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「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」  第3回
2001年12月9日 

  第3回「人の争いの姿」 

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 どうもご苦労様です。お休みの日にお集まりいただきました。この講座も第三回目をむかえています。
 『現代の聖典』では、78ページから王舎城の悲劇の物語が読み物風になっておりますので、ご覧いただきたいと思います。今日はこの王舎城の物語に具体的に入りながら、学んでいきたいと思います。今日のテーマは「人の争いの姿」ということです。私たちもよく争い、もめたりしながら日々生活しているわけです。
 阿闍世と頻婆娑羅との間に起こった出来事にというのはですね、突然起こったというわけではないんです。なんの脈絡もなく事件は起こったりしません。ちゃんと前兆があって、背景があって、物事は起こってくるわけです。
 ああいう事件が起こった背景と、そしてさらに、そこに横たわっている人間の問題というものを一緒に見ていき、そしてそのことは決して阿闍世と頻婆娑羅、そして、二千五百年前のインドだけの問題ではないはずですから、私たちの問題として学んでいけたらと思います。

 阿闍世が王に反逆していく部分は長く、またいろんないきさつがあるわけですが、『観無量寿経』そのものでは非常に短くまとめてあります。『現代の聖典』の28ページではこうなっております。

その時に王舎大城に一の太子あり、阿闍世と名づけき。調達悪友の教に随順して、父の王頻婆娑羅を収執し、幽閉して七重の室の内に置く。もろもろの群臣を制して、一も往くことを得しめず。

と、こう書いてあります。『観無量寿経』には、韋提希と頻婆娑羅王には子どもがなかったので、占ってもらったら、山に仙人がいて、などということは書いてありません。突如として事件が起こったところから始まっていくわけです。
 ではなぜ、ああいうことがわかっているかというと、頻婆娑羅王と阿闍世との間にあった大きな出来事、つまりクーデターは非常に衝撃的なことだったわけですから、この『観無量寿経』だけではなく、他のお経にもこの事件がたくさん取り上げられています。
 特に代表的のもので、親鸞聖人が注意されたお経としては、『涅槃経』というお経があります。『涅槃経』は、お釈迦さまが亡くなられる前後のことと、その説法がまとめられていると言ってもいいかと思います。お釈迦さまが亡くなられる時の様子も出てきます。沙羅双樹のもとで亡くなられたというふうな記述もあります。
 その『涅槃経』にこの王舎城の事件が非常に詳しく記載されています。またいくつかの他のものから、王舎城の事件の背景がわかってきます。そういう出来事をふまえて、この『現代の聖典』に物語として書かれているわけです。

 それで考えられる事件の背景をまとめてみますと、先回、頻婆娑羅王が占いや祈祷といったものに頼っていたというお話をし、占いや祈祷に頼るとはどういうことなのかということで、魔ということを取り上げてお話をいたしました。
 占いとか祈祷というものに頼ってですね、そして仙人が自分の子として生まれ変わると信じて、その仙人を殺してしまい、その仙人が死ぬ時に「生まれ変わったら恨みを晴らしてやる」と言ったので怖れた、というような頻婆娑羅王の姿があったわけです。
 そのころの頻婆娑羅王はまだ非常に若く、お釈迦さまに出会っていません。その後、お釈迦さまに出会って、深く仏教に帰依する王様になっていきます。
 頻婆娑羅王は仏陀釈尊に深く帰依し、その教えによって国を治めることを理想としていたと考えられます。仏教に帰依し、その教え、その理念をもって国を運営しようと考えたと思います。
 そして、阿闍世の方は提婆達多という者を友人として尊敬し、信頼しています。提婆達多というのはお釈迦さまの従兄弟であり、弟子でもあります。そして阿闍世は、お釈迦さまではなく、提婆を非常に信頼して、その提婆の教えによって国を治めていくという理想を持っていたと考えられます。
 頻婆娑羅王はお釈迦さまの説く教えを理念として、国を治めていこうとする。そういうことがあり、父親である頻婆娑羅王と、まだ若い太子である阿闍世との間で、いわゆる国の治め方、政治のあり方をめぐる意見の相違があったのではないかと思います。そういうことが一つの背景にあるのだろうと思います。
 これは何も頻婆娑羅王と阿闍世との間だけのことではなくて、現代でもそういうことがあります。お寺でも、住職と若さんがお寺のあり方をめぐって意見が違って衝突するということがよくあります。例えば会社とか家庭でも、若い方とお父さんとが家のあり方について意見が合わないといったことがあるかと思います。そういうことは、世代の違いと言いますか、よくあることだと思います。
 ただ、だからと言ってそこですぐにクーデターというようなことにはなりません。そういう意見の違いはありますけど、おそらく阿闍世は、自分の父親である頻婆娑羅王を深く愛して尊敬していたと考えられます。これは単なる私の予想ではなくて、ちゃんと『涅槃経』にも出てきます。阿闍世はクーデターを起こし、結局頻婆娑羅王を食べ物を与えずに殺してしまいます。その遺体と対面した阿闍世は非常に後悔し、その後非常に苦しむわけです。
 それはつまり、本当は深く愛していたということがあるから、その遺体に対面して初めて、後悔の念を抱いて深く苦しむということが出てきたのだろう思います。そういう意味では、おそらくあの苦しみに匹敵する深い愛を父に持っていただろうと思います。ですから、意見の相違はあったとしても、憎しみを持っていたとは思えません。

