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 竹下 哲さん「空しく過ぐる人ぞなき」
                                   
1997年4月18日 

 皆さんおはようございます。私は広島高等師範学校を昭和19年に卒業しました。久しぶりに広島にまいりまして、なつかしさでいっぱいです。そういう広島の方々にお話ができることを大変ありがたく思っております。

 今は大変豊かになり、便利になりました。そして長生きをされるようになりました。豊かさを食べ物で言いましたら、飽食の時代ですね。ものを食べても食べ残し、食べ散らし、食べる行儀も足を伸ばし、ひじをついて食べている。飽食ということはそういう現象を生み出しているわけです。ある調査によりますと、約40パーセントは食べ残すそうです。その40パーセントを捨ててしまう。はなはだしいのは手をつけないのが13.9パーセント。ひどい時代になったと思います。

 私が少年時代は戦争が始まっておりまして、ものが乏しい時代でした。母親の作ってくれた弁当を持って学校へ行きました。そしてお弁当の時間はわくわくするような時間でした。その弁当を一挙に開かないで、こそっと開いて中を見たものです。そして弁当の隅に黄金色に輝く卵焼きを見つけた時のあの喜び、感激。それはもう70を過ぎた私の胸の中にもたぎっております。その大好きな卵焼きを最後まで残しておいて、二切れの卵焼きをいただいたものです。その弁当をいただきながら、実は母親の心もいただいたものです。お母さんありがとう、という気持ちで弁当をいただいたものです。

 しかし今や飽食の時代です。食べ残し、食べ散らし、足を投げ出して食べる、ひじをついて食べる。
 日本は穀物の自給率はわずか30パーセントですよ。70パーセントは外国から輸入しているんです。もし何かがあれば、日本国民はいっぺんでまいってしまいます。いわば崖っぷちで飽食の楽しみを欲しいままにしているのが、現代の日本人です。

 レストランに行きますと、紙ナプキンをくれます。あのナプキンを見ましてももったいないという気持ちがして仕方ないんです。一回だけで捨ててしまいます。私は食事の後、紙ナプキンがもったいないものですから、ポケットに入れて、いつも持ち歩いています。全然汚れていないのに捨ててしまう。そのために東南アジアの熱帯雨林はどんどん切られています。そして地球温暖化の現象をまねいています。

 バングラデシュという国がありますね。その国土は日本の半分で、人口は日本と大体同じくらいです。大変貧乏な国で、驚くことに
バングラデシュの人が食べる量は、日本人が食べ残す量と等しいそうです。それほどバングラデシュは貧乏です。それほど日本は飽食の限りを尽くしています。

 そして本当に便利になりました。昨日、私はのぞみという新幹線に乗りました。本当に目が回るくらい早いですね。しかしJRはもっとスピードをあげるんだそうです。30分早く着いたからといって、どういうことになるんでしょうか。

 便利になりました。食べ物も豊かになりました。しかしそれで、日本人が安心して満足して輝いて生きているかというと、ちっとも輝いていない。むしろ不平不満で生きています。もっともっと、という感じです。もっと便利に、もっと豊かに、もっと長生きしたい。もっともっとと、みんな右往左往しているのが、日本人の現状ではないでしょうか。豊かになってよかった、ありがたい、手を合わせて食事を拝む、手を合わせて一枚の紙を拝む。そういう気持ちはどんどんなくなっています。それどころか、もっともっとという感じで走り回っているのが、日本人の現状ではないでしょうか。

 しかし考えてみれば、今日の一日の命をたまわって、三度のご飯がおいしいというので十分ではないでしょうか。それで満足できないんでしょうか。みんなよくばりじゃないでしょうか。日本人みんなが餓鬼になっているのではないでしょうか。

 何も贅沢なものを食べて食事がおいしいというのでなく、簡素なもので食事がおいしいのです。私は外ではなんでもいただきますが、自分の家では玄米と菜食の生活をしています。魚や肉はたまにはいただきますが、大体において野菜をいただきます。この頃はタケノコが出ますから、毎日タケノコをいただいています。昨日もタケノコ、今日もタケノコ、明日もタケノコ。口から竹が生えてきます。竹下がタケノコを食べますから同士食いです。 大根、人参、ゴボウ、如来からたまわった食べ物はみんなおいしいですね。何万円もつかって料亭に行く必要はないです。

 日本人は豊かすぎますから、質素で簡素な生活を忘れてしまったんです。そして山海の珍味をそろえ、贅沢のし放題をして、そして満足するかというと少しも満足してない。不平不満です。
 しかし考えてみれば、如来よりたまわった大根さま、ニンジンさま、タケノコさま、本当においしいものです。身体にもいいものです。しかし今は豊かすぎるために、みんな軒並みに糖尿病です。以前は糖尿病はいなかったです。今は誰も彼も糖尿病です。しかし私は日本人は念仏を申して、原点に帰るべきだと思います。そこに本当の生活があるのではないでしょうか。

 ある方がこういうことを言われています。
お金を貯めれば貯めるほど不安や不満が増える。ものを集めれば集めるほど空しくなる

 確かにこの娑婆世界ではお金は必要です。だから一生懸命働いて稼がないといけません。しかし、お金さえあれば大丈夫だとは絶対言えません。また金が増えれば満足かというと、そうは言えません。むしろお金が増えるほど、不安や不満が増えるんです。そこのところを真宗門徒は肝に銘じておく必要があります。

 長崎にある有名な大金持ちがいます。その方が何百坪の敷地に御殿のような家を建てたんです。せっかくすばらしい家を建てたのに、外から見えないように家の周りを高い塀で囲み、あちこちに防犯カメラがあります。刑務所に入っているみたいです。大金持ちになって御殿のような家を建てた。なんのために建てたか。刑務所に入るためです。

 金はないほうが楽ですね。では貧乏人がいいかというと、そういうわけではないです。お金があれば満足かというと不満が増える。そういうふうに認識しておいたらいいと思います。

 佐々木久子という人がいます。ある雑誌に『私の財産』という題で書いておられます。
「近頃私はどこへ行っても声高らかに胸を張ってこう言います。私は相続税のかからない尊いものを三つ持っています。一つは南無阿弥陀仏のお念仏です。二つは『歎異鈔』です。三つは蓮如さまの『御文章(御文)』です。相続税は全然かかりません。某デザイナーが逝かれました。遺産は五十億円とも報道されています。本妻さんの側と愛人さんの側とで、これから相続をめぐっての熾烈な闘争が繰り広げられるようです。もちろん他人事ですからどうなるのか全く関知しないことですが、形ある財産を残すことがどんなに人間を狂わすものかという事例を、私たちはたくさん見聞きしています」

