真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  「薬物依存からの回復―家族の場合」
                          

 2009年11月28日

 一、Aさん「気づきと工夫」

  1
 今日は「気づきと工夫」というテーマでお話しします。普通のサラリーマン家庭です。今年60歳で定年退職したあと、現在は精神病院に勤務しています。看護師さんの手助けみたいな仕事をしているんです。子どものことがあるので、現場に何かヒントがあるんじゃないかと思いまして。それとですね、今まで会社に勤めていて、会社のために営利だけを考えて働いてきたんです。これからの人生は人のために何かできないかと思ったということもあります。

 私には息子が二人いまして、35歳の長男が現在、シンナー吸引・覚醒剤所持の罪で刑務所に入っています。25歳ぐらいから8年間シンナーがとまっていたんですけど、去年の8月からまた始めてしまって。刑務所は4回目、薬物では2回目です。来年出所した時にどういうふうに対応するかを自助グループで勉強しているところです。
 息子は勉強が苦手な野球少年で、引っ込み思案の性格です。だけど、小さいころからやんちゃなところがあって、手がかかったですね。一度「あれがほしい」と言い出したら我慢できなくて、我慢をさせる習慣を覚えさせればよかったというのがあります。中学のころ、暴走族には入ってはいなかったですけど、暴走族にあこがれるというような子でした。ヤンキータイプですね。ですけど、手がかかっただけ私は長男が好きなんですよ。

 シンナーをしていることに私が気づいたのは14年ぐらい前、息子が高校を卒業してからです。息子がシンナーをやりだしたのは高校の時らしいんです。親が気がつくのはだいたい2、3年たってからというのが多いですね。最初のころは隠れてやるからわからないんです。

 最初のうちは、遊びでシンナーをやってるんだから、いつかやめるだろうぐらいに思ってました。だけど、交通事故を起こすし、幻覚幻聴がひどい時には外に出て「警察が来た」と大声を出したりしてました。とにかく説得しておとなしくさせるわけです。そんなことがたくさんあって、こう話をするときりがないくらいです。
 やめさせようといろんなことをしました。息子に涙を流して「やめてくれ」と頼んで、その時はやめるんだけど、またやってしまう。シンナーを持って帰れば、シンナーを捨てに行ったりとか。捨てても買ってくるからいたちごっこだったですね。いろんなところへ相談にも行きました。それこそ新興宗教に入ったり、お祓いをしてもらったりもしたんです。すぐにやめましたけど。

 私は性格的にキレるということがないんですよ。どんなことがあってもカッとなることがほとんどないんですけど、家内はキレるんですね。子どもがシンナーをやっている最中の姿なんて、とてもじゃないけど見られんですよ。もうウワーというような感じで。家内がシンナーの袋を取りあげて、その袋で頭を叩いて、そしたら袋が破けてシンナーが散ってですね、目に入ったらどうしようかということもありました。

 息子が親に手をあげることもありましたね。だけど、本当に殴ることはしなかったです。ヤク中の脅しはすごいですよ。でも、言いなりになったらだめです。家族を脅してお金を手にすると、脅しがだんだんエスカレートしていくんです。
 でもね、私の息子は肝心なところはやらないですね。とめます。それでも部屋の壁を崩すことはしょっちゅうでした。穴をあけたり。ですけど、うちの場合は親に暴力をふるったことは一度もないです。

 平成7年ごろ、新聞に九州ダルク(薬物依存リハビリテーション施設)が設立されたという記事があったものですから、これ幸いとばかり子どもを入寮させました。あとで知ったことですけど、本人の意思でダルクに入らないと意味がないんですね。完全な無駄金でした。親としては、ダルクは病院みたいなところだからダルクに入れたら治ると思ったわけです。それは間違いでした。二週間もしたらしたら出てしまったんです。元の木阿弥ですよね。2、3年してまたダルクに入れるんですけど、その時も1ヵ月ぐらいでだめだったです。
 だからといって、ダルクは意味がないというわけではないんです。ダルクの人たちは面倒見がいいですよ。刑務所に手紙を出してくれたり、面会に行ってくれたりしてます。非常に助かっています。

  2
 薬物依存症は治らない病気です。寛解しかないんです。寛解とは症状が一時的に軽くなったり、一定期間症状がとまっているということです。このままでいる可能性もあるし、場合によっては再発するかもしれません。

 最初は人から誘われたりして始めたのが、そのうち習慣的に使うようになり、さらには借金をしてでも使う乱用になります。それが高じると薬物依存症です。こうなると自分の力ではやめられない。スリップといって、やめていたのにまた始めるということを何度もくり返すうちにだんだんと悪くなるんです。