 それから提婆と釈尊なのですけども、提婆の方はお釈迦さまの従兄弟といっても、年齢は三十歳ぐらい違います。この事件が起きた時、お釈迦さまは七十歳を過ぎています。2500前のインドの七十歳過ぎですから、もういつ逝ってもおかしくない歳です。ですから、仏教教団のリーダーとして私に跡目を譲ってほしいという意識が提婆にはありました。同時にお釈迦さまの仏教教団の運営のあり方に対して、若い提婆は物足りなさを持っていたということも考えられます。
 ですから、お釈迦さまに取って代わって、自分が仏教教団のリーダーになりたいという野心を持っていた人だと考えられます。
 現に『涅槃経』にはそういう記述があって、お釈迦さまに対し、自分に仏教教団のリーダーの地位を譲るようにと迫るところが出てきます。それはお釈迦さまが拒否されるわけですけども、そのことで今度はお釈迦さまを非常に深く恨むようになります。
 そこで、提婆が阿闍世を誘います。「私は仏陀を殺して仏教教団の新しいリーダーになる。あなたは頻婆娑羅を殺して新しい王にならないか。そして、我々で新しい世を治めていこう」と、そんなことを言って提婆が誘うわけです。『涅槃経』の最初にそういうことが書かれています。
 頻婆娑羅王がお釈迦さまの教えによって国を治めていくということですが、その当時、北インドではマガダ国が一番大きい国ですけども、たくさんの小さな国がありました。ですから、領地を戦争で奪ったり、奪われたりしながら大きくなっていたと思いますが、おそらく頻婆娑羅王は深く仏教に帰依してから、できるだけ戦争は避けて、どの国も協調して、皆が繁栄していけるような方針を持っていたのだろうと思います。
 それに対し、若い提婆や阿闍世は物足りなさを持っていて、マガダ国は力があるわけですし、また提婆や阿闍世は非常に優秀な頭脳を持った人たちですから、いわゆるエリートが合理的な政治を進めて、富国強兵という形で国の力を充実させて、国を拡大していくのだという考え方を持っていたと思います。そういう違いがあると思います。それで提婆が誘うわけです。
 しかし確かに意見の違いがあっても、阿闍世は父を深く愛していますから、最初は拒絶します。「何をばかなことを言うのだ」と。「父を殺して自分が王になるなど考えたこともない」と否定するわけです。
 それならということで、提婆が最後の切り札として出したのが、阿闍世の出生の秘密を告げるということだったわけです。

 そういうふうに二段階に『涅槃経』ではなっております。いきなり出生の秘密を告げたわけではなくて、「我々が国のリーダーシップを取ろうじゃないか。私は仏教教団をリードするし、あなたは政治の王様になればいい」と誘うわけです。しかし阿闍世に拒否されると、「あなたはそう言うけど、あなたの地位も危ないのだ」と言って、出生の秘密を阿闍世にばらしたわけです。
 そのことが背景の第二になります。
 この背景なのですが、頻婆娑羅王には子どもがなかったので、占ってもらったら、仙人が三年後に死んで、というふうになるのですが、インドには今でもサドゥーといって、修行をする人たちがいます。
 そして王舎城のあった所は、今はラージギルと言いますが、現在でも王舎城の跡も残っておりますし、お釈迦さまがおられた霊鷲山、つまり説法された場所も全部残っています。その当時は、そこはインドの都でしたが、今はもうインドの田舎というような所です。
 インドにはサドゥーというような修行をする行者がたくさんいますから、仙人とはたぶん、そういうような人たちのことを指すのだと思います。そういう人を殺して、その人が生まれ変わる、ということが出生の秘密となっていくわけです。

