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「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」 第6回 1
2002年6月7日(金) 

 第6回 「韋提希の出会った浄土の教え」1   

  1

 ご遠方から本山まで来ていただき、どうもご苦労様です。お疲れのことと思います。これから二泊三日で研修を受けていただくことになります。
 広島で一回から五回まで、ご一緒に推進員養成講座を作ってきました。その五回の講座の内容を全部ふり返るわけにはいきませんが、どういう問題を私たちが追及してきたのかを確認していければと思います。

 今まで皆さんと読んできました王舎城の物語は、頻婆娑羅という王様と韋提希という王妃がいて、二人の間に生まれた阿闍世がクーデターを起こすというところから、事件が始まります。
 頻婆娑羅王は牢獄に幽閉され死を待つ身となります。そして、それを助けようとした韋提希も阿闍世の怒りをかって、やはり幽閉されます。そして、韋提希は仏弟子の慰問を願うわけですが、お釈迦さまが直接韋提希の前に立ち現れます。このお釈迦さまの姿を見て、韋提希が自分のありったけの思いである怒りや愚痴をぶつけていきます。それを静かに見守るお釈迦さまに促されるかたちで、韋提希自身が自分をふり返っていきます。そこから、あらためて自分自身の問題を知り、さまざまな自分自身の問題を超えていく清らかな仏国土を見せてほしいと、お釈迦さまに願います。そして、さまざまな仏国土を見たあと、韋提希は阿弥陀仏の所を願うわけです。そのように経典は展開していきます。
 その阿弥陀仏の所を願うというのは、いろんな仏様の国を見た後で、その中で一番良さそうな国として、阿弥陀仏の所を願ったわけではなくて、韋提希にずっと寄りそい、韋提希の苦悩につき合って立ち続けるお釈迦さまの足元を韋提希は見たからこそ、願ったのではないかということをお話をしました。
 お釈迦さま自身も王舎城に留まっているのは、非常に危険だったわけです。
 もともとクーデターの発端は、若い阿闍世と提婆達多というお釈迦さまの弟子が、古い体制を倒して自分たちの世を作ろうとしたことです。阿闍世は頻婆娑羅を倒して自ら王位につき、提婆達多が釈尊を殺して仏教教団のリーダーになっていこうとしたわけです。
 その争いのただ中へお釈迦さまが現れ、韋提希にずっとつき合っていくわけです。そして、韋提希が自分自身の問題に目を覚まし、自分自身に向き合っていくことに寄りそっていく。そのように深い愛情をもって、私自身の目覚めを促して立ち続けるこの人は何を立場に立っているのだろうかと、そういうことがあらためて韋提希の問題になっていくわけです。
 深い愛情をもってこの現実に立ち続け、かつこの現実の汚れからは離れて、この現実に深い愛情をもって関わりながら、その現実の問題から目を覚ますことを促し続けている。そういう深い愛情を立場とするということがあるのなら、私もその場に立ちたいと思います、ということで願ったのが、阿弥陀仏の浄土なのだと、そういうところまで皆さんと読んでまいりました。

