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「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」 第6回 2
 2002年6月8日(土)

  第6回 「韋提希の出会った浄土の教え」 2

  1

 おはようございます。昨晩はこれまでお話ししてきましたことをふまえまして、私たちの問題を空過と罪福信という言葉で整理してみたことです。
 韋提希にスポットを当てただけでは距離感があるかと思いましたので、絵本を使ってみました。皆さん方それぞれが、いろんな読み方をしてくださったようで、昨晩そのことをスタッフの方からお聞きしました。本来、絵本というのは解釈すべきものではありませんから、ご自由にいろんな形で読み、解釈していただければいいかと思います。
 『おおきな木』に出てくる木を、人生、我々のいのち、あるいは地球と見られた方もあったそうです。そういうものを使い果たし、すり減らしていく。あれがあったら、こうなったら、という予定と段取りに追われ、すり減らしていくことに気がつかない。そして気がつくと、もう終わりになっている。そういう男の子の姿に私自身を重ねて読んだことです。
 そのように、自分自身の生き方に気がつかないことが空過です。そして、ああなったら、こうなったら、と利用できるだけ利用していく、その正体には罪福信があるんだと。そういうことをあの絵本を通してお話ししました。

 今日はその問題を一応整理した上で、お釈迦さまに阿弥陀仏の浄土を願った韋提希に対する、お釈迦さまの初めての応答が出てきます。その部分を今日はふれていきたいと思います。
 『現代の聖典』の60ページをごらんください。

その時に世尊、すなわち微笑したまうに、五色の光ありて仏の口より出ず。一一の光、頻婆娑羅の頂を照らしたまう。その時に大王、幽閉にありといえども、心眼障なくして、はるかに世尊を見たてまつりて、頭面に礼を作す。自然に増進して阿那含と成りにき。
(それを聞くと、釈尊はこころよいほほえみをもらされました。そのみ口から五色の光がかがやき出て、そのひとつひとつが頻婆娑羅大王の頭の頂きを照らしました。そのとき大王は幽閉されていましたが、その光によって何ものにもさまたげられることのない心の眼が開け、とおく世尊のお姿を拝見することができました。大王はひざまずき深く頭を垂れて礼拝しました。すると自然に心が深まり、決して再び迷いにかえることにない「阿那含」という境地に入ることができたのです。)

 昨日お話ししたように、韋提希が「我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれんと楽う」と言い、そして浄土に生まれるために思惟と正受を教えてくださいと願うわけです。その韋提希の願いの言葉を聞いて、「その時に世尊、すなわち微笑したまう」と、お釈迦さまが微笑まれたという個所です。
 今までお釈迦さまは無表情に立っていたわけではないでしょうが、初めて微笑みという表情で韋提希と対面されたということが、ここに出てきます。
 それでここの部分につきまして、善導大師のお言葉を通して確認していきたいと思います。それについて善導大師は、

仏の本心に称い、また弥陀の願意を顕わす。この二請に因って、広く浄土の門を開く。

と言われます。阿弥陀仏の所を願い、そのための行を請うた、そのことによって、まさにお釈迦さまの本心に称った。そのように善導大師は見ておらるわけです。
 「称う」という字は、秤(はかり)と同じです。天秤が釣り合うことが「称う」という意味です。ですから、お釈迦さまの心と、韋提希の心がぴったりと釣り合って出会ったと。初めてあなたは私の方に本当に顔を向けてくれましたねと。そういうことが「称う」ということです。
 そのことが同時に、お釈迦さまが大地としている阿弥陀仏の願いに称うことになるんだと。そして、ここに広く浄土の門が開いたんだと。そういうふうに善導大師は見ておられます。
 お釈迦さまの心に称うという点につきましては、皆さんがよくご承知の『正信偈』に、