 シンナーや覚醒剤は快感なんですね。それが脳にインプットされていて、死ぬまで消えないんです。そういうのが脳にきざまれる。仕事をしていても、ちょっときつかったりすると薬物に逃げる。そういうことがあるから、治ったということは言えないんです。
 私の子どもみたいに7、8年とまっていても、また始めてしまうことがありますから。そこを勘違いしがちなんですね。完治はしないけど、仲間がいたらとまるんです。だけど、自助グループをやめたらまた元の木阿弥です。

 何年もとまっていても、一回でもやるとまたはまってしまってやめられなくなる。そうならないために「今日一日」という言葉があるんですけど、今日一日だけやめておこうと。それを一日一日積み重ねて、そうして何年もやめていくわけです。

 薬物依存が乱用、依存と進行する人と途中でやめる人がいます。その差はどうしてなのかというと、はっきりとはわからないけど、精神科の先生の話だと、遺伝子の問題ではなかろうかという先生が多いですね。臨床データを取っているわけではないのでわからないですけど、そういう遺伝子がある人は薬物をやると依存症になる確率が高いんじゃないかと思います。これは学界で認められたわけではないですけど。

 WHOや欧米では薬物依存症は病気と認定されているんです。でも、日本では正式にはまだ病気だとはされていません。なぜか日本はまだなのかというと、「精神保健福祉法」という法律があって、その法律に基づいて医療費が安くなったりしているんですね。依存症を病気として認めると、国のお金がかかるから認めていないというのが実態です。
 薬家連(全国薬物依存症者家族連合会)では、薬物依存が病気として認定されることで国から補助金をもらい、ダルクのような充実した施設をもっと作って、そこで薬物依存症者を回復させようという動きがあります。

  3
 それでも息子は25歳から8年間とまってたんですよ。普通は治ったと思いますよね。何もなければダルクや自助グループに行く必要はないと思うじゃないですか。何年かご無沙汰してたんですが、去年の8月にまたシンナーを復活して、自助グループに行くようになったんです。自助グループにつながって1年です。

 息子がシンナーをやめたきっかけというのが不純なんですね。息子はもともとモラルに欠けたところがありまして、そのころ窃盗などをして警察に追われていたもんですから、シンナーをすると捕まる可能性が高いというのが頭にあったみたいなんです。それで8年間シンナーをやめていたと、あとで本人が言ってました。それと、なぜ覚醒剤をしないかというと、お金がかかるからだと言うんですね。

 私は子どもたちとは友だちみたいに話す関係だったんです。というのが、私の父は3回結婚していて、家族で話ができない雰囲気の家庭で育ったもんですから、結婚したら何でも話せる家庭にしようと思ったわけです。
 それで息子も胸のうちはけっこう話すんです。シンナーをやってて「今日はきかんなあ」とか、そういうことを平気で言うんですね。そのことがいいか悪いかは別にして、息子の気持ちはだいたいつかんでいるつもりなんです。だからといって、薬物依存が治るということとは別なんですね。ある人に言わせると、家庭での会話がなかったから薬物依存になるというんですけど、私はそれは違う気がします。

  4
自助グループは家族の心の安らぎが目的です。自分がはき出して、そして何か得るものがあればいいんですよ。だけど、それによって薬物依存症者本人が変わるかどうかはわかりません。ただし、本人に対する接し方は間違いなく変わります。
 というのは、いろんな人の話を聞いたり本を読んだりすることで、薬物依存がどういうことかがわかってくるんですよ。これは病気なんだなとわかると、対応の仕方が変わってくるんですね。依存症者を変えるんじゃなくて、我々の依存症者への対応を変えていく。そのことで自分自身が回復していくんです。

 長い人は20年も自助グループに通っているんですね。80過ぎの方もいます。お子さんが亡くなっている方もミーティングに来られるんですよ。最初は不思議だったですね。「子どもが死んだんですよ」と平気で言われる。子どもが死んだのにどうして自助グループに来るんだろうと思いました。どうしてかわからなかったです。それは、子どもの問題ではなくて自分の問題なんだということなんです。

 人間というのは喉もと過ぎると忘れていくんですね。だから、本人も自助グループとのつながりを持っておかないと、またスリップする可能性が高い。親だったら家族会とか自助グループとかに行くことが大切になってくるんです。子どもが薬物をやめても、親は自助グループは続けないといけない。自分の問題だからです。

 自助グループにつながる前とつながってからの一番大きな違いは、本人の尻ぬぐいをしなくなったということです。借金したとか事故を起こしたとか、そういったことの尻ぬぐいをしなくなるというのが大きいです。最初は知らないから、どうしても子どもの尻ぬぐいばっかりして歩いたんですけど、まったく意味がないどころか逆効果です。そのことに気がついてくるんです。

