榎本 栄一さん

                『難度海』樹心社

 
表紙

   光は

しぶとい
この頭がさがったら
浄土の光は
こんなところに


   現世功徳

南無阿弥陀如来は
私の底なしの
驕慢心を
毎日 照らしてくださる


   川の石

ながねん
流れの中で坐っているが
まだ カドが
丸くなりません


   終焉の地

私は何やら
うす濁りある
底辺で暮らしているが
ここが終焉の地になることを
ありがたく存じております


   仏の道

ふみはずしましたが
気がつけば
ここも仏の道でございました


  

いくら落ちこんでも
ここには少し
光がさしてくる


   きょうの花

同じように見えるが
きょう咲いた花は
きのう咲いた花と
同じでない


   無量寿

年とるにつれ
弱るにつれ
尽きぬいのちが
私の底から涌いているのを
いつしか拝むようになり


   こころの蛇

世の中を
あたまさげて
通りたいと願いながら
私のこころの蛇は
またしても鎌首をもたげる


   細い道

無理しないという細い道が
ようやくわかりかけた
然しまだときどき
ふみはずす


   お月さま

犬ねこよりも
退化した私の眼は
月照れば 草や木も見えるが
闇夜には何も見えませぬ


   わかめ

この朝のわかめ
海からここへくるまでに
いくにんの手がはたらいたか
ひとからひとへと


   いのちの海

生きとしいけるもの
ときにいさかいながらも
無辺の いのちの海
生かされており
この私も


   経文無尽

書かれざる お経が
私の日日をとり巻いており
南無と合掌していれば
少しずつ読めます
順逆の風がふいています


   愚に返る

ときにナンギにも合いながら
一日いちにちをあるき
もういくつ寝たらお正月


   ふり返る

ふり返れば
えんえんと幾山河
いまは ただかたじけなく


   寂光仏誕生

心くじけて落ちこみ
気がつけば
つっかい棒はずれており
寂(しず)かに光る命が
誕生しており


   石知らず

捨石は
世に役立っているのを
知らずに
捨石になっている


   凡下のまま

やはり私
悟りひらくのは
かの土(ど)へ行ってから
この土の悟りには
かすかに 慢心がのこる


   頂戴

私がまいにちいきるのに
どれだけ多くの
動物や植物のいのちを
頂戴していることか


   一人一道
 
人間はみな
たれも通ったことのない
自分が はじめて通る道を
一生かかってあるく


   虚仮去来

私のなかには
黒い煩悩の侏儒(こびと)がいて
踊りをはじめる
これはこれはと見ています
じゃまにはならず


   空くらく

しんぱいいらぬ
この雨は
なむあみだぶつ申していたら
通り雨やと
わかりました


   煩悩大道

ふと暗くなり
また日がさす
この道を
ただ いそがずやすまず
りきまずに


   独りよがり

小学生が自転車で
得意そうにジグザグ
私もこのようなことを
ふとしているのではないか
仏 照覧の世の中で


   ふりまわす

自力をふりまわしながら
他力を感じていたが
このごろそのふりわますのが
だいぶ下手になり


  

おのが愚をしるにつれて
ながねんの
私をふさぐかべが
いつしか
さわりにならず


   慈育日日

私のウヌボレを
気づかせる材料を
次からつぎへ
そっと並べてくださる
如来さま 無言のままで


  

日日のいろんな出来事は
この永劫の海の 寄せる波
どの波も
何かしみじみ尊くて