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竹中 智秀さん
「『親鸞聖人血脈文集』第五通目」 |
2005年12月 |
1 『歎異抄』の付録の文と『血脈文集』との関係
冬休みに入って、九州で会がありました。その帰りです。雪が多くて、交通が乱れ難渋しました。
今日は『血脈文集』の五通目です。『真宗聖典』に『血脈文集』の五通目が収録されているんですが、それは略したもので、どういうものが『血脈文集』に記してあったのかということは、『真宗聖典』ではわかりません。
五通目には、親鸞聖人が法然上人とともに遭われた承元の法難の時に流罪になった人、死罪になった人等についての記録と、それから親鸞聖人が法然上人の絵像を写され、その絵像に法然上人がサインをしてくださった等ということが、『教行信証』化身土巻に親鸞聖人が直接記しておられるんですけど、それを写してあるんです。そして親鸞聖人が模写された法然上人の絵像に、法然上人がサインをされたそのものが性信房に譲られたと。そして、その絵像にはこういうサインがしてあったんだと、そのことが記されています。
五通目にはそうしたことが記してあるんだという解説だけが、『真宗聖典』には出ているんです。それで、もともとの五通目を資料として皆さんにお渡ししているんですが、これを読むのも大変なんです。
実は、どうしたことか『歎異抄』に、付録の文として承元の法難の記録が入っているんです。現在でもいろんな方々が『歎異抄』を読んでおられるんですが、どうして『歎異抄』に承元の法難の記録が入っておるのかが、よくわからないんです。付録の文と言われておるけれども、どうしてこれが『歎異抄』の付録なのかということもよくわかりません。
また、『歎異抄』では「大切の証文」というものをこの書に添えておくということが記してあります。それでは「大切の証文」とは何なのかということも、これも学会でも論争になったんですけれど、もう一つはっきりしません。
『歎異抄』は前半と後半に分かれています。前半の前十条は口伝篇といって、親鸞聖人の教えがそのまま示してあるわけです。後半は異義篇といって、念仏の教えについて異義があると、その異義を一つ一つ取り上げて批判しています。そういう意味で後半は異義篇と言われるわけです。そして、最後の後序になって「大切の証文」を添えておく、ということを言っています。
その「大切の証文」は何かということで、金子先生は前半の十章が実は「大切の証文」として添えられておるものだと、こういう読み方をされています。金子先生はその考え方を変えないで、ずっと一貫しておられます。
曽我先生は初めは、前半の口伝十条が「大切の証文」に違いないと、金子先生と同じように言われたんですけれども、晩年になってから考え方を変えられて、『歎異抄』の後序に「聖人のつねのおおせ」として、二つのことが示されているんですが、そのことだと言われました。
後序には、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という、非常に大切な親鸞聖人の「つねのおおせ」が示してあります。この一言があることによって、『歎異抄』が今日までずっと読み継がれておるんだと、そう言えるほど大事な聖人の言葉とみられています。その言葉と、さらに「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という言葉との、その二つの「聖人のつねのおおせ」が「大切の証文」だと、曽我先生は晩年になって言われています。
しかし『歎異抄』では、目やす書きにして「大切の証文」を添えるとあります。目やす書きというのは箇条書きするということなんです。そうすると、「一つ何々、一つ何々」というのが目やす書きになるんですね。
ですから、「聖人のつねのおおせ」というのはだらだらと書いてあるので、これは目やす書きではないわけです。ですから、どうもこれではないと。それに、前十条にしても添えたものとは言えません。むしろこれが一番大事なわけだから、決して目やす書きにしてこの書に添えたものではない。ということで、どうも金子先生の言われていることももう一つ納得できないと。
そういうこともあって、なかなか「大切の証文」が何なのかということと、承元の法難の記録がなぜ付録の文として入っているのかということもわからないんです。
『歎異抄』を深く読んだのが三河の了祥師です。『歎異鈔聞記』という本があるんですけれども、そこで了祥師は、「大切の証文」とは『親鸞聖人血脈文集』に違いないということを言い切ったんです。『歎異抄』には『親鸞聖人血脈文集』が目やす書きにして添えてあったんだと。
けれども、もともとの『歎異抄』というのはもう残っていないんですよ。『歎異抄』を書写したものが残っているわけなんですね。その写本は蓮如本といって、蓮如上人が書写しておられるわけです。その蓮如本に付録の文といわれる承元の法難の記録が記してあるんです。
私も直接、蓮如本を見ましたけれど、よく見ると余白があるんですね。『歎異抄』が終わってから承元の法難の記録のところに少し余白がある。そういう形で記録されています。
了祥師はそこまでは言ってないんですけれども、「大切の証文」、これは『親鸞聖人血脈文集』ということだけれども、一番大事なのは承元の法難の記録、つまり五通目ですね、五通目が一番大事に違いないということで、たぶん蓮如上人は五通目、しかも承元の法難の記録だけを『歎異抄』に残したんだと、そういうふうに読めるんです。
どうしてそう読めるか、しっかりした根拠はないんですけれども、『歎異抄』を読んでみると、どうしてもそうとしか読めないといいますか、そう読むのが一番自然ではないかと。それで蓮如上人が承元の法難の記録だけを残されたに違いないとするわけです。
そういうことで、『歎異抄』の承元の法難の記録が『血脈文集』そのものの五通目の前半なんです。ここでは漢文で書いてあって難しいところです。
2 法然上人の真像と、その「銘文」と、夢告による聖人のその「名」について
そして、五通目の後半は親鸞聖人が法然上人の絵像を模写されて、それに法然上人がサインをされたと。そのサインをされた実物の法然上人の絵像があったに違いないんです。『教行信証』の後序にも言うとられるますから。それを親鸞聖人が性信房に譲られたんだと。それにこういうふうに書いてあるんだということが記してあります。