 でも、私は気持ちがぐらつくんです。お金やモノはだめといっても、これくらいならいいという気になるんですよ。刑務所へ面会に行った時、息子が「お金を差し入れしてくれ」と言うじゃないですか。「五千円だぞ」となるんですよ。本来はいけないんですけど。だから、自助グループに行かんともたんと思うんですね。自助グループやダルクとのつながりは死ぬまで続けていこうと考えております。というのが、薬物依存症は治癒することはないんです。死ぬまで関わっていかないといけないんですね。
 家内はぐらつくことはないんです。家内は意志の強い性格でして、「あんなところで話をしても何にもならない」と言って、自助グループやダルク家族会には行かんのですね。息子の面会にも行きません。「今度刑務所に入ったら一切行かんよと約束したんだから」とはっきりしてるんですね。だからといって、人に対する思いやりは私の段じゃないですよ。正義感はものすごく強いんです。

  5
 「気づきと工夫」ということですけど、「底つき」といって、自覚と言いますか、本人がこれではまずいなという気づきがないと、まわりがいくら言ってもどうにもなりません。

 ステップ1に「アディクション(依存症)に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」とあるように、自分の無力さを本人が認めないと、薬物をとめるのは難しいですね。治りたいという気持ちが本人に起こるところがスタートです。

 ほとんどの人は最初ダルクに行くと、「俺はあんなにひどくない。俺の行くところじゃない」と言います。違い探しをするんです。底つきになっていないわけです。私の息子も「いよいよだめになったらダルクがある」と言ってます。
 それでも何回も刑務所に入ったり、何度もスリップしたりして年も取ってくると、もうどうしようもないなと思って、やっとダルクにつながるんですね。「自分はもうだめだ。神様助けてください」という心境にならないと。そうなったら自助グループやダルクに行くしかないと本人でも考えるわけです。

 息子が刑務所に入って底つきになったかというと、そこはわからないですね。息子からの手紙には、出所したらああしようとかこうしたいと、反省の気持ちを書いているんです。でも、それは今までにも何回もあったし。刑務所では薬物はできないからまったく正常なんです。ですから、今度出たらどうするとか、正業につきたいとか思うわけです。だけど、それが信用できるかどうかはわかりませんけどね。

 私が察するにたぶんこういうことだろうと思うんです。薬物依存症は薬物に関する部分だけが普通の人と違うんです。薬物をコントロールして使うことができなくなっている。ほかは全部正常人です。物事の分別もつくし、人とのつき合いもできる。これはしたらいけない、これはしていいというけじめはちゃんとわかっているんです。薬物がよくないこともわかっている。だけど頭の中で、やろうか、やめとこうかをくり返す。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが本音なんです。
 薬物をやってはいけないということは本人も知っているんです。だから、「やっちゃいけない」と言う必要はないんです。だけど、つい言ってしまう。

 そんなことを言いますと、親御さんたちは「悪くなるまでただ見守っているだけですか」と言われます。現実はそれに近いですね。それほどこの病気は簡単じゃない。ほんと簡単じゃないんですよ。1年2年じゃない、10年単位のレベルですから、腹くくってかからないと。もう治ったからいいなんて思ってたら、またいつかやりますよ。薬物の快楽が頭にインプットされているんですから。

  6
 工夫というのは薬物をしないための工夫です。たとえば、昔の友だちとは一切つき合わないとか、薬物に関するところに近づかないとか、いろんな工夫があるんです。

 息子が悪かったのは、シンナーをやろうという仲間のところには行くんです。これを下向きの仲間と言います。そうじゃなくて、やめようと考えている人たちと友だちにならないと解決しないんです。

 本人の状況がどの程度のものかいろんなケースがあって、個人差がありますから、一概にどうのこうのとは言えないんですね。ですから、その工夫も一人ひとりによって違っていて、本人が自分で工夫するしかないんです。

 うちはシンナーをやりだしてから15年になります。長い人は30年という人もいますからね。うちがこうだからよそも同じだとは言えない。全部違うんです。性格も違うし、家族構成とか生活環境もみな違う。だから、こうしたらいいということはないですね。まわりがどうのこうのと言ってもあまり意味はありません。自分で学び、自分で考えていくしかないんです。薬物を使わないためにはどうしたらいいかを自分で工夫しないといけないし、そのためには自助グループの仲間が必要です。