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 ここで少し厄介なことを申し上げますと、この間、天皇家に一人の赤ちゃんが生まれました。それが新聞やテレビでも報道されています。天皇家の赤ちゃんでも、私どもの赤ちゃんでも、みんな同じです。赤ん坊というのは絶対的な受身として生まれてきます。つまり、自分で能動的に選ぶということがありません。
 先回でも申し上げましたが、自分の親とか、生まれる家とか、生まれる環境を選んで、予定して段取りを立てて生まれてきた人はいないわけです。気がついたら、もう生み出されていたわけです。そういう意味で全くの受身で生まれてきます。選んで生まれてはきません。
 選べるのだったら、生まれてくるのをやめておこうということがあるかもしれません。芥川龍之介の『河童』という小説があります。その中で、河童がお産をする時、お腹の中にいる赤ちゃんに父親が、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事しろ」と尋ねます。するとお腹の中の子どもは「僕は生まれたくはありません」と言ってやめてしまう、という話が出てきます。人間は何の選びもなく生み出され、全くの受身で生まれてくるのだということを、芥川は言いたいわけです。そういう意味で、天皇家の赤ちゃんであろうが、どこの赤ちゃんであろうが、全くの受身です。
 また、生まれたばかりの時も何もできません。自分でご飯を食べることもできないし、洋服を着ることもできないし、立って歩くこともできません。全部手がかかります。全部受身で、やってもらわないとできないわけです。これが人間の赤ちゃんです。
 動物の赤ちゃんなら、生まれてしばらくすると、立って歩きます。人間の場合、一年ほど経たないと歩けないので、万物の霊長と言っても、一番未熟な状態で生まれて来ます。お乳を飲ませ、おむつを換え、風呂も入れてやりと、全部、手がかかります。また精神的にも受身の状態で生まれてきますから、自分の状況というものを自分で受け止めるということも充分できません。
 つまり全部受身ですから、受けかねるということがあります。いろんな悲しいこと、つらいことなどをきちんと受け止めていくというのは、受け止めていけるような主体、つまり「私」というものができて初めて、いろんな悲しいこと、つらいことを受け止めていけるわけです。全部受身の状態で生まれて来る子どもというものは、始めからそういったことを受け止めるということができません。ですから、受けかねるのです。
 受け止める「私」というものが、まだ成り立っていませんから、受け止められないものを全部親に投げ返します。そんなことをした覚えはないと思われるかもしれませんが、投げ返して来たのです、みんな。
 投げ返すというのは、一般的な表現で言うと反抗期です。反抗期にもいくつかありますが、最終的な反抗期の時に、「生んでくれと頼んだ覚えはない」とか「勝手に生みやがって」というような言い方をします。生意気な表現で腹が立つということもあるかもしれませんが、子どもは「勝手に生みやがって」「こんなひどい目にあわせやがって」と言って、親に反抗します。あれは受けかねることを投げ返しているわけです。
 自分で選んで生まれてきたのじゃなくて、気がついたら生まれていたわけです。それを受けかねますから、「勝手に生みやがって」という形で、受身そのままの丸ごとを親に投げ返しているわけです。
 そして実は、投げ返されたものを親は受け止めているんです。いろんな形で受け止めています。
 そうして投げ返して、受け止めてもらって、投げ返しつくくしたところに初めて、受身という言葉に対して逆に言うなら、「能動的責任」を持った「我」、「主体」というものが、起ち上がっていくわけです。
 こういうプロセスが、人間にはどうしても必要です。そういう反抗期をいくつか経て、それを親に受け止めてもらって初めて、「私が生きているんだった」と気づいていくわけです。私が生きているということについては、親じゃなくて私に責任があるのだという自覚ができあがっていくわけです。それが子育てということですし、そういうプロセスが大事です。
 あまり記憶にないですし、はっきりとした自覚がないのですが、私たちもそうやっておとなになってきたんです。子ども時代というのは、いろんな形で受けかねるものを親に投げ返す時期なんです。投げ返しつくくして初めて、責任ある者としておとなになっていくんです。
 まあ、親としていろんな受け止め方がありますけども、名古屋に同朋大学という学校があります。以前、同朋大学の学長をされていました池田勇諦先生にお会いした時、こういうお話をお聞きしました。
「『生んでくれと頼んだ覚えはない』と言われるでしょ。そう言われたら、『そう思うのならば、生んだ者の言う通りにしておれ』と言いなさい」
と言われていました。
 「勝手に生みやがって」と言うのなら、「勝手に生んだんだから、生んだ者の言うことを聞いていればいいのだ」と切り返しなさい、と言われていました。
 そのように切り返されると、親の言う通りにしておれませんから、私のことには親ではなくて私に責任があったのだ、ということに気づき、そしておとなになっていくわけです。
 まあ、いつもそう言っていればいいってわけではありません。パターン化しないで聞いてください。それは、その時によって違いますけども。
 勝手に生んだと思うのなら、自分は自分でないロボットのようなものということになります。生んだ者の言う通りにしておけばいい、と言われて初めて、親の言う通りにしておれない自分がすでにあったんだ、自分は自分だったという形で自分を受け止め、責任ある主体として成り立っていくということがあるわけです。
 そのことについて、善導大師がちゃんと言っておられます。
「私たちが生まれるということは、父親と母親の縁によって生まれるのだ。しかし、その奥には、私が生きるという私自身の業識というものがあるのだ」
と言っておられます。
 つまり、最初から「私」というものがはっきりしているんじゃなくて、受けかねるものを投げ返して、受け止めてもらって、初めて能動的な責任が私にあったという、「私」が成り立っていく。それが子どもからおとなになっていくということです。

 なぜこんな話をするかというとですね、最近、虐待とかいじめといったことが大きな問題となっています。
 子どもが受けかねるものを親に投げ返し、親がそれをしっかりと受け止める。ケースバイケースでいろいろな形で受け止めてやる。そういう親と子どものキャッチボールがあって、子どもがおとなに育っていくわけです。
 しかし、子どもが投げ返すものを、親が受け止めることを拒否するというのが、虐待なんです。子どもが投げ返すものを受け止める代わりに、張り倒すわけです。
 実は虐待をするおとなの方も、十分におとなになりきれていないものですから、自分の受けかねるものやストレスを子どもに投げ返すんです。逆なんです。おとなの方が子どもに対して自分を投げつけてしまうわけです。子どもに対して、受け止められない自分を投げつけてしまうわけです。
 ですから、子どもが投げつけて親が受け止めるという子育ての関係が途絶えてしまうのが、虐待ということの大きな問題です。
 暴力が振るわれて傷を受けたり、時には命まで奪ってしまうというのは、もちろん問題なんですけど、単にそういうことだけではなく、虐待とは、その人の成長過程において、その人が投げ返し、それを受け止めてもらう、そして投げ返しつくして、責任ある主体が起ち上がっていくという、子育ての大事なプロセスが途絶えてしまうということなんです。
 現在、アダルトチルドレンという、おとなに十分なりきれていない症候群が問題になってきています。そのアダルトチルドレンという症候群になっている人たちのほとんどが、子育ての段階で虐待を受ける経験をしているのです。つまり投げ返しを受け止めてもらうことがうまくいってなかった人たちが、十分おとなになりきれていないということに問題があると言われています。