「源空上人、親鸞聖人に譲られ奉る本尊の銘文」
とあり、そして、
「若我成仏 十方衆生 称我名号
下至十声 若不生者 不取正覚
彼仏今現 在成仏 当知本誓
重願不虚 衆生称念 必得往生
南無阿弥陀仏 釈善信」
と。これは特別な意味を持っています。
今、本尊というと阿弥陀如来の木像であるとか絵像であるとか名号であるとか、こういうものを本尊と言うでしょ。けれども、ここで本尊と言っているのはそのことではないんです。法然上人のご絵像を本尊と言っているんです。親鸞聖人が法然上人のご絵像を写されたと。それを本尊と言っているんです。たとえば、別院にも親鸞聖人のご絵像があるでしょう。このご絵像を本尊と言っているんですね。阿弥陀如来のご本尊ではなくて、親鸞聖人のご絵像を本尊と言っているんです。
そして、親鸞聖人が法然上人のご絵像を写されたと。そうすると法然上人は「それでは」と言って、ここに「若我成仏十方衆生」と、善導大師の『往生礼讃』の言葉なんですけれども、賛文を書いてくださった。『教行信証』では親鸞聖人はここまでは言っておられます。
そして、同時に名の字を書いてもらったと。それまで親鸞聖人は綽空と名のっておられたわけです。それを「また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ」と、夢のお告げでもって綽空を改めて名の字を書いていただいたと。
「夢の告」というのは、法然上人が夢の告げを受けられたのではなくて、親鸞聖人自身が夢の告げを受けて、「あなたは綽空と名のっておるけれども、善信と名のったらいい」という夢の告げを受けられたので、法然上人に「私は夢の告げを受けました。これまでは綽空と名のっておりましたけれども、これからはこのように名のります。その名の字を告げられました」というわけです。そして、法然上人を通して親鸞聖人は名の字を変えてもらったと言われるわけです。法然上人に夢の告げで得たその名前を申し上げたので、「そうか、それではその名にしたらどうか」ということで、その名を法然上人は書いてくださったということです。
親鸞聖人がどういう夢の告げを受けて、どういう名前を名のられたのかということを、親鸞聖人は言うておられないんですよ。その名がどんな名なのかということも非常に大きな論争があるんです。
これは広瀬先生もそうですし、東京に親鸞仏教センターという研究所があって、そこの所長さんが本多弘之先生なんですけれども、この本多先生も名の字にこだわっておられます。そして、広瀬先生も本多先生もこの名こそが親鸞なんだと積極的に言われています。親鸞というのは夢の告げで得られた名前であって、それを法然上人に申し上げられて、法然上人に書いてもらわれたと。それが親鸞聖人が模写された法然上人の本尊に示してあるんだということなんです。
けれども私は、そうではない、善信という名なんだという考えなんです。本多先生たちとは説が違う。高倉会館でその話をしたら、すぐ本多先生から「読ませていただいた。私は親鸞だと思うんだけれども、どうして善信なんでしょうか」と問い合わせがあったぐらいです。論争になっています。
ここでは、性信房が親鸞聖人から直接譲られた法然上人の本尊には「善信」と書いてあるんだと。資料に「釈善信」とあるでしょう。だから、これは貴重なものなんです。
そういうことで、五通目は二つのことが書かれているんですけど、今日は後半の部分です。法然上人の本尊をめぐってということでお話ししたいと思います。
3 往生必定と言えるのか、言えないのかの問題
これは今でも大きい問題です。たとえば、親鸞聖人の当時もそうなんですが、親鸞聖人がなくなられたあと、いろいろの縁で念仏の教えを聞いて、そして信を得て助かると言う人たちがあったんです。
その時に、たとえば皆さんでも「私は信心を得たんだ。だから、もう往生必定だ」ということで安心するとか、信心が得たのやら、得られないのやら、もう一つはっきりしないので、往生必定ということが言えない、だから非常に不安だということもあります。そのことは同時に、助かるとか、助からないということにもなります。
往生必定ということで助かったということなんです。蓮如上人でも後生の一大事と言われます。後生の一大事というのは、往生必定ということが言えたということなんです。つまり、浄土往生間違いないということが言えたということで往生必定で、これで助かったと。それがはっきりするのかしないのかということを後生の一大事というんです。
昨日おとといと九州で親鸞聖人に出会い直そうということで、ずっと話をしていたんですけれども、あとで総代さんが来られて、こんなことを言われました。「やはり往生ということがはっきりするかしないかということで、私たちにとって本当に深い関心になっているんです」と。
私、これで意を得たと言いますか。私のほうがいくら「往生必定ということが大事な問題だ」と言っても、聞いている人がそんなことにあまり関心ないと言われたら、これは行き違いでかみ合わないでしょ。だから、聞いておられる人が往生必定ということに関心あるんだと、私たちは関心があるんだと言われたので、大いに意を得たわけです。
その往生必定ということですが、たとえば皆さんでもそう長くは生きられないと思っておられる人が多いでしょ。どうですかね。そう長くはない、いずれはやがてと。そういう意味で、だんだんと死んでいくことは他人事でなく、自分のこととして思うということが、ある年ごろになるとあると思うんです。
二十歳の学生に「死んでいく時が近いんだぞ」と言うても、「何を言っているか」ということになるんですけど、学生でもガンだとかで、生き死にの体験をすると、やっぱり死んでいく時が近いということは他人事ではないと。
白骨の『御文』でもそうですね。「老少不定のさかい」ですから、年寄りが先に死んでいくとか、若い者があとから逝くとは限らない。これは定まらない。
なぜかというと、この身は縁さえあれば死んでいくことになるという因を持っているからです。だから、縁さえあれば死んでいく。若かろうが、年がいっていようが、ついこのあいだ生まれた赤ちゃんでも、縁さえあれば死んでいくわけです。そういう意味では「老少不定のさかい」、「我やさき、人やさき」ということです。これは縁次第だと。そういうのを生死無常の身を生きておると。生まれたものは死んでいくことになる、無常の身を生きているんだと。
