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  仏教と戦争

森章司「4人のプンナとそれぞれの事績年代の推定」

森章司「釈迦族滅亡年の推定」

杉木恒彦「戦士の宗教 インド仏教の戦争論の俯瞰からの私論」(『越境する宗教史』)

杉木恒彦「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」

 1,アヒンサー・不殺生
インドの宗教は不害(アヒンサー)ということを大切にします。生き物を傷つけない、殺さないということです。人間だけではなく動物も殺生してはいけないので、インドでは肉食をしない人が少なくありません。
ところが、殺生を認める場合があります。

ウィキペディアによると、ヒンズー教では、武装した攻撃者に自己防衛する時には暴力を使用することが認められています。また、ヒンズー教は、死に値する悪を行った者は殺されるべきで、王は犯罪者を殺すのをためらうべきではないという考えです。

ジャイナ教は動物だけなく、根菜類などの地中の野菜も食べません。ですから、理想的な死に方は断食によって死ぬことです。
そこまで徹底して殺生を否定するジャイナ教でも、正当防衛で相手を殺すことは認められ、他国から攻撃されて戦争になったら、敵を殺すことはかまわないとします。
ヒンズー教やジャイナ教では、戦争と死刑という殺人は認めているのです。

『法句経』に「すべてにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
「すべての者は、暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
とあるように、仏教も不殺生を説きます。出家と在家の戒律の一番目は不殺生戒です。
では、仏教は戦争や死刑についてどのように考えるのでしょうか。

 2,富楼那
森章司「4人のプンナとそれぞれの事績年代の推定」によると、富楼那(説法第一の富楼那ではない)が遠方にある故郷に説法へ行きたいと釈尊に申し出た時のやりとりです。

釈尊「その国の人々は粗暴だと聞くが、辱められたらどうするか」
富楼那「私を辱めたとしても、棒で殴ったり、石を投げつけられなければ幸いです」
釈尊「棒で殴ったり、石を投げつけられたらどうするか」
富楼那「刀で斬られなければ幸いです」
釈尊「刀で斬りつけたらどうするか」
富楼那「殺されなければ幸いです」
釈尊「殺されたらどうするか」
富楼那「自ら命を絶つ人もいます。代わりに命を絶ってくれたと思います」
釈尊「それだけの覚悟があればいいだろう」

釈尊は正当防衛も認めていません。暴力を振るわれても、仕返しをするくらいなら殺されるほうを選ぶのが仏教徒のあり方と言えそうです。

 3,仏教の戦争論
杉木恒彦「戦士の宗教 インド仏教の戦争論の俯瞰からの私論」(『越境する宗教史』)と「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」に、仏教における戦争論と死刑論が論じられています。
杉木恒彦さんによると、仏教の戦争論は、古くは非戦・不殺生に傾倒する立場であり、時代が下がるとともに戦争での殺生を何らかの形で容認する教えを説くようになりました。

 仏典の戦争論
1 転輪王の征服
2 戦士の役割からの撤退  
3 戦争せずに問題を解決する
4 問題解決のために戦争をするが殺生をしない
以上は、不殺生戒を遵守する反戦者の論(とりわけ2)。

5 憐れみと自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
8 王の属性・義務としての戦争行為
9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
5~9は不殺生戒と戦士の役割を融和させる調停者の論。
とはいえ、戦争行為を無条件に認めるものではない。

 1 転輪王の征服
転輪王は全世界を統治する理想の王。
『転輪王経』(パーリ語経典長部)によれば、転輪王は法(ダルマ)による統治によって人民を守護し、法に従って征服事業を行う。
転輪王が依拠する法とは五戒と十善である。転輪王の侵攻と征服は殺生をともなわない。軍隊を率いて陣を張ると、その地の王は戦わずして転輪王に服従を申し出て、その地の統治者という立場を維持したまま、転輪王に服従する。

