真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  東井 義雄先生
『東井義雄全詩集』探求社 

  うんともすんともいわず

ゆうべの間に
ひげがのびている
しらん間に
うんともすんともいわずに
ひげが のびている

いのちの方は
うんともすんともいわずに
ちぢまっているというのに
ひげが のびている

いや
うんともすんともいわずに
刻々ちぢんでいくいのちを
わたしにしらせるために
そっと
ひげが
信号を送ってくれているのかもしれない
うんともすんともいわずに
ちぢまっているいのちを
わたしに
しらせるために

ひげがのびているということは
わたしが生きているということ

生きているということは
死ぬいのちをかかえているということ

ひげを なでる
うれしいような
さびしいような
愛しくてならぬ
この なまあたたかい
生きているということの
肌ざわり



  目がさめてみたら

目がさめてみたら
生きていた
死なずに
生きていた

生きるための
一切の努力をなげすてて
眠りこけていたわたしであったのに
目がさめてみたら
生きていた
劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のどまんなかに
生きていた

いや
生かされていた



  自転車

おおちゃくげに
腰かけたまま
わたしはペダルを踏んでいるだけ
いろんな
勝手なことばかり
次から次に 考えながら
ペダルを踏んでいるだけ
その わたしを
荷物ぐるみ
腰かけぐるみ
勝手な 考えごとぐるみ
自転車が
つれて帰ってくれる

どうも あんまり
すまんすぎるようだ



  忘れていた 忘れていた

忘れていた
忘れていた
一生けんめい 生きてはきた
忙しい 忙しいと 生きてはきた
しかし
牛のように
よろこびの日も かなしみの日も
大いなるものの誓いを信じ
願いをかみしめ
ひと足 ひと足
ひと事 ひと事
ひと時 ひと時を
踏みしめ 踏みしめ
大切に生きさせていただくのでなかったら
どんなに忙しく生きても
せっかくいただいた ただ一度の人生を
むなしく過ごしてしまうことになるのだと
いうことを
忘れていた

忘れていた
忘れていた
いろいろたくさん貪り読んではきた
聞かせていただくことにも努めてはきた
しかし
牛のように
そのひとつひとつを
なんべんもなんべんもよくよく噛み砕き
味わい
おりにふれ
ことにふれて
それを なんべんもなんべんも はみ返し
完全消化して 血にし 肉にし 骨にし
生きざまの上に活かさせてもらうのでなかったら
いくら読んでも 聞いても
むなしいということを
忘れていた

忘れていた
忘れていた
牛のような 静かな 澄んだ
うるおいのある目で物ごとを見るのでなかったら
ほんとうのことはなんにも見えないということ
ものほしげなキョロキョロした目
おちつきのないイライラした目
うるおいのないカサカサした目
何かに頭を縛られた偏った目では
しあわせのどまんなかにいても
しあわせなんか見ることもいただくこともできないまま
せっかく恵んでいただいた二度とない人生を
むなしく過ごしてしまうことになるのだということを
忘れていた

ああ
牛如来のご説法



  


ひょっとして これは
私のために生まれてきてくれた
女ではなかったか
あんまり 身近にいてくれるので
気づかずにきたのだが…



  おばあちゃん ありがとう

こっくり
こっくり
いねむりしていらっしゃる
おばあちゃん

わたしの話でも
聞いてやろうと思ってここまで来てくださったのに
おばあちゃんのほしいものを
わたしがようさしあげないものだから
こっくり
こっくり
いねむりしていらっしゃる

すみません

それだのに おばあちゃん
わたしは さっきまで
聞いてくれたらいいのにと
おばあちゃんをうらみました

すみません

気がついてみたら おばあちゃん
私も せっかく この世に出していただきながら
聞くために
耳もいただきながら
聞こうともせずに
求めようともせずに
目をあけたまま
いねむりしてきたのです

おばあちゃんのいねむりは
さっきからですが
わたしは
六十年も
目をあけたまま
いねむりを続けてきたのです
そのことを おばあちゃん
あなたは私に
気づかせてくださいました