けれども、風邪をひいて死にはせんだろうかということは、これはやっぱり年が寄っていると、そう思うことがあるでしょう。どうでしょうか。「死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆる」と、死にはせんだろうかと心細く思うというのは、若い人はそんなことはないけど、年をとっておれば、ちょっと風邪をひいて寝込んだ、それだけで死にはせんかと不安になると。年が寄れば寄るほど、死にはせんだろうかということが強く問題になってくるでしょう。
そうすると、死んだらどうなるのか、死んだらどこへ行くのかと、こういうことについて不安になるですよ。気になる。そういうことを後生の問題とか、往生の問題とか、そういうふうに言うてきたわけなんです。
それを浄土に往生したら、先立った者ともまた会えるというわけなんです。これは仏説です。晩年に親鸞聖人も繰り返し言われています。浄土でまた会おうと。「あなたが先だったら、あなたが待っていてください、私が先だったら私が待っています」ということを親鸞聖人自身も言われています。「ひとつところにまいりあわそう」と。ひとつところというのが浄土なんです。浄土に生まれて行こうと。そこでまた出会おうと。まいりあわそうと。浄土へ行って落ち合おうと。そういう言い方をされています。
これは無上涅槃ということなんです。無上涅槃の世界に帰るんですけれども、無上涅槃というのは色もない、形もない。色も形もないものを形を示して表すと、これが浄土になるんです。だから、浄土でまた会おうということは仏説なんです。
死んだらゴミだという言い方もあるんですよ。死んだらホトケになるという言い方もあります。浄土に帰るということがないと仏になれないんです。浄土へ帰らないでいきなり仏になるということはあり得ません。だから、浄土へ帰るという形で無上涅槃の世界へ帰って、無上仏になるということなんです。
だから、どうしても死んだらどうなるのか、死んだらどこへ行くのか、後生の一大事ということがはっきりしてないと、死にきれないわけです。狂乱すると思うんですよ。
最近はまたポックリ往生、ポックリ死の問題が出てきているというんです。ポックリ往生、ポックリ死問題は十年も二十年も前の話なんです。皆さんも聞かれたことがあるでしょう。奈良の法隆寺の近くに吉田寺(きちでんじ)という寺があります。この吉田寺というのは源信僧都がお母さんのために建てた寺という伝説もあるんです。そこにみんなオシメを持ってお参りに行くんです。それはポックリ往生、ポックリ死を願うからです。
ポックリ往生、ポックリ死というのは、家族に手をかけてもらうことなくさっと死ぬということです。寝たきりになって、垂れ流しのまま家族の世話になって、最後は家族に見捨てられて、地獄を見て死んでいくということはつらいと。だから、死んでいく時はさっと死んでいきたい。これがポックリ往生、ポックリ死なんですよ。
それで、さっと死ねるようにというので、オシメを持って吉田寺へたくさんの人が全国から参っていかれた時期がありました。もう二十年ほど前のことです。最近、またそれが復活してるというんですね。
けれども、さっと死んだから浄土へ帰って無上仏になれるかというと、信心がはっきりしてないと駄目です。命終わる時はお浄土へ帰るんだということが納得できてないと。死んでいく時が来ると狂乱するんですよ。けれども、いくらのたうちまわって死んでも、信心がはっきりしていれば、まっすぐお浄土へ帰って無上仏になれるんです。
そういう問題が後生の一大事ということです。お浄土がはっきりしているかどうかです。
そういうことで、総代さんが非常に関心があるんだと言われたんですね。「だんだん年寄りになると、だからいよいよ聞かなければならないことが自分の問題となってきた」と総代さんが言われてました。
そういうことを率直に言えるのが、聞いてこられた門徒の人なんです。これまではお浄土とか往生だとかは自分のことになっていなかった。ところが、だんだんと、まさに後生の一大事という、大事なことが教えられていたんだということがよくわかってきたということを言われたんです。そういう往生必定ということが言えているかどうか。それが助かったとか、助からないとかということを左右しているわけです。
4 本尊と聖教と房号と信心と往生との相互関係
こういった問題は親鸞聖人の当時もなんですけど、そういうことが表に出て一番問題になったのが覚如上人のころです。親鸞聖人からすれば覚如上人はひ孫です。親鸞聖人がなくなられて五十年ぐらいたったころに、そういうことが問題になったんです。
本願に遇いたいとか、お念仏を喜びたいとかということで、いろいろ善知識を尋ねて、教えをうけて聞いていくと。けれども、聞いても聞いてもはっきりしないということで、不安なんですね。そういう時に、往生必定だと。もう私は信心を得たんだということをお互いに言うことによって安心しようとしたわけです。
ところが、どこで往生必定なのかと。どこで信心を得たということが言えるのか。その証拠があるのかと。そういう時に、その善知識から本尊をいただいたと。聖教をいただいたと。そして房号をいただいたと。
この本尊というのは善知識の絵像なんです。今で言えば写真です。「写真をもらったんだ」ということです。聖教というのは、その善知識が著しておられる書物です。親鸞聖人だったら『教行信証』、法然上人だったら『選択本願念仏集』です。それをサイン入りでいただいたと。
房号というのは今で言う法名です。その善知識から法名をもらったと。本尊と聖教と房号をその善知識からいただいたと。これで信心を得たということになったんですよ。
だから、信心を得たか得ないかというのは、善知識から本尊をもらった、聖教をもらった、房号をもらったと。それで信心を得た証拠にしたわけです。それで往生必定だと。これで極楽往生間違いないんだと、助かったと。こういうふうにお互い言い合って安心しようとしたんです。そのことで往生必定だと言おうとしあったんです。