 なぜ、こんなことを言うかと申しますと、頻婆娑羅と韋提希と阿闍世の親子も一番最初の段階で、親が子どもを受け止めるということを拒否しているわけです。生まれる時に殺しにかかっていますから。子どもとして生まれてくることを拒絶しているわけです。
 受け止めていくということは、全くの受身で生まれて来た赤ちゃんの命を無条件で祝福し、抱きしめ、可愛がるというところから始まるんです。その最初の段階で、そのことを拒絶したわけです。
 もちろんその後は大事に育てていくんですが、この親子の関係は最初に拒絶したという虐待の傷が残ったところから出発しています。そのことが影となって、ずっと尾を引いたかと思われます。
 ですから、親の方にも遠慮があるし、遠慮する親に反応して、阿闍世の方も十分に自分を投げ返さない。そういうことがあって、阿闍世の方も成熟したおとなとして成り立っていないと思います。そのことが事件の背景にあるのではないかと思っています。
 と言いますのは、阿闍世はいくつぐらいに思いますか。20歳ぐらい、もしくは、まだ十代ぐらいの若い王子という感じでしょう。実際は、40歳前後だったと考えられます。
 記録では、阿闍世が王位に就いて8年後に仏陀が亡くなったとあります。仏陀が亡くなったのが80歳ですから、阿闍世がクーデターを起こして王位に就いたあの事件の時に、お釈迦さまは72歳です。頻婆娑羅王は仏陀より5歳若かったという記録がありますから、頻婆娑羅王は67、8歳です。そして70歳を超えている仏陀に代わって、新しく仏教教団のリーダーになろうとした提婆は、お釈迦さまよりも30歳ぐらいは若かったといわれますから、40代前半です。そして阿闍世は提婆や阿難とほぼ同い年だったと考えられますから、40歳か30代後半です。
 40歳になろうとしている人が、自分が生まれる時に父親が殺そうとしたと聞いて、かっとなって父親を殺そうとする。あまり普通ではないですね。
 そのことに驚くとは思いますけど、阿闍世も40歳ですでに子どもがいる親です。子どもが生まれるということがどういうことであって、子育てがどれほど大変なことかわかっているはずです。そして客観的にみても、阿闍世の記憶の中でも、頻婆娑羅王は阿闍世を非常に愛し、育ててくれた父親です。
 たとえ最初にそういうことがあったとしても、その後は違いますから、冷静に受け止めて、人間が生きると上ではいろんなことがあるんだと、たまたま私が生まれる時、父と母の間にそういうことがあったんだろうと、冷静さをもって聞けるのが、普通の40歳ではないでしょうか。かっとなって、すぐ反逆に及ぶというのは、ちょっと大人げないと思います。
 ですから、もう一つの背景に、国の政治のあり方をめぐって意見の違いがあったということが大事だと思います。それがなかったら、あのような反逆は起こさないと思います。
 それともう一つ、阿闍世は頻婆娑羅を殺しますが、実は生み落とすという行為は母親がしているのに、最初は全く韋提希に刃を向けていません。最初は父親だけに刃を向けています。
 このことからも、出生の秘密がわかったということは、どうも本質ではないように思えます。親が投げ返すというのは、父親だけでなく、両親ともに自分の受けかねることを投げ返すんです。出生の秘密は父親と母親の共犯であって、父親だけのことではないのですから、父親だけに刃をむけるというのは、政治をめぐる争いが背景にあったと考えるべきだと思います。
 しかし、そういうことがあったにしても、阿闍世には十分に成熟したおとなになりきれていない部分があったように思われます。
 そこで初めて、自分がこんな形で生まれてきたのかと、阿闍世は自分の事実に対面するわけですが、それを受け止めかねます。親に殺されそうになりながら生まれてきたという事実に耐えかねて、その事実を頻婆娑羅に投げ返す。そういう反抗が始まる。それがクーデターのきっかけになっていきます。そういう意味では、40歳になって遅れた反抗期を始めてしまったと言えるでしょう。

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 さらにもう一つ、この事件の背景で現代の問題として密接に考えられることは、阿闍世を一番絶望させたのは、その出生の秘密を知らなかったのは自分だけであり、他の人はみんな知っていたということです。
 そして、誰もそのことを阿闍世に言わなかった。もちろん、言う必要がなかったから言わなかったのですが。
 しかも黙っていただけでなく、陰にまわっては阿闍世のことを、恨みを抱いて生まれて来た者だ、きっと今に何かやるに違いない、というので、未生怨(まだ晴らしていない恨みを持つ者)という名で呼んでいました。
 そのことを提婆から教えられます。そして側近の雨行という大臣からも、「皆、あなたのことを疑いの目で見て、陰ではそう言っていますよ」と告げられます。そのことがまた阿闍世を追い詰めます。

