マインドコントロール
| 自分たちの利益のため、知らぬ間にあなたの心を操作する宗教や商売が、想像以上にはびこっています。インチキ宗教、あなたの潜在能力を開発しますという自己開発セミナーやマルチ商法、あるいはある種の政治団体などがそれです。 研修会などといった家族や知人と切り離した環境で、短い睡眠時間、食事の制限、情報のコントロールなどで疲労させ、情緒的に不安定にし、暗示にかかりやすい状態にします。そこで、これまでの信条や価値観などを破壊して、教義をがっちり埋め込んで、新しい人格を作り上げるのです。そうなりますと、ロボットのように疑問を持たなくなり、教えを忠実に守って行動するようになります。そして勧誘や募金などに全生活を費やすのです。嘘をつくことも平気です。なぜなら正しいことをしているのだから、そのために嘘をつくのも許されるからです。 要するに、マインド・コントロールによって奴隷になるわけですが、本人はそうとは思っていません。人が反対すればするほど、迫害をされていると感じ、一層打ち込むようになりますから、やめるように説得することは困難です。 スティーブン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』では、マインド・コントロールとは何か、どうしてそうなるのか、かかっていればどうすればよいのかなどが説明されます。 著者は十九歳の時に勧誘されて統一協会に入ります。アメリカ統一協会の副会長にまでなりますが、交通事故をきっかけに脱洗脳を受けて脱会します。その後、カウンセリング心理学を学び、マインド・コントロールの犠牲者の救出や、破壊的カルトの啓蒙活動をしています。 マインド・コントロールは、普通の人なら誰でもかかる可能性があり、自分は大丈夫だと自己過信した人が一番危ないそうです。多くの場合、自分が勧誘されているのだとは気づきません。また勧誘された人の大多数は、安定した、知的な、理想家肌の人々で、一般的傾向としてはよい教育を受けており、立派な家庭の出身だそうです。というのもそういう人を選んで勧誘するからです。なぜならそうした人なら信用があるから、さらに信者を増やすことができるからです。 マインド・コントロールにかかっていたら、ほかの人の助けなしに、本人がそうだと気づくことは不可能でしょう。ですから、家庭が大切です。しかし、家族は自分も問題を見つめ、自分たちも変わって成長しようとする気がないなら駄目です。また、家族は過度の自責と恥を感じて、感情的に反応しすぎたり、議論でやめさせようとしますが、これでは説得できません。状況によっては専門家の協力が必要だそうです。 米本和広『教祖逮捕』には、頭を空っぽにさせてそこに教義を詰め込む洗脳の仕組みについて書かれてあります。 ・脳にも容量があるが、情報量ではなく、時間が関係する。 ・洗脳セミナーでは脳に休む暇を与えない。 ・思考力の容量が限界に達し、自我はパンクしてしまう。 ・自我がパンクし、思考が停止した状態でも情報はインプットされる。 ・そこでカルトの教えが刷り込まれる。 ・カルトの教義は普通に考えると理解できないものだが、自我がパンクしているので論理的思考ができず、直接教えが刷り込まれてしまう。 ・それに加えて、パンクした瞬間、ドーパミンやエンドルフィンといった脳内物質が放出され、感動体験、神秘体験を経験する。 ・そうした体験を伴う教義の刷り込みだから、しっかり脳にこびりついてしまう。 ・教えを理解し、納得して結論を出したのではない。 ・だから、「本当の自分に出会えた」「すばらしかった」といった抽象的で幼稚な表現しかできない。 ・そのため、カルトの教えを他人に論理的に説明することはできない。これはカルト信者に見られる共通した特徴である。 高橋紳吾によると、真光の二泊三日の研修に参加して精神的な病気になってしまう人もいるそうです。 