覚如上人はこういうことが「国中に繁昌」していると書かれています。だから、どこでもそういうことを言っているんでしょう。国中でそういうことを問題にしているんだと言われています。
けれども、その善知識といさかいがあって、善知識が「お前のような者はもう弟子とも思わない」と。「だから本尊を返せ」と。「聖教を返せ」と。「房号を返せ」と。そう言って、さずけてあった本尊と聖教と房号を取り返されてしまったと。すると、信心もなくなってしまったと。極楽往生間違いないと思うていたのが、地獄に堕ちると。こういうことが盛んに問題になっていると『口伝鈔』という聖教の中に出てくるんです。
そうすると、親鸞聖人が『教行信証』の後序で言うておられるのは、ちょうどこのことを言うておられるんでしょう。この資料にも、『教行信証』に記してあるのが写してあります。『教行信証』と比べて読むと、
「教行證六末にいわく」
と。つまり、教・行・信・証・真仏土・化身土で六巻になるわけです。その化身土のところに後序があって、そこに出ているわけです。
「愚禿親鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に皈(き)す。」
と。「釈の鸞」が「親鸞」になっています。そして、
「元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の題の字、」
「内題の字」が「題の字」になっています。
「ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空の真筆をもって、これを書かしめたまいき」
「空」とは源空、法然上人のことです。
「同じき日、真影申し預かりて、圖画し奉る。」
「真影」となっていますが、「空の真影」です。つまり源空上人の真影を図画し奉ると。法然上人の真影を預かって、それを模写したと。
「同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏
当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう」
そして、
「また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ」
法然上人が書いてくださったと。
「本師聖人、今年は七旬三の御歳なり。」
と。法然上人は七十三歳だというわけです。
ここまでが親鸞聖人の『教行信証』化身土巻末に親鸞聖人自身が記してある言葉です。そのあとに、
「右この真文」
というのが「若我成仏」以下の文章です。
性信が、親鸞聖人が法然上人の絵像を写されて賛文を記してもらい、名前も書いてもらわれたのを私が預かったんだと。これは大変なことです。こんなものがもし出てきたりすると、国宝になります。大変貴重なものです。それは出てきてはいないんですけど、たしかに性信が預かったんだと。
その銘文に釈善信と。法然上人が書いてくださった、親鸞聖人が夢の告げを受けられて申し上げた名前が書いてあると。これが善信です。これが特別な意味があるということです。そういうことで、親鸞聖人の『教行信証』に、『選択集』を書写されたというのと、それから法然上人の真影を図画されたと。そして、房号を記されたと。それがさっきの本尊と聖教と房号ということです。
本尊と聖教と房号を法然上人から許されて書写したとか、図画したとか、直接名前を書いてもらったということを、こういうふうに『教行信証』に言うておられます。ここが問題なんです。
「しかるに既に製作を書写し、真影を図画せり。」
製作というのは『選択本願念仏集』のことです。そして真影は本尊です。それを許されて書写したということです。その上で親鸞聖人は、
「これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。仍(よ)って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註(しる)す。」
と記されています。往生決定した証拠だと、親鸞聖人は言うておられます。こういうこともあって、本尊と聖教と房号でもって信心の証拠にし、往生の証拠にしたと。これは間違った考え方なんですけど、そういうことがあって、これを血脈相承というんです。法然上人により法然上人が明らかにされた本願念仏の仏法をこの私、親鸞がまさしく相承したと。これが血脈相承です。血脈ということがあって初めて仏法が私のところに伝わったと。だから、血脈ということなしに法が伝わったということを言わないんです。
江戸時代は寺に檀家の人が見えて、「血脈を授けてください」ということを言われたんです。それでどうしたかというと、三帰(さんき)五戒(ごかい)を授け、法名を授けたと。法名を授けられたということが血脈を相続したことです。おかみそりを受けたと。帰依仏、帰依法、帰依僧と、仏法僧の三法に帰依して、おかみそりを受け、法名をいただいたと。これが血脈を相承したということなんです。これが決定往生のしるしになっていたんです。
仏法の門に入ったんだからもう大丈夫だと。門の中に入った者は、門の中にいる人たちがちゃんと責任を持って育ててくださるんだということです。そういうのを血脈というんです。
そういった血脈を非常に大事にしているものですから、最後に血脈が問題になってきているということです。
5 親鸞聖人はなぜ比叡山を出られたのか 比叡山の観想念仏について
後半のところですが、法然上人の真像と言いますか、絵像を写させてもらったと。すると、法然上人が自分の真像の銘文として善導大師の『往生礼讃』の「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文と、夢の告げで親鸞聖人が得られた名前を書いてくださったということなんです。
なぜ法然上人は『往生礼讃』のこの言葉を記されたのかということですが、ここにはいろいろと問題があるわけです。
まず親鸞聖人は比叡山へ登って修行をしておられたのに、なぜ法然上人のところに行かれたのかという大きな問題があります。比叡山で親鸞聖人はどういう修行をしておられたのか、ということが問題になるんですけれども、あまりはっきりしないんです。史料もありません。