 そうですね。たとえば厚生省事務次官がお金に目がくらんで賄賂をもらい、拘置所に入っています。次々とお金で人生の歩み方を間違える人がいます。
 そして、ものは集めれば集めるほど空しくなる。ものがたくさんあればいいようだけれど、心が荒れてくると言うんです。

 フィリピンのマルコス元大統領夫人のイメルダ夫人は贅沢三昧をしていました。たとえば自分の屋敷の中に専用の美容院を持っていたそうです。そして靴は三千足あったそうです。一日に一足づつ履いても何年もかかります。

 私は靴を二足しか持っていません。いい方は結婚式や法事などに履いていきます。もう一つは普段ばきです。今日はどっちの靴を履いて来ようかと随分悩みましたが、普段の靴を履いてきました。二足で十分なんです。三千足も持っていたら心が荒れてきます。

 48歳のあるピアニストがガンになったんです。それで目が覚めたんです。なぜかというと、今までたくさん収入があった。贅沢三昧していた。それが指輪やネックレスは贅沢なものだからいらないということで、簡素な生活を始めました。これは新聞に載っていました。

「癌になってから生活は一変した。普段は紺色の作務衣と白い足袋に草履、和服の端切れで作ったリュックでどこへでも出かける。以前はハデハデのドレスばかりだった。指輪、ネックレス、イヤリングと、つけてないものはないくらい身にまとっていた。でももう宝石なんていらない。家を出る時すべてを手放した。豪華な食器類、思い出のアルバム、それも捨ててしまった。長いカーリーヘヤーもばっさり切った。身体に心地よいので和服で通す。食生活も和食中心に生活革命だった。ガンになって思ったことは、人間本来無一物。ガンは神様からのいただきもの、命の恩人かもしれない。今がこれまでの人生の中で一番幸せです」

 岡山の河野進さんの詩で『足袋』というのがあります。
おかあさん、ぼくの穴の空いた足袋、
 まだつくろっているの、格好悪いのに。
 でももったいないでしょう、
 もう一度だけはいてちょうだい。
 渋々はいている内に、足にそぐうて気持ちよく なってきた。
 やっぱりお母さんよく知っているな


 以前は足袋がほころぶと、洗濯して繕い、洗濯して繕ってはいたものです。いよいよはけなくなると、洗濯してその足袋と別れたものです。その生活はよかったです。

 今は「もっともっと」という思想に毒されているものですから、もったいないという気持ちがどんどんなくなっています。もったいないというのは、そのものの命を全うしていないということですね。

 たとえば長崎はジャガイモの産地です。ジャガイモは握りこぶしくらいになります。だけど小指くらいの時に掘り出して、関西方面に送るんです。それが経済的にいいんだそうです。しかしそれをもったいないと言うんです。ジャガイモの命を全うしない。

 あるいはプロ野球の優勝祝賀会でビールのかけ合いをします。私はもったいないと思い、申し訳ないと思います。ビールには麦の命がこもっています。お百姓さんの汗がこもっています。酒屋の兄ちゃんの涙もこもっています。そういうものをぶっかけ合うというのは何事でしょうか。コップ一杯のビールをいただいて、ああおいしかったと飲む時に、麦の命は全うされるんでしょう。それをただぶっかけ合うのを、もったいないと言うんです。

 豊かで便利になって長生きするようになりました。長生きは結構ですが、長生きだけで生き生きと老人が生きているかというと、決してそうではないですね。先だっても、あるおばあさんが私の家にやって来てこう言うんです。

「先生、私寂しいんです」
「どうしたんですか」
「私は健康で、炊事も掃除もしています」
「それは結構ですね」
「いや先生、私が元気で家事をするんで、嫁も勤めに行きます」
「そりゃあよかったですね」
「いえ先生。朝の食事がすんで茶碗を私が洗っています。その私の背中にぶつかるようにして、嫁が会社に行くんです。その時に一言も声をかけないんです。お母さん行って来ます。お母さんのおかげで勤めに出れます。ありがとう。こう言ってくれたらどんなに幸せでしょうか。だけど一言も声をかけないんです。それどころか玄関先では犬に向かって、行って来るわよ、帰ってくるまでお利口にしといてね、と挨拶するんです。私は犬以下です」
 こうおばあさんは嘆くんです。

 長生きは結構です。しかし、長生きをしさえすれば人間は生きていけるか。そんなことじゃないんです。豊かであれば結構です。お金がたくさんあれば結構です。しかし、豊かでお金がたくさんあるから生きていけるか。そうではないんです。

 ふと思い出しましたが、仏教では八難という言葉があります。仏法を聞くのに難しい世界が八つある。その一つが長寿天です。長生きして死なない世界です。百年も千年も長生きする。しかし
死を忘れよう忘れようとしている世界を長寿天というんでしょう。現代の我々は長寿天ではないでしょうか。しかしどんなに長生きしても、必ず死んで行くんです。お釈迦様は生老病死と説かれました。

 延命治療というのがあります。人工呼吸器を取り付けます。延命治療で何日かは長生きしますが、死なないことはないんです。あるいは臓器移植があります。脳死した人の臓器をとって移植するんです。医学は進歩したと言うべきか、残酷になったと言うべきか。しかしどんなに臓器移植しても、永遠に生きることはないです。

人間の歴史は残念無念で死んでいった歴史だ
と藤代先生はおっしゃっています。どんなに金持ちになっても結局死んでいく。どんなに偉くなって総理大臣になっても結局は死んでいく。どんなに長生きしても結局は死んでいく。どんなに自分の思う通りになり、栄耀栄華の絶頂にあっても、残念無念こんなはずじゃなかったと言って、みんな死んでいくんです。それが人間の歴史です。

骸骨のうへを粧ひて花見かな
という句があります。鬼貫という人の句です。骸骨の上にお化粧をし、着物を着て、イヤリングをしたりして、花見をしているわけです。しかし、どんなに高価な着物をまとい、お化粧をしても、中身は骸骨です。骸骨とは死です。
 みなさんも骸骨です。骸骨が何百人も集まっているんです。着物やお化粧でごまかして花見をしているんです。花の美しさに我を忘れるのでしょうが、家に帰って、夜眠る時にしんしんとして寂しさが起きてくる。それは骸骨だからです。