 前からお話しておりますように、この『観無量寿経』について、我々にその意味を深く指し示して下さった方として、善導大師という方がおられます。正信偈に「善導独明仏正意」と出てきます。その方の言葉を通しながら読んでみたいと思います。
 『観無量寿経』の意味を明らかにされた善導大師は、お釈迦さまに阿弥陀仏の世界を願う韋提希になるまでの歩みを、「懺悔・請問・放光・現国等」と整理されています。つまり韋提希が浄土を願っていく歩みを、懺悔、請問、放光、現国というかたちで、まとめておられるんですが、その言葉を手がかりとしながら、もう一度韋提希の歩みをふり返ってみたいと思います。
 最初の懺悔ということですが、幽閉されてあらためて、韋提希自身が関わり作ってきた世界の内容があらわになり、自分自身が問われていくわけです。
 阿闍世が反逆する、その具体的な理由の一つとして出生の秘密ということがあるということを、以前お話しました。
 なかなか子どもが生まれないので占ってもらったら、仙人が死んで生まれ変わることになっている。それを待てないものだから、今死んでくれと無理なことを言うわけです。そして、嫌だと言う仙人を殺してしまう。その仙人が、生まれ変わったら、あなたを呪い殺してやるという予言を残したために、阿闍世が生まれる時に高殿から産み落として殺そうとする。それが、出生の秘密だったということです。
 無条件に喜ばれ、抱きとめられるいのちの誕生という場面で、そのいのちを抱きとめ祝福するのではなく、最初に殺しにかかるわけです。
 たとえ我が子であっても、その我が子が自分に害を加え、自分の将来の弱点となりそうだということになれば、我が子でさえもいのちを奪っていく。そういう人間の非常に身勝手な姿を露呈しているわけです。そういう出生の秘密をもって生まれてきたのが阿闍世です。
 もちろんこの後、後悔して阿闍世を大事に育てていくわけですが、その出生の秘密の部分だけにはふたをしているわけです。ですから、阿闍世を愛して大事にしていながら、本当の意味で出会うことはなかったということです。
 出生の時の出来事を秘密にして、その部分を隠して、仮面をかぶって息子と出会っていたわけですが、その仮面を引きはがすかたちで反逆したのが阿闍世です。
 前にも申しましたが、阿闍世がきちんとした判断ができる年になって、あなたが生まれる時にこういうことがあり、それは私が間違っていた、あなたが生きてくれたおかげで、そのことに気がついて、それからはあなたを大事に育ててきた、本当に申し訳なかった、親の身勝手をあなたによって教えられた。
 そう言って阿闍世に出会っていれば、こんな悲劇は起きなかったんです。本当の意味で親として子に出会っていなかったということが、懺悔の内容であろうと思います。

 それから、夫である頻婆娑羅にもやはり出会っていなかったと言えるでしょう。二人でお釈迦さまのお話を聞いていながら、聞く方向と聞く姿勢が違っていたわけです。頻婆娑羅は少なくとも自分の全身をかけてお釈迦さまの教えを聞いていたことでしょう。
 ですから、自分が幽閉された後も、その事実を受け止め、心を平安にしていくために八戒を願います。このことからわかるように、事実をきちんと受け止めていく心構えを私に与えてくださいと、自分の全身をかけて仏教を学び、自分の事実を受け止めていくという方向が、頻婆娑羅にはあります。
 ところが同じように幽閉された韋提希は、お釈迦さまが現れたとたんにありったけの愚痴と怒りをぶつけていくわけです。同じように並んで聞いていても、聞いていた方向と姿勢が違っていたわけです。
 韋提希にとっては、お釈迦さまはあくまで知識人であり、その知識によってみんなから敬われている人です。そして、その話を聞くことにより、自分もその知識を参考にして、お釈迦さまの分け前にあずかって立ちふるまいを立派にし、立派な自分になっていこうとしたわけです。そういう予定と将来像を描いて、少しでもよりよいものを自分のものにしよう思っていたわけです。
 しかし、その予定が狂ったとたんに、お釈迦さまに怒りをぶつけていきます。その予定が狂った原因の一つが、提婆達多が阿闍世をそそのかしたということがありますから、提婆達多はあなたの弟子であり従兄弟なのに、しっかり管理をしていなかったからこんなことになったんだ、一体何様のつもりで自分は仏陀だなどと言うんだ、という思いがあります。予定していた立派さを身につけようという段取りが狂えば、あなたが悪かったのだと怒りをぶつけていったわけです。
 ですから、頻婆娑羅と韋提希は並んで教えを聞いていたんですが、かなり違う場所で聞いていたということになります。
 そのことにあらためて気づいてみれば、隣にいて一生懸命にお釈迦さまの教えを聞いていた頻婆娑羅の心と自分はすれ違っていたことになりますから、その意味で頻婆娑羅とは出会っていなかったということがあらわになったと思います。
 自分の全存在をかけてお釈迦さまの教えを聞いていたのが頻婆娑羅だとするなら、そこに全然気づかなかったのが韋提希ですから、頻婆娑羅の心を私は全く知らないでいたということになります。頻婆娑羅とも出会っていなかったということを、深い孤独感の中で知らされてきたというのが、この懺悔ということの内容だろうと思います。