如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。

 とあります。前回、この如来とはお釈迦さまのことだと申しました。お釈迦さまがこの世に生まれられたのは、私たちに阿弥陀仏の本願の世界を説くためだったのだと。
 そして、そのお釈迦さまに阿弥陀仏の本願の世界を願ったのは韋提希です。韋提希の請いはお釈迦さまが生まれられた意味に称ったわけです。そして、そのことはお釈迦さまを通して、人々に深い愛情を持って関わる阿弥陀仏の本願の世界があるのだと伝えようされた、阿弥陀仏の願いにも称うことだと。こういう形で浄土の門が開くんだと、善導大師は我々に示されています。
 ここのところを見ますと、「我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれんと楽う」というのが、韋提希の言葉ですね。それに対してお釈迦さまの応答は、微笑んで「汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず。」という言葉で対応されます。
 もう一度整理しますと、韋提希はいろんな仏さまの国を見たんですけれど、その時に見なかった阿弥陀仏の世界を願った。それは自らの身が危険であるにも関わらず、韋提希が自分自身の人生と自分自身の問題に向き合って目を覚ますまで寄りそって、関わり続け、立ち続けたお釈迦さまの立場はどこなのですか、深い愛情をもって苦しみと悩みに目を覚ませと関わるお釈迦さまの立っている場所はどこですか、そのようにこの世に立つことができるのならば、私もそこに立ちたいと思います。このように韋提希は阿弥陀仏の浄土を願ったわけです。
 お釈迦さまの本心に気づいた韋提希が、あらためてお釈迦さまと出会い直すことが、ここで起こっているかと思います。その時のお釈迦さまと韋提希の言葉に共通しているのは、「いま」という言葉です。韋提希の方は「我いま」、お釈迦さまは「汝いま」という形で出会っているんですね。その出会った所に浄土の門が広く開いたと、善導大師は言われています。
 浄土の門というのは、「いま」という所にあるわけです。そして、「我」という言葉で自分全体を表現し、そして「我」というもの全体を「汝」という言葉で言い当ててきます。「我」と表明した者に「汝」と応答し、あなたはこういうものなんだと言い当ててくるわけです。そういう対応です。「我」と「汝」という対応のところに浄土の門が開くんだと語られているかと思うんです。
 私たちは、浄土の門がどこに開いているかと思っているかというと、一般的には死の所なんですね。こういうイメージが今日、かなり幅をきかせているかと思います。だから、死んだ向こうに浄土があるんだと。そんな所があったらいいなと思うかもしれないし、そういう世界があればと願うのかもしれません。しかし、死の所に浄土の門が立っているということになると、浄土とは死んだ先の話だということになります。
 善導大師の教えを受けて、仏教の本質を見られた親鸞聖人は、浄土の門が死の所に立つのではないんだと。「我いま」「汝いま」という出会いの所に浄土の門が開くのだと。そういうふうに私たちに示されたのが、親鸞聖人の大きなお仕事かと思います。
 親鸞聖人はこのことを別の個所で、死の所ではなくて、「断」というところに浄土の門が立ちますと示してくださっています。「横超断四流」という善導大師の言葉があります。その「断」です。自分の思いを中心に、わがまま勝手に罪福信を我として生きてきた、そういう者が罪福信を断たれる。そしてあらためて、そういう形で生きてきた自分の問題に目を覚ます。それが「断」です。
 目を覚ました所に浄土の門が立つのだと。そして、私たちはその教えを信頼し、その教えを聞き続け、浄土の門が私の前に開かれ続けるという歩みが、そこから始まるんだと。そういうことを示してくださったのが親鸞聖人です。
 そのことのもっとも原形なのが、韋提希とお釈迦さまの出会い直しだということを、善導大師が示していてくださるのかと思います。
 日本語の「汝」という言葉は、対等か対等以下の人に対して使う表現です。中国語の意味では、いわゆる「あなた」という意味です。二人称です。私が一人称で、あなたが二人称、彼とか彼女とかそれとかが三人称ですね。「汝」とは二人称を指す代名詞だと、中国語ではなっています。
 当時のインド最大の国であるマガダ国の王妃だった人に、お釈迦さまは「汝」と呼びかけました。対等以下の呼びかけで呼びかけたわけです。普通だと敬語をつけて呼びかけると思うんですが、釈尊は教えに称った者として、韋提希に「汝」という呼びかけをしています。そこのところがお釈迦さまのお釈迦さまたる由縁があるかと思います。
 王妃とか、その人が座っていた椅子とかをはばかって、普通は「汝」とは言わないようにします。私たちですと、そんな失礼なことを言うと、後でとんでもない目に遭うとか、すぐに計算して、本心からではなくても頭を下げたりします。けれども、お釈迦さまはそういうことはされません。ここでは教えが開かれる場所として、「我」と「汝」という形でお釈迦さまは対面していくわけです。ここにお釈迦さまの真髄があるかと思います。
 ここで、それまでのお釈迦さまの沈黙の説法やはたらき、そしてこれからの説法によって、「汝」という形で韋提希が自分の全体を言い当てられてくることが始まったかと思います。
 韋提希はそれまでは自分がお釈迦さまのいいとこ取りをし、立派な王妃となり、立派な人となって、より認められる人間になっていくんだと。さらに、我こそはという思いを補完し、強くするために、お釈迦さまの教えを聞いてきたと。そういう形で自分自身に絶対の信頼を置いていたわけです。韋提希には自信があったと思うんですよ。王妃なんですし、教養も知識も美貌もあった人なんですから、我こそはという思いがありました。
 そして、自分で認められるような自分になっていくという形で、自分を信頼していきます。自分で自分自身を認められるような自分になりたいと。そういう自分を中心にすえて、そういうようになっていくために利用できるものは何でも利用し、邪魔になるものは捨てていく。
 そのように生きてきた自分に絶対の信頼を置き、自分に立とうとしていた韋提希が、あらためて自分全体を言い当ててくるものを信頼するという形に変わっていきます。
 ここでは自分を信頼するのではなくて、自分自身を言い当てて、教えてくるもの、自分を本当に明らかにしてくる、その教えのはたらきを全面的に信頼するという形で、信頼する場所が変わってきます。それが阿弥陀仏の所を願うとか、浄土が開くということです。
 ですから、これは反省とはだいぶ違います。反省とは今の自分が駄目で、それを反省して、問題や欠点をなくして、よりよい自分になっていこうというのですから、自分に信頼を置いて行われるものです。そう言いますと、反省は駄目なんですかと思われるかもしれませんが、駄目だと言われても、我々は反省をします。心配しなくてもいいですよ。
 ああ駄目だった、今度はこうしようと思うんですと、そのように自分に信頼を置いているんですが、そのことがかえって罪福信を中心に生きることになるわけです。それでいろんな問題をはらんでくるようになります。そのこと全体を言い当てられてくるわけです。その言い当ててくる教えを信頼するわけです。そういう形で浄土の門が開いてくるということがあったかと思います。