 長寿天、死を忘れ、生だけを求めて、悪戦苦闘しているのが人間の歴史です。しかし清沢満之先生がおっしゃったように、
生のみが我等にあらず。死もまた我等なり
 生と死とは並存するものだとおっしゃる。死を忘れても必ずやってくる。花見に我を忘れていても、中は骸骨だということがその証拠です。

 八難の中に北倶盧州というのがあります。なんでも思うようになる世界です。思うようにしたいというのは人間の根性です。それを平たく言えば、「鬼は外、福は内」でしょう。
幸せは内に、不幸や災難は外へ行ってくれというのが、私たちの根性です。鬼は外、福は内となる世界が北倶盧州です。北倶盧州の住人は自分の思うようになるもんですから、浮かれ歩いているんです。

 たとえば鬼は外と言う時、事故に遭うのが鬼です。だから事故に遭わないようにと、鬼は外とまじないをします。しかし事故に遭う時は事故に遭うでしょう。病気をすまいと思っても、病気になる縁の時は病気になります。死にたくないと思うけれども、死ぬ縁の時には死んでいかなければならないのが、人間の定めでしょう。それを鬼は外と言ったって、そのようにはならないんです。そして災難は外に行けと言いながら、災難に出会うと、こんなはずではなかったと空しくなるんです。

 そのいい例として、私は林暁宇という先生のことを思います。林先生は北海道の田舎の貧乏な農家のご出身です。九人兄弟姉妹の下から三番目に生まれました。そして一年生から六年生までが一緒に同じ教室で、先生は一人しかいないという分教場で学ばれました。小学校を終え、将来は偉くなろうと頑張っていたんです。しかし福は内、鬼は外とはならないんですね。それが人間の定めです。十八歳の時に肺結核になったんです。当時結核は不治の病と言われていました。自分は死ぬのかと、林先生は絶望しました。

「その頃、肺病といえば不治の病ということになっていました。私はわずか二十年足らずで自分の人生が終わるということで深く悩みました。むなしい、などというような言葉はまだ知りませんでしたが、それまでしていたことはすべて、自分が大人になったとき、この世間でちゃんと生きていくために勉強もし、体もきたえる、そのための準備期間だと思って生きてきました。ところが十八や二十歳で死んでいかんならんということになれば、今までしてきた努力がみんな水の泡です。小学校しか行けませんでしたが、私なりに農業の手伝いをしながら講義録を取りよせて勉強していました。そういう努力も、死を前にした時に何の役にも立たなくなったのです」

 病気にはなりたくないです。鬼は外です。だけど、病気になる縁の時には病気になるんです。死の縁のある時には死ぬのです。それが人間というものです。だから長寿天で死を忘れていても、死は必ずやってきます。北倶盧州で鬼は外とまじないをかけても、病気になる時は病気になります。
 そして林先生は病床でのたうちまわっていたんです。十八歳で死なないかん。空しいですね。その時に熱に浮かされて身体がきつい。なんか本でも読んで気持ちをそらそうと思いつきました。しかし、その頃の田舎の農家には本らしい本がないんです。ある日、便所からの帰りに、表紙の取れた薄い雑誌が見つかったんです。その『慈悲の国』という雑誌を見ると、どうも仏教の本らしい。仏教の本なんか面白くないなあ、もっといい本はないかなあ、と思ってもその雑誌しかないんです。だから仕方なしに読んだんです。

 そしたらその本の中に「病人とは」という文字が目に入った。自分が病人だから気になって見た。「病人というものは、朝から晩まで何もせずに寝てばかりいる者だ」とあります。それを見てカチンときた。何かができるくらいなら病人とは言われんわい。ところが先を読んだら、中国の百丈禅師という方がこう言っている。

「一日作さざれば一日食わず」

 一日仕事をしないならば、その日一日何も食べない。その論法からすれば、一日仕事をしないで寝ころんでいれば、その日は何も食べられないはずだ。だけど病人が一日ごろごろしても、食事が与えられるならば、感謝合掌してこれをいただかねばならない。そう雑誌に書かれていました。

 病人は感謝合掌して食事をいただかなければならないという文章を読んだ時、林先生は脳天をガーンと打たれたように衝撃を受けました。それまで自分は肺病だ、肺病は栄養が大事だと、母や姉に文句ばかりを言っていた。しかし考えてみれば食べる資格がない。それなのに、もしさじ一杯のご飯でも、一切れの野菜でもいただくならば、手を合わせていただきますと言っていただくのが当然だ。不足ばかり言っていた自分自身を言い当てられた。こういうことに林先生は気づいたんです。それが仏法との出遇いです。そして立派な念仏者となられたんです。

 私たちは資格があって食べているんでしょうか。資格がないんだと思うんです。皆さんだって今日は何も仕事していないでしょう。私の話を聞くだけでしょう。居眠りしながら聞いたりしているでしょう。それでも弁当はパクパク食べるでしょう。資格がないのに食べているんですよ。

 八難の中の長寿天、北倶盧州というのは人間の欲望です。ああなりたいと思うんです。そういう世界は今まで言ったような世界です。

せっかく人間に生まれながら、仕事だ金だ名誉だとそれだけで終わる人生なら悲しいことであり、人生そのものが空虚になってしまう
という言葉があります。どんなに長生きをしても、どんなに大金持ちになっても空しい。人生全体が空しいことです。最後は骸骨にになるんですから。

 「冷えたビール」という詩があります。
 
冷えたビールはむかしみんなの憧れだった
 わずか二十年前 好きなときに好きなだけ取り出せて
 うんと冷えたのをぐっとやれたら さぞかしそれは天国だろう
 気づいたら いつの間にやら現実で
 朝っぱらから飲む人もあり
 春夏秋冬どの家にも 冷えたビール 何本かがねむり
 路上でさえ なんなくカチャリと手に入る
 だがだが ああ天国 もう甘露
 しみじみうめく者はいず さほど幸せにもなれなかった

物が豊かであることの象徴が冷えたビールです。今度は長生きです。

 不老長寿も憧れだった
 いにしえより薬草を求め 仙人ともなり
 錬金術にうつつを抜かし
 人智を結集 追い求めたものが
 身をよじるように焦がれたものが
 今や現実 平均寿命八十歳になんなんとする
 助けて 手に入れた玉手箱の実態に愕然
 みんなやれやれと 深いため息
 互いに顔を見合わせて こんなはずじゃなかったなあ