おばあちゃん
ありがとう
如来さま
すみません



  どこへいっても どんなに逆ってみても

座敷が
わたしを下からささえてくれる

廊下に出る
廊下の床が
わたしをささえていてくれる

便所へ行く
便所の床が
わたしをささえていてくれる

大地に下り立つ
大地がわたしをささえていてくれる

どこへいっても
何をしているときにも
忘れているときにも
怒っているときにも
その わたしを
ささえてくれているものがある

とびあがってみた
でも やはり
おちる以外仕方のない わたし
それを 待ってて
ささえてくれるものがある

どこへいっても
どんなに 逆ってみても
その わたしを
持ち
だきとり
ささえつづけてくれるものがある
みんなが
無視し
見放しても
無視することなく 見放すことなく
ささえつづけてくれるものがある



  ご説法

雨の日には
雨の日にしか聞かせていただくことのできない
ことばを超えた ご説法がある

老いの日には
老いの日にしか聞かせていただけない
ご説法がある

病む日には
病む日の
ご説法がある

お天気の日にも
健康な日にも
大切なご説法があるのだが

そういう恵まれた日には
嵐の日や雪の日の無電のように
こちらの側に雑音がありすぎて
どうも 聞きとりにくい

病む日を恵まれたおかげで
長いお天気の日 健康な日に
聞きもらしてしまったご説法に
耳を傾けさせていただく



  

お医者さんの薬だけが薬だと思っていたら
ちがった
便所へ行くのにも どこへ行くのにも
点滴台をひきずっていく
一日中の点滴がやっと終り
後の始末をしにきてくれたかわいい看護婦さんが
「ご苦労さまでした」
といってくれた
沈んでいる心に
灯がともったようにうれしかった
どんな高価な薬にも優った
いのち全体を甦らせる薬だと思った

そう気がついてみたら
青い空も
月も
星も
花も
秋風も
しごとも
みんな みんな
人間のいのちを養う
仏さまお恵みの
薬だったんだなと
気がつかせてもらった

かわいい看護婦さん
ありがとう
生命を甦らせる
最高の高貴薬を
ありがとう
わたしの目を覚まさせてくれた
高貴薬を
ありがとう



  生きるということ

きのうは
あんなに清楚に咲いていた
沙羅双樹
けさは
地におちてしまっている

わたしは
きょうも 朝を迎えさせてもらった
申しわけないような
わたしのままで…



  「老」

「老」は
失われていく過程のことではあるけれども得させてもらう過程でもある
視力はだんだん失われていくが
花が
だんだん美しく不思議に見させてもらえるようになる
聴力はだんだん失われていくが
ものいわぬ花の声が聞こえるようになる
蟻の声が聞こえるようになる
みみずの声が聞こえるようになる
体力は どんどん失われていくが
あたりまえであることのただごとでなさが体中にわからせてもらえるようになる
失われていくことはさみしいが
得させていただくことは よろこび
「老」のよろこびは
得させていただく
よろこび



  墓そうじ

憶わぬさきから
憶われていた 私

拝まない者も
おがまれている
拝まないときも
おがまれている



  ひととき

「ふたりでおらせてもらえるで
よろしいな」
ポツリと
そんなことをいう 妻

どちらが先に逝くか
後に遺されることだけは
おゆるしいただきたいな
それにしても
この「今」をおがまなければ…と
わたしも そんなことを考えているときだった

としよりの部屋の
ひととき



  けさも機嫌よく

食欲不振などと
もったいない いただき方をしているのに

けさも
機嫌よく
通じが あってくださる

南無阿弥陀仏



  やせて やせて!

やせて
やせて
やせて
もう中にはなんにもないかのように
やせてしまている
ねりはみがきのチューブ

最後の
最後の
最後の
最後まで
いのちをいただいている間は
はたらかせていただきましょうよ…と
けさも
もう とてもありそうにないチューブの中から
ねりはみがきが
でてきてくれた
生きるということの本当の在り方と終わり方を
言い遺すように



  「上農は土を作る」

自転車のタイヤを直接ささえているのは三センチの道はばであっても
はばが三センチの道を自転車で走ることは不可能です
直接にはたらいているように見えないところも
間接には大切なはたらきをしているのです