと言っていい。いいことばかりがおかげさまではありません。
 おかげさまが南無阿弥陀仏という言葉と一つになる時には、自分にとっていいことも、都合の悪いことも、目に見えないかげなる力のはたらきだったんだなあ、とおしいただいていく。

 福井県に竹部勝之進さんという、念仏詩人の方がいらっしゃいました。竹部さんに「おかげさま」という詩があります。

  病気もおかげさま
  死んでいくもおかげさま
  おかげさま
  おかげさま

 これだけの詩です。
 病気になるのも、死んでいくのも、みんな見えないかげなる力のはたらきによってそうせしめられている。私たちが病気になるのも他力です。死んでいくのも他力です。因縁です。自然のことわりです。それをおかげさまとおしいただいていく。これが人間の正しい道理にかなった生き方なんだと、私たちは仏法を通して学んでいくわけです。

 その正しい人間の生き方を正信と言うんでしょう。それが「正信の日暮らし」ということではないでしょうか。ところが、私たちの現実は、他力から背きづめに背いている。明けても暮れても、寝ても覚めても、寝言の中にまで、背いていることしかやっておらないのが、私たちなんですね。

 背いている私に気づくことが一番大切です。無量寿・無量光をいつも憶念しながら生きていくのが、人間の正しい生き方なんだけれども、それに先だって、背きづめに背いている自分に気づかないことには何ともならない。
 立派な建物を建てたくても、以前からそこに怪しげな不法建築が建っておったら、まず怪しげな不法建物を取り壊さなくてはなりませんね。
 それと同じように、私たちが他力に随順する生き方をしたくても、その前に私たちの心の中には、自我を中心にした執着の心が根を張っている。それをまず根こそぎ引き抜いていかなくちゃならない。引き払えば、そこに他力の家をあらためて建てなくても、自力の根を引きさらったことが、そのまま他力の世界に私たちが転じられていることなんです。

 如来さまは先の先まで見抜いておられる。お前たちの間違った、自分中心のあり方にどうか気づいてくれよ。それ一つだよ。自力のはからいを取り払ってから、他力の世界に出ていく、そんなことじゃないんだ。自力だと気づきさえすれば、もうそこは他力の世界なんだ。どうか気づいてくれよ。これが、如来さまから私たちへの、南無せよという呼びかけです。
 南無というのはインドの言葉で、頭が下がるということですね。法に従っていくということでしょう。「南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆえに」というお言葉が『御文』にも出てまいります。

 要するに、私たちはいつも本願に背きづめ、自力のはからいばっかりやっている。自力執心に立っている。それに気づかされて頭が下がるということが他力の世界なんだ。私たちはこういうことを、如来さまから呼びかけられているわけですね。

 小谷先生が身の歴史を通してうなずかされた。それから本屋さんの岩根さんは、呆けたお母さんが三年越しわずらっていたのが亡くなって、それでやれやれホッとした。これでもとの生活に戻れると、なんかウキウキした気持で葬式をやっていた。ところが、ご住職から「心の中の地獄をえぐり出して見せてくれた仏様ではないか」と言われて、はっと気づかされた。親を邪魔者扱いにしていた私だと気づかされたところから、「すまなんだ、お母さん。親不孝な子供たちでありました。申し訳ありませんでした」と、痛みの心とともに、心から頭を下げるお葬式になっていった。

 こういうところに、本当の人間に帰らされる南無阿弥陀仏の道がある。これをインドの言葉で南無阿弥陀仏と言う。これが如来さまから私たちへの呼びかけなんでしょう。

  6

 今度は私自身の体験を申しあげます。私は名古屋で商売をやっております。若いころは、町の中を朝から晩までスクーターに乗って、お得意の開拓をやっていました。
 夏の暑い時なんか、一日働いて、汗みどろ、ホコリまみれになって家に帰ってくる。そして風呂に入り、家内がみつくろってくれた酒の肴をつまみながらビールを飲んで、ほっと一息、憩いのひとときを過ごしておりますと、中学一年になった娘と小学校五年生の息子とが、私がビールを飲んでいる姿を見まして、糾弾するわけです。

「お父さんはお寺に行って、人間の自己中心的な自力のはからいは間違いだ、罪だと、体裁のいいことをしゃべっているけれども、家でお父さんがやっていることは自力のかたまりだ。お母さんに料理を作らせて、自分一人でビールを飲んでいる。私たちだって学校で一生懸命勉強して、風呂の後やご飯の時に「サイダーかアイスクリームがほしい」とお母さんにねだっても、「麦茶が冷蔵庫に冷やしてあるから、それを飲みなさい」ぐらいで、私たちの言い分は通してもらえない。そんなお父さんの言っている仏法なんか、絶対についていかないからね」

