真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  佐賀枝 弘子さん「気がつけば み手の中」    
 1998年6月4日

 はじめまして。ご紹介いただきました佐賀枝でございます。こういう素晴らしい会に出さしていただきましたことを、大変喜んでおります。

 ここに仏旗がございまして、婦人講という字が見えます。講というのは、仏法を聞く集まりですね。蓮如上人の頃にも女人講などができていたようでございます。やはり女性の力というのは、昔から大きかったんではないかなあと思います。

 私は本職は坊守でございます。坊守というのは、お寺の中でお掃除をしたり、ご接待したり、といったことをしていますので、ここに立ちますのは特別なことで、話がへたくそかもわかりませんが、皆様方のお仲間だと思って、どうぞよろしくお願いいたします。

 開会式にお参りさせて下さいませとお願いいたしまして、ここに座らせていただいておりますと、合掌の時に皆様方のお念仏の声がこぼれました。これは大変うれしいことで、現代では珍しい、と申しますとおかしいんですけれども、ほんの一昔前までは、お念仏の声がお御堂に湧いたものです。この頃はそれが大変に少なくなってまいりました。これは一体どういう現象なのかなあと思っております。
 ここではちゃんとお念仏の声が聞こえまして、さすがに安芸門徒と言われる土徳の土地でいらっしゃるなあと思いました。土徳、大地の中にまでしみとおっているお念仏の徳の所に、皆様方がお生まれになり、お育ちになって、今日をお迎えになっていらっしゃる、その結果だなあと思うわけでございます。

 今年は蓮如上人の五百回忌を迎えました。考えてみますと、一口に五百年と申しますが、私ども代々の先祖のことを申しますと、一代三十年としまして、五百年だと十五代から十七代になるわけでございます。五百年前に蓮如上人がわらじの痕が足にくい込むほどのご苦労をなさいまして、あちこちにまかれましたお念仏の種が広がって、そして五百年間続いてきた。そういう結果を、あらためて思わさせていただかなければならない今年でなかろうかと、思っております。
 先ほど申しました講も、親鸞聖人の当時からございました。七百五十年も前からの伝統的な集まりであることを思いながら、仏教婦人会の大会を意義あるものだなあと思わせていただいております。

 土徳とはご遺徳と申してもいいかなと思うんです。先祖代々が残して下さった徳が、ずっと伝わってきた。
 ちょっと考えてみても下さいませ。皆様方はお念仏の声の中にお生まれになったと申しましたが、きっとお母さんのおなかの中から聞いていらしたんだろうと思うんです。胎児は十カ月おなかの中におりますが、お母さんの心臓の音を聞いています。胎教ということが言われます。モーツァルトの音楽がいいとか言われますね。お念仏の声だっていいと思うんですよ。私たちは幸せな御縁をいただきまして、母親のおなかの中にいる時から、お念仏の声を聞いていた。お仏壇を開いてチーンと鳴らされるかねの音も、生まれる前から聞いていたんでないかと思います。そのようにして生まれてき、育てられて、朝夕にみんなそろってお念仏をする生活の中で育てられて、今日を迎えているのでございます。

 香樹院徳竜という、江戸末期の有名なご講師がおられます。その方が、
もし私の口に一言のお念仏がもれたならば、私が称えたと思ってはいかん。これは世々生々、代々の先達の方々がどうぞ称えてくれよとの願いがこめられている、その願いからようやく私の口に一言のお念仏が出てきたんだと思ってくれよ
という言葉を残しておられます。

 決して私一人が信心をいただいて、立派になってお念仏を称えているのではない、ということを思わせられる五百回忌でございます。蓮如上人を思い浮かべながら、いろんなことを考えていきたいと思います。
 『気がつけば、み手の中』という題で皆様方は、ああ、そうか、そういう話かと思っていただけるかと思うんですが、要するに私たちは気がつけばみ手の中なんですね。それにいつも気がつかない私があるということを、常に学ばしていただき、思い出さしていただかねばならないなあと思うわけでございます。

 蓮如上人のことをちょっと申し上げます。蓮如上人のお徳がずっと染みわたって、今日に到っていると申しましたが、もちろん蓮如上人のお念仏も、またずっと先々からのお徳の所から生まれられたのでございました。
 一番直接には、皆様もよくご存じの、6才の時に立ち去って行かれたお母さんが、どういうお言葉を残されたかというと、
「児の御一代に聖人の御一流を再興したまえ」
と、おっしゃって姿を消されたということです。五木寛之さんは、
「親鸞さまについておゆき。そして、一生かけてお念仏を世間に広めるのですよ」
と、現代の言葉でおっしゃって下さっています。

 数え年6才の坊やですよ。こんな難しい言葉がわかったのでしょうか。私のお友達は自分の孫がちょうど6才だったものですから、このように言ってみたら、きょとんとして「何のこと」と申したそうです。「うちの子はあかんわ、蓮如上人と違うわ」と言って笑っていましたけれども。
 わかりませんよね。聖人の御一流なんて、五つや六つの子にわかるはずがない。けれども、このお母さまはしっかりと、
「あなたの御一代の間に聖人の御一流を再興して下さいよ」
というお言葉を残されたわけでございます。その時、聖人がどなたであるのやら、あるいはそれは親鸞聖人とご存じだったかもわかりませんが、再興するとはどういうことなのか、おそらく蓮如上人はお分かりにならなかったでしょう。
 けれども、そのお言葉はちゃんと六才の幼い耳に、あるいは胸と言ったらいいでしょうか、お母さまの遺言として残って、それはいつでも蓮如上人の問題になっていたと思うんです。私の一代にせねばならないことがある。それは聖人の御一流を再興することなんだと。

 では聖人の御一流とは何だろうということで、得度(僧侶になること)なさいましたのが17才の時です。それから43才で御門首になられるまでの長い長い青春を、本当にひたすら聖人の御一流の学問をなさった。晩年は、
「本尊は掛け破れ、聖教は読み破れ」
とおっしゃったぐらいに、お聖教を読み破られたそうです。

 読み破ると言いましても、昔のお聖教はみんな書き写さなければなりません。大事な本は全部写しでございます。印刷が発達して、いくらでも本屋に並んでいるというような現代とは違いますね。どこどこにこういう経典があるとわかると、そこに尋ねて行って写させてもらう。たまに印刷はあったんですが、そのころに親鸞聖人のご著作が印刷されて出回っていたとは思われませんので、おそらく書き写されて、ご勉強されたんだろうと思います。
 読み破るほどにまで、そういうお勉強をなさいまして、43才で八代のご門首を継がれますと、85才で亡くなられるまで、本当に真宗を再興して、御一流をはっきりと打ち立てて広めるために、身を粉にしてお働きになったわけでございます。

 先ほども申しましたように、晩年にわしの足にこんな痕があるが、これはワラジの痕だよとお見せになったことが『御一代記聞書』に載っております。それほどまでにあちこち動きまわって、ご布教なさったということでございます。

 なさったお仕事の大きさを数え上げますとキリはございませんが、かなめの所を申し上げますと、第一は天台宗の末寺であった本願寺を、はっきりとした浄土真宗の本願寺になさったことです。

 私は初めは知りませんで、蓮如上人が布教をなさって、だんだん大きく広がっていくのを、比叡山が妬んで攻撃したのかと思っておりました。そうではございません。はじめ覚信尼さまがおとうさまの親鸞聖人の御廟を守らせて下さいと土地を寄進され、お墓を建てられ、ここを代々守るののは私の縁続きの者にして下さいということで、留守職ができまして、それが御門首になっていくわけです。

 覚如上人の時に、ただのお墓では頼りないというので、本願寺というお寺をお建てになった。ところが天台宗の末寺だったんです。というのも、親鸞聖人たちは青蓮院で得度をなさっていますから、本願寺は天台宗の末寺なわけです。今みたいに文部省の書類を何通か出しますと、よろしいとハンコが押されて許可になって、お寺が建つという簡単なものではなかったようでございます。

 蓮如上人は青春の間に、しっかりと親鸞聖人の御一流を学ばれました。そして気がつかれますと、おまいりするのは阿弥陀如来ではなく、あげるお経も『浄土三部経』ではなく、天台宗の作法にのっとったお勤めをしている。これはおかしいじゃないかと、まず思われたわけです。