これは古代インドでは非現実的な理想論であり、戦争なしに問題解決をすることは難しい。

 2 戦士の役割からの撤退
戦士が殺生の業報によって地獄に転生しないためにとるべき方法は、戦場で殺し合いをしないこと。それを実現する方法は、戦闘の義務から免れるために戦士の身分を捨てることである。

『転輪王経』によれば、転輪王たちも晩年は戦士の身分を離れて出家している。
『アショーカ物語』によれば、アショーカ王の敵であったバドラーユダは敗戦後、戦士の身分を捨てて出家した。
『大史』(5世紀に編纂されたスリランカの王たちの伝記)によれば、3世紀のサンガボーディ王は内乱軍が首都に迫ってくると、戦いでの殺生を避けるために王位を捨てた。

アンベードカル『ブッダとそのダンマ』によると、釈尊が出家した動機はコーリヤ国との戦争を避けるためです。
シャカ族の国とコーリヤ国とは国境を流れる川の水利権を争っていたが、とうとう怪我人が出る衝突があり、宣戦布告をするかどうかが話し合われた。話し合いで解決するよう提案した釈尊は、主戦論が可決されたので、出家して国を去ることにした。

しかし、戦士の身分を捨てるだけならともかく、一般人が戦場から逃げるということは家族が難民になることです。

「ペシャワール会報No.149」に、アフガニスタンで亡くなった中村哲さんの言葉が載っています。
「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います」
逃げるということは普通の人には問題の解決にはならないと思います。

 3 他集団との問題を戦争以外の方法で解決
『クータダンタ経』(パーリ語経典長部)は、理想の王は、よく訓練された軍隊を具えるなど、戦わずとも威光によって敵王たちを圧倒すると説く。

『アショーカ物語』によれば、アショーカ王は自らの善業の力により軍隊を超自然的に出現させ、神々は軍事遠征する各地の人々に「アショーカ王に対抗してはいけない」と命令した。

『サティヤカの書』(大乗経典4~6世紀)によると、インド古典において、王の最も重要な義務は臣民を守ることである。外国の軍隊による危害から臣民を守ることは憐みの実行である。戦争のための軍隊が近くにいるなら、王は第1段階、第2段階、最終段階の3種類の手段の善巧方便によって対処する。

 第一段階
王は戦争を開始する前に、3つの方策、すなわち①友好、②支援、③威嚇(広範囲の同盟関係とそれにより大きな対抗勢力となる恐怖などを敵に抱かせること)のいずれかにより戦争の阻止を試みる。
3つの方策のうち、①と②はバラモン教の法典群の懐柔と贈与に相当し、3つ目の方策は分断である。

王は、敵は何か原因があって罪(この戦争)を犯そうとしていると考え、その原因を取り除いてやることによって敵と友好関係をもつべきである。贈り物など必要な支援を与えたり、あるいは同盟国とともに敵軍を威嚇したりして、戦争を回避する努力をしなければならない。

これらの方策を試みることは、不殺生などの十善の戒めによるものであるとともに、敵兵に対する王の憐みによるものでもあろう。

これは、外交によって戦争を回避する、あるいは圧倒的軍事力の差によって威圧するという手段です。
フィリップ・E・ テトロック、ダン・ガードナー『超予測力』によると、1962年のキューバ危機で核戦争が回避されたのは以下の経緯があったからです。

1961年、CIAは亡命キューバ人を訓練し、カストロ政権にゲリラ戦を仕掛けようとした。ところが、ゲリラ部隊がビッグス湾に上陸すると、キューバ軍が待ち構えており、ゲリラ軍は殺害されるか捕虜になった。

1962年、キューバにソ連のミサイル基地ができ、ソ連の戦艦が近づく。キューバ危機によって米ソの核戦争が勃発するかと思われたが、アメリカとソ連が合意に達して戦争は回避された。

ビッグス湾事件の失敗は全会一致主義が根本原因であり、再発防止のため意思決定のプロセスが変革された。徹底した自由な議論がなされるためにケネディ大統領が席を外すこともあった。
ケネディ大統領はソ連のミサイル発射装置への先制空爆は承認せざるをえないという危機感を持っていたが、議論に影響を与えないよう誰にも言わなかった。
委員会では10の選択肢が議論され、核戦争ではなく交渉による平和をもたらした。