「真光あたりから始まったのは、一般の者が真光のわざを学ぶことによって霊能者になるというシステムができたんです。ところが、きちんとした訓練を受けていないために、精神的な病気になってしまったりする例がたくさんあります。 そもそも霊能力なんて、あるのかどうかということが問題で、病気が暗示作用によって治った気がするだけなのに、教団の持っている霊能力で治ったんだという錯覚にとらわれて、そこで縛られてしまうことがあるわけです。 だけども、手かざしなんてことをやっていると、自分がとてもいいことをしているような、熱い気持ちになれるんですね。自分は価値のない人間だけど、真光のわざによって人のお役に立てるという気持ちになって、自分の存在が認められて、とても生き生きとしてくる。 カルトに入っている間は熱くなっていって、それである種の快感を得ているわけです。人を救うとか、仲間と一体化するとかいうのは、ちょうど恋愛でもしたようないい気持ちになっていくものですから、そこを取り去られると、心が全く空虚になって、生きていく現実がなくなったりしてしまいます。 そしてもう一つ、カルトに入る時には、何かを求めてカルトに入るんだけれども、やめる時にその問題が解決しないまま残っているんです。これをカルトのマインド・コントロール後遺症といいます」 自己開発セミナー潜入記である二澤雅喜,島田裕巳『洗脳体験』、ヤマギシ会がいかに危険な集団かを暴露した米本和広『洗脳の楽園』も読んで下さい。具体的にどういうふうに洗脳していくかがよくわかります。 米本和広はヤマギシ会の特講(研修会みたいなものだが、実際は洗脳)を受けます。その報告を読むと、私自身もその場にいあわせているような気がして、なんだか気分が悪くなるほどです。 ヤマギシ会は1953年、山岸巳代蔵が理想社会を人間社会で実現するために結成しました。 「ヤマギシ会はヤマギシズムをもとに、世界を〈無所有一体〉の理想社会に塗り替え、世界中の人間を幸福にしたいと願っている。「実顕地」はその拠点であり、理想社会のモデル村なのである」 米本和弘は94年、豊里実顕地(三重県津市)を訪れます。 金のいらない村。お腹がすけば食堂に足を運べばいい。浴場、クリーニングもただ。下着以外の服、装身具、靴、タオルなどは共用だが、これもただ。日用品もほしいものがあれば展示供給所に行き、自由に持っていくことができる。病気になれば無料で診てもらえ、死ねば共同墓地に埋葬される。 まさにユートピア社会です。 案内をしてくれた女性は米本和広にこう言います。 「この村は無所有社会だから、所有観念はいっさいないの。すべて誰のものでもないから、誰が何を使ってもいい。食堂だってお風呂だって、みんなが使う。一体なのよ。誰のものでもないっていうのは物だけでなく、私の子どもだって私のものではない。だから、この村にいる子どもは誰のものでもない。私の身体だって、私のものではないの。世界中のすべてのものは誰のものでもない、すべては一体なのよ」 学生運動に挫折してヤマギシの村に入った人。 「簡単なことですよ。働いて得たお金を〈村の一つの財布〉に入れる。その財布のなかからみんなの生活費に充てる。それだけのことですよ」 村での労働時間は長く、元日以外の毎日が労働日です。だから、日本の平均労働時間より二倍近く働きます。 「そりゃあ、あなたが生活のため、金のために働く労働を考えるから大変だと見えるだけなんだよ。ここではみんなが理想社会を実現し、世界中の人が幸福になる〈全人幸福社会〉を実現するために、それぞれ専門の分野で働いている。だから、みんな楽しくてしかたがない」 村人の一人に「諍いはないのか」と聞くと、こういう答えが返ってきました。 「それは村人に我執がないからですよ。この世の諍い、いがみ合いのもとは我執です。我執があるから所有にこだわったり、競争が始まる。ここでは我執がないから、喧嘩が起きない、誰とでも仲良くできるんです。