 そして、本願寺八代目を継がれますと、それらを全部やめておしまいになった。それは天台宗からの離脱と言いますか、末寺ではないことを公言したようなものです。ですから、末寺銭という比叡山に納めるお金も納めない。そういうことで比叡山が怒ったみたいなんです。末寺が勝手にそういうことをしていいのかなどと、色々言ってきたので、初めは少しはお金を出しておこうかとかあったようですが、最後は頑としてお聞きにならないので、比叡山の山法師が本願寺を破却したということでございます。

 それに対して、蓮如上人は親鸞聖人のお木像をお持ちになって、三井寺へ逃れたり、堅田へ逃れたり、あちこちされました。そして北陸の吉崎へまいられ、やがて大阪に移られたりされたのです。そして67才で山科に本願寺をお造りになるまで、本当に転々となさった。といって逃げ歩いてばかりいたのではなくて、行く先々でしっかり御布教をなさって、お念仏の種まきをなさったわけでございます。

 蓮如上人の一番大きなお仕事は、いま述べた天台宗からの独立でございます。第二は『御文』をお書きになったことです。『御文』とは主にお講に対してお書きになったお手紙でございます。お西では『御文章』と申します。
 お講に対して書かれたということは、お講があちこちにできていったということでございます。

 私の友だちが新潟の直江津におりまして、遊びに行ったことがございます。ちょうどお講の日でございました。お経がすみますと『御文』があがりますね。皆様方の『御文』のイメージは黒表紙の印刷されたものでしょう。私が伺ったそのお寺は、ご院主さまが細長い巻物の塗箱を持って下りていらっしゃった。あら、ちょっと変わっているなと思って、伸び上がって拝見しておりましたら、その巻物を開かれてですね、読んでいかれるわけです。これが聞いたこともない『御文』でございました。後でお尋ねいたしますと、『御文』の五帖目の何通目かとよく似ているということでございました。

 『御文』は全部で二百何十通かあります。それを整理いたしまして、八十通を『五帖御文』として下さいました。それを私どもに聞かしていただいているわけです。そのようにして、『御文』が流布されたわけでございます。

 そのお寺では、『御文』をお読みになり、「あなかしこ、あなかしこ」、そして蓮如花押とありまして、そのお寺の名前が信光寺ですから「信光寺夷浜講中へ」と宛名が書いてありました。
「はあ、お宅は古いお寺なんですね」
 五百年以上前の蓮如さまの時にすでにお寺があって、そのお講がもうできていたわけです。お講ができましたというお届けが、たぶんあったんでしょう。そうしましたら、そのお講宛の『御文』がちゃんと来ている。歴史の中の出来事を拝見したような感じがいたしまして、私は大変に感動いたしました。
 後から、おそるおそる近づいて見せていただいたんです。そうしますと、もう一通あるんです。お講がいくつもあったんですね。今月のお講はこちら、来月のお講はそちらというふうにですね。なんとか村のお講にも『御文』が来ているそうです。

 私の家に帰りまして、
「うちにはそういう『御文』はないんですか」
と尋ねました。うちは火事で焼けていますから、ないのはわかっておりますが、そういう『御文』があったのを聞いたことがありますかと、住職に聞きますと、
「いや、うちの寺は四百五十年しか経っていないから、蓮如さまの『御文』なんか来るはずがない」
ということでございました。なるほど、そうすると直の『御文』というものは大変なものなんだなあと、思い返したことでございます。

 ところがお手紙と申しましても、『御文』には決して季節の挨拶が書いてあるわけではない。みんなは元気かなと書いてあるわけではない。初めっからバンと大事なことだけが書いてあります。
「末代無知の在家止住の男女たらんともがらは」
と、ご信心のことだけ、お念仏を称えよということだけ。そういう『御文』をお講宛にお出しになったわけでございます。

 『御文』をいただいたお講は、集まりのたびに、その『御文』を回し読みしたり、あるいは代表が読まれて、蓮如さまからこういうお言葉をいただいているよと、毎月毎月ご信心を確認しあっていかれたということが、まざまざと目に見えるようでございます。そして蓮如上人のお声に従いながら、信心の溝さらえをしたのです。

 また「ものを言え、ものを言え」とおっしゃった。講の時に『御文』を読み、私の信心はこうでございますとか、ここの所がよくわかりませんが、どういうふうにしたらいいでしょうかというふうに、先輩の人に聞きあったり、みんなで座談をしあったりという形で、お講が続いてきた。それは結局何が続いてきたかと申しますと、ご信心の伝統が続いてきたわけだと思うんです。そのような伝統が全国津々浦々に行き渡りました。

 蓮如上人五百回忌法要が行われていました時に、京都でタクシーに乗りましたら、道路がずいぶんと混んでおりまして、運転手さんが、
「さすがに本願寺さんは全国区ですね」
とおっしゃいました。
「そりゃそうですよ、蓮如さまですから」
と私が知ったかぶりをして答えたんです。

 別のタクシーで運転手さんが、
「ああ本願寺さんは大変な人出ですな。本願寺さんはいいこと言やはるんやねえ。私はいつやら話を聞いてから、本願寺さんの前をただでは通らんことにしてるんや」
と言われる。若い方なんですよ。
「そうですか。どんないいお話を聞いたの」
と尋ねますと、
「いただきますという言葉は、ただ事でない言葉やったなあ」
と言われるんです。
「いやあ、ぼくはただ、形でいただきますと思っていたけど、ありゃあ、すべての命をいただいているという、お礼の言葉やったんやねえ。わしゃ知らなんで、それを聞いてから、本願寺さんの前は車でどう走っていても、頭さげて通っとるんや」
「そりゃいいこと聞かれましたね」
というお話をしたわけです。

 本当に全国津々浦々までに、お念仏の声が広がったんだなあと、そしてただ広がったんじゃなくて、五百年ずっと続いてきたんだなあということが、ひしひしと感じられる蓮如上人のご遠忌でございました。

 さて『御文』とお講はセットになって、それで組織的にと申しますか、力強く広がっていったわけでございます。

 蓮如上人の第三番目のお仕事として、皆様が先ほど唱和なさいました『正信偈』、その後の念仏とご和讃。そのような形で毎朝毎夕お勤めをして、私ども慣れ親しんでいるわけでございます。それをお決め下さったのが、蓮如上人でございます。
 このことも今回のご遠忌で教えていただきました。それまでは親鸞聖人の『正信偈』なんだ、親鸞聖人のお言葉を聞いているんだと思っておりました。

 『正信念仏偈』、信心とお念仏を讃える歌です。親鸞聖人の『教行信証』の中にございます。『教行信証』はうちの住職も勉強会で読んだけれども、何のことやらわからんわい、という一言につきるほど難しい。まして、それのどこが大事なのかわかりません。ですから、その中から『正信偈』を取り出してくることなど、おそらくできないでしょう。
 それを蓮如上人が親鸞聖人の教えをしっかり学んで下さったおかげで、ここが要なんだと、これを皆さんの生活の中に入れていこうとお決めになりましてですね、しかもただ大事なんだから読みなさいというだけでなく、節を付けて朝夕のお勤めにこれをやりましょうと決めて下さって、生活の中に入れて下さった。

 吉崎では『正信偈』とご和讃の開版、版木をお作りになって印刷されて、お参りになった方々にお配りになったようでございます。それを持ち帰った方はお講の時にお稽古したり、おうちで朝夕お勤めしたりされたわけです。朝に晩に『正信偈』のお勤めの声が流れるようになったのは、その時からだそうです。

 そのようにして親鸞聖人に遇わせてくださったわけでございます。そういうお仕事をなさった。親鸞聖人への道をつけて下さったという意味で、大変大きなお仕事だったと思うわけでございます。おかげさまで、蓮如上人が『正信偈』、真宗の一番大事な教えの要のところを朝晩に拝読させていただけるという、御縁を作って下さったのでございます。

 蓮如上人は85才のご一生を、御一流を再興するために、汗を流し、血を流してご苦労なさって、今日の私どもにお念仏を伝えて下さった、そういう方といただかねばならないと思います。