 青少年の中でいじめということが問題になっています。私は語源がわからないんですが、「しかと」といういじめがあるそうです。「しかと」というのは、無視して、仲間はずれにすることです。私はこれを単純に、無視され、仲間はずれにされ、孤立させられることだと考えていました。
 しかし、実際のいじめの事例を見てみますと、「しかと」といういじめはそうではないんです。みんな振り向いてくれないのではなく、みんな、こっちを見ているんです。みんなが、こっちを見ながら「おまえを仲間に入れない。無視するんだ」という視線で見ているわけです。そういう状況に置かれるのが「しかと」です。
 完全に無視されるのではないんです。誰も振り向いてくれなくて一人ぼっちにされるのなら、そういう集団から離れてしまって、自分だけの世界に入れれば、精神的には逃げ場ができます。家に帰れば逃げ場があります。そして、そういう集団との関係はなかったことにして、別の関係を新たに結び直すことだってできます。
 ところが、実際の「しかと」の状況の現場を見ますと、そうではありません。みんなが仲間はずれにして無視するんですが、「お前のことを無視しているぞ」とか「あなたを仲間はずれにしているよ」ということを、絶えず行動とか視線とかのシグナルで、ずっと四六時中、送られ続けています。
 ですから、ひとりぼっちの孤立した世界に逃げ込めません。四六時中、そういうシグナルを送られ続けるわけですから、一人にさせてもらえない中の一人ぼっちなんです。そういうつらさがあるのが「しかと」です。
 一つの事例ですが、長野県であったことです。
 中学生の女の子(Y子さん)がクラス中から「しかと」を受けたわけです。中学生ですから、非常に多感な時期です。彼女は皆から仲間はずれにされ、自分に何か嫌われるような悪い点があって、それでみんなから無視されるんだろうと考えました。それで、どういうところがいけないのか教えてもらって改めようと思って、クラスの先生に頼むわけです。クラスのみんなに私について文章を書いてもらってくださいと。その手紙をもらって悪い点を直していこうと思ったわけです。クラスの先生は手紙を書かせて、それを集めてY子さんに渡します。Y子さんはその手紙を家に持って帰り読み、その晩、自殺します。
 シグナルはずっと送られていたんですが、今度は明確な文章でそのシグナルが、クラス中から一度にどっと押し寄せてきたわけです。そして追い詰められ、そのことに耐えられなかったのだと思われます。
 実は阿闍世も同じです。自分は王子だからみんなに愛され、敬われていると思っていたんですが、陰にまわっては疑いの目で見られていて、「今に何かひどいことをする奴に違いない」と言われていたわけです。
 本人はそのことを知らなかったのに、提婆と雨行大臣に教えられ、裏ではみんなから無視されて、「しかと」を受けていたという、そのシグナルが一度に阿闍世に押し寄せたわけです。そのことが阿闍世を追い詰めていったと思います。
 Y子さんの場合、私はクラス担任の先生の行動に非常に疑問を持っていまして、その手紙を教育的配慮から、Y子さんに渡す前に一度読むべきではなかったかと思います。また、もし渡したにしても、その晩、その子にどんなことが起こるのか想像ができないというのは、ちょっとおかしいと思います。
 中学生にもなっていれば、担任一人では抑えきれないことがありますから、クラス全体が「しかと」をしていることを薄々知っていながら、間接的に加担していたということもあり得ます。そういうことが起こり得る現在の状況ですから、先生だけを責めるつもりはありませんが。
 その先生と同じ役割をしたのが、雨行大臣です。つまり、本当の側近だったら、「みんながあなたのことを、きっと今に何かやる奴に違いないと、疑いの目で見ていますが、あなたはそんなことに負けてはいけません。むしろ、あなたの誠意と行動によって、みんなの疑いを晴らしてください。それこそがあなたが立派な王になっていく道です」と言うでしょう。
 おそらく雨行という人も、提婆と組んで阿闍世を追い詰めていった一人なのだと思います。加担していたわけです。そういうことが王舎城の事件の背景の一つになっています。

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 そして、そういう背景と同時に、阿闍世の中にもかっと燃えてクーデターを起こしていく構造があったと考えられます。
 阿闍世の持っていた構造をまとめてみますと、三通りの阿闍世が出てきます。
 一つは、祝福されて生まれてきて、両親から愛され、まわりの国民から期待され、敬愛される阿闍世です。つまり、阿闍世自身にとっての「理想的な阿闍世」です。本人は自分はこの「理想的阿闍世」のつもりだったわけです。
 二つ目には、実際はその対極であって、両親からは殺されそうになり、まわりからは疑いの目で見られていた阿闍世です。
 「理想的阿闍世」と、そういう「事実の阿闍世」というの二つの阿闍世があったわけです。
 しかし、その二つだけではなくて、理想の自分を期待し、理想の通りだと思って自信を持っていたけども、しかし実際はそうではないことを知らされて絶望します。そういう自信を持ったり、絶望したりする「思い、考える阿闍世」というのがあります。
 これは阿闍世だけではなく、私たちの中にもそういうものがあります。私というものの構造は三つあります。
 一つは、理想とする自分。二つは、実際の自分。三つは、理想通りいくよう考え、実際の自分に絶望する自分というのがあります。
 そして私たちは、三つ目の「思い、考える私」こそが、本当の私だと信じているわけです。こういう構造を持ち、「思い、考える私」こそが、間違いのない私だと信じていることを、仏教では我執と言います。そして、この我執という構造が、実は私たちを一番苦しめ、争わせる根っこにあるのだということを見つけてきたのが、お釈迦さまです。
 阿闍世は事実を知るまでは、「理想の自分」と「事実の自分」が重なっていたんです。ところが実際は、親からは憎まれて殺されそうになるし、国民からは疑われているという「事実の自分」を教えられて、愕然とするわけです。そして、こんな「事実の自分」は嫌だということで、自分を傷つけたり、殺そうとするんです。