ただ、親鸞聖人の奥さんの恵信尼が親鸞聖人がなくなられたあと、親鸞聖人の末の娘の覚信尼との間で手紙、消息のやりとりをされています。覚信尼の手紙は残っていないんですけれども、恵信尼の手紙がたまたま西本願寺の倉庫に残されていて、昭和十年に発見されました。それで親鸞聖人のことが今までよくわからなかったことが少しわかるようになりました。比叡山でどういう修行をされていたのかということもわかったわけです。比叡の山で堂僧をしておられたということがわかったんです。
堂僧とはどういう仕事をするのか、どういう修行をしていたのか、ということなんですが、堂僧というのは今でも比叡山に登ると常行三昧堂というのがあります。この常行三昧堂の不断念仏衆に関係している者が堂僧だということがわかってきたわけです。
比叡山は天台宗ですから『法華経』がやはり中心です。朝は題目、夕べは念仏と言われています。『法華経』ということで南無妙法蓮華経、題目なんです。そして夕べに念仏と。ですから、念仏と題目とか一緒に行われていたというのが比叡山の特徴です。
日蓮上人も比叡山に登って下りられたわけですし、道元禅師の比叡山に登って下りられたわけだし、法然上人もそうですし、親鸞聖人もそうですね。比叡山が日本の仏教の中心となるところです。
その比叡山の念仏は観想念仏、観仏です。これは大変な行なんです。止観、奢摩他、毘婆舎那といって、これが行です。この観想念仏を詳しく見ているのが源信僧都の『往生要集』です。『往生要集』は地獄と極楽を徹底的に問題にしています。そして、極楽浄土に往生していくための行が正修念仏です。この正修念仏は観想念仏のことを言ってるわけです。南無阿弥陀仏という称名念仏などは行とは思われていないんです。
今でもそうでしょう。九官鳥でも南無阿弥陀仏と言うでしょう。学生にそう言うと、「僕らの念仏は九官鳥の念仏か」と言うんです。九官鳥の念仏なんかで本当に行になるのかということです。
称名念仏というのはあるにはあるんですけれども、比叡山では称名念仏ではないんです。民衆の中にある念仏、それが称名念仏です。その流れが聖徳太子によって、ある意味では根拠づけられています。聖徳太子が明らかにしてくださった念仏が称名念仏で、それが民衆の中に相続されている念仏です。だから、軽蔑されているわけです。そんなの九官鳥の念仏じゃないかと、親鸞聖人の当時でも言われていたのではないかと思います。
だから、正式な念仏は観想念仏です。『往生要集』で、源信が問題にしているのは、天親菩薩の『浄土論』です。その『浄土論』は難しいので、読んでもなかなかわからないんですね。それで、曇鸞大師がその『浄土論』をやさしく解説しておられます。それが『浄土論註』です。
親鸞聖人は天親菩薩の『浄土論』を解説した曇鸞大師の『浄土論註』を通して、本願念仏の仏法、浄土真宗を明らかにされました。だから、親鸞聖人は天親、曇鸞から自分の名前を名のっておられます。ですから、法然上人の吉水時代に親鸞という名のりはないと思うんです。なぜかというと、『論』『論註』を深く読んでいかれるのはずっと後ですから。
この『浄土論』の中で、どうしたら往生できるかということで、五念門ということを展開しています。五念門というのは五念仏門ということです。これは行なんです。礼拝、讃嘆、作願、観察、回向、これが五念門です。
天親菩薩が念仏という時に一番大切にされたのが観察門です。これが観想念仏なんです。親鸞聖人が念仏と言われる時には、観察門じゃなくて讃嘆門です。これが称名念仏です。だから五念門について、源信の見方と親鸞聖人の見方とは違うんです。
作願というのが止、心を集中することです。浄土に生まれたいという心を一つに集中していくのが作願で、これが止です。そして、その浄土を観察するわけです。これが観です。止観というのはこういう意味なんです。これが行です。浄土へ生まれたいという心を定めて、その浄土を観察する。観察する時に浄土へ生まれたいわけだから、阿弥陀如来をちゃんと観察し、観想できないと往生できないわけです。
どういうふうに観察するかというと、仏の相の三十二相を観察していくわけです。阿弥陀如来を見る時に、眉間に白毫があって、胸には卍があると。京都の南に浄瑠璃寺という寺があります。九体の阿弥陀如来が上品上生からずっとあって、胸に大きな卍があります。それから、仏には指の間に水かきがあるんです。なぜかというと、一人ももらさないで摂取するというので、ここに水かきがあるわけです。水かきがなかったらニセ物ということになります。阿弥陀如来は男か女か。これは陰蔵といって、性器が隠れているんです。お風呂屋さんに行って陰蔵の人がおられたら、「仏さんだ」ということになるでしょ。足の裏はどうなっているのか。そうした一つ一つの阿弥陀如来の相をしっかりと観察し、観想すると。これが観仏なんです。
こういうのを別想観といいます。一つ一つをしっかりと見ていく。そして、目を閉じても、開いても、阿弥陀如来が見える、現れる。こういうのを観仏というんです。
今度は全体として阿弥陀如来を見る。これは総相観といいます。阿弥陀如来はただ阿弥陀如来ではなくて、浄土をもって阿弥陀如来はおられる。身と土です。身土一如です。阿弥陀如来を見るということは、浄土がそこに観察されていると。だから、阿弥陀如来を見たら、そこに阿弥陀如来の浄土が現れてくるということなんです。そういうことを徹底して観察し、観想するというのが止観という行なんです。
そして、お浄土へ行ってではなくて、ここで阿弥陀如来をしっかり見る。お浄土をしっかり見ることができたら、ここにおいて阿弥陀如来によって摂取されるということになる。それが雑略観です。雑略観というのは「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」という、これは『観無量寿経』の中に出てくる言葉ですけれど、ここで阿弥陀如来を観察し、観想するものは、ここに阿弥陀如来が現れて、その現れてこられた阿弥陀如来を見て、その阿弥陀如来によって摂取されるんです。だから、これは一つの救済観です。雑略観というのは、ここにあって阿弥陀如来に摂取され、救済されるという、その救済を成就するんです。こういうのが観想念仏で、それを集中的にやっていくのが不断念仏衆です。