 娘らはこんなことを言って、舌鋒鋭く私を批判するわけです。そうすると家内は、
「あんたたち、なに言ってるの。お父さんが働いてくださればこそ学校へ行けるんじゃないの。そのお父さんが疲れて帰ってきて、ビールを飲むぐらい当たり前でしょ。あんたたちが何をつべこべ言うの」
と言ってたしなめる。しかしながら、そんなうわべだけの理屈では、子供たちは納得しません。道理にはずれた言い分ですから。そして、子供たちは「お父さんはエゴイストだ」と糾弾を続ける。

 そこで父親の私が、
「そうだなあ。お前たちの言うとおり、お父さんは自分のことしか考えていない。自分だけが一生懸命働いたからと言って、風呂上がりにビールを飲んでいる。それなのにお前たちにはサイダーもアイスクリームもやらない。お前たちに飲ませてやりたい気持ちはあるけれども、そこはお母さんの財布と相談しなくちゃならんことだから、お父さんの一存ではいかない。たしかに自分中心のエゴイストなお父さんだと認めるよ。だけども、お父さんも精一杯働いてきたんだから、ビールぐらい認めてくれんか」
と、私が子供たちの言い分を認めて、そして下手に出て相手に頼み込みますと、そこで初めて糾弾の手をゆるめてくれる。そして、心の中では「お父さんは私たちのような子供でも、子供の立場から道理にかなった言い方で批判すれば、ちゃんと真正面から受けとめて、素直に頭を下げて謝ってくれる。うちのお父さんは話せばわかるお父さんだ」と、こういうふうに了解するんですね。そして、そこに初めて親と子の心のふれあいが開かれてくる。

 と同時に、もう一つ効果があるのは、子供たちが心の中で、暗黙のうちにこう思うんですね。「私も誰かから自分のやっていることが道理にはずれた自分中心なことだと糾弾された時には、今、お父さんがやっているのと同じように、素直にそれを受けとめ、頭を下げて謝らなくてはならない。そして、責任をとらなくてはいけない」と。

 こういうふうに、子供たちは父親の姿を眺めて、暗黙のうちに道理にかなった生き方が身についていく。こういうことがあるんじゃないかと思うんですね。ここに、家庭生活の中で、南無阿弥陀仏がはたらいてくださるんだなと感じるわけです。
 父親の私が親の権威を笠に着て、高いところからのしかかって、「お父さんが働いているんだから、お前たちが学校に行けるんじゃないか」と言うのでは、一方的なごり押しです。これは道理にかなっていません。道理にかなわぬことを、理屈と言うんでしょう。道理は理屈と違うわけですからね。道理に立った時に、私たちは頭を下げざるを得ない。頭を下げれば、ちゃんと相手に通じる。これが人間の生き方の大切なかなめなんですよ。

 仏様は「南無阿弥陀仏」と私たちに呼びかけてくださっておる。そして私たちは、「自分が間違っておりました。南無阿弥陀仏」と頭が下がる。「自力の私でした」と頭が下がる。それを「南無」という。そして、そこに子供たちと頭を下げた父親が一つになっていく。心と心を通わせあっていける。これが「阿弥陀仏」という世界です。
 南無阿弥陀仏とはそういう人間の生き方を私に開いてくださる、如来の呼びかけなんですね。そのことを、生活の中でうなずき、確かめていかないといけない。

  7

 生活の中でくり返し確かめられていきますと、家庭の中の個人の些々たる問題だけでなくて、大きな社会の問題にも同じ道理がちゃんとはたらき、目のつけどころと申しますか、道が開かれてくるのではないかと思うんですね。
 今日、いろんな社会問題が起きています。仏法というものは、自己自身の問題、それが一番の中心でしょうが、それだけに尽きません。仏法は家庭から地域、あるいは会社、あるいは国、あるいは地球全体というように、大きく同心円を描いてはたらきが広がっていく。自己から社会へというふうに、道理のはたらきが広がっていくというのが、お念仏の世界でないでしょうか。

 そのことについて二、三申しあげますと、最近、近隣の国との間で領土問題が争いのもとになっています。私、今年の三月から四月にかけて北海道の東部へ行っておりました。知床から東のほうを見ますと、海の彼方に黒い雲のような、山のようなのが見える。聞きますと、北方四島の一つ国後島なんです。そして、根室の少し東に納沙布岬という、日本の一番東端の岬があります。そこからは歯舞・色丹の島がすぐ目の前に見えます。今は日本の領土ではなく、外国です。何か身の引き締まるような思いがしました。

 ところが、町の中いたるところに、「日本領土を返せ」「北方四島を返せ」「即時返還」という立て看板がいっぱいあるんですね。それを見まして、 私は見苦しいというか、空しいというか、何とも言えない感じを正直持ちました。
 というのも、私は北方領土を目の前にして、「これは俺の領土だ」「いや俺のだ」などという争いは迷妄の姿だと思うんですね。無量寿・無量光の話を思い出していただければ、「世の中のこれとこれとは俺のものだ」ということは通らないわけです。