 これは現代の日本を象徴している実に立派な詩です。冷えたビール、豊かさの象徴です。不老長寿も長生きの象徴です。みんなよかった、ニコニコと生き生き暮らしているかといえば、絶対に違います。空しい、空しい、です。その証拠に、あちらからも助けて、こちらからも助けて、という声がしています。
 いじめも大人の社会が行き詰まってやりきれなくなっている証拠でしょう。いじめということで、助けてと呼びかけていると思うんです。そしてこんなはずじゃなかったのにと、みんなため息をついている。それが日本の、あるいは現代世界の現実じゃないでしょうか。

 それなのに大人たちはそういうことがわからない。もっと豊かになれ。もっと便利になれ。もっと長生きしたい。ということで、今国会で脳死法案が論議されています。いくら臓器移植しても死ぬんです。その一点を見つめないと人間は生きていけないでしょう。

 もっと豊かにと言うけれど、あふれるほどの物を食べ残したり食べ散らしたりして、結局糖尿病になるでしょう。紙だってどんどん捨てるんです。そのために熱帯雨林をどんどん切っている。もったいないですよね。木が泣きますよ。

 蓮如上人が廊下を通ったときに紙切れが落ちていたので、それを拾われて
「仏法領のものをあだにするかや」
と言って拝まれたということです。そういう精神がないのです。もっとたくさん、
もっと豊かに、もっと早く、もっと長生きになれば幸せになるという妄想、幻想にとりつかれ、右往左往している。

 しかしお釈迦様はおっしゃいます。娑婆は空しい所だぞ。そして親鸞聖人は、
「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」
と和讃でおっしゃいました。本願力に遇うことが大事だ。お金をどんなに積んでも空しい。どんなに長生きしたって死ぬ時が来たら空しい。どんなに出世しても空しい。娑婆のことは一切が空しい。

 『歎異鈔』には、
「罪悪生死の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに」
とおっしゃっているでしょう。これは一切が空しいということです。そして、
「ただ念仏のみぞまことにおわします」

 本願力に遇えば空しく過ぎることはないんだ。貧乏人は貧乏人のまま、喜び勇んで生きていけるんだ。わずか三十歳で命が終わったとしても、三十年間命を燃焼して私は生きてきた、ありがたいことでありました、南無阿弥陀仏と言って、この世にお別れすることができるんです。その一点が真宗の要です。それがわからないならば、何年真宗を聞いていたって、それこそ空しいことです。

 この人生はすべてのことが、そらごとたわごと、まことあることない。空しく過ぎる娑婆において、たった一つ空しく過ぎない道が、親鸞聖人がお説きになりました真宗の教えです。親鸞聖人は、
「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」
とおっしゃました。本願力とは何か。簡単に言うならば、念仏して浄土に生まれよという仏の願いが本願です。どうしてそのような願いをたてられたかというと、一人一人が人生を生きているが、空しくあえいでいる。その一人一人に向かって、念仏を申して浄土に帰るんだよと呼びかけて下さっているのが、仏の願いなんです。

 仏様が自分の智慧と慈悲をかたむけて成就して下さった名号(南無阿弥陀仏)を衆生に称えさせることが念仏です。もっと言うと、名号は衆生が作るのではなく、如来が作られて衆生に回向して、衆生の口から南無阿弥陀仏と念仏が流れ出して下さる。それが念仏することです。別の言葉で言うならば、娑婆の一切が虚仮、空しいことだとわからせるのが念仏だといってもいいでしょう。

 それからこの世だけでなく、この世を形成している私たちが自分中心で生きている。俺が俺がと生きている。そういう
自分中心の私の姿を照らし出すはたらきが、南無阿弥陀仏です。よそ様のことはわかりません。この世の中が本来はうまく収まっているのに、俺が俺がという自分中心のはたらきによって、地獄にしてしまっている。そういう私の自分中心のエゴの姿を照らし出すはたらきが、念仏だと言ってもいいかと思います。

 もっと言うならば、我が姿とは私の現在地です。地図には現在地が必ず書いてあります。ここが今あなたが立っている所ですよと、しるしがしてあります。自分の今いる場所がわかって、全体の地図が生きてくる。同じようにこの私がどのような私であるかを、念仏によって知らされるかによって、この娑婆の全体をわからしていただくということです。

 長崎の円満寺というお寺の住職が本を書いておられます。『人の世に光りあれ』という自叙伝をまじえた本です。旧制中学に通っていた頃、お父さんが胃潰瘍で亡くなるんです。その時のことを書いておられるので、しばらく聞いていただきたいと思います。

「中学の三年生くらいでしたでしょうか、父の胃潰瘍がひどくなりまして、とうとう穿孔性胃潰瘍で穴があきまして、腹膜炎になりました。そうすると、もうこれは手の施しようがないということで、お医者さんもさじを投げました。その時に子供が私を頭に五人おりましたから、近所のおじさんが遺言を書きとめてくれました。

 そのころの私は非常に親孝行な坊ちゃんだ、感心な坊ちゃんだと、人から言われていました。面と向かってそういうことを言ってくれますから、自分でも親孝行な息子だと思っておりました。

 いよいよ父が遺言を言い出しますと、近所のおばさん達や親戚の叔母がみな泣き出すわけです。ところが私は涙が出てこない。けれども人からは感心な坊ちゃんだと言われているもんですから、せめて親父が亡くなる時は、格好だけでも涙を流さんと親孝行な坊ちゃんにならんわけですから、何とかして涙が出んかなあと思いますが、涙が出ません。唾つけるわけにもいかんし、子供ながらに身体はくたくたに疲れておりましたが、その時に私の心の底からはっと湧き出てきた思いがあったのです。

 その当時(敗戦直後)真っ黒く汚れた服装をして、着替えもないような頃でしたので、垢だらけのシャツを着ていました。ところが、いいところの坊ちゃんは長崎の中学ではワイシャツを着ておったんです。私はノミのくそだらけのシャツを着ておったわけです。

 
親父が今や亡くなろうとする時に、私の心の底から湧いてきたのは、「ああ親父が死ぬとやったら、早よう死ねばよかとに。いつまでっちゃ看病せんばならんとやったら、たまらんばい。生きるとなら、もうちょっと早よう元気になる兆候あればいいのになあ」と思いました。

 そんなことを思いながら、ふと心の底から湧いてきた思いがありました。親父がその当時ワイシャツを二枚持っていました。それは二枚しかないんですから、絶対によそ行きでした。私はそれがあることを知っておりまして、「よかとこの坊ちゃんのように一遍でよかけんが、ワイシャツ着て学校に行きたかなあ」と思っておったのです。そして、「
もう死ぬなら早よう死ねばよかとにね。親父が死んだら、あのシャツは俺のものになるなあ」と思いましたですね。