 それから韋提希のまわりにいた王舎城の人々がいます。その人たちは韋提希が幽閉されると、誰も会いに来ません。
 頻婆娑羅、韋提希はどちらも幽閉されるわけですが、幽閉の仕方がちょっと違います。頻婆娑羅を七重の牢獄に入れたということは、もう誰にも会わせないし、食べ物も飲み物も差し入れないということです。つまり七重ということの意味は、牢獄の強固さを示しているんだろうと思います。
 餓死させるのが頻婆娑羅を死なせる方法だったことから言うと、韋提希の場合は軟禁状態です。いわゆる七重の牢獄に入れられるほどではなかったわけです。ですから、韋提希のまわりの人たちは会おうと思えば、会えないことはないかもしれません。ところが、結局誰も会いに来なかったわけです。
 韋提希は王妃という椅子に座って、椅子と私は一体であると思っていたわけです。ところが、椅子から外れると誰も来ない。そうなると、まわりの人たちは自分と出会っていたのではなくて、椅子に座る私に出会っていたんだと気づいたわけです。みんなが慕って敬っていたとしても、それは椅子に頭を下げていたわけですから、韋提希自身に出会っていたんではないんです。
 韋提希自身も、自分に都合のいい者は善しとして、都合の悪い者は遠ざけて、椅子の力を利用して気ままに人と出会っていたわけです。
 王妃という椅子の象徴が瓔珞です。お釈迦さまに出会った時に、韋提希は瓔珞を引きちぎります。もう椅子から追放されたのに、いつまでも椅子に座っている思いの中で瓔珞を身につけていたんでしょう。その韋提希が腹を立てて、まず瓔珞を引きちぎってしまうわけです。
 我々も椅子の力を利用するということがあります。また、力のある椅子に座っているから、その人に頭を下げるということもあります。椅子から離れたとたんに、誰も挨拶をしてくれないという寂しさを感じることもあるかもしれません。そういうことを我々も経験しているわけです。
 私は椅子の上で人と出会っていたわけで、椅子を降りて、同じ地平に立つ人間同士としては、誰とも出会っていなかったと、そういうことがあらためて知らされてきたわけです。今までも一人ぼっちだったけれども、幽閉され、あらためて一人にされて、今までは本当の意味で誰とも出会っていなかったという孤独の中にいたことに気づくわけです。そういうことが、餓鬼とか畜生という言葉で韋提希が表現してきたことです。

 韋提希は罪福真を中心に生きていました。罪福信というのは、悪い者や悪いことは遠ざけて、無かったことにする心です。利用できるものは何でも利用する。自分のわがまま勝手を中心にして瞬時に計算しながら、人を計ったり物を計って、捨てたり利用したりしていく。そういう自分が中心にいたわけです。
 そういうわがままなあり方をしていた自分に出会ったわけです。そして、大変なことをしていたと、自分の今までの生き方や人生というものに驚いたわけです。そんな自分を振り返りながら、清らかな国土を教えてほしいと韋提希は願ったわけです。
 阿闍世が生まれる時に殺そうとした過去があるわけですが、都合の悪い過去はなかったことにしようとしたわけです。過去を自分自身の事実から消し去ろうとし、仮面をかぶって生きてきたわけです。本人は仮面をかぶったつもりはないでしょうが、無意識に近い思いの中で、なかったことにして、事実を隠していく。そのこと自体が、仮面をかぶるということです。
 そんなことはなかったと強がりを言ったり、忘れてしまうかたちでなかったことにする。つまり自分自身でさえ、都合の悪くなれば消すわけです。
 利用するということでは、お釈迦さまでも利用します。この人を利用して、もっと立派で皆に敬われるお妃になっていこうとするわけです。そして、そのように立派になれるはずだったのに、当てが外れたとたんに怒り出すわけです。
 そういう自分中心のあり方で生きてきて、人々を振りまわしていた。そんな自分自身の生き方や人生にあらためて驚き、それが問題になってきた。そういう問題に初めて気づいたということがあったと思います。