〈無我執〉はこの村の最大の特徴です」 大変結構な話ですが、なんだかソ連のプロパガンダ映画のセリフみたいですね。米本和広は、ヤマギシ会は中国の文革と共通すると言います。 「ヤマギシズム≠フ創始者である山岸巳代蔵にみんなが魅かれたのは、我執のない人たちが所有意識なく自他の分け隔てなく暮らせるような、争いのない幸福社会を夢想したからである。 毛沢東が発動した文化大革命のことがついよぎってしまう。 文化大革命の本質は毛沢東の奪権闘争だったが、それを抽象すれば、利己主義や所有意識を生む資本主義的要素のすべてを消滅させる運動であった。知的労働者も肉体労働者もみんな同じ人民服を着て、人民公社の食堂で同じものを食べる。私心ある利己的人間は告発され、人民集会の場で吊し上げられた。世界の若者は文化大革命を熱狂的に支持し、当時の学生運動に大きな影響を与えた。 ヤマギシズム運動と文化大革命に共通するのは、物欲に限らず個性的でありたい・自由でありたいといったすべての欲望を否定し、人の心をある鋳型に流し込み作りかえようとしたことにある。それが同時に運動が瓦解する原因ともなったのは皮肉な話である」 まさに洗脳の楽園で、アンチユートピアがヤマギシ会によって実現したわけです。 ヤマギシ会は政治とのつながりもあり、将来どうなるのだろうと、『洗脳の楽園』を読んだ時は恐ろしくなりました。 しかし、『新装版 洗脳の楽園』は1997年以降のヤマギシ会の衰退を報告しています。 子どもを預けていたヤマギシ会の会員が子どもを引き取るようになった。99年に、売り上げが激減したためにヤマギシの村では労働の担い手がだぶつき、村人が外で生活を始める方針に変わった。00年には中心となっていた人たちがヤマギシ会を離れて、別のところで集団生活を始めた。94年には2,500人の大人と2,500人の子どもがヤマギシ会の実顕地で暮らしていたのが、07年には大人1,300人、子ども200人に減少している。 ほっとしました。 どういう人がそういうセミナーや研修会に参加するのでしょうか。島田裕巳はこのように説明しています。 「どちらかと言えば、お金や病気といった現世的な利益をめぐる悩みではなく、より完璧な人生を歩もうとして、それがうまくいかないことから生じる精神的な悩み、葛藤の方が多いように思われる。自分にこだわり、自分に真っ正面から向き合ってきたという点で、みんな真面目で純粋なのである」 洗脳は教育や研修会で組織的計画的意図的になされるばかりではありません。我々はいつの間にかある考えを刷り込まれてしまうことがあります。そして疑うことを許さぬ狂信、疑うことを知らぬ盲信に陥ってしまうのです。そうしたことになるのは宗教によってだけではないのです。 会社の犯罪に加担してしまう人がいます。与えられた任務を忠実に果たせば、仕事の仲間から受け入れられ、会社という組織と自分とが一体化します。そうなると組織の論理に従うことは必然です。たとえそれが法に触れることであってもです。 田中康夫のアシスタント募集に応募してきた野村証券に勤める女性に、証券不祥事をどう思うかと聞くと、 「悔しい。上司があんなにがんばってきたのにマスコミにあることないこと書かれて」 と憤慨したそうです。 「上司のそばにいて、あなたが涙が出ちゃうのはわかるけど、事件全体についてどう思うの」 と田中康夫が尋ねると、 「やくざとのつながりは昔からあったことで、何が悪いの。どうしていまごろになってうちだけをいじめるの」 とほとんど抗議口調だったといいます。 この女性は自分の都合のよいことだけを本当と思い込み、不都合なことは無いことにして見ようとしません。いつの間にかウチの社に間違いがあるはずがないという自己正当化の罠にはまってしまったのです。 自分中心で生きている私のあり方を破るのが宗教のはたらきの一つです。ですから宗教を聞いていけば、他者からの批判に耳を傾けることができるよう、おのずとかたくなな私の心を開かせるはずなのですが。 |