 ここで注意しておかなければならないのは、お釈迦さまが微笑まれて、それから口から光が出て、それが別の七重の牢獄で幽閉されている頻婆娑羅の頭を照らして、となっています。すると、頻婆娑羅の悩みが晴れて阿那含という悟りを開かれたということが出てきます。
 韋提希が「阿弥陀仏の所」を願ったことが、お釈迦さまの微笑を通して頻婆娑羅の救いとなって、最初に展開するわけです。ほほえまれた口から光が出て、その光が頻婆娑羅を照らしたという情景が経典に出てきます。それはほほえ笑みを通して、頻婆娑羅が救われていくということがまず出てきます。
 頻婆娑羅と韋提希の救いは内容が違います。頻婆娑羅の場合は、牢に幽閉され、食事を絶たれ、死を目前にする状況に置かれています。それで頻婆娑羅は八戒を授けてもらい、説法を聞いて顔が和んだと、経典にあります。つまり、死を目の前にし、その事実を自身が受け止め、その中で自分の心を安定させることが、頻婆娑羅の課題なわけです。
 具体的な形で死が目前に迫り、食事も与えられないし、誰とも会えません。お釈迦さまを窓から拝んでいたんですが、その窓もふさがれてしまうんです。韋提希が食事を差し入れていたころは、牢に窓があって、その向こうにお釈迦さまがおられる霊鷲山が見えていたんですが、けしからんということで阿闍世が窓にふたをしてしまいますから、真っ暗なんですね。そういう中にあって、頻婆娑羅は心を乱します。ですから、心の安定を願うことが頻婆娑羅の目前に迫った救いになります。
 頻婆娑羅の心を一番乱すものは、後から幽閉された韋提希の身の上ですし、そして自らに反逆した阿闍世の今後であり、マガダ国の行く末です。そういったものが頻婆娑羅の心を乱します。その中で、頻婆娑羅の心の安定を願うことが課題となります。つまり心の安定を目指すのが、頻婆娑羅が目指した仏教です。