 ということは、人間を尊敬するどころか、自分の親父でさえも食い物にしていく。そういう心の底から湧き出た思いに、私自身大げさに言えば愕然としました。

 私にもしも人生を問うきっかけあったとすれば、そういうことも大きなきっかけでございます。まあかっこいい言い方をしますと、
私の父はわざわざ胃潰瘍になって、何十ぺんも血を吐いて、腹膜炎になってまで、私を育ててくれようとしたのだなあと、そういう感じもいたすわけでございます」

 お父さんが亡くなろうとしているのに、涙が一滴も出てこない。それは自分中心に思っているから、自分が胃潰瘍でないからです。お父さんといえども他人だから、涙が出てこないんですね。それを六道の中の畜生道と言います。畜生とは無明です。全体の道理がよくわからない、自分中心の考えが畜生です。
 それから、どうせよくならないのなら早く死んでしまえばいいというのは、地獄です。地獄とは相手を殺す世界です。
 そして、あの二枚のワイシャツが欲しいなあと思ったというのは、餓鬼です。餓鬼を親鸞聖人は常に飢えると言われた。そういう点で今の日本人はみんな餓鬼です。豊かになったけれども飢えている。もっともっとと飢えている。
 だから地獄、餓鬼、畜生の世界を、円満寺の住職はさまよっていた。

 私の二人の息子がまだ小さい頃は食欲旺盛です。腹一杯食べて三十分もすると、「おかあちゃん、腹が空いた」と言います。常に飢えている。それこそ餓鬼です。私の妻は長崎名産カステラをまっぷたつに切る名人です。よだれを垂らして見ている子供の前で、まっぷたつに切ります。好きな方を取りなさいと子供に言います。一分一秒を争って欲しいと思っているのに、さあ取りなさいと言われると、後すざりして、どっちが大きいか見るんです。どっちから見ても同じ大きさです。それで兄か弟かが大きいと思う方をぱっと取るんです。取った瞬間に自分のが小さく見えるんです。残ったのが大きいと思う。なぜか。餓鬼の根性があるから狂うんです。そっちがいいと兄弟喧嘩になります。それを多かれ少なかれ、私たちみんなが持っています。

 ある小学校の四年生の子が「運動場」と言う詩を書いています。
遊びの時には、狭い狭いと言っていた運動場が、
 朝会の時に石を拾わされると、広い広いと言う

 同じ運動場でも、遊んでいる時には狭いなあ、もっと広ければいいのになあと思い、石を拾わされると、広いなあ、もっと狭くなればいいのにと思います。これは四年生のこの子だけの問題じゃない。私たち自身の問題です。

 いつも飢えている。餓鬼です。日本人の現状はみんな餓鬼です。飽食の時代なのに、まだ足らんまだ足らん。どこまで行ってもまだまだと常に飢えている。

 一番最初の本願は何かというと、国に地獄餓鬼畜生があれば仏にならないと誓われた。そういう地獄餓鬼畜生を逃れることのできない人間を痛み悲しんでの本願だと思います。

 円満寺の住職もその通りです。ワイシャツが欲しい。餓鬼です。こんなことなら早く死ねばいいのに。これは地獄です。そして涙が出ないのは、自分ではなく、父といえども他人だからです。畜生です。そこをさまよっている私の姿が、お念仏を申す時に照らし出されてくる。そして申し訳のない私でした。どこどこまでも頭の上がらない私を見せて下さる。

 先だってある寺の住職が糖尿病で入院されたので、見舞いに行きました。食事の制限をしているので、おなかが減ってしようがないんだそうです。「餓鬼地獄ですよ。食べたくて食べたくて仕方がないんです」とおっしゃる。そうでしょうねということで、三十分ばかりお話をして帰りました。帰る時にふと病室の壁を見ましたら、紙に字が書いてあります。なんと書いてあるかというと、帰命清浄光仏とあります。思わず私は手を合わしてお念仏を申して病室を出ました。
 帰命清浄光仏とは、清らかな純粋なきれいな餓鬼の心のない仏様に帰命しますということです。それはどういうことか。帰命清浄光仏とは南無阿弥陀仏ということです。

 この私が餓鬼道に堕ちている。あれも食べたい、これも食べたいと思っている姿を見させて下さる。そして、俺は餓鬼道に堕ちているなあ、餓鬼道をのたうちまわっているなあと、わからせて下さるのが清浄光仏、きれいな仏様です。その仏様に手を合わせてお念仏を申します。こういう意味だと思うんです。私たちの日常生活において、これに類したことはいっぱいあるんじゃないですか。

 あるお寺での座談会で、若い娘さんが述懐した言葉です。
「私は七人兄弟の末っ子です。私が生まれる時、私の家はとても貧乏でした。三度のご飯にも事欠くような有様でした。それで周りの人たちが、その子を堕ろせ、と母に迫ったそうです。その時母は、せっかくたまわった命です、産ませて下さい、と言って、私を産んでくれたのです。本当に御恩のある母親です。

 学校を出てすぐよそに就職したのですが、事情があって戻ってきました。今、母と二人で暮らしています。その母が体の不調を訴えるので、お医者さんに見てもらったところ、肝臓ガンだそうです。余命はそう長くはないだろうということでした。

 ある日、母はラーメンが食べたい、ラーメンを作って、と頼むのです。さっそくラーメンを作って母と差し向かいで食卓につきました。母は手の力が弱っているので、なかなかうまく食べられません。とうとう母は、「M子、私に食べさせて」と頼むのです。やむなく母に食べさせてあげましたが、心の中は、「ああ残念、私のラーメンがのびてしまうのに」という思いでいっぱいでした。

 自分の部屋に引き上げる母の背中は、たいそう痩せていて、何か寂しそうでした。私は思わず母の背中に呼びかけました。「お母さんは今幸福?」母はちょっと振り返り、弱々しい笑顔を作って、「うん、お母さんは幸せよ、お前がよくしてくれるからねえ」と言って、自分の部屋に消えました。その時の寂しそうな後ろ姿を見た時、私の目にはどっと涙があふれました。いつの間にかお念仏を申していました。
 皆さんが私のことを親孝行娘だと言ってほめて下さいます。
私も親孝行娘のつもりでいました。しかし今、そうでないことをはっきりと知らされました。母のことよりラーメンの方が心配なのですから。恥ずかしいことです」