 そういう自分自身の問題に出会うことなく、阿闍世は立派になって、頻婆娑羅を大事にし、自分は国民から慕われる立派な王妃になる。そういう予定した自分を追いかけ、まだ実現しない幻の自分を自分だとしながら追いかけて、予定通りいかなければ、残念無念だと落胆していく。
 そのような形で動いている自分の問題に全く気がつかない。そんな在り方を、真宗では空過と言います。これは第二回にお話したと思います。
 今、私が生きるということが一度もないまま、準備と段取りをして、その準備と段取りの出来の良さを比べっこして、喜んだり悲しんだりして、気がついたら本番が終わっている。自分の人生全体を見て、自分の人生の問題を受け取るということがないまま、予定を追いかけて終わっていく。そういうあり方を空過と言うんだとお話しました。
 そうしたあり方をしていた韋提希が、息子に裏切られるという事件をきっかけとして、初めて自分の人生に向き合います。空過していた事実に向き合うということが、お釈迦さまが寄り添って立ち続けてくださる中で、韋提希に起こってくるわけです。

  2

 今まで私たちは、韋提希という2500年前のインドの一女性に起こった物語として読んできたわけですが、今日はそのことを踏まえて、私自身に照らして考えてみたいと思います。
 こういった空過という事実を知らないまま空過していく。そういう私たちのあり方について、そんなことになっていないかどうかを確認し点検していく材料として、今日は絵本を一冊持って来ましたので、絵本を読んで、一緒に考えてみたいと思います。
 これは有名な絵本ですから、ご存知の方も多いと思いますが、「おおきな木」という絵本です。作者はシェル・シェルバスタインというアメリカの絵本作家です。顔を見ますと、ちょっと絵本作家には見えなくて、K1の選手のような顔をしていますが、この方が書いた絵本が世界的に非常に有名なんです。

 おおきなき シェル・シェルバスタイン

むかし りんごのきがあって…
かわいい ちびっこと なかよし。
まいにち ちびっこは やってきて
きのはを あつめ かんむりをこしらえて もりの おうさまきどり。
ちびっこは きのみきに よじのぼり
えだに ぶらさがり りんごを たべる。
きと ちびっこは かくれんぼう。
あそびつかれて こかげで おひるね。
ちびっこは きが だいすき…
そう とても だいすき。
だから きも うれしかった。

けれども ときは ながれていく。
ちびっこは すこし おとなになり
きは たいてい ひとりぼっち。
ところが あるひ そのこが ひょっこりきたので
きは いった 「さあ ぼうや わたしの みきに おのぼりよ。
わたしの えだに ぶらさがり りんごを おたべ。
こかげで あそび たのしく すごして おゆきよ ぼうや。」
すると そのこは 「ぼくは もう おおきいんだよ
きのぼりなんて おかしくて。
かいものが してみたい。
だから おかねが ほしいんだ。
おこづかいを くれるかい。」
きは いった 「こまったねえ。
わたしに おかねは ないのだよ。
あるのは はっぱと りんごだけ。
それじゃ ぼうや わたしの りんごを もぎとって
まちで うったら どうだろう。
そうすれば おかねも できて たのしく やれるよ。」
そこで そのこは きに よじのぼり
りんごを もぎとり みんな もっていってしまった。
きは それで うれしかった。
だが それから そのこは ながい あいだ こなかった…
きは かなしかった。