実際に別時念仏と言って、九十日間とか七日間とか、日数を決めて、阿弥陀如来が安置されている常行三昧堂で、南無阿弥陀仏と念仏を申しながら、阿弥陀如来を観察していくわけです。ぐるぐる阿弥陀如来のまわりを回って、阿弥陀如来を観察していくと、阿弥陀如来が現れてくるわけです。法然上人が常行三昧堂で不断念仏をされると、法然上人の後ろに勢至菩薩が一緒に歩いておられるのが見えたと言われています。そこまで徹底していくわけです。そういうことを集中的にやるのが不断念仏です。
そうして観想が成就するのを如相念と言います。これは観察が徹底した、観察が成就したということです。
たとえば、皆さんでも夜、蒲団の中に入ってから南無阿弥陀仏と称えて、阿弥陀如来を観察し、観想したら、そこに阿弥陀如来が現れると。浄土へ行かなくてもここへ阿弥陀如来が現れたということになるでしょう。大変なことですよ。妄念妄想というのはいっぱいあるでしょう。妄念妄想がわき起こってくるから、観想が乱れて阿弥陀如来などは見えないんです。
それを集中してやるのが観想念仏です。そういうことを徹底してやると、ちょうど夢の体験のようになるわけです。夢の中でいろんな体験をするのと同じように、ここで阿弥陀如来との出遇いを体験するわけです。それが如相念なんです。そういうことを普段から訓練していく。
一番大事なのは、ここは目を開ければ娑婆ですから、観察している時はいいんですけど、観察がとぎれると一気に娑婆に戻るでしょ。皆さんでも、ここにおられる時はいいけれど、外に出たとたんに娑婆だから、仏への憶いが消えてしまうでしょう。今日はクリスマスイブだというので、町は大変ですから、念仏がいっぺんに吹っ飛んでしまいます。観察を中心にすれば消えてしまう。
特に、臨終の一念によって生処が決まると。つまり、死んだらどうなるか。死んだらどこへ行くか。それが決まるのが臨終の一念とされています。
なぜかというと、私たちの住んでいる世界というのは、一応みんな同じような、広島なら広島ということですが、現代という時代ですけど、みんなが外にある世界を同じように共有しているのではありません。
今、自分にどういう声が聞こえているか、どういう世界が見えているか。自分の見ている世界、自分の聞いている声、それが一つの世界を決定するわけです。だから、どういう声が聞こえているのか、どういう世界が見えているのかによって、その人の世界があるわけです。ですから、一人一人の世界は別なんです。みんなの思いといいますか、想です。だから、妄念妄想というのは、一人一人の世界が現れていることになります。
阿弥陀如来が現れているのか、阿弥陀如来が現れていないのか。つまり、臨終の一念が正念なのか、正念を失っているのか。正念というのは阿弥陀如来が現れているということです。阿弥陀如来の世界が現れている。これが正念なんです。
けれども、我々にはいろいろと妄念妄想があるから、阿弥陀如来が消えている。阿弥陀如来が消えている時は正念を失っている時なんです。そういう時はだいたい狂乱しているわけです。阿弥陀如来が現れていたら人を殺したりはしないですよ。たとえ殺したにしても、そこに阿弥陀如来が現れてくると、ああ、罪深いことをしたなと申し訳なかったということになります。
なぜかというと、親鸞聖人は真実というのは阿弥陀如来の御(おん)心だと言われるわけです。阿弥陀如来の御心は摂取不捨です。どのような者も、選ばず、嫌わず、見捨てずに摂取不捨していく。これが阿弥陀如来の御心です。それを真実というわけです。
けれども、私たちは阿弥陀如来を忘れて自分を中心にする。ジコチュー(自己中)と言うでしょう。ジコチューというと、自分の都合を中心にした善し悪しですから、自分自身をすら悪しということであれば見捨てます。自分を見捨てるぐらいだから、縁の深い者も見捨てる。つまり、自己を中心にして、都合次第によっては選び、嫌い、見捨てると。完全に自分を引き裂いていくでしょう。それが地獄を作る心です。地獄を作る心を、真実に背いている虚偽というわけです。だから、我々の心はいつも真実に背いている虚偽の心です。
だから、必ず正念を失っているわけです。縁次第によっては殺すという。今はそうですよ。そういう時に南無阿弥陀仏と称えて、阿弥陀如来を観察して、観想して、阿弥陀如来が現れてこられると、正念を回復する。そうすると、自分が何をしているのかということもよくわかるわけです。
しかも、臨終の一念は正念で決まるわけだから、阿弥陀如来を見ながら死んでいくのか。阿弥陀如来の浄土をそこに見ながら死んでいくのか。阿弥陀如来が消えてしまっていると。正念を失っていると。そういう形で臨終の一念に地獄が現れてくると。地獄が現れてくると、死んだら臨終の一念に現れている世界、見えている世界に行くわけですから、地獄に堕ちていくわけです。我々は生きている時でもそうです。どういう世界が現れているかによって、地獄が現れている場合は狂乱するんですよ。だから、世界というのはそういう意味で、自分の上に現れている世界です。
臨終の一念、生と死の境目のところに阿弥陀如来を見ながら、阿弥陀如来の浄土を見ながら死んでいくと。そのことによって阿弥陀如来の浄土に生まれていくと。それが助かるんだと。
そういう意味で、普段から訓練して、臨終の一念に正念で終わるようにし、浄土に生まれるようにして、一生懸命修行するというのが観想念仏なんです。それが比叡山の観想念仏です。
6 聖徳太子の名で民衆の中に伝統されている称名念仏
けれども、親鸞聖人は悲しいかな、煩悩具足の凡夫であるがゆえに、そういう観想念仏が徹底しない。これは「定心修しがたし、息慮凝心のゆえに」と言われています。「おもんばかりをやめて、心を凝らす」と。妄念妄想をやめて、心を凝らして阿弥陀如来を一心に観察し、阿弥陀如来と一つになると。そうすると、阿弥陀如来を見ることができるし、阿弥陀如来がそこに現れてくることができると。すると、この世界が阿弥陀如来の世界になると。
けれども、そのためにはおもんばかりをやめて、心を凝らし、集中しなければならない。それは無理だと。だから、観想念仏では助からないということなんです。比叡山にいつまでいても、煩悩具足の我が身を知ってしまえば助からないということです。
しかも、仏道ですから、自分さえ助かったらということではない。いつでも、どこでも、誰でも助かる。そして、この私も助かっていく。そうすると、観想念仏では私も助からないし、誰も助からないということなら、こういう観想念仏に縁を求めても仕方がないということになります。