 巻き込まれない工夫を勉強していく。ぐらっときても、それはいかんと自戒して、仲間の話を聞いて、ああ、そうだったと自分を奮い立たせるといいますか、今日一日だと思い返す。ここまでは支援するけど、ここからは支援しない。巻き込まれずに適当な距離を保つ。
 そういうふうにしないと、自分一人では子どもの言いなりになって、尻ぬぐいしてしまいがちなんですね。だから、自助グループがどうしても必要になってくるわけです。

 本人が気づくために家族のできることがあるかというと、モノとお金を与えない、相談には必ずのる、それぐらいですかね。本人に接する態度は普通でいいんですよ。本人の気持ちを尊重してちゃんと接すればいい。ヤク中だからと見下げたような態度は絶対いかんですね。あとは自分で考えないと。こちらからどうこうしたのでは絶対に身につかないから意味がないと思いますね。

 最終的には気づきと工夫じゃないかなあというのが、この14年間の結論です。

  7
 息子が出所しても自宅に引き取らないほうがいいと、自助グループでは言われてます。私としてはダルクに入ったらどうかと考えているんです。でも、本人がいやだと言えば、強引に行かしても意味がないんですね。どうするかは皆さんの意見を聞いて決めようと思っています。

 私は精神病院で働いてるんですけど、入院患者が元気になるとかすると自分自身が気持ちいいじゃないですか。だから、息子もそういう仕事がいいんじゃないかと思うんです。息子はストレスに弱いから、会社に勤めてもまた同じことのくり返しになるような気がするんですね。

 本当のことを言って、息子が100%回復するという自信はないです。ただ、やめ続けてくれればいいなと思っています。出てきたらどのように突き放そうかなと勉強しているところです。頭ではわかっているんですけど、いざその場になるとまた尻ぬぐいしかねんですから、そうならないよう勉強しているところです。
 私は自分の子どもだけよくなればいいというのはまずいと思うんですね。だからメッセージが大切になってくる。メッセージを届けることで自分自身も回復していきますし。

 二、Bさん「共依存からの回復」

  1
 共依存症者のBです。62歳です。子どもが3人いまして、5人家族です。私は5年前に退職して単身赴任地から帰ると、長男が覚醒剤をやっていることを初めて知りました。息子は現在29歳、覚醒剤使用他で逮捕され、実刑判決が出たので刑務所に入ることになりました。
 息子はスポーツ万能な少年だったです。小さい時からサッカーとか空手とか、いろんなことをして、非常に運動神経が発達しとったですね。相撲大会で準優勝したこともあります。ただ、ものすごく気が弱いんです。そして他人に振りまわされやすい。社会性に乏しい。人に左右される。そういうところがあります。

 息子は中学の時からいろいろ悪さをしてました。よくケンカしよったですね。無抵抗の者を殴ったり、バイクで学校に乗り入れたりで、女房は何度も学校に呼びだされてました。ワル仲間たち十数人と同じ高校に入ったんですけど、先生と合わなかったんですね、行ったり行かなかったりで進級ができず、結局みんな退学しました。
 高校をやめてから自宅で仲間とシンナーをやり始めたんです。シンナーを取りあげたり、息子の仲間に「出ていけ」とどやしつけたりしてました。だけど、私の車のガラスが割られたりいろんなことがありました。バイクを盗んで無免許運転をしたりとかして、警察に補導されたことも何回かあります。退学してから数年間はそういう感じでした。

 17歳の時、シンナーのことで精神病院に入れました。20歳までに精神病院には3回入ってるんです。そのころ私は会社で営業責任者になりました。私は仕事中毒なもんで、息子の問題にはノータッチだったんです。警察や裁判のことはほとんど女房がしました。私は1回裁判に行ったぐらいです。

 単身赴任で何年間か家を離れておったんですが、57歳で会社を辞めて帰ってきました。息子が覚醒剤を使用して幻聴、幻覚で暴れるのを目の当たりにしたのがその一ヵ月後です。外に出て大声を張り上げたり、バットを持って行ったり。それとか水に対する恐怖ですね。頭が真っ白になって呆然となりました。
 息子は部屋にバリケードを作って閉じこもって、夜になるとどこか出かけたり、奇声を上げたりして、どうしていいかわからん。私は仕事を辞めたばかりですから、四六時中、子どもと家におるんです。なんとか覚醒剤をやめさせようと必死だったですね。
 息子とは何度も格闘したんですよ。殴り合ったりしたです。だけど、24、5歳の息子とは体力が違うんですね。ぽーんと飛ばされるんです。私も子どもを殺してと考えた時期がありました。息子だけでなく、家族も依存症と一緒ですよ。私も家族も巻き込まれてしまったです。