軍事力の差による威圧の例です。
ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』によると、西アフリカや中央アフリカにあるかつてのフランス植民地国にはフランス軍基地があり、フランスによる軍事保障は各地の内戦の発生を抑制した。

2008年 チャドで内戦が突入し、反政府勢力が大統領官邸の門に迫った。フランスは反政府軍に、撤退しない場合はフランス軍が撃退すると告げると、反政府軍は撤退した。
この手段は軍事力に圧倒的な差があっても難しいそうです。

 4 戦争をするが殺生をしない
釈迦国がコーサラ国によって滅ぼされましたが、このことについては森章司「釈迦族滅亡年の推定」に詳しく書かれています。

進軍するコーサラ国の軍隊が通る道の枯れ木の下に釈尊は座り、2度軍隊をとめた。3度目の進軍で釈尊もあきらめ、釈迦国は滅ぼされた。
マガダ国の阿闍世王は釈尊の信者なのだから、助けを求めてもいいと思うのですが、それもしていません。

コーサラ国が釈迦国のカピラ城を攻撃した時、弓矢の名手である釈迦国の戦士たちは矢を放って抵抗したが、コーサラ国の兵士を傷つけないように矢を射った。ヴィドゥーダバ王王は怖れて逃げようとしたが、釈迦族は不殺生戒を保っているので、人を傷つけることはないと大臣に言われて、城を攻めた。その時、釈迦族の若者が戦って多くの敵兵を殺したが、釈迦族の人たちが非難したので若者は国を去った。

森章司さんによると、釈尊が死んだ時に遺骨を8つの国に分けたが、釈迦国もその一つだったから、全滅してはいないのではないかとのことです。

杉木恒彦さんは『大般涅槃経』(大乗経典)に説かれる、仏法の衰退する時代における在家の特殊な戒を取り上げています。

仏法衰退の時代、戒を正しく保つ比丘たちは身の危険にさらされているゆえ、旅をするとき、比丘は王など武装した在家信徒を護衛として同伴させてよい。持戒の比丘は仏法の確かな保持者であるので、道中、武装した在家信徒は、敵対者たちから比丘を守らなければならない。だが、敵を殺してはならず、武器は敵の攻撃を止めるためにのみ使う。
こうして戦死や寿命が尽きて死んだ在家はアシュク仏の浄土へ転生し、そこで悟りを得る。

釈迦族の滅亡と『大般涅槃経』の所説は、敵を殺傷しないかぎり、敵の攻撃を退けるための武器の使用を容認している。

また、『アリーナチッタ前世物語』(『ジャータカ』)『ボージャージャーニーヤ前世物語』『サティヤカの書』では、敵を殺さずに生け捕りにすることによって戦争に勝利する方法が説かれている。
主人公たち(釈尊の前世)は勇敢に突撃し、敵王を生け捕りにして戦争を終結させ、敵王に二度と敵対しないと誓わせた後、解放している。

 5 慈悲と自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
① 慈悲と自己犠牲による殺生
善い心の状態、あるいは善悪どちらでもない心の状態で他者を意図的に殺すことはあり得ると説く仏典もある。
慈悲と自己犠牲による殺生については、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に論じられています。

② 人民を守護するための戦争
『サティヤカの書』によれば、正しい王は十善に従った統治を行う。
敵国の軍隊が戦争のために近くにいるとき、王がまず行うべきは、第1段階として友好、支援、威嚇という外交政策を行うことにより戦争を避けることである。

 第2段階
これらの方策によって戦争が避けられない場合は、正しい王は①臣民を完全に守るという決意、②敵に勝つという決意、③敵を生け捕りにするという3つの決意でもって戦争を開始するべきである。
王は不殺生の戒めを保持しており、自分の臣民はもちろん、敵兵に対しても憐みをもつので、敵兵を殺さず生きたまま捕らえることにより、この戦争に勝利し、臣民を守ろうと試みる。
しかし現実には、武器をかざして迫ってくる敵をすべて生け捕りにすることは困難である。