ところが あるひ そのこが ひょっこり もどってきたので
うれしさ いっぱい からだを ふるわせ
きは いった 「さあ ぼうや わたしの みきに おのぼりよ。
わたしの えだに ぶらさがり
たのしく すごして おゆきよ ぼうや。」
「きのぼりしている ひまはない。」
おとなに なった そのこは いった。
「あたたかな いえが ほしい。
およめさんが ほしい こどもが ほしい
だから いえが いる
ぼくに いえを くれるかい。」
きが いった 「わたしには いえは ないのだよ
この もりが わたしの いえだから。
だけど わたしの えだを きり
いえを たてることは できるはず。
それで たのしく やれるでしょう。」
そこで おとこは えだを きりはらい
じぶんの いえを たてるため
みんな もっていって しまった。
きは それで うれしかった。
だが おとこは また ながい あいだ こなかった。

そして おとこが ひょっこり もどってくると
きは うれしくて ものも いえないほどだった。
「さあ ぼうや」 きは ささやいた
「さあ ここで おやそびよ。」
おとこは いった
「としは とるし かなしいことばかりで
いまさら あそぶ きもちに なれないよ。
ふねに のって ここから はなれ
どこか とおくへ ゆきたい。
おまえ ふねを くれるかい。」
きは いった 「わたしの みきを きりたおし
ふねを おつくり。
それで とおくに ゆけるでしょう…
そして たのしく やっておくれ。」
そこで おとこは きの みきを きりはなし
ふねを つくって いってしまった。
きは それで うれしかった。
だけど それは ほんとかな。

ながい としつきが すぎさって
おとこが また かえってきた。
きは いった 「すまないねえ ぼうや
わたしには なんにも ない
あげるものは なんにも ない
りんごも ないし…」
「わしの はは よわくなって
とても りんごは かじれんよ。」
「ぶらさがって あそぶ えだも ないしねえ…」
「としよりだから えだに ぶらさがるなんて
むりな ことだよ。」
「みきも ないから のぼれないしねえ…」
「とても つかれて きのぼりなんて!」
きは ふっと ためいきついて
「すまないねえ なにか あげられたら いいんだが。
わたしには なんにも ない。
いまの わたしは ただの ふるぼけた きりかぶだから…」
いまや よぼよぼの その おとこは
「わしは いま たいして ほしい ものは ない。
すわって やすむ しずかな ばしょが ありさえすれば。
わしは もう つかれはてた。」
「ああ それなら」と きは せいいっぱい せすじを のばし
「この ふるぼけた きりかぶが
こしかけて やすむのに いちばん いい。
さあ ぼうや こしかけて こしかけて やすみなさい。」
おとこは それに したがった。
きは それで うれしかった。
お わ り

