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 矢吹 弘毅さん
      「どうしたら動き出すの?
              若者自立支援の現場から」

                                   

 2008年10月25日

  1、若者自立支援事業

 みなさん、こんにちは。矢吹と申します。以前若者自立支援に関わっていることを話していましたら、その話をしてもらえないかということで今日お邪魔させていただきました。
 ニートと呼ばれる若年無業者は全国で60万人と言われています。彼らを導き、仕事を与えて行こうという厚生労働省の事業が一昨年からスタートしました。この事業に関わった中から感じたことをお話してみたいと思います。

 「どうしたら動き出すの? 若者自立支援の現場から」という題ですが、以前、親の会でこの題で話をしたことがあります。ニート本人も大変な思いがあるわけですけども、ニートのお父さんお母さんも苦悶されておられます。ですから話を聞いたらすぐにでも動き出す方法があるんじゃないかと期待されて来られる方が多いんですね。その気持は良く解ります。でも、すぐ動き出すというわけにはなかなかいかないんです。

 厚生労働省が2006年6月30日に「地域若者サポートステーション」を全国で25ヵ所立ち上げ、それを民間が受託事業としてやっているわけです。去年の4月にその数が倍に増えて50ヵ所、今年の4月にさらに増えて75ヵ所、そのあと2ヵ所できて、現在は77ヵ所で若者自立支援を行なっています。正式名称は「広島地域若者サポートステーション」といいますが、広島では通称「若者交流館」と言っています。
 広島でも、僕が関わっているNPOや他のNPOが運営企画を出し、県の推薦を受け、うちが受かってそれで一昨年6月に若者交流館がスタートしたわけです。今年の3月までこの事業に関わってましたけど、4月からは他のNPO法人が関わるようになり、今は身を引いています。

 なぜこうした事業が始まったのかを説明しますと、御承知のように、日本は少子高齢化の時代ですから、これから先、労働人口が減って行き日本経済の活力が減退していきます。それで、減退させない為に外国から日本に働きに来てもらおうという動きがあります。インドネシアから看護師や介護士がすでに来ていますね。他にも群馬県などには随分前から生産現場にブラジルなどから大勢来ています。
 活力を持続していくその一環として、ニートと云われている働いていない若者に就業してもらおうというのが若者自立支援事業の目的です。若者たちの自立、若者に明るい希望を持たせなくてはいけないということもあるんですけど、本来は少子高齢化の中での対策ということです。

 文部科学省や経済産業省も少子高齢化に対して動き出しております。文科省では「再チャレンジ事業」ということを進めています。子育てが終わったお母さんやリストラで職を失った人に正社員として働いてもらう。それとか、定年になっているけど、体力があるのでもっと働きたいという方に再チャレンジしてもらう。その為のスキルアップ研修を行なっています。

 経済産業省では「アジア人財資金構想」という事業をやっています。これはアジアの国から日本に留学している大学生、大学院生に、卒業したら自国に帰るんでなく、日本で就職してもらおうというはたらきかけです。
 僕の入っているNPOもその事業に関わっています。留学生には中国が多いんですけど、韓国、タイ、ベトナム、中にはトルコから来ている人もいます。習慣や文化や企業のあり方は国によって違いますから、日本ではこういう考え方なんだよ。こういう社会なんだよと知っていただいて、日本の企業に就職してもらうということのお手伝いをやっています。しかも、地元広島の企業に就職してほしいという思いがあるんです。

 それから、経済産業省でやっている「キャリア教育」。仕事に対する意識を小さいときから持ってもらおうということで、今はまだ一週間程度ですけど小学校や中学校にカリキュラムとして取り入れられています。
 やり方は学校によっていろいろなんですけど、たとえばパーマ屋さんに学校に来ていただいて、子供たちの目の前で髪を切ったりとかするわけです。ハサミの使い方はこうやるんだとやってみせるのを間近で見る。あるいは、協力企業が10社あれば、子供たちにこの中でどんなところに行ってみたいかと聞いて、それぞれの企業に行かせる。図書館やスーパーなどで実習している中学生を見かけたことがおありかもしれませんね。
 そのことを通して、仕事とはこんなものだとか、こういう仕事があるのかとか、この仕事をやってみたいとか、ちょっとでもそういう気持ちが湧けばということです。就職する際の、こちらの思いと職場が求めていることとのミスマッチを防ぐという意味もあります。

 若者支援、ニートの自立支援は、日本の将来へ向けて各省庁がいろいろ行なっている事業の一環だと思っていただければいいかと思います。

  2、若者交流館の利用者の概要

 僕が若者交流館に関わっていた1年半(18ヵ月)で、来館した人数は延べ約6400人、登録した人は380人です。26歳から35歳までの若者が一番多く来館者の内の6割を占めます。1日にすると14~15人ほど来ています。一度来てもう来ない子もいますし、毎日来ている子もいる。週に1回とか10日に1回とかいろいろなんですね。380人の子が1年半で延べ6400人ほど来たということです。そのうちの3分の1ぐらいと相談に関わります。

