真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  なぜやめないのか

自分はどこかおかしいのではないかと考えている人間はまだ大丈夫だ。
危ないのは自分はおかしくないと思っている人間だ。
  
                        佐高信『日本は誰のものか』

 やめない理由

ただ、私にとっても日蓮正宗の教えそれ自体、また、御宗門はすばらしいものだとの思いはいまも昔も変わりません  湯野重『池田学会 イニシエーションの恐怖』

・家族、友人などの付き合い、しがらみ
・洗脳されてふっきれない
・仲間を失うことの怖れ
・やめるとよくないことがあるのではという恐れ
・自分の間違いを認めたくない
・支配されたい、依存したい
といったところでしょうか。

 間違いを認めたくない

自分のしていることには意味がある
  ↓
苦しいことでも我慢してやり抜く
いつか報われる

しかし

正しいと信じていることが実は間違いだった
  ↓
自分が一生懸命してきたことは意味がなかった
無駄なことをやってきた
  ↓
自分の人生なんだったんだろう

これはつらいですね。

 戦争

正義の戦い
聖戦
 ↓
侵略戦争だ
我々は間違っていたんだ

こんなことを言われて
「はい、そうですか」とか「その通りです」とはいきません。

・今まで命がけでしてきたことは一体なんだったんだ
・多くの人が死んだのは何のためだったんだ

反論したくなるでしょう。でも

・仕方なかった
・正しいと思っていたんだ
・日本も大きな犠牲を払ったんだ
・よその国だって同じことをやっている
・植民地が独立したのは日本のおかげだ
などという言い訳や開き直りをしていいものでしょうか。

人の非は知りやすけれど我が非をば智者も知ること難きぞときく 雲居希膺

 事実よりも夢がいい

・自分は正しい
・自分はいつもみんなのためを思っている
・自分はいいことをしたんだ
・自分は他人の幸福を素直に喜ぶ
などの夢は気持ちいいですね。
  (「自分」のところに「教祖」「教団」などを入れても結構です)

世のため、人のためと言いながら、事実は私のためです。
ですから、人から感謝されたりほめられないと不愉快になります。
自己満足です。

ほんとうに深く自分を愛する者は、自分の短所を看過しない。 
                          金田一京助『石川啄木』


 奴隷の幸福

奴隷と自由人とどちらが楽に生きられるかといえば、あんがい奴隷の方が楽なんです。自由人になって飢えるよりも、奴隷になってめしが食えるほうがいいと思うのです。               ひろさちや『50歳からの仏教入門』

全ては神の御心です。神は優しいだけではありません、時に厳しくもあるのです。厳しくされるのも全て神の御心です。児童虐待や飢餓、虐殺等…人道的に非道い行いも全て神の御仕組みの一つであり、全ては世の中をきれいにするための一環です。

こんなことを信じるのは奴隷です。

 自由人よりも奴隷を選ぶ人

・自分の考えを持たない人
・人に追従する人
・指示待ち人間
・人の言いなりになる人
・権威に弱い人(いばりたがりに多い)
でも自分では気づいていない場合が多いですね。

 なぜ

命令に盲従する、依存する
  ↓
責任を負わずにすむ
選択しなくてすむ
悩まずにいられる
不安を逃れることができる

指示が出たらみんなでさっと動くとか、そういうのってあるじゃないですか。こういうの楽だなあって思いました。自分で何も考えなくていいわけですからね。言われたことをそのままやっていればいい。自分の人生がどうのこうのなんて、いちいち考える必要がないんです。

(出家をする動機として)自分でものを考えなくていい。決断しなくていいというのはやはり大きかった。任せとけばいいんだぁって。指示があって、その指示通りに動けばいいんです。そしてその指示は解脱をしているという麻原さんから出ているわけですから、すべてはきちんと考えられているんです。 村上春樹『約束された場所で』

大衆は目的のはっきりした主張の容赦ない力と押しの強さを目の前に見て、結局それに屈従するものなのだ。
 ヒットラー『我が闘争』

すべてを人に任せ、依存することで安心したがるという傾向が、誰にでもあることは否定できないと思います。


満足した豚よりは不満足な人間のほうがいい。満足した馬鹿であるよりは不満足なソクラテスのほうがいい。
 ジョン・スチュアート・ミル『功利主義』