 私を超えた、日本を超えた大きな、目に見えないかげなる力のはたらきのもとに成り立たしていただいておるのだということが、道理にかなったものの受け止め方じゃないでしょうか。そういうことからしますと、「北方領土を返せ」とか「けしからん」とか言ってわめいておるのは、迷いの姿でないかなと、つくづく思わされるんですね。

 そこで私は、切ない思いとともに歌を詠みました。まずい歌でお恥ずかしいんですが、ちょっと披露させていただきます。

   納沙布岬
 島返せ領土戻せの看板の目に立つ北辺の町むなしと思う
 心狭き民族主義や右翼らの碑暗し北辺岬
 やせ犬の遠吠えめきて返還の怒号見苦し雪舞う岬
 国境をはずし欧州連合の生まる世に同じ理念を生かす術なきか

 これはどういうことかと言いますと、ヨーロッパではドイツもフランスもイタリアも、みんな国境をなくして、ヨーロッパ全体がEUという一つの連合になっている。どこの国へでも自由に出入りできるようになりました。そして、マルクとかフランとかいったそれぞれの国の通貨がなくなって、ユーロという統一した通貨でものを売り買いできる。
 ヨーロッパの歴史なんていうと、お互いが侵略しては圧制するという盛衰をくり返してきた歴史です。そういう血なまぐさい歴史が最近まで続いておった。それをピシャッと止めようという考え方のもとに、EUという壮大な実験が進んでいる。

 二十一世紀はそういう時代なんですね。交通が発達し、いろんな民族が行き来して、どこの国へ行っても、外国人が働きに来ておる。そういう状況がいたるところにある。日本でもそうですね。世界中で民族が混在していく傾向。地球がどんどん狭くなっていく時代の中で、EUという考え方は素晴らしいなとつくづく思うんです。
 ヨーロッパでは長年の恩讐を乗り越えて、一つになっていこうと努力している。国と国が手を取り合おうとしておる。そういうヨーロッパを見ますと、北方領土を返せとか返さんとかいうようなことではなく、何とかそれを乗り越えていく道はないだろうか。EUと同じようなやり方が、このアジアでもできないだろうか。そんなことをしきりに感じます。

 また、目を日本海に向けますと、日本と韓国との争いの的になっています、竹島の問題があります。私は昨年の四月、島根県の浜田のお寺にお参りさせていただいた時に、ちょっと申し上げたんです。

 島根県で竹島の日ができたけれども、私は大いに結構だと思う。そして、その日は「俺の国土だ」「日本の領土だ」なんてことは言わない。そんな発想じゃなくて、韓国の人たちにも来てもらう、あるいは韓国に行ってもいい、韓国の人と我々とが国境を越えて手を取り合い、竹島を共同で管理運営していく。ちょうどヨーロッパの国々が国境を取り払って、一つになっていこうと努力されているEUと同じ精神、ああいう広い考え方で、韓国と日本とが手を取り合っていく道はないものだろうか。竹島の日を、その道を捜し求めていく記念日にしていけばいいじゃないか。

 そういうことを私は申しあげたいわけでございます。こういう考え方こそ、阿弥陀如来が心から、人類の未来の歴史へ向かって、願いかけられておられる本願のお心でないだろうかと思うんですね。

 さらには中国との尖閣諸島の問題もそうですし、東シナ海の排他的経済水域での天然ガスを開発しようとしているといった、中国と日本との摩擦、衝突ということもありますね。これもまた、無量寿・無量光という立場に立って、手を取り合っていけないものでしょうか。

 世の中のものは一つの国の専有物、一つの民族の専有物、そんなものはないんだ。大いなる自然のたまものとしか言いようがないのではないか。そこに立って手を取り合っていくという道がないはずはない。こういうふうに如来さまはおっしゃってくださっておるのでないか、ということを思うわけであります。

 もともと仏教は、中国から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきて、日本の国に定着したんです。だから、中国、韓国は仏教を日本にもたらしてくださった先輩の国です。しかしながら、日本、韓国、中国は遠い先祖から受け継がれてきた、国境を越えて人の心をうって広がっていった仏教を、忘れほうけているのではないかと感じるんですね。
 仏教はインドから中国、韓国、日本、あるいは東南アジアの国々も含めて、アジアの民族の共有の智慧であるわけでしょう。仏教の心をふまえて手を取り合っていくのが、アジアの私たちのこれからのあり方でないかと思うんです。そして、まず一番最初にリーダーシップを切って呼びかけていくのが、日本の仏教徒でなくてはならんのではないか、なかんずく真宗門徒でないかと思うんでございます。困難な道ではありますが、可能性はある。この道以外に道はないと私は考えております。