 僕たちが、来館している彼らの話を聞きこれから先を一緒になって考えていこうということをしてるわけです。若者とは1人50分を限度に話をしています。
 来ている若者の中には精神的に疲弊している子もおりまして、僕たちの手では届かないこともあるので、臨床心理士の先生に週1回来ていただいてました。心理相談は1年半で210回やっています。

 家族、お父さんやお母さんが来られることもありますし、親子で来られる場合もあります。家族の方は約400人の方がお見えになって相談されました。

 1年半たった時点で、380人の子のうちどの程度が次に向けて進んでいったかというと、76人。約2割です。アルバイトを始める子もいるし、正社員として採用された子もいますし、契約社員として入った子もいます。専門学校に入るとか、技術訓練校へ行く子もいます。

 それから、「自立塾」というのがあるんですよ。これも厚生労働省がやっているんですけど、全国に27ヵ所あります。広島県では大和町に「みどり塾」というのがあります。これは3ヵ月間入寮生活をするんですね。団体生活を通じて生活リズムを取り戻していく。みんなで農業をやったりとか、ものを作ったりとかいう中で、仕事とはどういうものなのか、ということを学び、就業の準備をするわけです。そういうところに入って行く子もいます。
 いずれにしても、1年半の中で来ている子の2割ぐらいがステップアップしていったという状況です。

  3、ニートとは

 ニートとは「Not  in Education Employment, or Training」のN、E、E、Tの頭文字を取ったものです。学校に行っておらず、仕事をしてなくて、職業訓練もしていないという意味です。もともとはイギリスでできた造語なんですね。日本の場合は、これに年齢が15才から35才位までで、しかも結婚をしていない若者という枠をはめています。厚生労働省の定義では既婚者で家事をしていない人もニートに含めています。
 僕たちがやっているのは厚労省の事業ですが、経産省の定義の「15歳から35歳ぐらいまでの、結婚していなくて、仕事もしていない、学校へ行っていないし、仕事に就くための訓練も受けていない若者」というくくりをしています。

 ニートという言葉を聞かれた時、どんなイメージを持たれますか。いいイメージじゃないでしょう。僕はニートという言葉自体はあまり好きじゃないんです。怠け者というような印象を持つ人が多いと思いますから。どうしてニートなのか、一般的にはその背景までは考えない。

 2~3年前かな、日経新聞に「働く意欲のないニート」という表現があったんですよ。新聞でもそういう言い方をしているので、僕らもニートは怠け者だとか思いますよね。

 政治家はニートをどのように思っているかというと、小泉さんは「その気になれば、いくらでも仕事はあるはずなのに働こうとしない」と談話で言っています。当時の自民党幹事長の武部さんは「一度自衛隊にでも入って、サマワみたいなところに行ってみてはどうか」と話してますし、小沢さんは「ニートの親は動物にも劣る」「ニート問題の解決策は、親が子どもを家から追い出すことだ」「どうしても働きたくないなら、公共サービスは一切受けず、無人島にでも行けばいい」とまで言っています。
 公共サービスを受けるなというのは、働けば所得があるから税金を払わないといけないじゃないですか。ところが、働いていない人は税金を払わないわけだから公共サービスを受ける資格がない、権利がない、だから「無人島にでも行け」ということなんですね。
 石原都知事は「ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のことです」「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ」「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは」と切り捨てています。
 公人と言われる方もこんなことを言っている。マスコミも偏向しています。結局、ニートは個人的問題であって、彼らの自己責任だというとらえ方ですよね。

 だけども、2000年前後のリストラの時代、就職氷河期と言われた時代に学校を卒業した人たちは、正社員として就職できなかった人が多いんです。フリーターだとか派遣社員になって、今もその状態のままでいる。そうした中でニートになったという流れがあるんですね。社会構造の中でニートにならざるを得なかったという一面もあるわけです。そういうことに対する対策を国がもう少し考えなければいけなかったんでないかと思うんですね。全部ではないですけど、ある一面から見ると社会の被害者ともいえるかもしれません。

  4、なぜ働けないのか

 ニートというのは、昔で言うと、いいとこのぼんぼんが放蕩しているというような、無気力で、何もせず、親のすねをかじっているというふうにとらえられがちですけど、実際に話をしてみると、そうじゃないという感じを受けます。

 若者交流館に来ている若者と話をしていると、ほとんどの子は働きたいという気持ちを持っています。80%がそうです。というのが、お父さんは働いています。場合によってはお母さんや弟も働いているというケースもある。だけど自分だけが働いていない。そのことに対して引け目を感じています。
 親は心配だから「働け」と言う。中には、親が子供の状態をわかっていて何とかしてやりたいと考えていることがひしひしと伝わってきて、自分自身に罪悪感すらおぼえている子もいます。

 じゃあ、仕事を探せばいいじゃないかということになるんですが、それができないんですね。働きたいけれども働けない。それはなぜなのかというと、理由は人さまざまです。男女の違いはあるし、学歴も違います。それから家庭環境も、経済状態もみんな違います。心療内科や精神科に通っている子もいます。それぞれ全部状況が違うから理由も違います。だから、一つのやり方では対応できない。一人ひとりへの個別の対応しかないわけです。