 亡くなられた司馬遼太郎さんが、蓮如さんはただ教えをわかりやすく説いた、ということだけで評価してはいかんと言われました。生活の中に様式として、お勤めの形として残して下さった。これは大きなことですよ。一つの文化を伝えたことです。生活の形を文化と呼ぶならば、文化を伝えたことになるでしょう、と。
 おあさじをしてから朝ごはんをいただく、食べる時にいただきますをして、命をいただきますの思いをこめる。生活の中に、形としてお念仏が入ってくるようにして下さった。
 これは大きなお仕事ですと、司馬遼太郎さんがおっしゃっておられまして、なるほどなあと思ったことでございます。

 そういう大きなお仕事をなさって、お念仏を私たちの生活にとけ込ませて下さった蓮如上人は、何を一番要とおっしゃったかと申しますと、
「聖人一流のご勧化のおもむきは、信心をもって本とせられそうろう」
 本とは根本ですね。一番大事なことはご信心ですよとおっしゃっているわけです。この『御文』は、親鸞聖人が『教行信証』で信心為本とおっしゃっておられることと、呼応しているかのような文章であることが、意味深いのではなかろうかと思います。信心為本ということを、室町時代の現代語で、聖人のお勧めになっている根本は信心でありますよと、はっきりおっしゃって下さったのが蓮如上人でございます。

 今日は信心についてお話したいなあと思うんですが、信心とはこういうことですよという学問的なことは、私にはわかりません。けれども、信心とは感覚で申しますと、いただくものなんでしょう。

 信心獲得という言葉があります。いただくというよりも、つかみ取ると書きます。けれども、これはしっかりいただくという意味で、お使いになったんだろうと思います。

 
ほっと気がついた時は、まわりは全部おかげさまでと。そのおかげで私はご信心の中だった。ああ、仏さまのおかげだったんだなと気がついた時が、私はご信心に目覚めた時だろうと。すでにいただいていたんだなあと。
 私が何かいいことをする。毎日お念仏を称えるとか、朝晩のお給仕をきちんとするとか、一日一善、今日は小さな親切だけどしましたとか。そういうことを重ねて、私の心がきれいになって、だんだん進んでいくうちに、ご信心をいただけた、ぱっと開けきた。そういうことではないんですね。

 そういうことだったら、私はちょっとできかねると思います。阿弥陀さまの光りがみんな降り注いでいるんだよと教えられて、本当にそうだなあ、とうなづく時には、私は照らされいると気づく時には、一つとして私の力でしていくような力を持っている人間でないなあ、という目覚めがあるわけでございます。

 だから、いいことして、これだけのことを積み重ねてから、信心をいただきなさい、そうでなかったら信心はいただけませんよ、とおっしゃるようなご信心なら、我々にはないだろうと思います。
 もうすでにして、全くいっぱいあふれているご信心と言いますか、それは如来さま側から言えば、ご本願でございますが、ご本願の中にもうすでに私がいたんだなあと。生かさせてもらっていながら、気がつかなかったなあという目覚めが、ご信心だろうと思うんです。

 獲得というのは私がつかむというような感じですけれども、そうではなくて、はっと気がついてみれば、本願力の中に今まで生かさしていただいていたんだな、そのことが私にはわからなかったんだなあ、という目覚めだと思うんですね。それで『気がつけばみ手の中』という講題を出さしていただいたんです。気がつけばと申しましたが、ではどういうふうにして気がつくのでしょうか。

 光がいつでもさしている。理屈っぽく申しましたら、『正信偈』の中に、
「普放無量無辺光、無碍無対光炎王、
 清浄歓喜智慧光、不断難思無称光、
 超日月光照塵刹」
(あまねく無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放って塵刹を照らす)
と、十二の光の仏さまの名前が出てまいります。

 清浄光とは、私の欲張りの心を除くんです。仏さまの清浄な光が私に当たると、私の中の絶えることなくわき起こってくる貪欲(むさぼり)の心を除くと。
 それから歓喜光は喜びの光ですから、私の中の瞋恚、怒りの心を除くんだと。
 そして智慧光は愚痴ですね、愚かな心を目覚めさせてくれるんだと。

 こういうふうに、煩悩を除くんだと書いてあるんですが、なくなりません。なくするのではなくて、目覚めさせてくれる。むしろ、それをはっきりさせてくれる。私の中に、これほどわき起こってくる欲があるではないか、わき起こってくる腹立ちがあるではないか、私という人間はこれだけ愚かな者であったなと。

 現代の人はみんな賢いですね。私は高学歴社会になったことと、お念仏の声が小さくなったこととは、なんか関係があるんじゃないかと思うんですが、みんな賢いです。小さい時から、しっかり勉強しなさい、いい学校に行きなさい、というふうにやっていきますと、私は立派な人間になりましたという思いがありますから、みんな賢いです。世の中を渡って行くのに賢くなっております。皆さん、そう思われません?

 私はしっかりと家を守ってきた。私はしっかりと子育てをしてきた。お仕事もちゃんとこなしてきた。お勤めをした時も、家庭と仕事を両立させて、私がしっかり守ってきた。そういう気持ちがどこかにあるでしょう。
 私がそうでした。なんで私だけがこんなに苦労するんだろうか。みんな、のほほんとやっているのに。私はこの家で縁の下の力持ちになって、見えない所で一生懸命に頑張っているから、家が保っているんだ。こう思いましてね。一生懸命草取りするのが喜びでなくて、なんで私はこんな裏仕事ばかりしているんだろうかと。

 せっかくお寺で法要が勤まっているのに、せめてお説教だけでもお聴聞したいのに、お客さんの食事の心配をせんならん。そして、たまたまお参りしますと、台所の準備が整っているかしらとか、そういうことばっかり気になるんです。おまかせして心配せんでもいいのにね。お茶のポットが十個と言っているけれど、足りないかしら、今日は大勢見えてるからとか。話なんかなんにも聞いていない。それなのに私が気配りしているから、今日の会が無事終わったと思う。

 これはおごりでしょうか、欲でしょうか。そんな気持ちがいっぱいありますでしょう。私は賢いんだ、私はしっかりやっているんだという気持ちを、そうではないよと、思い起こさせてくれる。欲の心を除くのではなく、欲だらけではないか、お前はしっかり者だと言われたいばかりに頑張っているだけではないか。その仕事を私の責任でやっていると思いこんでいること自体がおかしいんじゃないかと。

 私はある先生から、
「奥さん、あんたの顔はお念仏を喜んどらん顔じゃ」
と言われたことがあります。
「いらっしゃいませ」
とご挨拶にまいりますと、
「喜んどるかな」
と言われ、びっくりするんです。すると、
「ひとつも喜んどらん。忙しい、忙しいでたまらんと不足そうな顔をしとる」
「わかりますか」
「わかる、わかる。不足たらたらの毎日を過ごしとるんじゃろう。それはお念仏を喜んどらんということじゃ」
「だって忙しいんです」
「その忙しい仕事は、あんたに回ってきて、あんたはさせてもろうとると、なんで思われんか」
「だって、させてもらってるなんて思われませんわ」
「それがお念仏を喜んどらん証拠じゃ」
と言われましてね。よく叱られました。

 そういう
自分の思いとは別の光に当てられる。これが仏さまの光なんですね。苦しいことが除かれるとか、イヤな思いがなくなるとかじゃないんです
 イヤなことをイヤだなあと思っているお前、それは自分が楽したいとか、自分だけいい顔してみたいとか、お説教聞きたいなんていいこと言っているけど、楽したいだけじゃないか、自分がいただいている御縁を、ちっともありがとうございますと受け取っていない証拠じゃないか。こういうふうに、自分の心の中を整理して下さる。これが仏さまの光なわけでございます。

 理屈としては、清浄光が私の欲を照らすと言います。「智慧は光」という表現はわかりやすいですね。暗いと見えませんが、明るくするとよく見えるという意味から、光という表現なんでしょう。けれども具体的には、教えを聞くことでございます。言葉として教えを聞くことです。お前は今腹立ちいっぱいの心だろうという言葉を聞くことですね。それが教えを聞くこと、光に照らされることなんです。
 そのように聞かされますと、あら、そういえば私は全然喜んで毎日の日暮らしをしていなかったと。どうして喜ばなければならないんだろうと思いますよ。これだけイヤなこといっぱい起こってきて、それこそ他の人だったらと。