 親鸞聖人のお言葉で申しますならば、『歎異抄』第三章に「自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」というお言葉があります。「帰命無量寿如来、南無不可思議光」を『歎異抄』流に表現したならば、この言葉になると思うんですね。
 「自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば」、これが南無ということでしょう。私たちは常に自分中心の執着の心に立っております。自分さえよければ、自分が一番えらいんだ。自分が正しいんだ、というところに立って、まわりを批判していく。そういう自分中心の心をひるがえして、間違った、道理にはずれた自分の姿に気づかされる。気づかされるということが「自力のこころをひるがえして」ということなんです。ひるがえしたことが、他力をたのんだことです。他力に軸足を置いたということでありましょう。
 そこに開かれてくる世界は「真実報土の往生をとぐるなり」ということです。往生という、人間が本当に誰とでも心を明るく、楽にして、心を開き、解放しながら、お互いに肩を組み合い、手を取り合って歩んでいける道が、今開かれてくる。それが「真実報土の往生をとぐるなり」ということであり、この転回が南無阿弥陀仏の世界なんでしょう。こういう南無阿弥陀仏の世界が、現代という時代に開かれてこなくてはならんと思うわけです。

 最近は愛国心ということが、問題になっております。愛国心とは、他の国を出し抜いて踏み台にし、日本だけが上に出るということでは断じてありません。他の国よりもと、他と争うことが愛国心ではないと思います。

 そうでなくて、日本の国が世界中の国々から愛され、信頼され、尊敬される国になっていく。そういう国造りをする努力を私たち一人一人がする。これが本当の意味の愛国心でしょう。
 そのためには、俺さえよければいい、俺が一番えらいんだといった、お山の大将我一人みたいな、幼い、子供っぽい考え方じゃなくて、大人の考え方、すなわち「自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」という生き方が、人間にとって一番大切な、あるべき姿でないかと思います。

 家庭の中でもそうだということを、私は申しあげました。それと同じ道理が、国と国、民族と民族、イデオロギーとイデオロギーの間にも成り立つはずです。そうした大きなはたらきを持つお念仏の精神を、今の時代は待ちこがれているんでないかと感じているんです。小泉首相もブッシュ大統領もビンラディンもイスラエルも、みんなお念仏の精神を求めている、しかしそれが見つからないという現実です。

 私たちは仏教徒です。真宗門徒です。ですから、皆に先がけて自分自身の生活を軸にしてお念仏の精神を立証し、呼びかけていく。そういうことが大事でないかと考えておるわけです。

 『日暮らし正信偈』にもちょっと書かせていただきましたけれども、緒方貞子さんという方がおられます。国連で人権関係の仕事をされている方です。ある新聞が2000年に、世界の各分野での名だたる人たちから「人類が二十一世紀を迎えるにあたって、何を考えねばならないか」というテーマでコメントをとりました。その中で日本から女性で一人、緒方貞子さんが選ばれ、こういうコメントを出しておられました。(以下、文章を読む)

「緒方さんは国連の高等弁務官で、世界の難民問題に関わっていた方ですね。その中で、
『新世紀に向けて、先進諸国の人は、自分たちの価値観だけが正しいのだと、一方的に自分たちの考え方を相手に押しつけるようなことは、決してしてはならない。それぞれの国、民族にはそれぞれの歴史と文化があり、それによって多様な価値観を、皆がもっている。それをわかりあい、許しあい、妥協しあっていく心が、二十一世紀には求められる。そこに平和と協調がひらかれる』
といった意味の発言をされていました。これが有無の邪見をくだき破ることでないでしょうか。先進国が、自分こそ正しい、進んでいると決めつける時(邪見)、相手を見下し、遅れているとあなどりがち(驕慢)。そのまちがい(悪衆生)に、もういいかげん我々は気づかなければならない、と言うんです。

 それなのに世界中が「自分が正しい、自分は賢い、正義は我にあり」のところに立ちはだかって、「悪いのはお前、愚かなのは向こう、まちがっているのは相手」と胸を張って、正義の神の代行者を気取り、六十年昔の日本の軍歌みたいに、「天に代わりて不義を討つ」などとうそぶきます。この迷妄固陋に一刻も早く、われ人ともに頭を垂れなくてはなりません」

 これが南無阿弥陀仏であり、『正信偈』の精神でないかと思うんですね。そして、お念仏の世界から導き出されてくるこういう考え方が、いろいろ複雑に入り組んだ二十一世紀を生きていく上での、根本的な生きる原理なのではないかと思うことであります。
 時間がまいりましたので、これで今日の話を終わります。どうも長時間ご静聴ありがとうございました。

(2006年6月27日に行われました安芸南組同朋大会でのお話をまとめたものです)