 最終段階
戦場において、王は軍隊を効果的に配置し戦う。
敵兵への憐みと臣民への憐みはいかなる状況でも全く同じというわけではない。
しかし、自分や仲間や共同体への偏愛があれば自由に敵を殺してよいのではない。
なお、戦争を最終手段とすることは、バラモン教の法典群と同じ考えである。

慈悲と自己犠牲による殺生と人民を守護するための戦争とは違いがある。
・王は罪業の報いを恐れることなく戦争行為を遂行できる。
・敵兵を殺傷しても、それは敵兵自身の悪業の報いである。
自衛のための戦争だったら、人を殺すことは罪ではなく、その報いを受けることもないということでしょう。

 6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
『大史』によれば、仏法のための戦争で多数のドラヴィダ人を殺したドゥッタガーマニ王(紀元前2世紀のスリランカ王)は、死後に天界に転生した。
当時、スリランカにはドラヴィダ人の王国が数々あり、ドラヴィダ人はほぼ全員が仏教徒ではなかった。
ドゥッタガーマニ王は仏法の定着のため、ドラヴィダ人の王たちと戦い、多数のドラヴィダ王と戦士たちを殺し、スリランカ統一を成し遂げた。

 7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
ハルシャ王(7世紀)の征服事業は王国の拡大と繁栄、仏法の拡大を目的とした。
度重なる軍事遠征によって支配地を拡大し、軍隊を強大化させたうえで、30年間の武力による争いのない平和的な統治が実現した。
ハルシャ王は仏塔や僧院を建立し、住民に殺生と肉食を禁じ、布施を行なった。
忠誠を受け入れた者には慈悲ある統治を行い、忠誠を受け入れない者は次々と征服して、インドの大部分を統べる王となった。

仏法拡大のための戦争とは、つまりは十字軍のようなものです。
西欧諸国によるアフリカ、アメリカ、アジアの植民地化はキリスト教の伝道とセットでした。

 8 王の属性・義務としての戦争行為
『瑜伽師地論』によれば、王は勇敢でなければならないが、勇敢であるとは、軍隊を効果的に用いて未征服地を征服し、人々を守護することを意味する。

ハルシャ王や『瑜伽師地論』の王も、仏教的な転輪王というより、武力行使を行いながら征服していくクシャトリアとしての王に通じる面がある。クシャトリア王のイメージを採用するとともに、殺生への言及を避け、勇敢に戦争に従事する王が業の報いを受けるかについて曖昧にし、その一方、仏法を推進するといった王の数々の善行を描き、王が来世で幸福な境遇を得ることを説く。

 9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
戦士たちは戦わなければならないし、殺生しなければならない。
では、戦場で敵を殺す戦士は死後どうなるか。罪をめぐる仏教の考え方は一様ではない。

戦争での殺生という悪業の報いについて、初期では業報は避けられないと説かれますが、次第に業報を受けることはないとされ、死後に天界に転生するとも説かれるようになりました。

① 死後に地獄に転生する
『マハーバーラタ』などバラモン教聖典は、戦場において熱心に戦い、戦死した戦士は死後天界に転生するという教えが見られる。

仏教では本来、悪業の影響力の消去・減少は、寄進という善業によって実現するわけではない。悪業と善業は相殺されることはなく、行為者は善悪双方の報いを、別の機会に、あるいは同時に受けなければならない。

釈尊は『ヨーダージーヴァ経』(パーリ語経典相応部)で、戦士は敵兵を殺そうという意図をもって戦っているため、その「劣った、悪しき、誤った心」ゆえに地獄に転生すると説く。
行為を企てる心の状態がポイントで、仏教は行為の意図がその行為の善悪を決定する要因であると考える。