それで比叡山を出られたわけです。どこへ行かれたかというと、六角堂へ行かれた。この六角堂は聖徳太子をお祀りしています。聖徳太子の本地は救世観音です。聖徳太子を祀っている六角堂に参籠して、聖徳太子によって相続されている称名念仏、民衆の中に伝統されている、民衆の中に血脈されている、その称名念仏に思いを寄せられたんです。
けれども、比叡山を出たら退路を断ったようなものです。生活できなくなるかもしれないし、仏になる手がかりを失ってしまうかもしれない。そういう退路を断って、親鸞聖人は比叡山を下りて、六角堂に籠もられた。
聖徳太子によって象徴される称名念仏を明らかに説いておられるのが法然上人です。称名念仏こそ本願だと。それがさっきの「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」です。「衆生称念必得往生」の「称」は観想念仏ではなく称名念仏だと。これこそ如来の本願なんだと。如来の本願によって称名念仏する者を必ず助けとげるということがあるんだと。その本願が成就しているんだと、そのことを法然上人は徹底して親鸞聖人に説かれたんです。
六角堂に百ヵ日参籠されたことは『恵信尼文書』に詳しく書かれています。九十五日目に聖徳太子の夢告を受けて、それで吉水へ行かれたんです。吉水へ行ってすぐに法然上人の教えに納得されたかというと、そうではなく、
「百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに」
と。それはまた百ヵ日、雨が降っても、カンカン照りでも、吉水の法然上人のもとへ出かけ続けられた。「大事」というのは、ちょうど源平争乱があった後の時期ですから、都でいろいろな混乱があったんでしょう。それにもかかわらず、まっすぐに法然上人のもとへ行って、法然上人がお念仏の教えを説かれるのを聞いて、聞いて、聞きぬいて、「このことである」と、そういう形で決定されたということを、恵信尼が覚信尼に告げておられるわけです。その中で、親鸞聖人が『選択集』の書写を許され、法然上人の真像の模写も許されたと書かれてあります。
なぜわざわざ善導大師のこの文を記されたのかというと、この文は本願加減の文と言われています。本願加減の文は、
「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」
です。十八願の文は、
「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」
です。
比べてみると、本願加減の文には唯除の文がなく、十八願文には「称我名号」はありません。それは十七願です。だから、本願加減の文は唯除の文をのけて、「称我名号」を加えているわけです。本願を信じて念仏申す。本願を信じた証拠は念仏が申せるわけだから、その「至心信楽欲生我国」が「称我名号」と重なっているわけです。だから、信心の成就としての称名というものをここに加えたわけです。
これは十七願と十八願が二つに分かれる前ですから、本願加減の文と言われると同時に、還元の文、元へ戻った文だとも言われています。初めは一つだったんだと。信心と称名というのは別じゃないんです。本願を信じ、念仏を申すんです。「真実の信心は必ず名号を具す」ということです。
これが九官鳥の念仏との違いなんです。九官鳥の念仏は信心がないわけです。信心があるけれども念仏を申さない人もあるかもしれないし、信心がなくても念仏申す人があるかもしれない。信心がないけど念仏申す人を九官鳥の念仏と。信心があっても念仏申さないのは念仏者になっていないということです。信心があって念仏申す。これが助かったということです。真実信心は必ず名号を具すという形で、本願加減の文があるわけです。
もともとは十七願と十八願は一つになっていると。そういう形で親鸞聖人に法然上人が示された本願加減の文、本願還元の文は非常に大事な文です。これは行巻にも引用されてあります。
そういうことで、親鸞聖人は法然上人に会われたけれども、ただ念仏だけでないんだと。信心があっての念仏なんだと。それをしっかりと法然上人が確認されています。信心なしの念仏ではない。信心あって念仏を申さないということでもない。信心があれば必ず念仏を申すんだと。その念仏に助けられるんだということを教えてくださった大事な文として、親鸞聖人が法然上人の真像を模写された、その真像に書いてくださったと。性信は、私がそれをいただいたんだと、預かっているんだと。だから、「私のところに親鸞聖人の血脈が相続してるんだ」ということを言っているわけです。
そういう意味で、『真宗聖典』には五通目が解説だけで、全文が出ていないんですけれども、大事なものですから後半のところを見ておきました。
7 「思いとしての私」と「身としての私」との相互関係
(質問)人間は自分の考え方を押しすすめると、自己崩壊になると、だから本願によらなければならないとお聞きしたと思うんですが。
(答え)私どもの学院では四月に入学して、翌年の三月が卒業です。一年間、共同生活をしながら、親鸞聖人の教えを聞法し、お互いにそれを共同生活の現場で確かめあっているんです。
二学期の後半がくると、だいたいみんな気がつくことがあるんですね。それはどういうことかというと、「思いとしての私」と「身としての私」という、そういう二つの私が存在しているということがだいたいわかってくるんです。
「身としての私」というのは限定性があるわけです。それは、いつでもない今、どこでもないここ、誰でもない私自身です。だから限定性がある。この限定性というのは社会的身体、そして歴史的身体、そして親鸞聖人の言われる自然的身体に関わる限定です。
自然的身体というのは、男であるとか女であるということです。生まれた時に限定があるでしょう。社会的身体というのは、いろんな事情の中で一つの社会的身体を持ちます。今、大学を卒業する人は就職活動で大変だと思います。少しよくなったらしいですね。就職活動というのは社会的身体を選んでいくと同時に、限定を受けていくわけです。
