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  鈴木 章子さん
 癌告知のあとで』 探求社

婦長さんから「鈴木さん、あなたは高校の息子さんが卒業なさるまでの三年、生きていたいということでしたね。あなたは、子供さんに何をしてやりたいと思って三年とおっしゃったのですか。参考までに聞かせて下さい」と尋ねられました。
それは私のすべてを傾けるほどの大きな問いかけでした。考えても考えても分かりませんでした。というのは、学費は私がいなくても仕送りができる、ご飯は私がいなくても食べられる、子供たちは私がいなくてもちゃんと生きていけると分かったとき、自分というものが明白でないまま生きてきたんだなと気づかされました。

      

よく新聞などで有名人がガンで亡くなると、「ガンに負けた」といいますが、死が負けであるなら、生きとし生けるものすべて敗者であろうかと思います。
私は肺一葉切りとることにより、元気な頃よりも自分の体を自覚し、「手もあった! 足もあった! あれもこれもあった! あった!」と、思いもかけずありあまるほどの沢山のものをいただくことができました。
また、ガンという病気のおかげで、死をみつめなおし、過去四十六年間の生命をもう一度生きることができました。
また、身にあまるほどのおかげさまに出あうことができ、還るべき私の故郷も父母の死を通しまして、はっきりと見えてきました。父母の上に「倶会一処」の世界を見せていただきました。


      

  無形の存在

肺一葉 捨てて
はじめて
空気の存在を
実感しました
無形の存在を
たしかに
受容できました

     

  ひかり

ブラインドの
紐の通し穴より
青空が見える

薄暗い病室で
その一点の光から
目をそらすことができず
私はいる
何故か……

     

  二人三脚

私の思慮分別では
どうにもならぬことは
おまかせしようと
選んでいましたら
みんな みんな
おかげさまとの
二人三脚でした

     

  生死

死というものを
自覚したら
生というものが
より強く浮上してきた
相反するものが
融合して
安らげる不思議……

     

  大きな御手

私がする……
私がしなければ……
私がしてあげる……
と思って生きてきたのが
してもらうことが多くなったら
主人も子ども達も
それぞれが
生かされていたのが見えてきた

私がいなくなったら……と
胸がはりさけそうだったのに
残される主人も子ども達も
大きな御手の中……

一番大きな心残りが
魔法のように
とけてゆきます

    

  いちょう

まぶしいような 青空の中を
子ども達の歓声と
太陽の放射をあびながら
軽く 実に軽く
散ってゆく

裏をみせ
表をみせ
サラリと 実にサラリと
散ってゆく

     

  悲しみ

別にこらえたり
我慢したりすることはないと思います
おんおん泣いて
涙を出しきってみると
涙でかくれていたものが
ポロッと顔を出してきます
本願力様に会えるのですね

     

  うぬぼれ

抗ガン剤で
抜けてゆく髪一本
どうしようもできない私が
残された子供達が
どうなるか心配で
夜もねむられぬほど
悩んでいる

     

  

癌は
私の見直し人生の
ヨーイ・ドンのgunでした

私 今 スタートします

     

  行き先

あーそうか
行き先があるから
方向ちがいがわかるのか

     

  道を尋ねる

道に迷ったら
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう

    

  仲間

死という
絶対平等の身にたてば
誰でも
許せるような気がします
いとおしく
行き交う人にも
何か温かいおもいが
あふれでます

     

  おもい

あーあ
思いどおりにならなくて
ほんとうに よかった
こんな汚い根性で
思いどおりになっていたら
何人 人を殺したやら……
何人 敵をつくったやら……
今 太陽の下で
おしゃべりに夢中になれるのも
思いどおりにならなかったおかげ……

あーあ
思いどおりにならなくて
本当に
よかったなあ……

癌だって
思いどおりにならない人生だもの
あたりまえ……
思いどおりにならぬ恩恵
良かったなあ……

     

  聴聞

聴けば
聴くほど
おまかせ以外
仕方のない私が
わかってくる

     

  反省

私は
癌を知っている者として
うぬぼれている面がある

〝癌でも明るく
笑っていられます〟なんて……

吐いて 吐いて
もう嫌になって
心も顔も
涙で グチョグチョになるくせに

少し気分が良くなると
変に悟って
観念的に
癌と遊んでいるのではないか……

     

  慎介

〝人の不幸が
今の僕にはほっとする〟
と 慎介が嘆く

私も
自分より重い病人を見て
ほっとする
そんな自分を
歎かない自分に
心の枯れを
気づかされる

     

  死の会話

よしましょうと
あなたはいうけど
私にとりましては
お料理 子育てと同じく
日常ごとなのですよ

     

  無題

生かされていると
知りながら
まだ
何もかも
怖くて
捨てきれません
捨てられぬことを
あわれんで下さる方に
気づかされます

     

  光と影

ダリヤを描いていたら
影があって
光が生き
光があって
影が生き
花の美しさを
ひきだしあって
いることに
気づかされました

即ち
闇ありてこそ
如来の光 生き
如来の光あってこそ
闇が生きるということに
気づかされました

     

  自殺

北大病院の待合室で
卵巣癌の患者さんと
知り合った
「やはり 自殺はダメなんですよね」
というので
「如来様は、死にざまを問わずと
おっしゃってますよ」
というと
ポロリと涙された
「如来様
そういって下さいますか」
「私もどうなるかわかりませんが
最後の一日まで生きましょうよ」
最後が自殺であっても
構わない
摂取不捨の仏様
縁は問わずですね

今 少なくとも思っておりませんが
宿業のなせることです

     

  凡夫

私が凡夫であるという事が
子供達の救いになるでしょう
凡夫で良かった
ありがとうございます
南無阿弥陀仏

     

  卓球

我が子の悲しみを思うと
あの少年らしい清々しさに
見事にきまったスマッシュに
拍手もできず
相手のミスに
〝ラッキー〟と叫んでいる
愚かな母が ここにいる
目連尊者のお母さんのお話を
ふと思い出しました

     

  幸福をよぶお茶

誰から私の病を聞いたのか
「幸福をよぶお茶」というのを
売りにきた
癌の末期患者が治るとの事
「いつ死んでもよし」と
生への執着離したつもりが
こんな話 聞くたび
ふと そんな気になる
なかなか 離しきれぬ手を見せてくれる