 それでも働けない原因をあえて大きくまとめると、4つになるかなと思うんです。
①対人不安(人間関係にしりごみ)
②社会的ブランクへの評価を恐れている
③自己有用感、自己肯定感が低い
④狭い考え方に固執している

 ①対人不安(人間関係にしりごみ)
 来てる子のほとんどが不安感を持っています。出ていくのに不安があるというか、恐いというか、そういう気持ちがあるようです。

 中学校の時のいじめが尾を引いて、ひきこもりまではいかないけど外に出て行けない子がいます。
 それとか、就職したけど、今の会社は効率主義とか成果主義とかですから、会社から「何やってるんだ。ちゃんとやれ」と言われる。会社の求めることと自分のペースとのギャップに悩む。そんなことが続くと言葉の暴力を受けているように感じてしまいます。それをくり返されると、何か言われやしないかといつもおどおどしている。会社に行くのがつらい。だけど我慢する。そうして結局は会社を辞めてしまう。生活していかないといけないから再就職しようとする。でも、いざとなるとまた同じことにならないかと不安になってしまう。そういうことで人間関係にしりごみしてしまうということです。

 若者交流館のドアは開けっ放しです。なぜなら、エレベーターで上がってくることがしんどい。ドアを開けて入るのがしんどい。だから、閉めないんです。親御さんもそうです。親の会をする時、新聞が1週間ぐらい前に取り上げてくれることがあります。それでも申し込みがなかなかない。ところが、前日になって申し込みがどっときます。それくらい来るのがしんどいんです。だから、「よく来たね」「よくおいで下さいました」と来館した方をねぎらってあげないといけないんです。

 ②社会的ブランクへの評価を恐れている
 求職に際しては履歴書を書きますね。学歴は書くことができます。仕事に就いていた場合は辞めたところまでは書くことができる。だけどニートは、卒業した時や仕事を辞めた時から今日までの間がブランクになっているわけです。その間、何もやっていないから。ブランクが人によっては半年かもわからないし、2年かもしれないし、5年という人もいる。
 ブランクがある履歴書を提出すると、「この期間はどうしていたの?」と聞かれる。そうすると答えようがない。採用する側に「こいつはどうにもならんな」と思われるだろう、絶対採用されん、と思ったら、履歴書を書く一歩が踏み出せないんですね。働きたいんだけど、そういう気持ちが先に出てしまうということです。

 ③自己有用感、自己肯定感が低い
 成長する過程の中で、親の過干渉、過支配、過保護、あるいは無視ということがあります。何かやろうと思うと、親が悪気ではなく手を貸してくれる。子供に対して、「こんなことやって。つまらんのう。こうやってするんじゃ」とつい言ったりしますよね。
 親は何十年と生きてきているわけですが、子供は十何年です。親は自分がわかっとるから教えてやろうという気があるんですけど、子供はその状況がわからんわけです。親切心が子供にとってはどうなのかな、ということがあるんですね。

 みなさんにもそういう記憶があると思うんですよ。何十年も前の話ですけど、僕も高校の時にヘルシンキオリンピックのラジオ放送を聞きたいと思って、柿の木に竹を二本立てて、そこにアンテナを張ってラジオにつなごうとしたんですね。柿の木に竹竿をくくりつけ、暗くなったのでまた今度続きをしようと思って、その日はやめたんです。そしたら、あくる日、学校から帰ってくると、ちゃんとアンテナが張ってあったんですよ。親父がやってくれたんですね。僕は親父とケンカしましたよ。「自分がやろうと思うとったのに、なんでや」と親父に言うたんですけど、親父にしてみたら「よかれと思ってやったのに、なんで怒られにゃいけんのや」ということですよね。でも、僕にしてみれば自分でやりたかったんです。

 親がよかれと思ってすることが子供にとってはそうではない。何かやる時にはプロセスと達成感が大切なんですね。それが自己有用感であるし、自己肯定感だろうと思います。

 それとか、やることを全部くさされ、「だめじゃのう」「やっても無駄よ」と言われ続ける。「つまらんのう。何しよるんや」と言われ続けると、何をしていいかわからんようになる。だから、「何かしろ」と言われても、何をどうやってしていいかわからない。

 来ている子の中にはこういう例があります。町を歩いていると、向こうから来る人とすれ違った時に「キモイ奴じゃのう」とか「におう」とか言われているような気がするわけです。電車に乗っていると、向かいに座っている人が自分のことをくさしていると思ってしまう。こうなると仕事に就いても、自分が人より劣っているわけではないんだけど、何か言われているような気がする。それが高じて自分を低く見てしまい、いたたまれなくなって辞めてしまう。そんなふうですから、どこへ行っても長く続かない。こういう子が結構います。

 ④狭い考え方に固執している
 仕事をしたい気持ちは持っているわけです。けれども、失敗しないように、しないようにと思ってしぼりすぎ、これはだめ、あれはだめと、幅を狭めてしまう。あるいは、やりたいことと自分の能力とに差があってすぐにはできないことを思い込みの強さで高望みする。
 話を聞いていると言い訳じみて聞こえるわけです。中には、「僕は自宅から20分ぐらいの距離でないと探さん」とか、「乗り換えのあるところは行かん」とかね。そんなことを言うと何もできないじゃないかということになるでしょ。