 北陸は真宗の地盤だと言いながら、おかしなことが続きますと、見てもらわんならんと、見てもらいに行くんですね。そうしますと、法事をしなさいと言われたからお寺に来ましたと。そんなんで法事せんでもいいですがね、と言いたくなります。先祖が落ちついとらんとか言われたんですね。 そういう気持ちがあるわけです。イヤなものはあっち行って下さい、福だけが来て下さい。福は内、鬼は外の気持ちが、誰にでもありましてね、そして苦労がいっぱい重なってくると、なんかおかしなものがついているんでないかとか、どうやってそれを落としたらいいだろうかとなる。そういった発想が、私たち世間の発想なんです。

 仏教の勉強をする若い方の集まりの時に、浄土真宗はどうして反対の発想をするんですか、浄土真宗の方がおかしいんじゃないんですか、と言った人がいました。
「だって私たちが求めているのは幸せでしょう。幸せになりたい。家の中が平和で仲良く暮らしたい。そういうことを求めているんですけどれも、お前は心の中が汚いとか、不幸せを敢然と受けていけとかいう教えにどうしてなるんですか。これはおかしいんじゃないですか」
と言われましてね。

私はドキッとして、どうしようと思ったんです。皆さん、お答えになれますか。私はまだ若かったですから、ドキッとしまして、どうしようかなあと思って、それで先生に聞きました。
 そうしたら、お釈迦様が悟りを開かれた後、しばらくはじっと座っておいでだったことをお話になりました。お釈迦様はなにもお説きにならないで、悟りの境地を楽しんでおられたのです。その時のことは梵天勧請という形で説かれています。梵天という仏教の守護神がお釈迦様に、
「どうぞお悟りの内容をみんなに公開して下さい。せっかくのお悟りをご自分の心にしまっておられるのは、私たちにとって不幸せですから、どうぞお聞かせ下さい」
と申し上げますと、
「私の悟りの内容は世の中の流れと逆だから、話してもわからないと思う」
とおっしゃったそうです。その時に梵天は、
「そうおっっしゃらずに、とにかくお言葉にしてみんなに聞かせていただけば、百人に一人、千人に一人が、そのお言葉によって目が開かれるかもわかりません。あるいは、聞いた人の目が開かれなくとも、百年後に一人、千年後に一人の目が開かれるかもしれません。どうぞお悟りの内容を言葉にして残して下さい。みんなに聞かせて下さい。それはやがて目覚める人を生み出すでしょう。どうぞお願いします」
と、繰り返しお願いをされて、それでお釈迦様は教えを説かれはじめたということです。こういう話を先生はされました。

 ということは、
仏教は世間の生き方と逆の方向の考え方だということがわかります。ですから救われるんです

 世間と同じ生き方をしていたら、いつまでたっても、私は幸せになりたい、幸せになるために病気にならないように、家内が安全でありますように、繁昌しますようにと。
 いっぱいお守りがありますね。どこやらの宗派のチラシに、家内安全から始まって交通安全まで十いくつの項目がありました。そのためのご祈願をいたしますので、どなたでもどうぞと書いてありました。やっぱり、ああいう所に行きたくなるんですね、不幸せが続きますと。

 ところが仏教、特に真宗では、そういう不幸もいただいたものなんだ、だからそれに立ち向かっていきましょうと。それが信心をいただいた姿であり、お念仏の生活ですね。そういうことが根本であると、親鸞聖人や蓮如上人は繰り返しおっしゃって下さったんです。

 私たちはとかくお念仏を自分に都合のいいように解釈しましてね、お念仏を称えるといいことがあるんじゃないかとか、そこまでいかなくても、お念仏を称えると私が少しでもきれいになるんじゃないかとかいうふうに思うんです。

 私も昔に、念仏を称えればきれいになるんじゃないかと思いまして、主人に聞いたことがございます。
「お念仏を称えよと、今日の先生もおっしゃったけれど、お念仏を称えるとなんかいいことがありますか」
 すると、
「なんてことを言うんや」
と言われました。
「いいこととは申しませんけど、私は変わりますよね。ご信心いただくと、私は変わるんでしょうね」
と言ったら、
「変わらんよ」
「えっ、じゃ何のために称えるわけ」
とびっくりして言ったんです。なんか変わらなければ嘘だ、変わるべきだ、というふうに理屈をふっかけていきましたら、夫が笑い飛ばして、
「お前、いくつになったんじゃ」
と言いました。四十歳になっていましたかねえ。
「よう生きてきたなあ。仏法にご縁の深い生き方しながら、まだそんなこと言うてる。わしゃ、こういう人を奥さんにしたんかと思うと、ぞっとする」
「そしたらどうしたらいんですか」
「まあ、お念仏称えるこっちゃな」

 だって称えてもわからんから聞いているんです。称えても称えても心はきれいにならないし、腹の立つのは相変わらずだし、これはいけませんと思って、お御堂で一生懸命お勤めをしまして、その後に、今日はこれに腹が立ってとか、これどうしていいかわかりませんとか、グダグダ仏さまにグチをこぼしまして、何とかならないかしら、南無阿弥陀仏、と言っているんです。
 ところが、そういう段階じゃなかろうがと。全然違うと。だったら違うところを言って下さいと聞いているのに、称えるしかないがなと申しまして、突き放されました。非常に冷たい先達でありました。

 それから偉い先生がお見えになりました時に質問しました。お念仏を称えるとなんかありますかとか、ご信心いただくと私は変わりますかといった、非常に単純な質問をいたしました。
「変わりませんよ」
 あら、そうですかと、がっかりしました。
「お念仏を称えても駄目でしょうか。でもお念仏を称えるとなんかあると思いますが」
「黙って称えなさい。わかってくるまで称えなさい。あんた、いくつかね」
 その頃、五十歳くらいでした。
「ああ、まだ幼稚園前だ」
と、おっしゃったもんですから、「はあ」と言いました。これからでも間に合うのかなあと思ったことがございます。

 私はやっとそれぐらいから、お念仏とは何だろう、お念仏を称えるとどうなるんだろう、ということを考えだしたわけでございます。人生五十年と言いますから、明日はもうないのかしらと思った頃から、お念仏を称えると本当に安心できるんだったらいいけれど、ちっとも安心できないわ、という現実にぶつかったような感じがいたします。

  (休憩) 
 
 午前のお話の中で、ご信心をいただくということは、阿弥陀様の光の中に立っていることを気づかさせていただくことだと申しました。そして、その光というのは、光として私のところへ届いて下さるのではなくて、具体的には言葉として届いてくるわけです。

 聞法において、教えを聞くことの中で、ああ、そうだったのかと、うなずいていくこと、これが光をいただくということでございましょう。

 象徴的に言えば、目が開かれていくことは、暗い所から光の中に出ていくことでございましょうから、その光を受けて育てられるというふうに、たとえてあるのだと思います。そして、阿弥陀様の光は智慧の光でございますから、光というのが一番ぴったりするわけですね。
 そしてその光を受けまして、つまり
教えを聞きまして、どうなるかと申しますと、私自身が明らかになる、ということですね。私自身の中の、底の底までが明らかになっていく。いい人間みたいな顔をしているけれども、皮をはいでみるといいところなんかよりは、はるかにややこしいところの多い私であったと。

 深層心理学では、意識の深い所に私を動かしているものがあると言われています。小さな時に心に傷を持ったのが、大きくなって病気として出てきたりすることがあるそうです。
 そういう深層心理学は、仏教では二千年前からちゃんと説かれています。意識の中にはいくつかの層があり、見たり聞いたり思ったりすることを動かしている層が深い所にあるんだ、それは私たちの意識を超えたものだから、どうしようもないわけです。それのまだ下に何層かあります。

 榎本栄一さんに、
私の心の井戸を ほって ほって 進んでいくと
 とうとう 阿弥陀さまに ぶちあたった

という詩がございます。
 一番深い底の所に、もしかしたら阿弥陀さまがいらっしょるのかもしれないという発想も出てくるわけです。そういう心の深い所を、仏教は唯識として教えて下さるわけです。