 私たちも「思い、考える自分」を中心として、私はこうありたいと考えます。しかし実際は、そうではない自分が出てきます。ある程度お金もあって、社会的にも認められ、地位もあり、生活も安定している。そういうことが「理想的な自分」として考えられます。
 しかし実際は、なかなかうまくいきません。仕事も家庭もうまくいかなくなって、理想と事実のギャップがひどい場合、大体は年の功で理想の方を下げていきます。「まあ、こんなものか」と。皆さんもだんだん下がってきているでしょう。
 この理想と事実の差が大きいと、「事実の自分」が許せなくなってくるんです。こんな自分では嫌だと。自分で自分を持ちきれないと。これを自己嫌悪と言います。しかし自己嫌悪だけではすまなくて、こんな自分では世間にも顔向けできないし、こういう存在をこのまま置いてはおけないという気持になります。そして、時には自分で自分を殺してしまうということも出てきます。「思い、考える自分」が「事実の自分」を殺していくわけです。
 阿闍世もそうです。殺されそうになり、国民から疑われる自分自身を持ちかねるわけです。かといって、自分で自分を殺すということを阿闍世はせずに、「事実の自分」を頻婆娑羅に投げ返します。「事実の自分」を殺す刃を、この「事実の自分」を生み出した親に向けていく。それが阿闍世のやったことです。
 私たちは、この「思い、考える自分」を中心にしています。理想ということじゃなくても、段取りとか、予定を立てるでしょう。
 今日は朝起きて、洗濯をして、掃除をして、あそこにお届け物をして、その帰りに買い物をして、というように家庭の主婦の方なら考えるでしょう。あるいは、会社に勤めるサラリーマンの方なら、今日はここまで仕事をすませておきたい、という段取りをします。そして、まず予定し、段取り通りにできた自分を考えるわけです。
 ところが、昼ご飯を食べた後に、ちょっと横になり、ふと気がついたら、一時半だったということがあったり、その後お茶を飲んで、テレビを見ていたら時間が過ぎてしまい、朝、考えた予定通りのことがクリアできなかったと。
 そういうことがあると、予定通りできなかったという「事実の自分」を殺すまではしなくても、自分を叱ります。今日は駄目だったなと。普通はこれを反省と言います。そして、何とか予定通りやっていこうとします。その叱る鞭がだんだんと強くなっていき、最後は自分を殺すところまでいくんです。そういう「私」というものが、私の中の中心にいるわけです。
 それは世界の中心にもいます。他人に対してもそうです。
 今日はこれだけのことをしておこうと予定を立てる。自分が怠けてできなかった時は自分を叱りますが、自分で自分を叱るわけですから、多少、手加減をします。まあ、仕方がないかと。ところが、向いの奥さんがご飯を食べたところにやって来て、二時間ほどベラベラと長話をしてしまったと。そして、予定通りのことができなかった場合は、自分を叱るわけではないのですから、あの人が来たばっかりに、今日は予定通りにいかなかったと言って、他人に対する鞭は滅茶苦茶きつく打っていくわけです。

 こういう「私」を中心とし、この「私」が世界の王様になって、まわりを引きずりまわしているんです。阿闍世も「私」を中心にしていくわけです。「事実の自分」が許せないと、この事実を生み出した頻婆娑羅に刃を向けていきます。そして頻婆娑羅を抹殺することによって、「理想的な自分」だけにしていこうと考えたわけです。
 こういう構造を持って私たちは生きているわけです。
 この「思い、考える自分」が、こういう私でありたい、ああいう私でありたい、と考えるわけです。そして、それが本当の私だと思いこみます。
 こういう私でありたいというために役立つ人はいい人で、邪魔をする人は悪い人でという形で、「私」が全部を価値判断して、都合のいいものと、都合の悪いものとに分けていきます。そして、「事実の自分」の身さえも、都合が悪くなれば、一番遠いところへとやってしまいます。そういう「私」が本当の私なんだと考えているわけです。
 そうではなく、駄目であろうが、どうであろうが、身の事実が私なんです。しかし、その私を私として認めないわけです。いつも、ああなりたい、こうなりたいと、「理想の自分」を見ながら、「事実の自分」に背を向けていて、一度も自分自身に出会わないまま終わっていこうとする。
 こういう構造が私たちの根っこにあって、事実を忘れ、事実を知らずに、自分の思いだけで人を並べ替えようとして、争いの種を自分で作っているわけです。
 自分だけが王様ではなく、みんながそれぞれの世界の王様なんです。そういう王様が集まっているんですから、ぶつかるわけです。このことが、非常に大きな問題であると見出されたのが、お釈迦さまだと思います。
 以前、精神修養の宗教と浄土真宗は違いますということをお話ししたかと思います。浄土真宗、そして仏教というのは、この「思い、考える自分」の心をいろいろと工夫するというものではありません。これははっきりしています。
 理想ばかり高く持っていても仕方がない、みんなそうなんだからと言って、この心が波立たないようにと、心の修養し、心を工夫するのは、浄土真宗ではありません。この心が満足することが浄土真宗ではないんです。この身が救われることが浄土真宗です。
 いろいろと争いことがあっても心の持ちようが大事だ、波立つ心を治めていくのが大事だとか、あるいは、理想を高く持っていると人をうらやましく思ってしまうから、理想は低くして、あまり上見て暮らすな、下見て暮らせ、といって工夫をすることは、浄土真宗ではないんです。
 こういう構造を持っていて、この「思い、考える自分」を中心にすえて、全部を思い通りにしようとする「私」を本当の私だとしていることが、実は私を一番困らせていたんだということに目を覚まして、「事実の自分」にうなずき、「事実の自分」に帰るということが、浄土真宗の教えであると思います。
 心の持ちようを変えて、この心を修養して満足させるのではなく、この構造に目を覚まし、こういう構造によって人間が苦しんでいることを教える「教え」を信頼するんです。「思い、考える自分」の心を信頼するのではありません。それが浄土真宗の大まかな道筋だと思います。

