真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ


  
野田 正彰さん「遺された者の取り返しのつかない思い」
                        
 2015年3月28日

  1
 今日いただいたテーマは自責ということです。自死遺族の方が持つ自責の念を中心にお話ししたいと思います。

 こうした会で話し合いをされることで、自分の体験したこと、思い、悲しみなどが自分だけのものではないことに気づくと同時に、みんなそれぞれ違う考え方、感じ方をしているんだなと気づいてこられたと思います。

 典型的な取り返しのつかない思いというのは、「あの時こうしていればよかった」という悔いです。後悔の気持ちが自分の中に繰り返し起きてきます。こういう思いは亡くなった人と近い生活をしていた人に強いですね。

 しかし、家族が同じ思いを持つわけではありません。たとえば、子供を亡くしたお母さんが自分をずっと責めていることに対して、他の子供たちは「お母さんがいつまでもわけのわからんことを言ってる」と思ったりします。

 非合理的と思われる自責感があります。たとえば夫が自死したあと、「朝、出勤する時にとめておけばよかった」とか、「調子が悪そうだったから、行くなと言えばよかった」とか、「こうしていたら自死を止められたのに」という思いが起きて、自分を責める。これは客観的に見れば非合理的な自責感ですよね。

 ある程度、自分を責めるのもやむを得ないかなと思われる自責感もあります。「こんなことをしたいと言ってたのに、反対してさせなかった」とか、「もっと早く病院に連れて行けばよかった」とか、「キツいことを言ってしまった」といった、合理的な自責感まで大きな幅があります。

 いずれにしても特徴的なのは、過ぎたことを繰り返し繰り返し思い起こしては、「ああすればよかった」「こうしていればよかった」と自分を責める点です。

 一方でまったく自責感を持たない人がいますね。自責感を人に話さないだけかもしれませんけど。
 こういう事例があります。息子が自死した。大学院での担当教授がかなりえげつない人で、研究を阻害され、論文の作成ができなくて苦しんでいた。そのうち下宿にこもるようになり、そうして自ら命を絶ってしまった。

 多くの場合、子供の死は夫婦に大きな影響を与えます。看護の期間がしばらくあって、夫婦で協力している場合は、夫婦のつながりが強くなることもあります。

 だけど、夫は会社の仕事ばかりして、妻にあまり寄り添わなかったら、子供が亡くなってから夫婦の間に亀裂が生じてきます。

 阪神大震災のあと、子供を災害で亡くされたお母さんの会が東灘区で作られましたけど、2、3年後に離婚した人が30%を超えていましたね。特別に仲が悪かったわけではなくても、気持ちの上の齟齬が大きくなってということです。

 自責感を持たないように見える人もいます。心の中で抑圧して言葉にしないだけかもしれませんけど。

 大学院生の息子さんが自死した方は、ご主人は仕事を熱心にやっているけど、夫婦の間に気持ちの交流はあまりなかったです。お母さんは息子が亡くなって、大学院でつらい思いをしていたことを心配してきたけど、夫は全然話を聞いてくれなかった。すっかり口をきかないという状態になった。お母さんは、自分がもうちょっと息子に寄り添っていればよかったとか、「研究だけが人生じゃないよ」ということを強く言っておけばよかったと、ずっと自分を責められるわけです。

 お母さんは自責感を抱えてつらい思いをしている一方で、夫は息子が死んで何年にもなるのに、息子のことについて一言も言わない。お母さんは「あの人が涙を流すのを見たことがない」と言ってましたね。

 自責感というのは、自分では同じことをしゃべっているという意識はあまりないかもしれませんけど、「ああしていればよかった」といつも言っているのを聞いている家族としては、「また言ってる」とか「いつまでも言わなければいいのに」と思ったりして、そこに齟齬が生じます。

 事故で家族を亡くすと、多くの場合、子供を亡くしたお母さんですけど、その子への思いが強くなって、他の子供たちのことを気にかけなくなる傾向があります。そうなると、他の子供たちは「お母さんの子供はあの子だけではないのに、死んだ子のことばかり言っている。私はいてもいなくてもいいようにしか思われていない」と感じます。小さい子の場合、特にそういう気持ちを強く持つことがあります。このようにして親子、夫婦の感情がずれていくことがあります。