 求人雑誌で探している子が多いんです。ハローワークに行きたくないと言うんですね。「事務的に取り扱われて僕の気持ちを聞いてくれないし、機械的にやられるから」というので行かないんです。となると、求人誌で探したレストランや食堂で働くことが多くなります。皿洗いや調理の下ごしらえをするわけです。身体を動かすことは何でもないけど、出来るだけ人と会話しないで働ける場とか、生ものが扱えないとかね、仕事をしない理由をいろいろ持ってて、自分で狭めてしまう子も多いですね。

 働けない原因を大きくくくって4つあげたんですけど、もっといろいろあろうかと思います。でも、この4つを更にひとくくりにしてまとめてみると、「不安感」という言葉になろうかと思います。「対人不安(人間関係にしりごみ)」ということが一番大きなウエイトを占めているかなと思います。

 不安感があると、何かしようと思っても躊躇してしまう。不安感を少なくしていけば楽になる。不安感の対極にあるものは「安心感」なんですよね。安心感を持たせるようにしてやる。そうすれば、そこで変わってくる。安心感があれば出かけていくことができるんですよ。又、安心感があれば、そこに長く居ることができる。更に言えば、安心感があれば、自分の思っていることをしゃべることができる。

 彼らが求めていることは「自信を回復したい」ということになると思います。経験不足だから働いている人に比べて劣っているところはあるわけで、それを補う部分を支援してもらえないかというふうに彼らは思っているわけです。

  5、フリースペース

 若者交流館の「フリースペース」でかもしだされる効果というのはとても大きいものがあります。みんなの居場所、心を許せる場と言っていいと思います。フリースペースには同じような子が来ますからね。彼ら同士で交わされる会話がとても大事なんです。ここでの語らいで関わりが生まれてくるわけです。

 今まで家の中にいて、あるいは出かけても喫茶店に2時間3時間とねばれんですから、図書館やデパートを転々としている。ところが、交流館は朝10時から夕方6時まで開いていて、いくら居ても誰も何も言いません。僕たちスタッフも持ち掛けられてきた相談、面談や、軽い声かけ、研修など以外には特に「どうしよった?」と聞かないし、ああしろこうしろとも言わないですから、彼らにしてみれば居場所として居心地のいいところなんですね。
 お茶やコーヒーを飲めるようになっていますし、パソコンや本も置いています。仕事に関連する本や宗教の本だとかも置いてます。新聞もあります。眠っていてもいいわけです。そんな中で話をする。

 来てる子はものすごく素直なんですよ。「1時間ほど居たら」と言うと、いつまでも座っているような感じです。そんな子は自分から他人に言葉をかけにくいんですね。でも、「今日初めて来た○○さんだから、みんなよろしくね」と紹介すると、1日に15~20人ぐらい来てて、昼の2時ぐらいが一番多いんですけど、多い時はその場に12~13人いますよね。そうすると、「家はどこなん?」とか「年はなんぼ?」と誰かが聞いてきます。聞かれれば答える。そこから会話が始まってくる。

 中には、なかなか会話に入れない子もいます。最初に来館したときに話をしたスタッフが担当していくんですけど、担当表が張ってあって、そうした子は担当の人の時にだけ来る。50分程面談をします。そして面談後「少し時間をつぶしてったら」と言うと、しばらくいる。今まで何もしてなくて、本も読まず、ただじっと座っているような子ですよ。

 それをくり返していくと、あれだけたくさんの人が来てるわけだから、必ず関わりのある人ができる。それがいつかはわからんですよ。人ですから相性の合う、合わないはあるから、2週間か1ヵ月かわからない。けど、できてくる。「よう、久しぶりだな。友だちできた?」と聞くと、「はい。2人できました」と答える。「よかったね」。今まで人と話をしたことがない無口な人でも話をするようになります。そこからが本当の始まりです。そういう意味で、フリースペースはとてもいい場所ではないかと思います。

 交流館を卒業というか、アルバイトを始めた子も来ます。仕事をするようになったんだから来なくてもいいんですけど、彼らは居場所として来ますね。そうして、「仕事でこういうことがあったんよ」と話をするんですよ。仕事をしていない子が、聞くとはなしに聞いてます。
 専門学校を受けたら、合格したというのが2月の末頃にはわかります。社会では4月になると就職しますよね。みんな仕事をしないといけないという気持ちは持っているわけですから、そんなのを耳にすると、自分もこうしちゃおれんというのが出てくるんですよ。僕らが無理矢理やるのではなく、同年配同士の会話で何かを感じるんですね。自分も何かせんといけんというので具体的に何か始めるわけですよ。
 そうすると、3月ぐらいから就労していく子が若干、増えてきます。これは僕たちの力じゃなく、彼らの間の力でないかと思うんです。そんなことがフリースペースの良さとしてありますね。

  6、どんな支援を求めている?