では、善い意図で殺生を行う戦士は、死後に天界に行けるだろうか。
パーリ語アビダルマ文献群(上座部)においては、殺生に至る過程のどこかで憐れみなど善い心の状態が生じることはあるとしても、殺生行為そのものは必ず何らかの形の憎悪(瞋)によってなされるとされている。

『倶舎論』は、「たとえ徴兵されたとしても、たとえ戦いの目的が自分自身や友人や自国を侵攻者から守るためであっても、敵兵を殺す意図をもって戦う戦士は罪人である」と説く。仏教では善い意図での殺生はあり得ない。ということは、仏教では戦争は悪しき行為なのです。

② 罪報を受けない
『サティヤカの書』によると、正しい王は敵兵を殺傷しても、殺生という悪業の報いを受けることはない。なぜなら、殺生であっても、それが利益になり、憐みからなされるのであれば、その行為は罪にならないからである。
また、殺生によって多くの功徳がもたらされる。なぜなら。王は人民の守護と一族のために自分の生命と財産へのとらわれを捨てて行なったからである。

罪の本質は、行為そのものより、その行為がどのような意図・精神状態でなされたかにある。王の憐みは修行者の精神状態であり、三毒に動機付けられた俗的な偏愛ではない。
また、敵兵の戦死は、王に害意を抱く敵兵の悪業の報いとして生じるものである。

③ 死後に天界に転生する
『大史』によれば、ドゥッタガーマニ王は多くのドラヴィダ人を殺した戦争を悔いた。
すると8人の阿羅漢が、この戦争は王の天界への転生を妨げるものではないと慰めた。

・王は三宝に帰依した者1人と、五戒を守る者1人しか殺していない。その他は異教徒や悪人であって、家畜と同じである。
・王は様々な方法で仏法を繁栄させる。

最後に以下の旨の教えが説かれている。
「自分が望んで多数の人々を殺した事実と、殺しが危険であること(悪い報いを受けること)と、無常であるから彼らはそのように死んだのだということを心に念じるなら、その者は苦しみ(悪い報いを恐れる苦痛)から解放され、天界に転生することができる」

8人の阿羅漢の教えは、戦争の正当化というより、来世の報いに苦悩する王の慰め、すなわち一種のカウンセリングとして説かれている。
現代スリランカで比丘たちは、殺生をしなければならない兵士たちの慰めのためにドゥッタガーマニ王の物語を説いている。

これはひどい話だと思います。異教徒や他民族を畜生扱いしているのですから。
この理屈ならどんな虐殺も正当化されます。
神国日本にまつろわぬ支那を膺懲するという考えにも同じ意識があったのでしょう。

④ 善業を積むことで天界に転生する
『大業分別経』(パーリ仏典経蔵中部)に「殺生など十悪を行なった者でも、それ以前、あるいはそれ以降に善行を行なっていれば、天界に転生することはある」とある。

王は戦争をしても、善業を積むことで、死後に天界に生まれる可能性がある。悪業代償の方法としての善行の例がサンガへの寄進である。
スリランカと東南アジアでは歴史的に、サンガに布施をしたり、仏塔などを建立・寄進することが、王にとって戦争での殺生行為に対する代償だった。
つまり、悪いことをした後に善いことをすればチャラになるわけです。

⑤ 死後のことは曖昧なまま語らない
戦争での殺生やその業報が明記されない。布施などの善行によって天界に転生するとしても、殺生という悪業の影響力は残ったままであり、別の生において報いを受けるかもしれない。

 仏教の戦争論
①正戦論 その戦争が正しいかどうかを検討するための理論的な枠組みを創出する。
②正当化論 検討なしに正しいと弁護する。
③聖戦論 戦争を神聖化、あるいは神的なものの命令とする。
④救済論 戦士が殺生の業報から免れるための方法を提供する。

仏教の戦争論は救済論である。戦士が慰みや天界への転生を得るためには、戦士は十善を順守する、布施をするなどが求められる。
このように杉木恒彦さんはまとめています。

戦争は悪業だと考えていた仏教も、ヒンズー教やジャイナ教のように戦争での殺生を肯定するようになったのです。