  2
 亡くなった人へ怒りを持つ人もいます。自死の会が全国にできることで、30年前、40年前に夫を亡くした人がどんな思いで生きてきたかをお聞きするようになりました。中には、自分を残して死んでいった配偶者に対し、「自分を見捨てた」と怒りを持っている方もおられます。

 ある方は「夫が自死して数十年経っているが、ずっと夫のことを許せないと思っている」と話されていました。「生きる気がないんなら、私と結婚することはなかった。約束が違う」と言われるんですね。「人生の苦楽を共にするはずだった。なのに、子供を残して勝手に死ぬとは何事だ」という思いを抱くわけです。

 怒りを持つのは自死ばかりではありません。長い間看病してきたけれども、わがままばかり言って、「ありがとう」のひと言もなく死んでいったと、わだかまりを持つ人がいます。「煙草をやめろと言ったのに、言うことを聞かないからガンになったんだ」とか、「さんざん注意したのに酒を飲み続けた」とかいった怒りを抱いたりもします。

  3
 自責感と故人への怒りは両極端に見えますけど、共通している面があると思われませんか。それは、自責感も怒りも亡くなった人への語りかけだということです。

 亡くなった人は消えたんですね。だから、自分のまわりにいる生きた人との会話をし、交流をすればいいようなもんですけど、それはせずに、亡くなった人とのみ会話をする。執拗に繰り返し自分を責め、あるいは怒り、そういう形で故人と対話をしていく。

 若くして子供を亡くした親と、中年になって夫なり妻を亡くした人、そして年がいってから家族を亡くした人、それぞれ死別をどのように感じるか、年齢による差があります。ありますけど、「ああすればよかった」「こうすればよかった」と思うことによって、故人に対して「私はあなたのことを思っているよ」というメッセージを常に送り続けています。だから、自責感が強い人は、亡くなった人への思いが持続している、感情が暖かい人だと言えるんでないでしょうか。

 自分の自責感を振り返って、ノートにでも書いて下さい。いろんな悔いがあるように思っていても、書いてみると、だいたい同じことだとわかります。10ぐらい書いたら、同じことを言っているんだなと認識するでしょう。故人に怒りを持っている人の話も聞いてみるといいと思います。怒りも亡くなった人との会話です。

 そこで何を言っているかということよりも、そういうことを繰り返すことによって、何年経っても故人のことを忘れずに思っている私がいるということです。私たちは心の中に何度も何度も故人を呼び起こし、そしていつまでも一緒に生きたいと思う。それが自責感なり怒りなのではないかと、私は思います。

 故人を一番親しく思っている人が、自分を責めながら、あるいは怒りながら故人と対話をしているという面を持っていると、いろんな人の話を聞いていて感じるわけです。私たちの亡くなった人への、死んだけれども一緒に生きていこうという、変な表現ですけど、心のあり方であると言える思います。

 4
 よく「いつまでもくよくよするな」とか「忘れたらいいんだ」とかですね、「別のことをしたら忘れられるよ」とか言ったり、勧めたりします。だけど私は、残された人が亡くなった人と対話するのは悪いことだとは思いません。

 社会は死者を忘れることを儀礼化し、制度化します。たとえば、仏教では命日や法事といった儀礼の時だけ故人を思い出し、儀式として制度化するシステムを持っています。

 これは文化によって違いがあります。インドのヒンズー教文化では、人の魂は輪廻すると考えられています。だから、ヒンズー教徒は家族が亡くなると火葬し、遺骨は川に流します。日本人からすると、いかにドライかを痛感します。彼らにとっては、故人の魂は向こうの世界に行って、生まれ変わっているわけです。遺体にこだわりません。

 キリスト教にしても、イスラムにしても、故人との関係を合理化して整理することをします。文化によって差があるということです。

 しかし、「忘れなさい」と言われるのを聞くと、遺族の人は内心に怒りを抱きます。忘れようと思っても忘れられるものでもないのに、そんなことを言うなんて、という怒りがあります。自分の気持ちとは違うということですね。

 遺族にとって、「自分が至らなかった」「ああしとけばよかった」と自分を責めるのは、故人に対して会話をしているんです。会話をするということは、亡くなったけれども一緒に生きているという面があるわけです。ですから、故人の顔や声を思い出せない、記憶が薄れるといったことで、また自分を責めます。忘れないことが大事になっているわけです。