 最初は市役所とか県の出先とかに相談に行きました。精神病院、弁護士、警察、保健所などに毎日のように行ってました。お祓いにも何回か行きましたね。半年ぐらいそうだったです。

 サラ金から請求書がいっぱいきて、私は退職金がありましたから、何百万円か現金で払ったです。その時はこれで終わったと思いましたね。だけど、半年でまた同じだけ借金を作りました。親が借金の肩代わりをすることは、サラ金からまた借りられるようにすることになるわけです。尻ぬぐいをしてお金を出すのは長引かすだけなんですね。

 そのうち、女房が中間施設の情報を入手してきて、そこでつながったんです。家族で中間施設に参加するようになりました。中間施設につながってから4年半たっています。その半年後に自助グループにもつながりました。息子が発症してから1年ぐらいしてです。家族会や自助グループはほとんど女性ばかりなんで、男の私が行くのは恥ずかしいですけど、ずっと行ってます。

 解毒、毒を抜かないといけないというので、精神病院に入れようとしたんですけど、息子は薬物をやったこととか依存になっていることを否認するんです。「俺は何もしとらん。俺は病気じゃない。どこも悪くない」という感じで。
 それで精神病院に相談に行ったんですね。最終的には息子がどうしようもない状態になって、子どもを強制入院させようとしたんですけど、これができないんです。家族4人で押さえつけて連れて行こうとしても、息子にはね飛ばされる。精神病院の先生と相談して、職員に来てもらったんです。
 そしたら、息子が携帯で警察に電話して、本人が入院したいという意思がないのになぜ強制入院させるのかという話になって。20歳以上だと法律上、本人の同意なしに入院させることはできないんです。息子は24歳ですから、暴力沙汰とかあればともかく、そうしたことがないのに強制的に入院させられないんですね。それで退院することになりました。

 3ヵ月ぐらいして知り合いにすべて話しました。薬物でこうなって、親の言うことも医者の言うことも聞かん、息子に話してくれんかと頼んだんです。それで息子は精神病院に行ったんですが、すぐ「帰る」と言うんですね。医者に「1週間後に行く」と約束したんですけど、1ヵ月ぐらいでトンずらして、家にも帰ってこない。約束を破るわけです。

 それでも息子を何とかしないといけないというので、半年ぐらいそういうことをくり返して、それからまた病院に相談して来てもらったら、今度は観念したのか、おとなしく入院しました。精神病院に入るまで1年以上かかったです。
 入院して半年すると、毒が抜けてきますから落ち着いてくるんですね。退院することになったんですが、退院したらすぐにまたクスリを打つ。腕がもう注射跡でボコボコですよ。最初は1本でいいんです。ところが耐性と言うんですけど、だんだんクスリが効かなくなってきて、一日に7本、8本と打つようになるんです。
 お金はサラ金から借りてました。私が借金を払ったために、再び借りることができるようになったんです。

  2
 本人の尻ぬぐいはしない、モノとかお金とかの援助は一切しないというのが大前提です。サラ金から借金をして、請求書がしょっちゅう来ると、親が代わりに借金を払ってやりますよね。親の責任だと思って。だけど、それはしてはいけないことなんです。本人が失敗することによって自分が気づくことが大切なんです。
 ところが、親がサラ金の借金を払うことで、本人の責任感を奪ってしまうことになる。そして、借金を返さなければならないという本人の痛みをなくしてしまう。そして、借金を返すことで、またお金を借りることができる状態にしてしまう。このように、尻ぬぐいをしたりすることで、逆に薬物依存を助長させてしまうわけです。これは交通事故や盗みなんかの尻ぬぐいも同じです。

 誤解される言い方かもしれませんけど、子どもは他人なんです。夫婦でもそうです。他人は変えられない。無力です。さっき言った「平安の祈り」ですね。変えられるものと変えられないものとを見分ける。そして、変えられないものは受け入れるしかないですよ。変えられるのは自分だけです。生まれもったものは変えられないけど、価値観やものの見方、そして行動や対応の仕方が変わってくるんですね。まずこのことを勉強します。

 自分しか変えられませんよ。変えられるのは自分だけですよ。変えられないものは受け入れてください。ラインホルド・ニーバーの「平安の祈り」ですね。
  神様、私にお与え下さい。
  自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!
  変えられるものは変える勇気を!
  そして、その二つの物を見分ける賢さを!