 どうですか。お念仏を申しながら、この若い娘さんは頭を下げています。肝臓ガンで余命があまりないというのに、その母にラーメンを食べさせるために、自分のラーメンがのびてしまうのじゃないかと、その方を心配している。
そういう私であったと知らせて下さるのが、南無阿弥陀仏です

 そしてさらに言うならば、お母さんは肝臓ガンになってまで、私が餓鬼道に堕ちていることを知らせて下さっている。お母さんが肝臓ガンになることは悪いことです。だけど、あえて
お母さんは肝臓ガンになってまでも、私の姿を念仏を通して知らせて下さっている
 そうすると、この世の一切のあらゆることが、すべて私の姿を知らせ、私の目を開くために起こってきているんだということがわかるのです。

 先ほど読みました、円満寺の住職のお父さんが胃潰瘍で亡くなる。そのことに思いをいたして、「私の父はわざわざ胃潰瘍になって、何十ぺんも血を吐いて、腹膜炎になってまで私を育ててくれようとしたのだなあと、そういう感じがいたすわけでございます」
 無駄に胃潰瘍になったんじゃない。無駄に血を吐いたのでもない。胃潰瘍になり血を吐き、あるいはこの女性のお母さんは肝臓ガンになってまでも、わが子の目を開こうとして下さっている。

 であるならば、福は内、鬼は外なんておかしいことです。来たらいかんけれども、病気になることもある。肉親が死ぬこともある。そういう一切のことを通して、一切のことが私の目を開くために行われたんだというところに思いが及ぶならば、すべてに向かって手を合わせて南無阿弥陀仏と言わざるを得ないでしょう。

 それが『歎異鈔』でいう「念仏者は無碍の一道なり」です。さわりがないということではない。病気をしない、貧乏にならない、すべて自分の思い通りになる。そういうことではない。病気にもなる、事故にも遭う、様々な苦難にも遭うだろう。だけど様々な苦難、困難が実は他でもない私の目を開くために行われたんだ。であるならば、好きでも嫌いでも一切を、南無阿弥陀仏とお念仏とともにいただくことができるんでないでしょうか。

 たとえ自分の病気ということも、お念仏とともにいただけるならば、病気であることは事実だけれども、病気を超えてこの人生を生きていくのではないでしょうか。無碍道を念仏者は歩くというのは、そのことではないでしょうか。

 そして、お念仏を申して自分の現在地が明らかになれば、その時そこにお浄土が開けてくると思うのです。浄土は別の世界にあるのでなくて、念仏を申して、たとえばお父さんを食い物にしている我が姿がお父さんの死を通して見えてきたときに、ナンマンダブツナンマンダブツ。念仏申すときに、そこにはお浄土が開けてきているんではないでしょうか。

 私の弟はわずか三十歳で、胃ガンのために亡くなりました。とても頭のいい、体格のいい、風邪一つひいたことのない弟でした。それが昭和三十四年、食欲がなくて、元気があまりありません。昭寿という名前でしたので、
「アキちゃん、えらい元気ないなあ、どうしたんだ」
と言いますと、
「うん、兄ちゃん。どうも食欲がないんだ」
と言うんです。

 それで長崎に是真会病院という病院があります。「世間虚仮、唯仏是真」から取った名前です。その院長である高原憲先生は篤信の念仏者でした。患者さんの脈を取りながら、「ナマンダブ、ナマンダブ」と申す先生でした。ある患者さんが先生の診察を受けて「君は大丈夫だ」と言われて、喜んで家に帰ろうとして、待てよ、大丈夫と言われたが、いつまで大丈夫だろうか、それを聞かなかったというわけで、また病院に引き返したんです。それで先生にまた会いました。
先生、いつまで大丈夫なんでしょうか
そしたら、
うん、死ぬまで大丈夫だ
そういう先生です。

 その高原先生に見てもらうと、胃ガンの疑いが濃厚だということです。まあびっくりしました。三十歳で、体格のいい、風邪一つひいたことのない弟です。一月十五日に胃を切り開きました。驚いたことに、ガンは胃の全体をおかして身体中に転移しています。もう切り取りようがないというのです。だからガンはそのままにして、また縫いました。後は死を待つばかりです。二月六日に退院しました。どうせ死ぬのなら、自分の家でと思いまして。

 春に弟は結婚することになっていました。そのお嬢さん親子をお呼びして、ささやかな退院祝いをしました。弟はワインをついでまわって、
「僕は病気をしてよかった。皆さんの愛情が身にしみた」
と言うんです。母がたまらなくて涙をこぼしますと、
「お母さん、どうして泣くとね。うれし涙ね」
と言う始末です。

 だけどガンは深刻な病気です。しかも胃全体がおかされていますから、刻一刻やせ細っていきます。アキちゃんとの別れももうしばらくだ。こう思いまして先生とも相談して、本当の病名を弟に告げてもらうことにしました。

 三月二十五日、先生が私の家においでになりまして、
「昭寿さん、あなたは私に何か聞きたいことはないですか」
とおっしゃいました。弟は待ってましたとばかり、
「先生、私は悪いところを切って、だんだんよくなると思ってました。しかし、ちっともよくなりません。どうしてでしょうか」
先生は間髪を入れずおっしゃいました。

「昭寿さん、あなたの病気は胃ガンなんだ。それも手遅れなんだ。僕も医者の端くれだから、何とかしようと随分努力をしたけれども、どうしようもないんだ。あなたの命は今日の一日かもしれないよ。お母さんが泣いていらっしゃるでしょう。お母さんの涙を通して切々とはたらきたまう、念仏してお浄土に生まれるんだという如来の呼び声を聞いて、昭寿さん、お念仏申して下さいね」
 
懇々とお話し下さいました。弟は涙一滴こぼさず、黙って聞いていましたが、先生のお話がすんだときに、深々と頭を下げて、
「先生、ありがとうございました。母と兄がどうしてあんな深刻な表情をしているのだろうかと、不思議に思ってました。これでよくわかりました」
 こう言いました。

 そして四月十七日に亡くなるんですけれども、それまでの一月ばかりの生活は、まことに見事な生活でした。光り輝くような生活でした。春ですから菜の花が咲いています。
「アキちゃん、菜の花が咲いてるよ。来年の菜の花はもう見ることできんとよ。よう見とかんね」
と言って、枕を持ち上げてやりますと、眼鏡をかけて、遥か彼方の山の畠の菜の花を眺めて、
「ああ、菜の花が咲いてる。菜の花も咲いて散っていくのかねえ」
こう言って涙をこぼしました。