 私どもは仏教の教えに照らされまして、私どもがわからない深い所までを教えていただくわけでございます。そしてつづめて言いますと、明らかになってくる姿は、凡夫でございます。
 凡夫という言葉で象徴されますように、よく教えを聞いてみると、無始曠劫の昔から、私は絶えず流転している。流転というのは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)を輪廻することです。光の中にいることができなくて、いつも無明の闇の中をさまよいながら、六道をグルグルさまよっていて、ついに六道の迷いの中から出ることがないほどの、深い宿業を背負った私である。それほど私の煩悩は底が深くて、五十年の人生の間にちょっとした修行をしてみたり、心を清めようとしても、間に合わないほどの、深くて長い迷いの歴史を持った私でありましたという自覚、そういう凡夫であると私を教えて下さる。

 そんなの別に教えていただかんでもええわと、思いたくなるんですが、仏教はまずそれを教えて下さって、私の心の底の底までを見せて下さる。

 そうしたら、まるで突き放したようなもんなんですが、おまえはもう人間でないんだよと、こんなドロドロの凡夫なんだよと、突き放されたような感じなんです。非常に立派で賢い人であるならば、こういう修行をして悟りなさいと示された、悟りへ到る道を歩めるんですが、そうした凡夫であるからして、私どもには修行とか戒律を守るとか、そういうことでは追いつかないんだと、とてもできませんと。

 そういうような私どもに、阿弥陀如来は聞と信という手だてを与えて下さったのです。しっかりと私の名を聞いて、私の本願を信じて、私について来てくれと呼びかけて下さって、そして私どもの長い迷い、無明の世界から目覚める方法をお考え下さったのが、法蔵菩薩のご本願でございます。
 四十八願ございます本願をつづめて言えば、十方衆生を一人残さず救おうということでございます。救うと申しますと、大きな手を広げて、すうっとすくって、そのままお浄土へ運んで下さるというイメージでとらえやすいんですが、そうではないんです。

 私自身がどうにもならぬ凡夫でございましたということを見開かせて下さるわけです。しかし、なおこんな凡夫でありながら、目が開かれる道はあるよと、それは私がついているからだよと、絶えざるみ教えを私どもに注いで下さるわけでございます。そして、必ず目覚めるのだと、必ず目覚めてくれよと、必ず目覚めることができるのだということを、初めにきちんとおっしゃって下さることも、聞法の中で教えられていくことでございます。

 私自身はどうにもしようのない人間であることの裏側には、その私をも決して捨てないというご本願が、裏に張り付けてあるということでございます。

 お前は凡夫なんだから地獄へ行ってしまえ、と言って裁いてしまうのではなく、地獄一定の身を知らせながら、そのお前を目覚めさせよう、それが私の仕事である、と誓いをたてて下さった。そして、この凡夫である私が目覚めないかぎりは、私もまた仏にはならないと。
 これはちょっと恐ろしい誓いですよ。みんなが救われないことには、私は仏にはならないんだとおっしゃってる。

 子どもが幸せにならないと、私の幸せはありませんという気持ちでしょうね。命をなげうってでも、子どものためになら尽くすことができるという幸せな母性を、私どもはいただいておりますけれども、それを思い起こしていただくとわかりやすいのではないかと思います。昔から伝統的に親様と阿弥陀仏が呼ばれてきましたのは、たぶんここのことを押さえてのことだと思います。

 けれども親心が仏心だとイコールにしてしまいますと、これはまた少し違います。私どもの親心をよくよく掘り起こしますと、まだまだ自分のための心がいっぱいございます。うちの子の成績がいいと世間に格好がいいから、そして立派になるよう育ってくれると私は幸せなの、というような自利もありますから、あまり仏心と親心を一緒にはできないのですが、感情の似たところがあるのではないかと思います。子どもが喜ぶのを親の喜びとできるところは、仏さまのお心を想像するヒントでないかと思うんですが。
 私どもはそのようにして、仏さまから目覚めてくれと念じられている。そういう存在であるということです。

 石見の浅原才市に、
わたしゃ あなたに おがまれて
 助かってくれと おがまれて
 ご恩 うれしや 南無阿弥陀仏

という詩があります。
 私が南無阿弥陀仏と拝んでいるつもりだったけれど、教えを聞いて気がついてみれば、先に拝まれているのは私であった。という喜びの声でございます。

 私どもが目覚めるはるか前から、仏さまの方から目覚めてくれよと呼びかけていらっしゃる。南無阿弥陀仏という名の中に、私の全部の願いがこめられてあるんだと。南無阿弥陀仏の中身を聞き開いて、その名にこめられている如来さまのご本願を学ばしていただくと、それは私どもの目覚めをただひたすら待っていらっしゃる。
 私は大悲の光がわからないけれども、大悲無倦、決してあくことなく、くたびれることなく、もう止めたということはなく、「常に我が身を照らしたもう」。いつも私の方に光を投げかけながら、光の中で目覚めてくれよという本願を投げかけて下さっているわけでございます。気がつかないのはこちらの方なんです。

 曽我量深先生がこういうことをおっしゃっています。
本願を成就されたのは仏さま。我々衆生の側はその本願をいただくという仕事があるんだ

 なかなかいただきたがらないんですね、私どもは。ここまで来て下さっている光を感じたがらない。まあいいわ、世の中のことが忙しくて、というようにいただこうとしない私。それが凡夫の姿でございます。
 ただ人の真似をしたり、人並みのつき合いで南無阿弥陀仏と言っているのは、いちばん情けないことなんだと、蓮如上人はおっしゃっておられます。

 私どもはそこまで来ている光を感じようとしませんし、耳のここまで聞こえているのを、本当は聞こえているんですが、聞こうとしない。こちらのアンテナをとぎすまして仏さまの声、光を全部感じとって、私が受信機にならないといけないんじゃないかなと思うんですが、それなのになかなかわかろうとしない私がいるわけです。

 阿弥陀如来のことを無碍光如来とも申しますね。これは障碍物が無いと書きます。厚く雲のように覆っている煩悩を、邪魔するものを乗り越えて、私の所に真っ直ぐに来て下さるというのが、無碍光如来のはたらきです。ですから、仏さまのお光はあらゆる障碍物を突き抜けていく。私目当てに真っ直ぐにいつでも来て下さる。
 それを受信する受信機の方がさびたり、眠っていたりするものですから、応答しないわけですよ。応答せよと呼びかけて下さっているのに、南無阿弥陀仏と応答しないで、居眠りばっかりしている私がいるわけでございます。

 そういう私に目覚めてくれよという呼びかけが絶えず来ているわけで、それを感じました時に、ありがとうございますと本願をいただいた時が、信心獲得の時でございましょう。
 決して難しいものではない。それを感じていただけばいいわけです。人からものをいただくのは嬉しいことなんですが、仏さまの本願だけはなんか嫌がるんですね、私たちは。それは人のことだ、私は今幸せだから仏法を聞かなくてもいいわ、と。

 ご門徒さんに寺の役をして下さいとお願いしますと、まだ若いから、もうちょっと年とってからやりますわ、と言われます。寺へ行くのはお年寄りの仕事やと思っている。出入りしてみると、お寺にはもっと早く来ればよかったなあと、よくおっしゃるんです。寺の方に問題があるのかもわかりません。若いもんはちょっと敬遠したくなるような所なのかもしれません。

 それからよく言われるのは、仏教語は普通の言葉でない、なんか難しいと。漢字ばっかりだと。現代語に訳されたらどうですか、なんていう忠告もいただいております。その通りなんですが、難しい言葉を覚えるのも楽しいですよ。仏教の言葉を学ぶのは、そんなイヤなことではないと思うんですけれども。

 曽我先生がおっしゃるように、衆生はご本願をいただく仕事があります。いただかないというのは、私どもの仕事をしていないということですね。私どもはその仕事をさせていただくために、命をいただいているんでないかなあと思うわけでございます。

 阿弥陀如来ははるか彼方から私どもを凡夫と見抜いて、一切衆生が目覚めてもらいたいというご本願をおたてになった。蓮如上人はそんな阿弥陀如来のご苦労を「ご身労あって」とおっしゃいました。
 辛労と書くのが正しいんですが、身となっている所が私は気に入っているんです。阿弥陀さまが身を苦しめるほどにご苦労なさってご本願をたてられたというふうに、蓮如上人がいただかれたとすると、すてきだなあと思うんです。