 この絵本は世界的に有名なんですが、比喩的にいろいろなことを示唆してくれますので、自由に読んでいいかと思います。
 日本語の題名は「おおきな木」となっておりますが、英語の題名では「THE GIVING TREE」ですから、直訳すると「与える木」ということになります。これを「与える木」と訳さずに「おおきな木」と翻訳したのは、訳者のうまいところだと思います。
 大きな木とはりんごの木のことですが、これはいのちとか、人生そのものと言っていいと思います。
 最初、木とちびっこは仲良しで、毎日一緒に戯れて遊んでいます。
 子どもたちはいのちとか人生というものと自分自身が分離せずに、相思相愛の関係で一体感を持って遊びまわります。子どもたちというのはある意味で、いのちとか人生と一体となり、他人と私とのはっきりした区別もつかないほどの一体感を持って遊びまわります。それが子どもの無邪気さといいますか、素晴らしさだと思います。
 そういうように、ちびっこは登場します。この部分では、まさに生きるということとこのちびっこは、一体感を持って生きていたわけです。
 ところが、だんだんとちびっこが成長していき、大人になっていく表現があります。彼女ができたりして、少し自我意識といいますか、自分というものができあがってきます。一体感というよりも、自分の思いというものを中心にして生き始めるわけです。そして、思いにかなった彼女を見つけ出すわけです。それまでは木と相思相愛だったのですが、そこから少し離れていくわけです。
 そして、成長して青年になった男の子が来て、「お金が欲しいんだ。お金を手に入れていろんなことをしてみたいんだ」と言うものですから、木はお金を持っていないので、「私のりんごを持っていって売りなさい。そうすればお金になるから」と言って、りんごを全部その子に与えます。
 りんごというのは実を結んだ果実です。我々の人生にも果実があります。まぶしいほどの果実とは、若さや能力や身につけた技術などが、ある意味では我々の人生の果実です。ですから、若さを使い、能力を使い、技術を使って生きていく。そういうことが人間の中で始まってきます。まさに、人生が我々に与える果実を使っていくようなものだと思います。人生は私たちにそういうものをあますことなく与えてくれます。
 ところが、それだけでは人間は寂しいもんですから、大人になったこの子がやって来て、「お嫁さんがほしいんだ。家庭を持ちたい」と言うんです。すると大きな木は「家をあげることはできないから、私の枝を持ってって家を作りなさい」と言います。
 人生における枝や葉というのは、木には当然あるべきものですから、あるということにあまり気がつきません。実は目に見える果実、つまり豊かさです。人生を豊かにする若さや能力や技術です。
 枝とか葉っぱというものは、目に見えないかたちで人生を豊かにしていくものだと思います。人と人とのつながりや趣味やいろんなことを学んでいくなど。そのことが人間を豊かにしていきます。友達関係や様々なつき合いなど、そういうものが私たちを癒したり、励ましてくれます。木が枝を張り、葉をたくさん日に当てることによって涼やかな木陰を作り、安らぎを得るということがあります。この与える大きな木の枝や葉っぱというものは、人生のそういう意味での豊かさを表しているのでしょう。
 しかし家庭を持つとなると、そういうものをすり減らしていくということが出てきます。結婚したとたんにつき合いが悪くなるということもあります。家庭を持つと、それまでの友人関係やつき合いや趣味などが削られていくということがあります。枝や木の葉が削り取られていくというのは、そういう私たちの姿ではないかと思います。
 結婚し家庭を持つことによって、人生の枝や葉っぱを削り取られていくということについて、今の日本では、どう見ても女性の方が削り取られていく部分が多いですね。家庭のことに振りまわされ、子どものことに振りまわされ、本当は男も同じことをしなければならないのに、ほとんど女性にまかせっぱなしということが多いものですから、どうしても女性の方が削り取られやすいんですね。
 私自身、妻を見ていると、友達から電話がかかってきたり手紙が来たりしても、なかなか返事の電話をしたり、手紙を書かないんですね。おせっかいだとは思うんですが、「あの人に電話をしたか」とか「返事は出したか」と聞きますと、すると「そういう時間をなかなか取れないのは誰のせいだと思っているんですか」。」と言われるので、「申し訳ありません」ということになります。
 そういうかたちで豊かさというものが削り取られていくということがあります。
 夏に暁天講座を開くお寺に行くと、いつもトイレにある新聞記事が貼ってあります。その新聞記事というのが、ただの広告記事なんですが、「映画観ない。本読まない。音楽聴かない。そんな大人にいつからなってしまったんだろう」というキャッチコピーが書いてあります。
 一年に一度そこをお訪ねするんですが、それを見ますと、この一年間、映画観たかなあ、音楽聴いたかなあ、と。本は一応、仕事上ある程度読みますが、そういうことを離れて読むということが、最近なかなかないと思います。
 映画とか音楽とか読書というものが、人生をいろんな意味で豊かにする枝葉なんですが、仕事や家庭の中で、そういう形での安らぎや豊かさを削り取られていくわけです。次から次へといろんなことがあって、音楽を聴くといっても、運転しながら聴くのが精一杯で、それそのものに集中して聴くということが最近ほとんどない状態です。
 そういうことが、この男の人が持っている枝葉ということになるんでしょう。
 さらにもう一度、男がやって来ます。かなり初老の男性になっているようですが、もう人生に疲れ果ています。お金があれば、恋人がいれば、家があればと、全部木から与えてもらい、これがあったら素晴らしい、これがあったらよくなるという予定を立てては奪っていくんですが、結局、予定通りにはいかなくて、裏切られた思いの中で疲れ果てて、男は帰って来るわけです。
 そして、疲れ果てたから、もうここにはいたくない。遠くへ行きたいので船をくれないか、と言うわけです。
 韋提希は最初、阿闍世に裏切られ、王舎城にいる所もなくなったので、悩みのない、そんな所があったら私に教えてくださいと言って、現実から離れて、どこか遠くへ行きたいという希望をお釈迦さまにぶつけます。
 これもそういう思いでしょう。誰も自分のことを知らない所へ消えるように移っていき、楽になりたい。そういう思いから男は船をほしがります。そして、とうとう木は人生そのものの幹を男に差し出します。そして男は、丸太で船を作って行ってしまう。
 そうやって与えるごとに、木は「うれしかった」「うれしかった」と言って、いのちを生きる者を励まし、祝福しながら見つめていくというのが、この「うれしかった」という繰り返しの中で語られているのだと思います。
 そして最後には切り株だけになってしまいます。男も最後にはだいぶくたびれ、よれよれになり帰ってきて、ようやく自分の人生の切り株に腰かけて終わっていきます。
 せっかく、最初は自分の人生やいのちと一体だったのに、人生といのちを使い果たし、すり減らして終わっていく。さらに残念なのが、そういうかたちでいのちが自分を励まし、うれしがって与えてくれた人生そのものに、一度も向き合うことなく終わっていくということです。
 木というのは、繁った枝葉と同じだけのものが根になっていきます。木の根というのは枝葉と同じぐらいの広がりを持っているものです。それ全体が木なんです。
 そういうものに祝福され、与えられていたにもかかわらず、自分の人生を支える根っこには全く見向きもせず、そして、自分が使い果たしていった木の心も知らず、空過していった自分の人生にも向き合わずに、この男の人生が終わっていく。そのことが非常に残念です。そんなもんだ、と我々は思うのかもしれないし、それでいいんだろうか、と思うかもしれません。我々にそういうかたちで問題を投げかけて、この物語は終わっていくわけです。