 西田幾多郎という哲学者は、6歳の娘さんを亡くされた気持ちをこういうふうに書いています。
「人は死んだ者はいかにいっても還(かえ)らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。(略)折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である、死者に対しての心づくしである。この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである」

  5
 身近な方が亡くなって、その死を受け入れるまでのプロセスがあります。すべての人が典型的なプロセスをたどっているわけではありませんけど。

 最初はショック期です。家族が亡くなったと聞いて、みなさん大変なショックを受けます。突然の死ではもちろんのこと、ガンなどで死期を宣告されていても、「こんなに急だとは思わなかった。突然のことなので動転して」と言われますね。ただただどうしていいかわからない。

 これは生理的な変化が伴います。のどが詰まる。口が渇く。お腹が重くて、ものを食べる気にならない。逆にお腹がすく。いろんなことに関心がなくなってしまう。お風呂に入ったり、着替えるとかを気にかけなくなる。

 茫然自失します。しかし、本人は「頭がまっ白になって何も考えられなかった」とか「お葬式のことは全然覚えていない」と言ったりしますけど、実際はそれなりの行動をちゃんとしています。

 そして否認します。現実を認めない。死を否認する思いがいろいろ浮かんできます。遺体と直面しても、「これは嘘ではないか」とか「何かの間違いである」と考える。遠くを歩いている人が亡くなった人の後ろ姿に思えて、つい足を速めて、その人の前に立ったりする。家に帰ると妻が待っているんではないかと思う。

 何らかの形で現実を作り替えようとするわけです。巻き戻して、あり得なかったことにするということが、いろんな形で起こってきます。

 これは非合理的な思考だと自分でも分かっているんです。亡くなったことは理解しているんですけど、一方では認めることができなくて、いろんな思いが浮かんできます。これも自分の意思というより、こうすることで自分を守っているという面があるかもしれません。

 泣くことに対して自制心が強く働く人もいます。男性に多く見られます。泣いてはいけないんだと。
 しかし、泣くことはとても大切です。泣くことによって、大切な人の死を認め、自分の感情を表現すれば、いくらかでも早く立ち直ることが多いようです。

 それから、さまざまな形で怒りがこみ上げてきます。故人への怒りは先ほどお話ししましたけど、他罰と言われる、他者に向けての怒りも起きます。大学院生だった息子を追い詰めた教授が許せないとか。医者や看護師の場合もありますし、親戚が見舞いに来なかったとか、「無神経なことを言った」というので絶縁する人もいます。

 連れあいを亡くした人だと、夫婦そろって歩いているのを見て怒りを覚えたり、健康な人を見て恨めしく思ったりします。「自分は悪いことをしていないのに、何でこういう目に遭わないといけないのか」とか「神も仏もあるものか」という気持ちになることもあります。

 しかし、いくら現実を否認しても、怒っても、最愛の人がいなくなったという現実は変わらないわけです。事実として迫ってくるわけです。

 この間に多くの遺族は事務的なことに追われます。死亡届を出し、土地や家、銀行預金などの名義を変更し、保険や年金とかの手続きをしなければいけません。「悲しんでいる間がなかった」とよく聞きます。

 身近な人の死にショックを受け、現実を否認し、自らを責め、怒りや恨みを抱くといった過程を経た後、いろいろなことをやっても死者は帰ってこないことを受け入れるようになります。そういう中で、故人との対話が行われるわけです。

 その対話は「なぜ死んだの」「どこへ行ったの」といった柔らかい対話から始まって、時々自責感が入ったり、怒りが入ったりといったことを繰り返します。

 この時期がかなり続きます。人によるでしょうけど、半年とか一年ほど続いた後、故人との対話が形を取ってくるようになります。「息子はどんな思いで亡くなったのだろう」「夫はどんな思いで家族を残して逝ったんだろう」「私に何をしてほしいと願っているんだろうか」というふうに。