 阿弥陀如来が大変なご苦労をなさって、一切衆生を目覚めさせるご本願をおたてになった。そしたら、ありがとうございますといただくしかないんです。あと何もしなくていいんです。たったそれだけのことが、私たちに何か難しいような、何かしにくいようなふうに思われているのは、一体どういうことでしょうか。やっぱりここは心を励ましていただくように、聞法にいそしみたいと思うのが、自然でないかと思います。

 一生懸命にやるのは自力と思われていますが、他力だから全部下さるんだ、ぼた餅が落ちてくるのを口を開けて待っていればいいわ、というんじゃないんです。

 私たちには聞いて聞いて聞き通して、そして目覚めていく仕事を残して下さっているわけです。そして、本当に阿弥陀さまに遇うことができ、仏さまのご本願にうなづくことができる。身体の中でそうでございましたと受けとめることができる。そういうことができるまで、私たちは聞き続けていかなければいけないと思うんですね。聞くことがそのまま、ああ、そうでございましたか、の繰り返し。それがご信心という姿でございましょう。そして、ご信心をいただきますと、ありがとうございます、です。それがお念仏でございます。

 蓮如上人は仏恩報謝のお念仏、御恩報尽のお念仏とおっしゃいました。お呼びかけ、確かに聞くことができました、ありがとうございます。これが阿弥陀さまに信でもって応ずるわけでございます。いただきました、ありがとうございます、なんですね。それが御恩報謝のお念仏なわけでございます。

 お念仏を称えよと言われますと、じゃ、どのように称えればいいのか、たくさん称えればいいのか、とにかく称え続ければいいのか、一日に何千べんも称えればいいのか、多く称えた方が功徳があるのか、とそういうふうに思ってしまうのが、我々ですけれども、そうではございません。
 称え方にも間違いやすい落とし穴がございまして、そういうふうな称え方ではなくて、やはり、ご本願いただきました、ありがとうございます、のお念仏でなければならんわけでございます。
「仏恩報尽の念仏とこころうべきものなり」ですね。

 私は学校を出てしばらく夫と京都におりました。昭和45年頃、父の身体が弱くなりまして、お寺に帰りました。正月で、たくさんの方が来られお酒をついで回った時です。あるおじいちゃんが、
「わしゃ、この寺いちばんの年寄りの門徒だぞいね。よう帰って下されたなあ。よろしく頼むで」
と言われ、
「こちらこそよろしく頼みます」
とご挨拶して、次にお酒をつごうとしましたら、
「ちょっと若奥さん待った。『本願力にあいぬれば、空しく過ぐる人ぞなき』というご和讃がございますなあ。あなたのご了解は」
とおっしゃったんです。そのころ三六、七だったと思うんですが、その和讃がどこにあるのやら、初めて聞いたんです。
「そんなご和讃がありますか」
とも言われませんし、どうやってそこを逃げ出たのか覚えていないんですが、びっくりして、えらい所に帰ってきた、帰ってこなければよかったと思ったぐらいだったんです。

 その方はずいぶん優しい方だったんですが、ご信心に関しては厳しかったんだろうと、今になって思うわけです。
 そして、「本願力にあいぬれば、のご了解は」と言われた時に、あんたは寺で何が中心と思っているか、坊守さんはお掃除もせんならんし、ニコニコとお接待せんならん。そういうのは頭に入っているやろうけど、それだけではないんだよ、ご信心いただいて本願力に遇うということが第一なんだよということを、あのおじいさんは言いたかったんだろうなあと気がついた頃は、おじいちゃんはもうおられなかったんですが、私はあれがお育てにあずかった第一歩だった気がするんです。

 本願力に遇って下さいよということは、仏さまが私の本願に遇ってくれよという願いだったわけですね。そしてそれをおじいちゃんが、どう了解しているか聞かしてほしいと言われたことは、「あなたのご信心を聞きたい」ということだったんだろうと思うんです。

 私は答えるだけの内容がございませんで逃げましたけれども、今から考えますと、あのお言葉は如来さまのお言葉でした。

 阿弥陀如来の本願力に遇ってくれよという言葉を、あのおじいちゃんはご自分の言葉で残して下さった。ということは、仏さまというのは、実際にそのようにはたらいていらっしゃるんだと、私は思います。ですから、私にお念仏を勧めて下さる方が仏さまです。

 初めはおじいちゃんにいじめられたんかなと思ったんですよ。来たばっかりの青二才を捕まえて、ご信心はどうかと言って、なんて恐ろしいいじめと思ったんですが、いじめではなくて、ご催促だったわけです。
 さあ、本願力に遇うのはあなたの目的ですよと。ここへ来た以上は真っ先に本願力に遇いなさい、本願力に遇う生活をして下さいよ、という願いをこめて、おじいちゃんの口を借りて、仏さまから呼びかけがあったんだなあといただけるようになりました。
 おじいちゃんにおかげさまでしたというお礼が言えないのが残念ですが、そんなもんかもわかりませんね。もう少し早く目覚めて、おじいちゃんとそういう話をしたかったなあと思うわけですが。

 それにつきましても、仏さまはあらゆる姿をとって私に呼びかけていて下さるんだなあと思います。そのおじいちゃんは私には「本願力に遇いぬれば」をテーマに下さいましたが、ご自分の娘さん方にも残しておられます。亡くなられた後、おじいちゃんの回顧談が話された時です。娘さんたちはみんな『正信偈』を大きな紙に書いたのをもらってらっしゃるんです。そして私にはこれが遺言だったと思いますと、一人の方が言われるには、
「トシエちゃんよ、間違うてくれるなや。仏恩報謝のお念仏やぞ」
と言われたそうです。蓮如上人のお言葉そのままが生きている。私はびっくりしました。

 仏恩報謝のお念仏。これは本当に大事な所だと思うんです。私たちは朝晩にお念仏を称え、お勤めをせよと教えられています。お念仏をするたびにそのお念仏は仏恩報謝でなければならないと、蓮如上人は教えられているわけです。

 私はそのことを学びました時に、夕べに感謝するのは、今日一日を無事に過ごさせていただいてありがとうございます、ということだから言いやすいなと思ったんですが、朝起きた一番の時に、ありがとうございますと言うのは、何に対してありがとうございますと言うんでしょうか。皆さん、いかがでしょうか。
 これは研修会でもテーマになりました。朝一番に称えるお念仏は何にありがとうございますなのですかと。みんな黙っていたんですよ。私も分からないものだから、当たりませんようにと。先生はしびれを切らし、目が覚めたことに対してありがとうございましたでしょう、とおっしゃいました。

 今日一日も命をいただいたことが、まずありがたいのでしょう。新しい一日を私に今日もたまわりました、ありがとうございます、という感謝でなかったら、どこからありがとうございますが出てきますか。それなら、今日の命をたまわったという意味は何なんだ。私に今日一日の命を賜り、今日一日の命を精一杯燃やしてはたらくように、命をたまわっていることにありがとうございましたというお念仏で一日が始まるように、それがお念仏の生活であります。
 このように先生から聞かせていただいて、ああ仏恩報謝というのは夕方だけではなかったんだなあといただいたわけです。

 目が覚めました時に、私に新しくいただいた一日、ありがとうございますとお念仏申す所から一日が始まるような日暮らし、それが聞法の日暮らしであり、お念仏の日暮らしであり、真宗門徒の日暮らしなんでしょう。そういうふうな一日を始めたいなあと思うことです。

 たとえば蓮如上人の生活をうかがいますと、まさにこの通りの生活だったわけです。みんなに仏恩報謝のお念仏をせよと命令を下していたのではなく、ご自身の生活がその通りの生活だったことが分かるわけです。
 『蓮如上人御一代記聞書』という書物がございます。その中に、正月に道徳という方が新年のご挨拶に参られた時のことが書かれています。蓮如上人は、
「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし」
とおっしゃった。お前さんはいくつになったかな、なお一層のこと念仏を申してくれよとおっしゃった。正月の初めの挨拶のお答えは念仏を申しなさいということでした。

 『蓮如上人一代記聞書』に、歳末のお礼の場面があるんです。山科本願寺で報恩講をお勤めになり、明日は大阪にお帰りになるという前の晩、みんながお別れのご挨拶に見えるわけです。
 「あんなに人が集まっているのはなぜか」と、蓮如上人がお聞きになったそうです。それで、「先だっての報恩講でありがたいお話を聞かせていただいたことのお礼と、大阪でお正月をお過ごしになるので歳末のお礼とを兼ねて、皆さんがお集まりのようです」と申し上げましたら、
「無益の歳末の礼かな。歳末の礼には、信心をとりて礼にせよ」
と、仰せられた。確かに信心をいただきました、ありがとうございました、という礼をせよと。正月を迎えてから年が暮れるまで、三百六十五日、信をとれ、念仏を申せ、それだけをおっしゃった一年だったようでございます。