 韋提希の場合、極楽世界の「阿弥陀仏の所」を願って、自身の問題に気づき、問題に気づけとはたらき続けていたお釈迦さまに本当の意味で出会っていきます。それで韋提希の行く末を心配していた頻婆娑羅の悩みが消えるわけです。
 そして、韋提希が阿弥陀仏の本願と世界に救われることは、韋提希の身を案じていた頻婆娑羅の心を安らかにしました。さらに、「阿弥陀仏の所」を願う韋提希の救いは、韋提希一人にとどまらず、苦悩する阿闍世や王舎城の人々が韋提希と共に救われていくことに展開します。
 このことはまだお経には出てきませんが、そういう形でこの後に展開していきます。
 つまり、韋提希が立とうとして願った阿弥陀仏の大地は、阿闍世にも深い愛情をもって関わる大地ですし、王舎城の人々にも深い愛情をもって関わる願いの世界なんですね。ですから、そういう世界を聞き開いた韋提希の救いは、韋提希一人にとどまらず、阿闍世や王舎城の人々にまで救いとなって展開していくことが明らかになったために、そのことを通して頻婆娑羅の心が安定します。こういうことが経典に出てきます。
 このように、韋提希と頻婆娑羅の抱えている課題が、お互いの状況によって違っています。そして韋提希の救いの方に、広く阿闍世や王舎城の人々も救われていく大地が開かれていくわけです。
 ですから、善導大師は単に「浄土の門が開いた」とは言わずに、「広く浄土の門が開いた」と表現されています。韋提希の救いが韋提希一人の救いじゃなくて、あらゆる人が救われる道を開いたんだと。それは個人の心の安定を超えていく道だったんです。
 頻婆娑羅の場合は、どうしても状況からいって心の安定になりますし、もちろんそういう面も仏教にはあります。しかし、そういうことを超えて広く開いていくという仏教が、韋提希を通して展開したんだと、そういうふうに善導大師も見ておられるかと思います。

  2

その時に世尊、韋提希に告げたまわく、「汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず。汝当に繋念して、あきらかにかの国の浄業成じたまえる者を観ずべし。我いま汝がために、広くもろもろの譬を説かん。また、未来世の一切の凡夫の浄業を修せんと欲わん者をして、西方極楽国土に生ずることを得しめん。」
(これまで沈黙を守っておられた釈尊は、このときはじめて韋提希にお告げになりました。
「あなたは気づいているでしょうか。あなたのたずね求めた阿弥陀仏は、ここから遠く離れたところにいらっしゃるわけではありません。あなたは心をひとすじにして、彼の極楽国土の浄らかな行(南無阿弥陀仏)を成就された方をはっきりと思い浮かべなさい。わたしはいまからあなたのために、極楽国土の想い浮かべ方をいろいろ詳しく説いてきかせましょう。そうして、あなたと同じように浄土に生まれる行業を修めたいと望む未来のすべての凡夫たちが、西方にある極楽国土に生まれることができるようにしましょう。」)

 そして、お釈迦さまは韋提希に対して、阿弥陀仏というのは「此を去りたまうこと遠からず」と。あなたが願った阿弥陀仏はここから遙か遠く向こうにおられるのではありませんと、そういう言い方をお釈迦さまはされます。
 善導大師は「此を去りたまうこと」という言葉を取って、「阿弥陀仏、遠からず」ということだと言っておられます。
 韋提希には「ここを去って」という意識が残っています。「閻浮提、濁悪処といった、地獄、餓鬼、畜生が充ち満ちているこの世を願いません。もっと清らかな場所へ」と韋提希は言っています。ですから、いろんな問題がうずまいているここを去って、という意識がどうしても残っています。それに対して、お釈迦さまはその意識を受け止めながら、「遠からず」という言葉を出していかれます。
 「遠からず」という言い方は微妙な言い方ですね。近いと言えばいいわけです。すぐ近くにおられますよと言えばいいんです。しかし、「遠からず」という言い方をすることによって、阿弥陀仏を、我々に目を覚ませとはたらきかける深い愛情の教えの世界を、遠くにしてしまうものがあることを教えられます。
 近いと言わずに「遠からず」という言い方をすることによって、あなたは今までずいぶん阿弥陀仏の世界を遠くにしてきたんだと、そういうことを告げているかと思うんです。
 あなたの中で阿弥陀仏の世界を遠くに追いやっていたんですよ、そのことに今あらためて気づいてほしいということで、遠くないんですよ、という言い方をされます。こういう言葉で、遠くしている問題を人間の上に見ていかれたわけです。
 遠くしているものは、自分に信頼を置いて、自分で予定や段取りをして、自分が理想として描いた自分になれると、自分に絶対の信頼を置くあり方で、それが罪福信なんだということを、昨日からお話ししているわけです。
 自分が自分で描いた理想の自分になっていけるはずだ。段取りと予定をうまくして、理想的な自分になっていくんだ。そういう意識が阿弥陀仏の世界を遠くしているんだと。我々全体を言い当ててくる教えを拒否して、聞かなかったことにして、自分で自分を構築していくところに信頼を置いておれば、言い当ててくるものは聞けませんから、遠くにしてしまうわけです。
 現に、私たちがあまり耳にしたくない、耳の痛いような自分の問題を指摘するような人は、できるだけ遠くに追いやりたいわけですから、日常の中でも遠くにしています。
 そういう、私が隠したいものまで全部白日のもとに明らかにして、私自身を浮かび上がらせ、空過して問題だらけの自分だということを浮かび上がらせるようなものは、ふたをするか、遠くにしたいわけです。しかし、そこが本当に立たなければならない深い愛情の大地なんですけれども、そこを遠くしてしまうことが私たちにあるんです。
 そういう「遠からず」という表現を通して、遠くしている問題は我々の方にあるんだと、問題を見られたと思います。