 こういうふうにして、人はゆっくりとした時間を経て、自分なりに故人との関わりを行なっていくようになります。

 6
 故人がどう思っていたか、何をしてほしいと願っているかを確かめることはできません。だけども、私はそれを「故人の遺志を聞く」という言葉で表しています。

 たとえば、80代のおじいさんとおばあさんが災害で子供夫婦と孫を失ったとします。みなさんはそういう時にどんな思いを持つと考えられますか。

 あるおばあさんは「自分の人生にはいいことはなかった。この年になって子供と孫が亡くなった。生きていても仕方ない。早く死にたい」と言うわけです。死にたいという思いが湧きながら、どうしていいかわからない。気持ちは行きつ戻りつします。

 こういう反応が一番多いのではないでしょうか。私はこういった方に、故人の思いを聞いていかなければいけないんだと伝えてきました。

 そのおばあさんは「子供夫婦や孫たちが死んで、自分のことを思いだしてくれる人が誰もいなくなった」となげくわけです。

 私が言ったことは、「子供と孫がこの世に生きていたことを示すのはあなたしかいないんだよ。あなたが少しでも長生きして、お墓にお参りしたりすることで、子供や孫がこの世に生まれて来て、そうして生きてきたことを忘れず、伝えていくことができるんだ」ということです。故人の遺志を聞きながら、故人と対話をしていく。

 おばあさんが「生きていても仕方ない」ともらすのは仕方ないと思えても、人は故人の遺志を聞くことができるわけですし、その遺志を受け止めていろんな活動をすることもできます。こういう死別の会にしても、自分の子供の死とか、夫の死を少しでも意味あらしめたいという思いがあるからこそ作られたんだと思います。

  7
 では、故人とどんなふうに対話をしていくか。私は遺族の方が少し落ちつかれた時、こういう話をします。

 亡くなった人のことを思い出す時、どんなふうに思い出していますか。顔だとか身体といったイメージが先に浮かぶでしょう。だけど、私たちが故人を思い出す時、視覚よりも声で呼び起こすほうがいい方法です。

 宗教でもそうなんですね。イメージはもちろんあります。イエスの像や仏像はありますが、口で仏や神の名前をとなえることを意識しなくてもやってます。「南無阿弥陀仏」と称えている時、必ずしも仏の像をイメージしているわけではないと思います。先に「南無阿弥陀仏」という言葉が出てきます。その中で自分の心が仏に帰依する状態に変わっていきます。

 だから、皆さんも「○○さん」「××ちゃん」と、亡くなった人の名前を呼びかけたらいいと思います。名前を呼んだ後に、その人のイメージが喚起されてきます。

  8
 自分の人生を故人と共に少しでも生き生きと生きるのが、残された人としての私たちの仕事であろうと思います。

 みなさんは「私だけ不当にも残されてしまった」「他の人は幸せに生きているのに」という思いがあるかもしれません。しかし、私たちは逝った人に対して生き残った者です。

 人生を振り返ってみたら、多くの人が亡くなっています。1940年代から考えますと、戦争で多くの人が亡くなられました。そのころに生きていたら、空襲などで死んだ可能性があります。戦後生まれの人も、親が戦争を生き延びたからこそ生まれることができたんです。戦争から生き残ったわけですよ。

 昭和20年代には多くの人が結核などの感染症で亡くなっています。みなさんは生き残った人たちです。高度経済成長の時代は競争が激しい社会になりました。1950年代から若い人の自死が増えています。身体が悪かったり、就職できなかったり、好きな人と一緒になれなかったりして、多くの若者が自ら命を絶ったんですよ。

 1960、70年代、そして90年前後は交通事故の死亡者が1万人を超えていました。
 80年代になって中高年の自死が多くなりました。50代、60代の男性が命を絶っています。多くは経済的なことが原因です。不況の中で耐えきれなくなった社会の悲鳴であったわけです。

 2003年に日本の死亡者数は100万人を超えました。2013年は約126万人と、10年間で死亡者数が25%も増えています。100人に1人が亡くなっているわけです。第二次世界大戦中、戦争で死んだ日本人は約310万人とされていますから、近年はいかに多くの人が亡くなっているかわかるでしょう。

 私たちは生き残った者として、少しでも自分自身が幸せに生きていく義務というか、仕事があると思います。亡くなった人と共に私は四季の移り変わりを味わうことはいいことだと思います。春になって光が明るくなり、花が芽吹いてきた。おいしいものを食べることに喜びを感じる。そういう形で亡くなった人と共に生きていく。