 その他にも、信をとれというお言葉が『聞書』の一番最後に出てきます。

 兼縁というお子さんに物をお上げになったんです。それは何か大事な物だったみたいです。それで兼縁は、私にはそれだけの冥加、つまり内容がありませんので、とてもいただけませんとお断りになったそうです。そうしましたら、
「つかわされ候う物をば、ただ、取りて、信を、よくとれ」
 私がやると言っているのだから、そのまま素直にもらって、そして信をとれと。冥加がないと思うのなら、なおのこと信をとってみせよ。私はそれにふさわしい者ではございません、というほどのことを言うと、何か道理にかなったような、何か謙虚な感じがするけれども、それでは「曲もなきことなり」、芸がない、面白味のないことだ。それよりもそう思ったのならば、信をとって礼にせよ、とおっしゃった。
 そして、これは私のものだと思うか、それをお前がもらって自分のものにするのだと思うかと。
「みな、御用なり。何事か御用にもるることや候うべき」
とおっしゃったんです。御用からもれるものは何もないんだよと。

 御用とははたらきですね。もう一つ御用という言葉を紹介したいと思います。
「御膳、まいり候ときには、合掌ありて、「如来・聖人の御用にて、着、食うよ」と仰せられ候う」
 蓮如上人の座っておられる所へ御膳が運ばれてくるわけです。合掌でその御膳を迎えられ、如来さまと親鸞聖人の御用で着て食べるよと。如来さまと親鸞聖人の御用の、おはたらきのおかげで、この御膳が私の前に運ばれてきたのである。考えてみれば、着ているこの着物一枚も、やはり如来さまと親鸞聖人のはたらきで着させていただいているんだなあ。

 そういうことを独り言のようにつぶやかれた。その言葉をそばにいた者が書き留められた。この言葉を聞いた耳も素晴らしいですね。なんでもない日常で、こうしたお言葉をこぼしていらっしゃる。これがそのまま如来さまのおはたらきですよね。
 如来さまと親鸞聖人のおはたらきで、私は一膳のご飯をいただくことができるんだと。ああ、如来さまに生かされ,親鸞聖人の御恩をこうむって、一膳のご飯を今いただくんだと、合掌されながらおっしゃった。

 「御用」という字ですが、替えて読むこともできますね。阿弥陀如来と親鸞聖人の御用に役立てというご催促でもって、このご飯を下さって私の命を一日延ばして下さるんだというふうにも、蓮如上人はいただいていらっしゃったのではないかと思うわけでございます。

 如来さまと親鸞聖人のおはたらきでもって、ご飯が私にたまわっている。ご飯をいただいて一日の命を延ばさせていただくことは、私に何をせよということかと考えるならば、この命は如来さまと聖人のはたらきと同じはたらきにもっていかなければならないんだと。
 ですから、蓮如上人はワラジの痕がくい込むまでに、如来さまと聖人のはたらきをはたらかれたわけでございましょう。これがご信心をえられたお姿でございます。

 私ども今日一日のご恩をありがたいなあと、命いただいたなあと思って、一生懸命はたらきますが、もう一つ如来さまによって生かされた命、如来さまの命と一緒になって、如来さまの命をはたらきにいけというふうに勧められているのではないかなあと考えてみると、今日一日の命の意味がすごくあつくなってくるんではなかろうかなあと思います。

 私はご信心いただいたと喜んで、ありがたい、という所にとどまっているのでは、まだもう一歩足りないんじゃないかなと思うんです。本当は如来さまとご聖人のはたらきをそのままはたらき出して、お前も行けと。
 「親鸞聖人についておゆき」と言った蓮如上人のお母さまの言葉ですね。あれと同じように如来さまと聖人と蓮如上人と全部がですね、お前のもらった一日の命をどうやってはたらくのかと。世の中のことにはたらくのはいいんです。それがそのまんま如来さまのはたらきであることを忘れるなよと。そしてできることならば、如来さまの願いに沿った生き方をせよと。そう呼びかけられているのではないでしょうか。

 ご信心というのは自分の所で喜んで、ありがたいわ、私は嬉しいわ、と言って、たくわえておくものではなくて、はたらきだすものだと思うんです。     
 ご信心いただいて、人間が和やかになって、心が美しくなって、ああ嬉しい。人格が立派になって、信心いただいてよかったわ。腹も立たなくなった。いや腹が立つことは立つけれど、如来さまの光に照らされて、それに気づかしていただいた。そこに留まっていては、本当のはたらきではないわけでして、如来さまとご聖人の願いに沿ったはたらきになっていった時に、ご信心がはたらきだしているのではなかろうかと思うんです。
 凡夫の私にそんなことができるかとも思いますけれど、如来さまが後ろについて押し出して下さるんですから、できるんだろうと思います。

 如来さまのはたらきというのは、はたらいているんだよということを、お見せにならないんだそうです。そして、一切衆生を救うとおっしゃりながら、救ってやったぞということをお見せにならないんだそうです。
 私たちですと、小さな親切運動をしましても、必ず私がしてあげたということが、自分の心の中に残ります。私はあの人にこれだけ尽くしたのに返し方が足らん、礼の言い方が気に入らん、知らないふりしてあっち向いているとかね。そういうふうに心が動きます。

 如来さまは一切衆生を救うという本願をたてて、苦労なさって、本願を成就されながら、なおかつその救い方と言いますか、おはたらきは、決して私たちにはわからないようにされます。

 私たちにわかるとですね、わあ、救っていただいたご恩をどうやって返さんならんだろうと、馬鹿な我々は思うわけです。それで、ありがとうございましたのお念仏一言では足りないのじゃなかろうかとか、百万べん称えなければいかんのじゃなかろうかと、浅はかな我々が思わないように、救ったということもわからないように、救って下さっているんだということでございます。
 決して相手に負担を思わせない。そういう救い方だと聞きますので、本当は救われているのかもわかりませんが、我々にはわからないわけです。

 私はその時にさっきのおじいちゃんのことを思い出すんです。あの方は私をいじめたみたいに、「若奥さん、「本願力にあいぬれば」のご了解は、はは」と笑われたんです。私をおろおろさせ、どうしようと思わせた。

 決してあなたを救いますよとは、仏さまは言って下さらない。「あなたがまだ目覚めていないから、さあ目覚めさせてあげますよ。だから「本願力にあいぬれば」を勉強しなさい」というふうには言って下さらないで、「「本願力にあいぬれば」のあなたのお考えは」なんて柔らかいことを言って、そしてそれに答えなければ答えなくてもなんでもない。答えれば答えたで喜んで下さるでしょう。あれは仏さまのおはたらきだったんだなあと思うのは、そういうことです。

 決してあの人は意識して私を救おうと思って、あんな言葉を吐いたわけではないんです。ただ何となく雑談で言ったわけです。仏さまとはああいうふうにしてはたらかれるんだなあと思うわけでございます。

 阿弥陀さまの両脇には勢至菩薩と観音菩薩がついていらっしゃいます。それは阿弥陀さまの分身でして、阿弥陀さまのはたらきの智慧の部分を勢至菩薩、慈悲の部分を観音菩薩が担当されると説明されています。
勢至菩薩さまの方はお念仏を勧める方
と、ある先生はおっしゃいました。智慧のはたらきですから、その通りですね。そうすると世の中に勢至菩薩のはたらきのはたらきをして下さる方が、たくさんいらっしゃって、私にお念仏を勧めて下さる方は全部阿弥陀さまの智慧のはたらきなんだなあと、すごく了解しやすいわけです。

 ところが観音さまのはたらきは慈悲ですから、どういうふうにはたらかれるのかなと思いましたら、その先生はこうおっしゃったんです。
観音さまのはたらきは私にお念仏の妨げをして下さる方です
 「えっ」と思いましたね。これは聞き違えたと思ったんです。