 阿闍世にはこういう構造がありましたが、私たちにも同じ構造があります。阿闍世と頻婆娑羅の争い、それがクーデターにまでなって、頻婆娑羅がついに死んでいかなければならないという事件が起こったのは、決して二千五百年前のインドの話ということだけではなく、今日の私たちの問題を照らし出す鏡になることだと思います。そういうこととして、この王舎城の物語に学んでいけたらと思います。
 今日はここまでとさせていただきます。どうもありがとうございました。

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 どうも座談会ではご苦労様でした。今、座談会の様子を聞かせていただきました。三点ほど申し上げたいと思います。
 虐待とかいじめということから、この王舎城の物語を見ていくことができますので、今日はそういう点からお話しました。そういう子どもたちの問題をぜひ考えていただきたいと思います。
 しかし考えていく時に、一般化しないということが大事ですし、思い込みとか、パターン化しないということをお願いしたいと思います。
 一つ一つのケース、一人ひとりの子ども、我々一人ひとりも違うわけですから、いろんな事情の中でいろんなことが起こります。ですから、一つずつ丁寧に見ないと、思い込みによるパターン化をしてしまいます。それは決して物事をいい方向には歩ませないということになりがちです。
 一般化して見ていただきたくないというのは、こういう話をいろんな所でしたり、こういう問題からの報告を僧侶だけの研修会でもいたしますが、そんな時、虐待をする親の気持ちがわからないということを、よく言われます。そして、「このごろの若い者は」という言い方が、どうしても出てくるんです。
 たしかに、そう言いたい点があるのも充分わかりますし、そういうこともあろうかと思います。
 しかし、「このごろの若い者」という人はどこにもいません。それぞれは一人ひとりとして生きています。ですから、「この頃の若い者は」という形で一般化してものを見るのではなく、自分とお孫さんとの関係、自分とお子さんとの関係というところで、まず問題を見ていただくことが大事だと思います。
 「このごろの若い者は」と言っている人たちも、若いころは上の世代の人たちに「このごろの若い者は」と言われてきたわけですから、その連鎖をいつまで続けても、何もいい方向にはいきません。
 そうではなく、一つ一つ自分の現場で考えて、問題を見ていくことが大事だと思います。

 それと、このごろの若い者とか、虐待する親のことがわからないと思われるでしょうが、そういう虐待する親は大変ひどい親で、何なんだ、という感じることももちんあるでしょう。自分はきちんとやってきた、あるいは、自分はきちんとやっている、という思いがあって、ひどい親だというイメージを持つのかと思います。
 しかし、実はそういう形で虐待というものを見ていくこと自体が、虐待というものを生んでいく土壌にもなりかねないんです。
 つまり、いい親があって、いい方法があって、いい子が育つと、我々はそのように考えます。ですから、いろんな教育書とか、育児書とか、いろんな方法を求めることをしますし、いい親にならなければと思います。
 しかし、いい親があって、いい方法があって、いい子が育つというのは、イメージとしてあっても、それは錯覚かもしれません。大体、何がいいかわからないでしょう。
 いい親にならなければということを使命とし、理想に持ったとします。しかし、何がいいかわかりませんから、じゃどうするかというと、人と比べるわけです。あの親よりはいいだろうというふうに思って、満足しているわけです。自分で比べて、あの人よりはという人を見つけて、その差を喜ぶわけです。あんな親よりはましだと。
 しかし、人と比べてその差を喜ぶ、そのような喜びを親鸞聖人は私たちに勧められたのではありません。
 絶対いい親があって、絶対いい方法があって、絶対いい子が育つなんてわかりません。いろんな条件が重なって、人が人となっていくわけですから。いいと思ったことが、かえって仇になるということだってたくさんあります。いい親があって,いい方法があって、いい子が育つと考えるのは、ある意味で錯覚です。
 虐待という形で苦しんでいる親は、むしろいい親にならなければという使命感が強くて、子どもをいい子にしなければいけないと思って叩いてしまうんです。それが過度になって、虐待というケースになっていくのが、ほとんど多くの場合です。
 いい親にならなければ、いい方法を駆使しなければと、そのいい方法の中に、愛情からなら叩いてもかまわないという方法が勧められたりすると、叩いてしまう。すると、かえって子どもの反抗がやまない、言うことをきかないということになります。
 もちろん、虐待の要件にはいろんなことがありますから、単純には言えません。しかし、一つの土壌として、いい親にならなければという使命感、いい子に育てなければという使命感が根っこにあります。しつけということを抜きにして、親は叩いたりはしないものです。いい親にならなければならない、いい子に育てなくてはならない、という漠然とした私たちのイメージが、実は虐待の土壌にもなっていることを、この問題を通して考えていただければと思います。

 それで、先ほどのことで申しますと、いい人間にならなければ、正しい人間にならなければと考えて努力することが悪いわけではありません。しかし、努力してどうなったか、ということがわかりませんから、私たちは多くの場合、人と比べるわけです。人と比べてあの人よりはいいだろうと差をつけて喜んだり、あの人にはかなわないという形でうらやんだりするわけです。
 そうやって、人との差を比べて喜ぶような残酷な事実を裏側に持っているということに、なかなか目がいかないわけです。人と比べて優位に立ち、人と比べて差を喜び、人の中でいつも中心にありたい。そういうエゴイスティックな「自分」が、自分を動かしている。そういう事実にまず目を覚ましていくということが、大事なんだと思います。
 つまり、阿闍世も、この「自分」を満足させるために、愛されない自分を親に投げつけるたわけです。それから、雨行大臣という人も、多くいる大臣たちの派閥争いの中で、阿闍世をそそのかし、阿闍世を王位に就けることによって、国の政治の派閥の中心になっていきたいと、本来は諌めなければならない大臣が、たきつけるようなことをしていきます。それも自分の思い、はからいの中で、非常にエゴイスティックな面で阿闍世を利用していくのが雨行大臣の姿です。