 自分の作ってきた現実を後にして、どこかへ逃避行するために人生の幹を切り倒し、船を作って行ってしまう男が、木の幹を切り倒した時に、やはり「木はそれでうれしかった」と作者は言っているんですが、その後に一度だけ「だけど、それはほんとかな」という言葉を添えています。ただの一度だけ、この言葉が添えられているんです。
 これが誰の言葉であるかは書いていません。木の言葉とも読めますし、別の言葉かも知れませんし、ちょっとわかりませんが、この男が立てた予定通りいかず、戻ってきて、木を切り倒して行ってしまう。最後に戻ってきて、身のたけにあった根っこに腰を降ろして終わっていく。そういうかたちの人生もあるけれども、そういう人生の中で、ただ一度だけ「だけど、それはほんとかな」という声があるんだと。私の人生に「だけど、それはほんとかな」と、ささやく声がただの一度かもしれないけど、あるんだと。そういうことをシェルバスタインは語っているのかと思うんです。
 韋提希が愚痴を言って、泣き伏して恨みをのべるのを、全部受け止めて、韋提希につき合って立っているお釈迦さま。この絵本で言えば、「だけど、それはほんとかな」とあるように、その人生で本当にいいんですか、そんなあなたで本当にいいんですか、というかたちで、自分の人生と自分自身の問題に向き合ってほしい、そういう言葉をかけて立ち続けていたのがお釈迦さまだと思います。
 自分の人生を支える根。さまざまなつながりやさまざまな広がりに支えられて、私たちのいのちは育まれているわけです。そして、今まで祝福され励まされながら生きてきたということを全く無視して、自分の思い通りにいかないからと言って、人生の幹を切り倒して生きてしまう。そういう時に、それでいいのか、という声が聞こえもしない。そして支える根に出会い、人生全体をもう一度見つめ直して、使い減らしていくような生き方をしている自分自身にもう一度、目を向けなさいと。そのように人生そのものから呼びかけられるわけです。そういうことが「それは、ほんとかな」という声だと思いますし、そのようなかたちで韋提希の前にお釈迦さまは、立ち続けられたのではないかと思います。
 こうした歩みを通し、韋提希は自分自身と出会い、さらにその韋提希に寄り添って立ち続け、待ち続けるお釈迦さまの深い愛情に出会ったわけです。韋提希に目覚めを促し、教えのはたらきそのものとなって、韋提希の前に現れた仏陀如来としてのお釈迦さまに、初めて出会ったということです。
 如来に出会うこととは、そのまま自分自身に出会うことです。つまり如来に出会うことによって、初めて自分自身の問題に目が向いたわけです。そして、そのお釈迦さまが今立ち続ける場所が、阿弥陀仏の所として表され、韋提希も自分の今立つ場として、その世界を願ったわけです。
 善導大師は、