 そしてフレデリック・パールズといって、ゲシュタルト療法を創始した精神科医がいるんですけど、この人が作った詩で「ゲシュタルトの祈り」というのがあります。
  私は私
  あなたはあなた
  私は私のことをする
  あなたはあなたのことをする
  私はあなたの期待にこたえるために
  この世に生きているわけではない
  あなたは私の期待にこたえるために
  この世に生きているわけでない
  あなたはあなた
  私は私
  偶然ふたりが出会えばそれはすばらしいこと
  出会わなければ仕方のないこと

 子どもは子ども、親は親。人は人、私は私です。人を指図したり、人のことで悩んでもどうにもなりませんよということです。どうにもならないことは自分の問題でも自分の責任でもないんです。「平安の祈り」と「ゲシュタルトの祈り」とをしっかり勉強せんと、引きずり込まれて共依存になるんです。依存症者の支え手になることで同じ関係を続けてしまう。
 そうならないために自助グループで、回復は自分の問題だ、子どもは回復しないかもしれない、親は親、子どもは子どもという境地にならないといけないといったことを学ぶわけです。

  3
 息子はまた病院に入院し、退院したら犯罪行為をして捕まりました。この時は初犯ですから、執行猶予がついたんです。裁判官に「遠方の中間施設に行く」と宣言して、20ヵ月ほど遠方にいました。
 ただし途中で一回中間施設から逃げたんです。中間施設になじまんかったようです。家に帰ろうとしたんですけど、遠方ですから簡単には帰れんのですね。飯も食わんで倒れとったんです。救急車で運ばれて、そしてまた中間施設に入りました。

 それから1年ぐらい中間施設の寮にいて、ある程度回復してアルバイトをするようになりました。そうしてお金を貯めて家に戻ってきたんです。中間施設からはに戻してくれという連絡があったんです。息子と話をしたら、「戻りたくない」と言うんですね。態度は冷静だし、息子の判断を受け入れ、戻らなくてもいい、その代わり家には入れない、中間施設やNA(薬物依存症者の自助グループ)につながるということを条件にして、息子はアパートを借りました。

 そして、仕事を見つけて10ヵ月ぐらい働いとったんですけどね、重労働で精神的にきつくて。それに、依存症の人間は人間関係が苦手なんですよ。すぐへこむんです。息子はヤク中ですから酒は飲みません。飲み会でも食べるだけなんですけど、二次会、三次会につきあう。息子はいやになって「行きません」と言ったら、そのうち人間関係がうまくいかなくなって、会社を辞めることになったんです。
 結局孤立する。以前だったらワル仲間が20人ぐらいいて、シンナーで捕まった時にはみんな来てくれたんですけど、みんな家庭を持っていて、今はそういうことはないですよね。会うこともない。自分は一人。孤独。

 息子が「金くれ」と無心してきましたけど、その時は家族会に入っとったから、お金は一切やりませんでした。断りました。食べ物ぐらいは持っていってたんですけど、金銭的援助をしない。そしたら、家から女房の宝石とか取っていったですね。NAにも行かなくなりました。
 そういったいろんな要因があって、またクスリを使う。親は金を出さない。サラ金のブラックリストに名前が載るから、どこのサラ金も貸さない。それで犯罪を犯して捕まったということです。

  4
 私自身は最初の時のように頭が真っ白になることはなかったです。自分の問題と子どもの問題とは切り離してましたからね。子どもがそういうことをしたのは子どもの責任なんだということです。

 私は最初の1年間、中間施設に相談してたんですけど、何の相談をしてたかというと、子どもの問題についてなんです。子どものことで悩んで、子どもを治してやりたい、子どもを何とかしよう、どうしたらいいのかと、子どもを支配するという考え方が中心でした。共依存ですね。自分がしなければいけないと思っていました。私はどっぷりだったですね。
 息子が精神病院に入った時も、息子が「甘いものがほしい。お菓子とジュースとマンガを持ってこい」と言えば、すぐに持っていく。1週間に何回も行ったですね。息子が命令し、私が従う。命令と支配の関係です。これが親の仕事だと思ってました。息子に何かあると、私が何とかしなくてはと思ってたんです。

 しかし、これは自分の問題を自覚せんままに子どもの問題とすり替えとっただけだったんですね。自助グループにつながって4年半、勉強させてもらって、薬物に限らずいろんなことを学びました。

 最初はミーティングに出てもなかなか話せないんですね。家庭のことは知らない人には話しにくいですから。特に、子どもが薬物で刑務所に入っているなんて誰にでも言えることじゃないですよね。近所の人にも黙っている。嘘をつく習慣になっているわけです。だけども、仲間の話を聞いているうちにだんだんと気軽に何でもしゃべれるようになるんです。