 みんなで歌を歌いました。そういうときは演歌なんかは通用しません。讃仏歌ばかりです。真宗宗歌を歌い、恩徳讃を歌い、九条武子夫人の、
「星の夜空の美しさ、誰かは知るや雨のなぞ、
 無数のひとみ輝けば、歓喜になごむ我が心、
 ガンジス河の真砂より、あまたおわする仏たち、
 夜昼つねに護らすと、聞くになごめる我が心」
という歌などを歌いました。

 そして四月十七日、呼吸が切迫し、脈が速くなります。母が弟の手をしっかり握りしめて、
「アキちゃん、もうすぐ楽にさせていただけるのよね。お父さんが待っとんなさるよ。ナマンダブツ、ナマンダブツ」
と、お念仏を申しますと、弟は目にいっぱい涙をたたえて、母の顔を見つめておりました。やがて呼吸が衰えていきます。脈も弱くなってきます。その時に弟は手を合わせるような格好をしました。つぶやくように、かすかに、
「ナマンダブツ、ナマンダブツ」
と、お念仏を申して最後の息をひきとりました。見事な往生でした。

 弟の死後、枕元から一冊のノートが出てまいりました。それは死の宣告を受けた三月二十五日から書き始めた遺書です。死の宣告を受けて余命わずかなときに、しっかりした字で、文章も乱れず、誤字脱字もなく、見事な遺書でした。その遺書に詩が書いてありました。

白道を行く。
 お母さんや兄ちゃんたちのやるせない愛情を総身に浴びて、
 それでも白道を歩いていく。
 その白道がつきたときに、そこにはお浄土が開けている

という一節があります。

 どこかよそに、ではなく、そこにはもうお浄土が開けている。お念仏を申して、私の現在地が明らかにされて、頭が下がったときに、そこにはもうお浄土が開けている。どこかよその世界ではない。

 浄土を死んだ後の世界と取る人がいます。それも正しいでしょう。常識的な伝統的な考え方でありましょう。しかし親鸞聖人はただ単に浄土を死後の世界とだけはとらないで、もっと積極的にこの娑婆が展開した世界、それが浄土だと。そこにはお浄土が開けている。そういう積極的な受け取り方を親鸞聖人はなさいました。

 では、そこに開けてきた
浄土とはどういう世界でしょうか。それはまず第一番目に、帰るべき所でしょう。人間が百人いれば百人、一億いれば一億、世界中のみんなが帰っていく所です。倶会一処とも言います。一つの所に帰ってくる。その一つの所こそお浄土なのでしょう。

 NHKの朝の連続ドラマで「春よこい」というのがありました。女主人公の母がガンで死ぬんです。院長さんと看護婦さんが「霊安室に運びましょうか」と言うんです。すると父親は「いや、家に連れて帰ります」と言います。「ではこの車でどうぞ」と看護婦さんが言うと、「いいえ、抱いて帰ります」と言って帰る場面がありました。そして玄関の戸を開いて、一歩家の中に入って抱いている妻に向かって言うんです。「母さん帰ってきたよ」と語りかける場面があります。

 その時、思わずぽろりと涙が出ました。人生の苦労を重ねて、流転の旅をして、ついに帰る所に帰ってきたんですねえ。みんな様々な人生の苦労をしながら、業が違うからその人生は全部違うけれど、帰る所は一緒です。

 そして二番目に
安心できる世界、安堵できる世界です。この娑婆は絶えず不満です。絶えず不安です。絶えず戦々恐々としています。金持ちになったらなったで、財産が減りゃせんじゃろうか、泥棒にとられんだろうか。どういう状況になっても不安です。「坐起不安」という『無量寿経』の言葉があります。座っても不安、立っても不安、そういう世界が娑婆です。それに対してお浄土は、ああ、よかったね、と安堵できる世界です。もっと言うならば、ご苦労様でした、という世界です。

 みんな亡くなる時には、ご苦労様と言われるんじゃないでしょうか。ある方が亡くなった時に、友だちがやってきて、亡きがらに手を合わせて、「やあ、ご苦労様でしたね」とおっしゃったそうです。みんなご苦労様ですよね。

 私は人間とは人生という舞台における役者さんだと思うんです。皆役者を演じていると思うんです。業が違うから全部役が違います。みんなから好かれて、良いおじいさんだ、良いおばあさんだで一生涯を終わった人もいるかと思うと、ことごとくみんなから憎まれて、あの人は好かんと、つまはじきされる、そういう一生を送る人など様々です。
 しかしどういう人生であろうと、人生という舞台でのその人の役割なんでしょうね。そう思うと気が楽になるんじゃないですか。

 嫌いな人がいる。私に意地悪ばかりする。いやな人だ。と思うけれども、人生という舞台でのその人の役割なんですねえ、意地悪を言うのが。そうでしょう。だから今日帰ったらその人の所に行って手を合わせて、
「ナマンダブツ、あなたは私の悪口ばかり言っているけれど、私の悪口を言うのがあなたの役割だもんね。ご苦労様ですね。今後とも私の悪口を言って下さいね。ナマンダブツ」
こうしたらいいですよ。
 いい役もあれば悪い役もある。だけど、どんな役であろうと、舞台がすんで楽屋に引き上げた時には、
「やあ、皆さんご苦労様でした。さあ、お茶をどうぞ」
と言われるんじゃないですか。特に舞台では悪役で、みんなから嫌われた役を憎まれながら演じた人ほど、楽屋に入ったら、
「あなたは大変でしたねえ。みんなから憎まれて。あなたの役は大変な役でしたね。ご苦労様でした。さあお茶をどうぞ」

 そうじゃないんですか。みんな役を演じていると思うんです。えらくなる役もいれば、一生平社員で上役から文句ばかり言われ続けの一生も、みんな舞台の役なのね。その舞台の役が終わらないことには、人生も終わらないんです。そう思って自分の姿を振り返り、また人様のことも振り返ると、少しは楽になるんじゃないでしょうか。

 こういう俳句があります。
受けとめる、大地のありて、椿落つ
 椿が落ちます。しかし、それは大地があるから安心して椿は落ちることができるんです。大地は椿に条件は付けません。もっと赤く咲かないと受けとめないとか、もっと開かないとダメだとか。そんなことはない。半開きの椿であろうと、満開の椿であろうと、ピンクの椿であろうと、どんな椿でもちゃんと大地が受けとめます。それが浄土でしょう。