 それから、もう一人登場人物が出てきます。それについて、『現代の聖典』96ページを見ていただきたいのですが、ここに親鸞聖人が、お作りになった『浄土和讃』が載っております。そこに『観無量寿経』に出てくる登場人物について、まとめて整理しておられます。
 その中の一番左端に、提婆尊者と書いてあります。そして提婆にそそのかされ、自分を中心にして提婆の立場と一緒になって動いていこうとする一連の人々を、その下に、阿闍世王、行雨大臣(雨行大臣の間違い)、守門者というように書いておられます。
 阿闍世は自分の思いを遂げるために刃を父親に向けていきます。提婆も自分の野望を遂げるために阿闍世をまず王位に就けます。雨行大臣も自分が大臣として国政の派閥の中心にいくために阿闍世を利用する。
 我々も政治には参加していなくても、家庭生活や会社の中やいろんな場面で、そのように「自分」が中心であろうと、はからってはからって、私たちは動いていきます。
 その中で守門者というのが出てきます。これは門を守る者という意味であり、頻婆娑羅王が閉じ込められた牢屋の番人です。親鸞聖人は牢屋の番人にまで注目されているんです。普通、王舎城の物語をお芝居にするなら、牢屋の番人などは端役ですから、あまり注目されませんが、親鸞聖人は守門者にも注目されています。
 守門者というのはどういう人間かと申しますと、阿闍世王に言われると、「はい、誰も通さないようにします。門番を立てておきます」と言います。ところが、韋提希が来ますと、「どうぞ、どうぞ」と言って通してしまいます。
 もちろん、その当時、門番というのは身分の低い者ですから、王や王妃の権威の前には弱いです。当然、阿闍世には、絶対に誰も通しませんと言い、韋提希が来ると、どうぞと言って通してしまう。
 そういう意味で、守門者というのは自分がなくて、阿闍世がいる時は阿闍世に合わせ、韋提希が来た時には韋提希に合わせ、その場その場で、その主流、中心を離れないように自分の身を翻していく、そういう姿が守門者です。
 自分をきちんとその場に置かないわけです。誰も通さないと言っておきながら、すぐに通してしまうのですから、いながらいないようなものです。透明人間です。その場その場に合わせて自分を消しているわけです。どのように自分を消すかというと、その場その場で中心を外れないように消します。

 私たちは会社とか家の中で、多分に守門者を演じなければならなくなったりします。たとえば中間管理職だったら、上司には上司に向けての顔をし、部下には部下に向けての顔をします。どれが自分の顔なのか、顔がなくなっていくように透明になります。家の中でも、多分にそういうことがあります。本当は若い者に小言が言いたいのだけど、言うとまた叱られるし、もめごとになるからというので、自分を消していく。
 私自身、母親と妻と同居していますが、母親には母親への顔をしますし、妻には妻への顔をします。多少の行き違いがあった時、たとえば、母親が妻に対して腹を立てた時には、「いやあ、困ったものです。ごもっともです」と母親に言います。妻が母親に対して怒っている時は、「困ったものだ。あなたの言う通りです」と言って、まさに守門者になってしまい、それぞれに合わせて演じているわけです。そのことによってもめごとが起こらないようにと思うんですけど、実際は、その場にきちんと自分が座ってもめごとを引き受けることが嫌だから、守門者になって自分を消しているわけです。そういうずるさを使って、中心にいることを守ります。そういう形で私たちは生きていくわけです。
 いつでも中心を外れないように、できることなら中心にいたいという守門者を演じていますが、守門者を演じられない場合、今度は阿闍世になります。絶対に自分を中心にするために、まわりに暴力を振るってでも自分を中心にすえていきます。
 自分の中でもこの思いが中心に座っています。この思いが満足し、この思いがとげられることがすべてですから、「事実の自分」には背を向けて、自分が考え、自分がイメージした、自分が想像した自分こそが本当の「自分」だと考えます。
 次は、こういう自分でなければならないとして、予定と段取りで組んだ、そういう「理想の自分」ばかりを追いかけて「事実の自分」はおいきけぼりにするわけです。一度も事実の自分を抱え、受け取らないまま、いつも外に向かって自分を求めていく。その自分こそが本当の自分だと執われていきます。
 せっかく私として生まれながら、私に出会わないまま終わっていく。私の幻を私と思いながら、それに執われていく。
 仏様は正しくなりなさい、などとは言われません。「あなたはあなたになればいい」と言われています。自分の身の事実に目を覚まし、あなたはあなたになればいいのだと。正しくなれとか、真実になれとは言われないんです。それが仏教という教えの大事な点ではないかと思います。

 さて次回は、阿闍世と韋提希が、もう一度もめます。まあ人間は喧嘩するのが好きなんですね。今日は阿闍世と頻婆娑羅の喧嘩でしたが、阿闍世はもう一度韋提希と喧嘩しますから、そちらの方に私たちの問題を訪ねていきたいと思っております。どうも、ありがとうございました。

(2001年12月9日(日)に得蔵寺で行われました安芸南組推進員養成講座でのお話をまとめたものです)