 自助グループのよさは自分と同じ悩みを抱えている人がいるということです。だから悩みをわかってもらえるんです。我々の仲間は薬物依存者の関係者ばかりですから、隠すこともないし、お互い話がよくわかるんです。ですから、自助グループだと100%話せるようになります。話せることが喜びですし、他の人から話してもらえることも喜びになるんです。それが自助グループのいいところかなと思います。
 悩み事といっても薬物だけじゃなくていろんな悩み事がありますよね。何か悩みがあれば、それを仲間に率直に話して分かち合いをする。相談したい時には先行く仲間(先に自助グループにつながった仲間)に電話をして悩みを聞いてもらうこともあります。話を聞いてもらって心の落ち着きを保っていく。

 自助グループに最初ビギナーさんが来られた時には皆さん狂気です。目は血走っていたり、泣いたり。ウツになっている人も多いです。子どもを殺すことまで考えている人もいます。自助グループにつながっていないとそんな感じの人が多いんですね。それがミーティングに参加する中で自然と落ち着いてくるんです。仲間がいるという安心感が育って、自分に対して正直になると回復が近くなってきます。

 だけど、親が回復したからといって子どもが薬物をやめるわけではないし、子どもが回復したから親も回復するとは限らないんです。そこを間違える人が多いんですよ。子どもの薬物がとまったというので自助グループをやめてしまう。ところが、子どもがスリップしてまた薬物をやってしまったというので、あわてて自助グループに来る。そういうこともあります。親の回復と子どもの回復は別なんです。勉強することによって、子どもの回復ではなく、自分の回復が目的なんだということがわかってきます。

 自助グループにつながれば、まず気持ちが楽になって、頭が真っ白になることが少なくなってくるのかなあと。それと、秘密が守られる、仲間がいる、回復した人がいる、10年、20年も前につながった先行く仲間がいるからアドバイスがもらえる。自助グループのよさはそんなところですね。

 じゃあ子どもに対して何もせずにほっておいたり、一切関係ありませんと見捨てるんじゃないんですよ。「愛情をもって手を放す」という言葉があるんです。相手を信頼してまかせる。
 親子ですから愛情がなくなったわけじゃない。絆は切れない。どんなことがあっても相談には乗るし、精神的援助はする。ほめたり、激励したりして、自信を持たせるようにする。依存症の人は自信がないんです。自己評価がものすごく低い。がんばっている時にはほめることが大切です。

 だけど、子どもとの間に境界をつけていく。子どもと自分は違うと。子どものことに関しては子どもにまかせるしかない。その一点しかないんです。厳しい愛情ですね。しかし、100%突き放してはいかんです。
 たとえば、中間施設に入れたら終わりというわけではない。中間施設にまかせて、自分は何もしないでいいと思ってはいかんということです。自分の回復のためにミーティングに参加して、自分自身を見直していかないといけない。

 そうは言っても、距離を保つのは難しいんですよ。その度合いが難しい。「愛情をもって手を放す」ということは10年、20年と自助グループに通っている人でもできていないです。ほんと難しいです。どうしても巻き込まれたりします。子どもは何かあると親に頼ってくるんですね。腹をくくっておかないと難しいところがあります。

 時間がかかるけれども、勉強したり、話を聞いたりしているうちにだんだんと「愛情をもって手を放す」ことができるようになってくると、一喜一憂することが少なくなるんですよ。
 言葉で言うと簡単そうですけど、実際にやっていくことはすごく難しい。私もまだできてませんし。でも、回復している先行く仲間がいっぱいいるんです。お子さんを亡くした人でもつらい顔をしていません。

  5
 息子はスリップして犯罪を犯したんですが、最初のころに比べると、私は成長しとると思いますよ。息子は「お父さん変わったね」と言ってました。息子も悔やんでおったですね。3年間やめとったんですよ。せっかく覚醒剤をとめて仲間がたくさんできたんですね。ところが裏切ってしまった。それを裁判で言ってましたから、本人も成長したんでしょうね。犯罪を犯したわけですが、最初のころに比べると全然違うなと感じました。

 自分の問題なんです。自分に問題があることがわかってきた。子どもが悪い、子どもがヤク中になって社会に迷惑をかけ、家がめちゃくちゃになったとか、全部子どものせいにしとったんですけど、勉強すると自分の問題だとわかった。
 自分の問題はステップを勉強することでわかるんですよ。みなさんも棚卸をすると、ものすごく問題があることがわかる。たとえば、夫婦の関係とか子どもとの関係とかが。

 そこで自分史というんですか、自分の生育史をまとめて、今まで人を傷つけたこと、お世話になったこと、恨みに思ったことといったことを表にまとめて、自分の生き方をきちんと見つめ直す。そして、誤りがあればすべて認めていく。そういう作業をするわけです。そうすると問題がものすごく見えてくるんですね。私もAC(アダルトチルドレン、機能不全家族)で育って、それが妻や子どもへの接し方に出てきた。そのことを自分が認識し、受け入れていくということです。