不安感(対人不安・自信喪失)
 ↓
安心感(信頼感・本音・安定感)
 ↓
自己理解(興味・知識・能力)
 ↓  (見学・講習・体験)
次の目標(働くこと・学ぶこと)

 話は前に帰るんですけど、問題は不安感を安心感に変えるということなんです。自信を回復したい、そのためには気楽に相談できる人間関係が作られることが大切です。
 子供たちはそれぞれ自分の考えを持っています。交流館に来たら僕たちが第三者として話を聞きます。「今日はどんな話を聞いてほしいと思って来たの」と尋ねると、ぽつりぽつりと話をします。そうして何回も話を聞いていくうちに、「この人は僕の置かれている状況、悩み、苦しみ、考えていること、そういうものを解かろうと思って聞いてくれている」と感じた時に、初めて本当のことを話し始めます。

 僕の例で言うと、開設当初からほとんど毎日来てた子がいるんですが、ちょうど1年経った時に、「矢吹さん、話を聞いてもらえますか」と言うてきたんです。それまで毎日、顔を合わせているんですよ。挨拶もしている。でも、たまに「話を聞こうか」と言うと、「いいです」といつも断る。他のスタッフにも相談しない。それが「話を聞いてください」と言ってきたのが1年ちょっと経ってからです。
 相談室に入ると、「仕事をぼちぼちせにゃいけんと思いだしたんです」と言うわけです。「そりゃよかった」と握手したら、手が汗でびっしょりなんですよ。「どうしたん?」と聞くと、「緊張しているんです」と言うんですね。
 毎日来てて顔を合わせているんですよ。仕事のことで相談するのに、どれだけ悩み、勇気を出したかということがわかります。それだけ時間がかかる。でも、そこからです。

 逆の例もあります。あるスタッフが関わった子なんですけど、アルバイト先を探して来て履歴書を書く。ところが、いざとなると「やっぱりやめます」と言う。「面接のため電話をしてごらん」と言うと、そこでまたストップする。
 これが3回続いた時に、スタッフがこれじゃいつまでたってもだめだ。ハッパをかけないと乗り越えられんと思って、「言い訳ばかりしてたらだめじゃろう。一歩踏み出さんと進まんよ」と言うたわけです。するとその子は、「うちのお母ちゃんも、いつも同じことを言うとる。僕はそういうことを言われるためにここに来たんじゃない。もうここには来ません」と帰ったことがあります。

 スタッフは良かれと思って言ったんだけど、結果的には無理をして引っ張っても、どうにもならない。ついてこなかったということですね。
 場合によっては、ハッパをかけることでバイトに行く子もいます。だけど、心の一番基本的な部分がちゃんとしていないと、ダメージを受けて辞めますね。それで前よりもひどくなるというケースもあります。そこらへんが難しい。

 はたから見ると怠けとるんじゃないかという思いがあって、基本的なマナーであるとかの研修をしないといけないと考えたりするんですけど、その前に不安感を取り除くことから始めないといけない。

 さっき言った子供の場合ですと、その子は1週間ぐらいたってまた来ました。「こないだはすみませんでした」と謝ってました。同じスタッフだとまずいからというので、僕が引き受けました。それから3ヵ月ぐらい雑談ですね。ある時、どういう言葉を投げかけたのかは覚えていないんですけど、話をしていたら「フッ」と表情が変わったんですね。僕も何か感じるものありましたから「よし、一緒に考えていこう」と言ったら、それから変わりました。
 それから履歴書を書いて面接を受けることになったんです。今度はいやとは言いません。だけど不安だろうということで、僕が一緒に会社まで行きました。僕は中には入りません。そうして彼は面接を受けました。
 皿洗いみたいな仕事だったんですけど、1週間ほど体験をさせてもらうことになりました。体験ですから給料はもらえません。一生懸命さを買われて、アルバイトとして採用されました。6ヵ月続きましたね。結局は体力的にしんどくなって辞めたという経緯があります。

 そういう取っ掛かりが生まれるためには、お互い信頼感を持って話していく中で自分というものを見つけていくということです。その子の思っていること、気持ちに共感しながら話を聞いていく。すると、この人は解ってくれるんだな、解ろうとしてくれているんだなあということになると、初めてそこで話をし始めるんですね。

 つたないんですけど、彼らがぽつりぽつりと話し始めた言葉を拾い集めていくと、彼らの思ってることが見えてきます。それをまとめて、「君がしゃべったのはこういうことだよ。これで間違いない?」と投げ返す。そこからですね。話をし、そうして聞いてもらうことによって、今までそんなことは思ってもいなかったけれども、自分の思っていることが何となく整理できるということがあります。

 もっとも、僕たちは仕事として関わっているからできるのかもしれません。僕の妻のお母さんは施設に入っているんですけど、妻はお母さんのことをよく愚痴るんですね。僕は妻の親だから第三者として客観的に見れるので、「そよに、怒りんさんな」と言うんですけど、妻は親子だから、なかなかそうはいかない。感情が先行してしまう。でも、そこをちょっと間をとって、考えてみて話をしてみる。そうしないと前に進んでいかない。そこが難しいところです。