 だから、この娑婆でどんなに働いても、どんなに苦しんでも、ちゃんと受けとめる大地がある。受けとめる大地があれば、精一杯自分の花を咲かせることができるんじゃないでしょうか。大輪の花を咲かせる人もいるでしょう。小さな花しか咲かせない人もいるだろうし、若いときに病気して半開きのまま亡くなる人もいるでしょう。しかし一切合切受けとめる大地があるんです。そういう世界をお浄土と言うんじゃないでしょうか。

 安心する大地というのは、お念仏申す、そこにお浄土が開けているのではないでしょうか。お念仏申す時に、何か広々した世界をたまわるのではないでしょうか。
 そして本願力というのは、念仏してお浄土に帰ってこいよということですね。そうすれば、空しく過ぐる人がいない。空しく過ぐる人がいないというのはどういうことでしょうか。中国の曇鸞大師は自体満足と言われます。人と比較して自分が良いから満足し、相手が良いから劣等感を抱く。優越感か劣等感をうろちょろしている。そうじゃないんだ。自体、私自身として満足なんだ。

 親鸞聖人はこうおっしゃっています。
「よく本願力を信楽する人は、すみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人のその身に満足せしむるなり」

 どんなに豊かでも、満足しなかった。どんなに便利になっても、満足しなかった。もっともっと、という不満不安の娑婆です。念仏申してそこにお浄土が開けてきたときに、「空しく過ぐる人ぞなき」。どういうことかと言えば、自体満足である。親鸞聖人の言葉を借りるならば、「その身に満足せしむるなり」

 「その身に」ということは自分自身として、ああ、よかった、私は満足だ、私はこれでいいんだ。たとえ三十才で死んでも、三十年間命の炎を燃やしてきた。ああ、よかった。百才まで生きれば、百まで生かしてもらった、ありがたいことだ、ナマンダブツ。そういう人生を送ることができる。いわば満足という境地、それを「その身に満足せしむる」と言われる。

 人と比較してとか、ものさしで、ではなく、
私は私でよかったということです。ですから、「その身に満足せしむるなり」ということは、私の言い方で言うならば、私は私でよかったということです。人と比較する必要はない。私は私でよかった。それが「その身に満足せしむる」ということなんでしょう。

 北海道のお寺の坊守さんで、昭和六十三年に亡くなった鈴木章子さんは、四人の子どもを残して亡くなったんです。四十七才、心残りが多かったと思います。しかし死の一ヶ月前に子どもたちに遺言みたいなことを言ってるんです。その中の一つにこういうことを言っています。

お母さんは今日か明日死ぬような気がする。みんな大丈夫かい

 周りの人に大丈夫かいと言っているんですね。
覚悟はいいね。お母さんは今死んでもうれしいよ。よいことをしたとか、悪いことをしたとか、成功したとか、成功しなかったとか、そんなことじゃない。満足したかどうかということ。お母さんは十分満足したよ

 「お母さんは十分満足したよ」ということで、四十七才で大往生をとげられた。肺ガンで、最後は脳まで冒されて、四人の子どもを残して、世俗的に言うならば、大変不幸な人ですよ。だけど、周りの人に「みんな大丈夫かい、覚悟はいいね」と死ぬ方が言っているわけです。そして悪いことをしたとか、成功したとか、そんなことじゃないんだ、満足したかどうかということなんだと。お母さんは十分満足したよ、ナマンダブツ、ナマンダブツ。

 南無阿弥陀仏ということは、満足したかどうかということであり、満足したということなんです。それぞれに、その身の中で満足したかどうか。

 「ぞうさん」という歌がありますね。
「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね。
 そうよ、かあさんも長いのよ」
という童謡です。まどみちおさんの詩です。

 これは私は私でよかったという歌ではないでしょうか。キリンさんのようなスマートな動物に生まれればよかった、というのではなく、ゾウに生まれてよかったという歌だと私は思います。大好きなお母さんもお鼻が長いゾウさんだから、僕もゾウに生まれてよかったと言っているのだと思います。そうなんです。ゾウはゾウに生まれてよかったんです。犬は犬に生まれてよかったんです。

 バラとタンポポを比較して、タンポポはダメじゃないか、もっとバラみたいな派手な花を咲かせろと言ったって、それはできないし、そうなる必要もないのです。バラはバラでいいのです。タンポポはタンポポの地味で黄色い花を咲かせればいいのです。

 この万物の中で、人間だけです。私は私でよかったと思わないのはね。お念仏申すときに、そういう世界をたまわるのではないでしょうか。

 インドのカルカッタにマザー・テレサという方がいらっしゃいます。マザー・テレサは死にゆく人々の家というのを作って、飢え死にしそうな行きだおれの人などを集めて、最後の介護をしておられます。しかし、そこは病院じゃないし、いずれはみんな亡くなっていくんです。それなのにどうして集めるのかというと、マザー・テレサは言っています。

ここの患者さんたちは、人生の最後に自分はこんなに大切にされている、自分は大切な存在なんだということを知って、神様のふところに帰っていくのです。一番恐ろしい病気は、自分は誰にも顧みられない、自分なんかこの世にいなくてもいい存在なんだと思ってしまっていることです

 最後に看病して、そして自分はこんなに大切にされている、自分は大切な存在なんだということを知って、神様のふところに帰っていくんだ。そのために死ぬゆく人々の家を作ったんだ。

 そうなんです。みんな一人一人、大切な人なんです。『無量寿経』ではこの境地を「各各安立」、それぞれでよかったと言っています。そうなれば御縁のままに現在に安住して、自分の分限を尽くす人間になる。それが本当の念仏者でしょうね。

 それを親鸞聖人は正定聚、正しく定まった人と言われます。何が定まったのかと言えば、臨終の時に仏になることが定まったということです。そして正定聚というのは死んでからでなく、今直ちに正定聚になって正定聚としてこの人生を歩いていく。命つきる時に仏にならしていただく。いわば未来仏です。それこそ正定聚です。未来仏としてこの世を生きていく。光り輝いて生きていく。そういう人生をたまわるのです。死んでから仏になる。もちろんそうですが、生きている時に正定聚として、未来仏として生きていく。そして御縁のままに現在に安住して、自分にできる分限を果たさしていただく。
 たとえば身体が動かない
寝たきりの病人なら、寝たきりの病人として寝たきりになっていればいいんです。それが現在に安住して分限を尽くすということです。そういうことを思うのです。

 長崎からなつかしい広島に参りまして、二時間あまりお話をさせていただいて、皆さんが一生懸命聞いて下さって、私はそれこそとても満足です。ありがとうございました。
1997年4月18日に行われました安芸南組仏婦連大会でのお話をまとめたものです)