歴史的身体というのは、自分が今日までどういう生き方をしてきたのかということでもあるんですけど、それだけではなしに、自分の親が誰であるとか、先祖が誰であるとかと、そういうことが歴史的身体になるわけです。もっといえば、日本人であるのか、アメリカ人であるのか、インド人であるのか、そういうことも歴史的身体に関係するんです。
こういうのは限定があるでしょう。それは、いつでもない今、どこでもないここ、誰でもない私です。だから限定です。しかも、これは代わってもらうことができない。無有代者、代わる者あることなし、です。自分がそれを引き受けていくしかないわけです。しかし引き受けきれないんです。
ここでみんな涙を流すわけです。涙を流すというのは人間に限ります。動物たちはわかりませんけれども、おそらく引き受けてしまっています。一如になっています。それになって生きているわけです。
人間はそれになって生きることができないのはなぜかというと、「思いとしての私」があるからです。これを自我意識とも言うし、末那識とも言います。
たとえば、私は男だと。生まれた時に限定があります。だんだん成長して自我が目覚めてきて、いろんな世界の様子がわかってくると、比べます。そうすると、思いとしての私は「ああ、女のほうがよかったな」と思ったりするわけです。「思いとしての私」は、いつかどこかの誰かとしての自分を想定できるわけです。これは無限に妄想、幻想できるわけです。それは誰にでもなれるわけです。
皆さんでも、夜に蒲団の中で無限に妄想することができるでしょう。夜が来ると楽しくて仕方がない。昼間は死んだふりをして、夜になると楽しくて仕方がない。なぜなら無限に自分を幻想できるからです。
これを自分だと思うわけです。「思いとしての私」というものを自分としてしまうんです。なぜかというと、いくらでも妄想できるし、幻想できるからです。
そうすると、「身としての私」というものを対象化すると。とたんに、「身としての私」の傍観者になって、当事者にならない。そして、自分に唾をかけるとか、自分を痛めつけるということをする。「こんな自分でなかったらよかった」と、その都度けちをつける。自分をしょっちゅう批判して、こんな自分はいやだと。最後は行くところまで行くと、自殺です。自分で自分を殺してしまう。「思いとしての私」は必ず自殺の危険性を持っています。何とか折り合いがついているからやっていけているんです。ここまでは「あきらめて」ということがあるから、何とか折り合いがついて生きているんです。あきらめきれないということになると、自分を殺す。そうなると、他人だったらもうしたい放題するでしょう。いやだったら殺すと。
つまり、自分の思いを中心にし、自我を中心にして、自分の都合のいいものを受け入れて、都合の悪いものを捨てる。選び、嫌い、見捨てると。これが真実に背いているわけです。
8 「願に生きる」新しい我の獲得
ここまでは誰でもだいたいわかるんです。一学期、二学期、親鸞聖人の教えを聞いて生活して、聞法すると、ここまではわかるんです。どっちが本当の自分かというのもわかる。わかるけれども、というわけです。わかるけど、その自分になれないというわけです。そこで、最後に問題になるのは、「信に死し願に生きる」ということです。「信に死し願に生きる」ということがないと駄目なんです。
「信に死し」ということは、自我が死ぬわけです。本願を信じ如来を信ずることによって、新しい私が生まれ出ることによって、無始以来それで苦しんだ末那識、自我意識が死ぬんです。立場を自我におかない。本願を信ずる信心に自分の立脚地をおくと。しかし、それをすぐ忘れるから南無阿弥陀仏と念仏を申して、新しい私に戻ってくるわけです。
ですから、信に死して初めて「身としての私」を私とすると。それは自分を大事にしていこうという願なんです。思いではないんです。自分を尊重していこうと。縁のある人を尊重していこうと。そういう如来の摂取不捨の本願を我が願として生きていこうということです。これが最後の仕上げです。三学期にこういうことが決定できるかどうかということなんです。
だから、カリキュラムはこれだけのことです。「思いとしての私」と「身としての私」があることをしっかりと知ると。しかし、「わかるけれども」と言って、「身としての私」になれないわけです。それは「身としての私」を引き受ける根拠がないからです。だから、それは本願を信じる、念仏を申す身にならない限り決着がつかないんです。本願を信じ、念仏申す身となったら、この「身としての私」を、つまりいつでもない今、どこでもないここ、誰でもない私自身を私として、当事者になって引き受けて生きることになるんです。
そうしたら、しなければならないことがいっぱいあるわけです。たとえば、家に帰ったらおばあさんが寝たきりになっている。引き受けたら、おばあさんの介抱をするしかないんです。それを目をつむったとたんに、「思いとしての私」になるでしょ。いつかどこか誰かとしての私を自分だと思ったとたんに、目の前に寝ているおばあさんが消えてしまうわけです。
それだけのことです。だから、「信に死し、願に生きる」ということがはっきりしないと生きたことにならない。腐ってしまうんです。
「ただ念仏して」とか「往生浄土」というのは、これは自分になって、縁のあるものと共に生きるということです。往生浄土は共に生きるということ、成仏とは自分になることです。
そういうことがありますから、あまり難しく考えないでください。実際、そうやっているわけですから。いつも「思いとしての私」の中へ入り込むわけです。そして、「身としての私」、現実の自分をいつも切り捨てていくんです。これが一番ひどいことをしていることになるんです。
世界中の人が見捨てても私は私を見捨てることはできない。これが願なんです。世界中の人が見捨てられても、私は私を見捨てることができないと言って生きていくことが、「願に生きる」ということです。
学校でもこういうことを教えてくれたらいいと思うんです。そうすると、殺したりすることはないと思います。競争といったって、相手をつぶさなくてもいいわけです。自分の力を出したらいい、相手を尊敬して、自分が自分の力を出していったらいい。相手をつぶさないと自分は助からないと思うのは幻想です。
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