 私自身のことになるんですが、私は小学生のころから粗雑で、落ち着きがない子どもでした。今で言う発達障害だと思います。というのも、私は機能不全家族で育ったんです。貧しくて電気を切られるようなうちでしたからね、お金がないので親父のためにタバコの吸い殻を拾って歩いてました。親父はヒロポン中毒でアル中でニコチン中毒。ちゃんとした仕事にもついていない。毎日、ちゃぶ台をひっくり返しては「酒もってこい」とどなりつける。そういう中で育ってきたんです。親父は小学5年生の時に亡くなりましたけど、17歳上の兄貴もアル中で、33歳で亡くなっているんです。
 中学生になって落ち着いてきたんですが、これは私を認めてくれる先生に出会ったからです。それでも、夜間高校に入り、就職してからも、人のケチをつけたり、人のいやがることをしてたんです。ケンカして木刀で殴ったり。自分自身が貧しかったのに、弱い者いじめをしたり、差別したりしてきました。会社でもトラブルメーカーでしたね。うちの近所でもそうです。人の痛みが見えない。自分の思い通りにやってきました。棚卸をすることでそういう自分に気づいたんです。
 会社に勤めながら資格を20ぐらい取ったんです。息子がシンナーをやって裁判沙汰の時も、資格を取るために勉強してました。女房から「自分のことばっかりして。家のことは何もせんと」と言われてたんですよ。でも、全然気づかんでいました。女房や子どもにはまったく見向きもしない。営業ですから夜は遅いし、日曜はゴルフの接待。自分は資格をたくさん取って満足な気でいるわけです。そういう生活を続けてきたんです。

 棚卸をすることによって自分に問題があることが見えてきたし、子どもの気持ちがわかるようになった。女房や子どものことは考えんかった。私が人に迷惑をかけ、人を傷つけてきた。そのことに気づかなかったし、悪いとも思わなかった。

 そして、できたら埋め合わせをする。悪いことをしたら「悪かった」と謝る。Aさんに迷惑をかけたらAさんに、AさんがいなかったらBさんでもCさんでもいいから埋め合わせをする。過去に傷つけたり、傷つけられたりということがありますから、それを修復すると。自分が回復したことのお返しをすることが埋め合わせです。

 棚卸をすることで自分の問題を見つけ、その痛みが少しずつ埋め合わせをさせているのが今の状態です。迷惑をかけた人がどこにいるかわからない場合とかには、別の人に埋め合わせをしているんです。
 以前は涙を流したり、感動することも少なかったですね。だけど、今は感動しますよ。仲間が涙ぐめば私も目頭が熱くなりますし。そういうことができるようになったんです。

  6
 自分が楽になったらそれで終わりではないんです。他の悩んでいる人にメッセージを運ばないといけない。困っている人はたくさんいます。「仲間がいますよ。安心できますよ」と伝えていく。

 私も刑務所や家族会などに行って自分の体験談を話しているんですね。そこにいる人たちの話を聞いたりもします。メッセージを届けることは自分の気づきになるし、自分の回復にもつながってくるんです。メッセージを各施設に届けるのが私の回復のためのハイヤーパワーだと信じて、時間対応ができれば手をあげて出席しています。

 我々が話したからといって、薬物依存が治るものでもないです。我々は他人を治すことはできないんです。自分が平安でおれるかどうかです。そのことが子どもの回復と直接結びつくかどうかはわかりません。私の回復です。

 自分を見つめるための勉強と、仲間との分かち合いです。そのことで自分を責めることをやめ、子どもをどうにかしようとすることをやめ、自分の問題を解決していくことで楽になっていくということです。そういうことを勉強することで中間施設に相談することがなくなったんです。ここ4年間はほとんど中間施設に相談してないです。

 女房は4年近く自助グループに行ってましたけど、今は行ってません。女房は私と一緒に行くので、私がべらべらしゃべると女房は話すことがなくなるんです。それで行かなくなりました。でも、自助グループに行かなくても興味はあって、どういう話があったかと私にいろいろ聞いてきます。
 女房は今でも「もうちょっとこうすればよかった」と言いますね。子どもの問題を親が引きずっている間は、親の回復はなかなか難しいです。
 道はまだ遠いと思いますが、今日一日を大切に、希望を持って、仲間と楽しくミーティングしています。
(2009年11月28日に行われましたおしゃべり会でのお話を、自助グループの出版物を参考にしながらまとめたものです)