 ひょっとしたら、亡くなられた人が生きていたとしても、そんなに濃厚につき合っていたかどうか。大して会話もしていなかったかもしれません。亡くなったがゆえに、故人と共に生きていることができようになったとも言えます。人生の喜びを味わいながら日々を過ごしていくことが、亡くなった人にとっても喜ばしいことではないですか。

 そのうえで、亡くなった人の遺志を聞き取って、故人がこんな社会であってほしいという願いを生かしていくために、少しでも自分のできることをしていく。そうすることが故人と一緒に生きるということにつながるではないでしょうか。

 たとえば、自死についてはいろんな問題があります。自死者に対して日本の社会は残酷です。遺族は精神的にズタズタにされます。自死遺族会ができてから、今まで知られていなかったことがたくさん明らかになりました。

 警察の立場からすると、基本的に病院で医者が診た死でないかぎり、全部不審死として対応することになっています。犯罪の可能性をチェックする前提ですから、自死の場合だと検死が行われます。

 遺体が遺族に引き渡される際に、「検死料が○万円です。払わないと遺体をお渡しできません」という県もあります。遺体がコンクリートの上に置いてあって、裸のまま渡される県が多いと思われます。自死遺族会は「こういう心ないやり方はやめてほしい」と申し入れしていますが、それに答えようとはしていません。

 アパートで自死すると、膨大なお金を請求されることがあります。葬儀の席に管理会社がやって来て、「お祓い料を払え」「部屋と隣の部屋に人が入らなくなったから家賃三年分を払え」「入り手がいなくなったので家を建て替えないといけない。建築費を払え」などと、遺族に執拗に請求します。多くの家族は自死したことを隠そうとしますので、泣き寝入りして、黙って払います。私たちの社会が自死対策を言いながら、いかに残酷な社会かということです。

 お通夜の法話で、心ないことを言う坊さんがいます。私は京都仏教会で、「死に方によって差別しているのはおかしい」と話しましたら、京都仏教会は理解を示され、全日本仏教会に取り組みをするよう言われたので、私は全日仏に行きましたが、何もしません。

 国は自死対策で毎年200億円から300億円のお金を使っていますが、一向に自死は減りません。中高年の自死は減っていますけど、若い人の死が増えています。

 自死者の数が徐々に減ってきたのは、不況が落ちついたということと、消費者金融対策がようやく行われるようになったからだと思います。消費者金融、つまりサラ金を育てたのは大蔵省です。局長は退官したらサラ金の役員に天下りしていました。高金利のせいなのに、多重債務に陥る人が悪いんだとされていました。

 日本ではお金を借りた時に生命保険をかけさせます。そして、親族への連帯保証制度です。保証を公的に行うよう制度化すべきなのに、明治時代の民法のまま維持していまです。

 行き詰まった時に、親族に迷惑をかけたくない、せめて家族に家と土地を残したいというので、生命保険に入って自ら死んでしまう。これは日本が作っている制度です。

 ところが、「自殺はウツ病です」というキャンペーンをしています。医師の発想では、借金で行き詰まったとしても、身体が悪くなって困ったとしても、自殺の原因は違っていてさまざまな理由があっても、すべてウツ病のせいにしてしまうんです。そうして、「自殺はウツ病だからウツ病の薬を飲みましょう」と薬の宣伝をしています。これは妄想だと私は思うけど、それがマスコミに乗って、新聞とかテレビはその手の話をしているわけです。

 ウツ病の人が医療にかかっていなくて死んでいくんだと思われていますけど、実態は全然違います。自死者の85%は精神科に通っていて、大半の人は薬を飲みながら亡くなっています。

 2010年のウツ病患者は2000年に比べて3倍を超えています。病気はそんなに急激に増えるものではありません。病気が2倍とか3倍になることは強力な伝染病でないかぎりあり得ません。そんなに増えたのは診断基準がいい加減だということしか説明がつきません。

 ウツ病が3倍になったのに、薬は10倍になっています。2000年代の抗ウツ剤の売り上げは100億円ちょっとです。2010年には1100億を超える数字になっています。

 こうしたことをちょっとでも変えていく。それは難しいことですけど、自分のできる範囲で行動していく。

 自責感というのは故人とのつながりを維持するための思いであることを、みなさんの頭の片隅に入れておいて下さい。いただいたテーマについてはこういうことを話そうと思って来ました。どうもありがとうございました。