また是れ時に仏語無きに非ずや。知るべし。

と語られます。「お釈迦さまは全然何もしゃべってはいないけれども、しゃべっていないわけではない。わかりますね」というのが、善導大師の言葉です。
 お釈迦さまはただぼんやりと立っていたのではなく、韋提希に寄り添い、はたらき、語りかけ続け、待ち続けていたんです。
 この沈黙の説法こそが仏陀如来の意味です。それは自分に目覚めよという願いの世界(阿弥陀仏の世界)そのものとなってはたらくお釈迦さまです。
 このことを「同体慈悲」と善導大師は言っておられます。韋提希が人生を空過するなら、空過するそのまま一緒になろう、そのことに悩み悲しみながら気がつけと。それが如来の慈悲だと、善導大師が書いておられます。韋提希はそういうお釈迦さまに出会うわけです。
 先ほどの絵本に寄せて言うならば、韋提希は「それは、ほんとかな」という呼びかけになったお釈迦さまに出会って、そして、それでいいのかという呼びかけに促されて、自分と自分の人生全体に出会い、受け止める。そして、いのち全体から励まされて、自分を受け止め続けるこの歩みを始めることになり、そういう始めていく場所が阿弥陀仏の所として表現されていると思います。
 自分の罪福信を中心にして好き勝手に人と出会い、人を振りまわしていたことに気がついて、あらためて阿闍世や頻婆娑羅、そして王舎城の人々ともう一度、韋提希が出会い直していくということが、ここから始まっていきます。
 出会い直していくということは、韋提希があらためてお釈迦さまに出会い直したところから始まっていくということです。「それは、ほんとかな」という呼びかけをずっとしていたお釈迦さまに気がつくことだと思います。そして、その呼びかけに出会うということだったと思います。
 そのことが韋提希をして、自分自身の人生と自分自身の問題に目を開かせていくことになっていきます。そういうことがお釈迦さまに韋提希が出会い直していくということの内容ではないかと思います。

 こういったところまでを、第一回から第五回までお話ししてきたかと思います。この出会うところの内容が、『観無量寿経』ではもう少し展開していきますので、明日はそちらに移っていきたいと思います。
 韋提希は、人生が空過し、誰とも出会っていなかったことにあらためて気がついて、出会い直すため出発をするわけです。そういうことが私たちの上に起こってくるかどうかということを、「おおきな木」という絵本を題材にしてご一緒に考えていただければと思います。
 今晩はここまでにさせていただきます。どうもありがとうございました。


2002年6月7日(金)に東本願寺同朋会館で行われました安芸南組推進員養成講座でのお話しをまとめたものです)