 親との関係がよくない場合があります。男親との会話がないというのが結構多いですよ。男親を嫌悪している。「お父さんは、どう思ってるの?」と尋ねると、「僕は父の話をしたくないです」と言いますね。
 仕事をしようと面接するのに履歴書に貼る写真がいる。写真を撮る前に散髪をしないといけない。「お金がない」というから、「お母さんに頼んだら?」と言うと、『散髪に行ったら親父が、「仕事する気になったんか。へえー、えらいもんじゃのう」と皮肉って言うんです。それがいやなんで自分で切ります」 と言うんですね。スーツを着るのも父親が出かけたあとに着る。

 履歴書や写真代などのお金もいります。数日だけのアルバイトするにも写真がいるんですよ。面接に行くのに交通費もいります。一つや二つでは決まらんですから、就職活動をするだけでお金がかかる。応募しても「決まるまで15日間待て」と言われることもあります。その間の生活費もいります。そうした金銭的なことも親に相談し難い。そういう状態です。

 親が子供の話をなかなか聞いてくれない。自分はこう思うとる、だけど気持ちがこうだからといったことを親に話したいんだけど、「早く仕事をせえ。お前は何を考えとるんや」とかですね、「つまらんのう、お前は。やってみんとわからんじゃないか」と言われると、そこで停まってしまうわけです。親からそういうことを言われるのはわかっとるから、だんだん話をせんようになる。そこのところですね。

 お父さんの子供に対する理解がほしいんだけど、親に内緒で来ている子もいます。そうすると、こちらから親にアプローチすることが彼にとっていいことかどうかという問題があるんです。一方では、親が子供に大変な気遣いをしておられるので、こちらから「親の会」の案内を出す時に、「メールがいいですか。固定電話のほうがいいですか。携帯にかけていいですか。郵便物に中国キャリアコンサルタント研究会の封筒でいいですか」と気を使いますね。

  7、交流館での支援(相談、講習、体験)

①相談
 若者交流館では、まず相談を聞きます。彼らの思いを聞く中で、講習や体験を織りまぜていきます。
 彼らは話すことによって自分の気持ちを少しでも聞いてもらえたことが安心感となる。それがベースになって自己理解する。相談というよりとにかく聴いてあげるというウエイトが大きいですね。この相談と、講習、体験の三本柱をくり返しながら、本人の気持ちを醸成していき、不安感を取り除き、就労に向けていくわけです。

②講習
 七五三ということが言われます。中学校を卒業して3年間で7割が仕事を辞める。高卒は5割、大卒は3割。それは社会に耐えていけるだけの力がないのか、能力はあるけれども仕事と本人のやりたいことがマッチングしないのかです。
 大学に入学して何になりたいのかと聞いたら、「わからない」と答える子が多い。目的感がないんですね。また、社会での基本的なマナー、挨拶も含めて言葉づかいといったことを企業に入れば身につけていきます。けれど、学校でそういうものを教えてくれないし、就職しなければ社会で学ぶこともない。

 それで、講習をするわけです。パソコンを習うとか、日本の経済状況がどうなのかとか。一番ウエイトを置いているのはコミュニケーションです。対人関係の不安とか、自己有用感とかいうのもコミュニケーション不足です。結局、人と人とのふれあいというたら、話しかないんじゃないかと思います。自分の気持ちをどれだけ解ってもらえるかということだと思うんですね。
 傾聴と自己主張。傾聴、聞くことの難しさを体験してもらいます。人の話を聞く時に、向こうが全部話す前に、自分の言いたいことをしゃべってしまう。そうではなく、相手が何を言いたいのかを考えながら話を聞く。そして、聞いたことに対して自分の思いを話す。それも相手にわかってもらうように話をする。自分の言いたいことをわかってもらうのにはどうすればいいか。わからなければどうするのか。そこらへんをロールプレイをしながら訓練する。

 コラージュもよくやります。自分で意思決定できない子に、一枚の画用紙を渡します。自分で、あるいはこちらが用意した雑誌とかから、自分の好きな写真などを切り取って貼り付けていきます。
 何のためにそういうことをするかというと、自分でするという意思決定ですね。そして、切るという行動。そして貼り付ける。どこに貼り付けるかも自分の意思なんですよ。次を探し、そして切って貼る。そうして一つのものを完成させる。
 これを4人なり5人でやります。そして、題をつけて発表します。これも大事ですね。これは何かと、説明を求める時もあります。説明しなくてもかまいません。

 それから物作り。布ぞうりを作ったりします。自分の気持ちを形にしていく。千羽鶴を折って原爆の子の像に持っていったりもします。いざとなって「行きたくない」ということもあります。そんな時には「誰が行くか決めてちょうだい」とまかせるんです。それとか、卓球やテニスで人との関わりということもします。
 その他に、話し方教室、マナー教室、等もおこないます。

③体験(社会参加)と就職準備支援
 協力いただいている企業・商店・学校の見学や入所体験。また、農業体験、ボランテイア活動(クリーンウオ―ク清掃活動)などを通して社会を知り、皆で行なうことの認識をします。