 この先生のお言葉にびっくりしましたので、お話がすみましてから、お部屋へまいりまして、先ほどの勢至菩薩と観音さまのお話をもう一度お聞かせ下さいと申しましたら、
「ああ、あそこですね。勢至菩薩は私にお念仏を勧めて下さる方」
と、はっきりおっしゃて下さいました。そうしたら観音さまは、と耳をすましておりましたら、やはりさっきと同じように、
「観音さまは私に念仏の妨げをして下さる方」
とおっしゃいました。先生の言葉が私はわかりませんでね、
「先生、もう一ぺんおっしゃって下さいませんか」
とお聞きしますと、やはり、
「私に色々な妨げをして下さる方ですなあ」
とおっしゃいました。
「わかりません」
「わからないでしょう。自分で考えてごらんなさい。これに目が覚める時が、またお念仏に目が覚める一歩ですよ」
とおっしゃったんです。ずいぶん長い間この宿題に悩みました。

 自分のことを言って申し訳ないんですが、私の息子がお寺を継がないと言って、とうとう娘が継ぐことになったんです。その間は、継ぐ、継がないともめましてね。門徒さんは、若さんはどうしているんだ、早くちゃんとしてもらわんと困るんだ、と言われます。もう学校行くのもやめた、とかなんとか息子が言って、ごねた時期があったんです。

 その時にわかったんです。私が一人でわかったんではなくて、姑がこう言ったんです。
あの子を拝めるようになるといいんやけどね
 さすがに長いこと聞いてこられた人のお言葉です。私はその時すぐにはそうは思いませんよ。
「なんで、あんな奴を拝むんですか」
と思いました。あんなに言うことを聞かないで、親を困らせ、親だけでなくご門徒さんにご心配かけて。それなのにあの子を拝むなんてどういうことだろうと思ったんです。

 すぐではありませんけれど、そのことで拝むってどういうことなんだろうと思っているうちに、「はーん、拝むというのは息子を観音さまのおはたらきと思えばいいのかな」と。私に苦労をかけてきりきり舞いさせて、大きな声で言えませんけれど、この子の親でなかったらよかったと思ったくらい。なんでこの子が生まれてきたんだろう。それこそ韋提希夫人ですね。何にも理由が分からなくてきりきり舞いさせられた時に、なおかつ「この子を拝め」と言う姑の言葉と、それから「あなたにお念仏の妨げをする、私に苦しいこと、つらいことを思わせてくれる人が観音さまのおはたらきですよ」という言葉が、自然と一緒になりまして、なるほど、なるほど、苦労というのは、私をもんでくれるんだなあと。

 私にいろんなことを悩ませて、その時、本当に仏さまがどこかにいらっしゃるのなら聞いて下さい、本当につらいんですと、一人で訴えるようなこともありました。が、全然お答えがなくて、なおかつ苦労だけがあるという時に、「それをも観音さまのおはたらきといただいていけ」というあの先生の言葉を思いますと、この苦しみを仏法ではどのようにして乗り越えよと教えて下さるのかと考えさせられますね。

 すると、お念仏をどういうふうに聞いていたんだろうか。私はただただお念仏を称えると、苦労なんかもすっとみんななくなって、幸せになれるんだと思っていなかっただろうか。お念仏というのはそんなに浅いものとして、私に受け取られてはいなかっただろうか。
 そういうことを絶えず問返す問いになってくれるんだなあということ、それが観音さまのおはたらきなんだなあということ、そうしたことが教えられてわかってきたようなことでございます。

 如来さまのおはたらきというのは、ただお念仏をせよ、ご信心をいただけよという、ストレートな呼びかけは当然ですけれども、逆の手というのもあるわけです。私どもにいろんな姿で、いろんな苦労で教えて下さる。夫に早く別れるということもそうです。

 私は父親を早く亡くしましたが、そういえばあの父も自分の命を縮めて、私に死をもって、私の父はいない存在でもって、私の目覚めを待っていてくれたのかなあと。人間は死ぬのだぞ、生きている間にしっかり聞いてくれよ、という呼びかけだったのかなあと。
 いっぺんにそうなるわけではありませんよ。いろいろ聞いたり悩んだりしながらですけれど、長い時間かかって、そういうふうにいただいていくのじゃないかなと思っているところでございます。

 ですから、お念仏称えよ、はい、ナマンダブ、ありがとうございます、というような単純な浅い薄っぺらいもんじゃないんですね、念仏というのは。ありがたいことに。あらゆる人生の厚み、人生の悩みの深さ、幅の広さに、全部対応できるような形で、絶えず私の目覚めを促していらっしゃるんだなあ、と思わされます。
 どんな苦しいことが起こっても、イヤなことが起こっても、これは如来さまからの呼びかけなんだと、もういっぺん自分の内で問い直してみること。それがご信心いただいた学びの生活でないかと思うんですが、いかがなものでしょうか。

 人生のあらゆる場面で、目覚めてくれよという呼びかけが、私たちのまわりにはいっぱい響いているんだということ、その中から私たちは如来さまのはたらきとして、その声にうなずくと言いますか、聞き取ってお応えしていくことが、南無阿弥陀仏という、はい、わかりました、いただきます、ありがとうございました、のお念仏なわけですね。

 とかく、
お念仏を申しますと、お願いしますの念仏になることが多いんですよ。どうぞ今日も一日無事で暮らせますように、どうぞ今日も元気で仕事ができますように、と。

 私なんかはもう小さい時からそうでした。今日はテストがありますからがんばれますように。今日は運動会で、3位よりも2位になれますように。

 今も変わりません。今日は孫が運動会をやっています。去年は転んでしりっぽになって、がっかりして帰ってきましたから、今日は転ばんで、ちょっとでもいい成績を、ナマンダブ。このお念仏では駄目なんです。

 お念仏というのは如来さまのお呼びかけに対する応答、お応えのお念仏です。いただきました、ご本願の中に暮らさせていただいております、ありがとうございます、のお念仏だということを思いだし思いだししながら、お念仏の生活をさせていただきたいと思います。

 それからもう一つですね、私の身近にあります間違いやすいところがございます。私はご信心いただいていますから、お念仏せんでもいいです、と言って、声に出されない方があるんです。
 でもお念仏というのは、自分の耳に響く大きさでよろしいですから、自分の耳に聞こえる程度のお念仏を称えて下さい、というのが教えでございます。自分が称えたお念仏を自分で聞いて下さい。

 聞というのは、いろいろなお話を聞くことはもちろんですけれども、まず仏さまのお名前を聞くことです。お名前を聞くというのは、自分で称えた南無阿弥陀仏を自分が聞くことなんだそうです。これは正親先生から習いました。そのようにして自分の声で称えたお念仏だけれども、口に出た時にはすでに仏さまがそこにお立ちになっているんだから、向こうから南無阿弥陀仏と言って下さっていると思って、自分で聞きなさいというふうに、教えていただいております。そのような気持ちでお念仏を称えることです。

 若い人たちと一緒に話をしておりましたら、あまり聞法をしたことのないような若い方が、
「あっ、わかった」
と、おっしゃったんです。
「あんた、すごいね。わかったん」
と言いましたら、
「だって自分で称えて自分で聞くんでしょう。自分が称えた声がここから出て、自分に聞こえるんでしょう。仏さまは私の中を通って下さるわけですよね」
「ああ、なるほど。こういう感覚は素晴らしいね」
と言ったんですけれども、そうなんですよね。

 自分で南無阿弥陀仏と称えたけれども、今度は聞こえて下さる。それがおはたらきでございます。
 それでお念仏の声は小さな声でよろしいですけれども、一応肉体を通していただきたいというように、私は先生から聞いておりますので、どうぞ皆様方もご自分で称えた声で仏さまのお名前を聞いていただいて下さい。聞というのはそこから始まるんだそうでございます。

 ですから大変複雑ですよね。仏恩報謝、いただきました、ありがとうございますのお念仏は、そのまんま向こうからのお呼びかけのお念仏になって私に聞こえてきて、またありがとうございましたのお念仏になる。絶えずグルグルと生きてはたらいているということでございます。

 そういうことで本日のお話を終わらしていただきたいと思います。どうぞ声に出してお念仏を称えて下さるようお願いいたしたいと思います。
(1998年6月4日に行われました安芸南組仏婦連大会でのお話をまとめたものです)