 一例ですが、専門技術学校に見学に行きます。木工、溶接、コンピュータといった技術訓練をやっているのを見学するわけです。彼らは自分が何をしたいか分かっていない子が多い。
 でも見学後のアンケートを見ると、「この夏の暑い中で火花をとばして溶接技術を額に汗を流して学んでいる。現場だったらもっと大変だろうと感じました。厳しい作業環境の中でもこの人は、この仕事をやろうと思って勉強しているんだ。私は今、何の仕事をするか決めていないけど。仕事をするということは生半可な気持では出来ないのだと思いました」といった気づきがあります。

 福祉施設へも見学に行きます。対人関係が苦手でも、おじいちゃん、おばあちゃんとなら話ができる子が多いんですね。でも数日間入所体験してみると職員間のあつれきを感じて引下がってしまう子もいます。

 そんなことをやりながら働くことに向っていくわけです。そして履歴書の書き方、面接の受け方を教えます。履歴書を書くのは単純そうですが、一番の自己PRなんですね。「あなたの長所を言ってごらん」と聞いたら、だいたいの子が言えません。「長所はないです」と答えますね。「短所は?」と聞くと、きりがないくらい話します。「短所はのろいこと」と言う子には、「それは慎重と考えることができるかな?」と言い換えます。そういうふうにして、履歴書を書くのに4日か5日かけます。そうやって履歴書を書くことで少しずつ自分の確認をするということですね。

 進路というと、良いのは正社員なんですけど、ブランクがあるし、技術、経験もありません。ですから、まずはパート、アルバイト、契約社員、あるいは専門学校、職業訓練校に入ることになります。

 来た時に比べればどの子もステップアップしています。評価基準が5段階あって、一番最初に面接した時の評価から、3ヵ月ごとに評価をしなおしします。人によって違いますけど、3ヵ月、6ヵ月とたつうちに確実にステップアップしています。

 大切なことは一人ずつに個人的に継続していくこと。しかも、それが担当との二人の間だけでなく、フリースペースでの語らいや講習、体験を包括的に進めていくことが大事だろうと思うんです。

 そして、「親の会」。親は子供と一番関わりが深いわけです。一番の理解者、最大の支援者は、僕たちではなくて親です。
 子供に対して、こっちが機嫌をとっているというふうに親が思いがちな部分があります。親のプライドみたいなものがありますからね。そこまでやらにゃいけんのか、甘やかさにゃいけんのかということではなく、子供をわかってもらおうということです。こちらがへりくだるのではなくて、見方、話し方を考えてほしい。子供は親の所有物ではない、客観的に、間を置いて、一人の人間として見てやろう、応援してやろうということが大事でなかろうかと思います。

 講師の先生が「無条件の肯定的関心を持つ」ということを言われます。子供に対して何でも肯定してやれというんじゃないんですよ。話を聞き、理不尽なことを言っていると感じることもあるけれども、本人が言っていることにはそこに至るまでの過程があるんです。そこのところを聴いていくんです。これが無条件の肯定的関心です。「それは違う」と感じることがあれば、「あなたはこういうことを言ったね。だけど、こういう考え方もあるんじゃないの」という話し方です。子供の話すことに肯定的な気持ちで関心を持ってほしいということです。なかなかできません。でも、結局はそこだと思います。

 徳光アナウンサーという人がいますね。誰でも人には好き嫌いがあるじゃないですか。インタビューする時、好き嫌いという先入観で相手を見ると、その人の人柄が引き出せない。どうするかというと、徳光さんは「僕はその人を好きになることに努めます」と言ってます。たとえば、世間体を気にして見栄を張ってる人だなと思っても、でもこの人のどういうところがいいのかなと考える。好きになると気持が伝わるから、相手はそれを受けてどんどん話しはじめ、その人の人柄が出てくる。そういうことをおっしゃってます。

 「親の会」でもグループ・ワークをします。話してもらうだけでずいぶん変わってくるんです。親の会でいろんな人の話を聞くことで、あそこの家庭もこうなんだと思う。と同時に、自分が見えてくる。「うちの子供はこうなんです」としゃべることで気持ちが楽になる。
 親の会で、「親として子供にどういうことをしてあげたいですか」と聞くと、「ほめてあげたい」と言う人が結構いらっしゃいます。子供に対してねぎらいの言葉をかけることが大切です。「大変だったね」「よくやったね」「きつかったろう」という言葉をかけることが大事だろうと思います。ほめることは自尊心、自己有用感が生まれます。

 ただ、今までほめたことがないのに、いきなり「ようやったね」と言ったら、「ほんとかな」と思いますよね。信頼関係がないのにほめると、逆効果ということもあるんです。子供が疑ってかかったりしますけど、ほめてあげることは大切です。

  8、ある方からの手紙

 この1月に親の会をやったんです。そのあと、お手紙をいただきました。読んでみます。

「スタッフのみなさま、土曜日はお世話になり、本当にありがとうございました。どうしたら若者の就職が可能であるかというスタッフのみなさんの熱意がひしひしと伝わってきて、大変有意義な会であったと思います。
 私たち夫婦には今26歳になる長男がいるのですが、中学校1年生の時に不登校になり、奈落の底に突き落とされた状態になりました。
 その後、親の会に入って、子供に対する親の接し方を教えていただき、このたびやっと就職することができました。まだ始まったばかりなので安心はできません。今は派遣社員ですが、いずれは正社員になれたらいいねと話しています。
 これまでの経験から、子供の自立のためには親との関わりが重要なファクターになります。子供だけ治そうとしても、なかなか治るものではありません。治すためには親が元気になるのが最も早いと思います。そういった意味でも、親の会を開いていただいたことは非常に有意義であったと思いました。
 先生の講義も経験者の私にとってうなずける話であったように思われました。先生もお話の中でおっしゃっておられたように、テレビなどで、子供を叱りつけて親の思い通りにする光景が映し出されていますが、あの行為は決してしてはならない行為だと思います。子供はその時には親の言うとおりにしますが、その後はまた前に戻って自分の意思では動かなくなります。
 子供を社会に送り出すためには、子供の自立を親が支えてあげることが最も重要だと思います。そのためには子供に十分な心の余裕を与えてやり、元気にさせてやることが最も重要です。そのための一番の早道は、親の子供への関わりを密接に保つことだと思います。そして、まずしなければならないことは子供を信頼することです。
 今の状況の中で、子供が一番自分の将来について心配しているのです。その子供が外に出たいのに出ることができないのは、本当に動けないからなのです。そのことをいつもそばにいる親が最も理解してあげなければならないと思います。最もよい理解者にならなければいけないと思います。
 私の子供は、先ほども申し上げましたが、中学1年生の時に不登校になりました。最初は行かせようとしたのですが、全く動こうとはしませんでした。学校の先生に勧められてカウンセリングにかかりました。しかし、最初に一回行ったきり、そのあとは行かなくなってしまいました。結局、それからは、私達夫婦で月に1回のカウンセリングを受けることにしました。
 しばらくして県精神保健福祉センターを訪れ、ここで各地で活動している親の会のことを教えていただきました。わらにもすがる思いで、そのうちの一つの親の会へ行きました。
 最初の日は私は用があって行くことができず、夫と私の母親が二人で行ってくれました。その日の思いは今でも忘れることができません。家に帰ってきた夫と母親の態度が、それまでとは全く違っていたからです。それまでは三人とも子供に学校へ行ってもらいたいという思いは同じだったのに、二人が帰ってきた時には「行かなくてもいいよ」に変わっていたのです。私はとまどってしまいました。どうしてかなと思いながら、次の親の会へ行った時、変わった原因がわかりました。
 親の会で私がまず第一に教えていただいたことは、何々しなさい、これこれしなさいということは絶対に避けることでした。たとえば「風呂に入りなさい」とは言わず、風呂に入ってほしい時には、風呂と認識させることを言うことでした。
 次に、子供が親に相談してくるまでは決して親のほうからは言わないことです。子供が親に聞いてきたら、その時に答えるようにすることです。親が言ってはならないこと、たとえば「学校に行きなさい」などを言ったら一歩後退すると言われました。
 私はこの二つのことをやってみようと思いました。それからは「学校に行きなさい」という言葉は家の中では全く無くなってしまいました。後から考えてみると、このことが子供の心をゆっくりと、とかしていったのだろうと思います。
 元気になってくると、子供の状態を見ながら、時々「学校へ行ったら」とやんわりと言うのです。そうしないと、そのまま家にいる可能性が高くなるように思うからです。この兼ね合いが難しく、それはいつも一緒にいる親にしかできません。子供が元気になって、外に出ようかなと思った時に、少し後押ししてあげるといった感覚でしょうか。
 親の会では、元学校の先生が助言者となり、会員がそれぞれ自分の子供の状況を説明し、それについて他の会員が聞きながら、自分の子供の状態と照らし合わしていろいろと意見を言い合い、それを参考にしながら自分の判断で子供に接するという会です。
 その会に参加することで私が最もうれしかったことは、経験者がこの会にいるのだということでした。実際にそれを経験し、乗り越えてきた人がいることが、私の心を安心させました。
 それから子供もカウンセリングを受けるようになり、4年後にやっと学校に行けるようになりました。
 昨日、1月21日には「仕事に行く」と張り切って出かけました。しかも、朝6時30分に家を出ました。「朝、早いけど大丈夫?」と聞くと、「うん、大丈夫」と力強い声で言ってくれました。まだまだ安心するのは早いのですが、第一歩を踏み出したのではないかと、少し胸をなで下ろしています。
 今日、1月22日、子供の様子は少し不安がよぎっていたようです。今日も元気で家を出たのですが、帰ってくるまで心配でなりません。「一週間、がんばってみて」とはげまして送り出しました。どの親も同じでしょうが、毎日はらはらどきどきの連続です。
 思いにまかせて書きましたけども、今日行われた交流会は本当に意義深いものであると思います。今後の活動が成功されることを祈念しております」

 この手紙がすべてを表しているとは思いません。だけども、本質的な部分を示しているように感じますので紹介させていただきました。どうもありがとうございました。
(2008年10月25日に行われましたおしゃべり会でのお話をまとめたものです)