  3

「かの国に生まれんと欲わん者は、当に三福を修すべし。一つには父母に孝養し、師長に奉事し、慈心ありて殺せず、十善業を修す。二つには三帰を受持し、衆戒を具足し、威儀を犯せず。三つには菩提心を発し、深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。かくのごときの三事を名づけて浄業とす」。
(「彼の極楽国土に生まれたいと欲うならば、三福の行業を修めなければなりません。三福とは、まず一つには、父母に孝行し、先生や年長の人にまごころこめて接し、いつくしみの心をもってみだりに生き物を殺さず、十の善行につとめること。二つには、三宝(仏・法・僧)に帰依する心を常に忘れず、仏の定められたさまざまな戒律をすべて守り、生活の作法にはずれたほしいままふるまいをしないこと。三つには、菩提(目覚め)を求める心をおこし、縁起の道理の深く信じ、大乗の経典を声に出して読み、他の人たちにもこれらの行業を勧めること。これら三つのつとめを浄土に生まれる行業というのです。」)

 そして、阿弥陀仏の所に生まれるにはどうしたらいいですかと、韋提希が聞くわけです。
 それに対してお釈迦さまが、生まれたいと思う者はまず三福を修しなさい、そして「一つには父母に孝養し、師長に奉事し、慈心ありて殺せず、十善業を修す」と言われます。
 これは韋提希に対して酷な言い方ですね。「父母に孝養し」というのは親に孝養を尽くしなさいということです。そして、慈しみの心を持って殺すことをやめなさいと言われます。しかし、このことは韋提希では崩壊しています。親子の関係が崩壊している韋提希の中では、孝養を尽くすという世界は崩れてしまっているわけです。慈心をもって殺すなと言ったって、息子の阿闍世は父親を殺しにかかっています。すでに崩壊している問題をお釈迦さまはあえてここに出してくるわけですね。普通だと、これはただの意地悪だということになります。
 こういうことを出すことによって、親孝行が大事だとか、殺さないことが大事だとか、菩提心をもってお経を読むとか、宗教心が大事だとか、そういうことでもって自分を完成し、浄土に生まれる道を説いているわけですが、実は完成できない問題を人間は抱えているということを語っておられるのが、ここの部分なんです。
 つまり、親が子どもを大事にし、子どもが親を大事にする、当然じゃないか、当たり前だ、いいことだし悪いことじゃない、それが人の道だ、と説かれていくわけです。
 しかし実際に起こっていることは、韋提希自身も自分の息子である阿闍世を殺そうとしたわけですし、そして今また、阿闍世は自分の親を殺そうとしているわけです。ですから、話としてはいいことかもしれないけれど、それができない。
 三福を説くことで、人間は問題を抱えているんだ、そのことに目を覚ませと、こういう問題をあえて提起されているのかと思うんです。

仏、韋提希に告げたまわく、「汝いま知れりやいなや。この三種の業は、過去・未来・現在、三世の諸仏の浄業の正因なり。」
(さらに仏陀は韋提希におっしゃいました。
「あなたは、もうわかったでしょうか。この三種の行業こそは、清浄な行を円満されている過去・未来・現在の三世の仏たちがもと菩薩であったとき、まさしくそれに因って仏となられた行業なのです。」)

 そして、「汝いま知れりやいなや。この三種の業は、過去・未来・現在、三世の諸仏の浄業の正因なり」と。つまり親孝行をし、先生に尽くし、慈しみの心を持って殺さない、そういうことで救われていくのが諸仏の国に生まれてくるための業だと。
 つまり、そういういろんな道徳的なことも含めて、自分自身を完成して救われていくのが諸仏の道だと説くことによって、それが完成できないどころか、むしろそういうものを破壊していく問題に気づかせることが、ここでのお釈迦さまの逆説的な言い方だと、善導大師は見ておられます。
 諸仏の救いは、人間が道徳的にも、宗教的にも完成して、救われていくんだと、そのことを説くことによって、あなたの中に完成できない問題があるじゃないかと気づかせ、目を覚まさせるのが、阿弥陀仏の浄土の門なんだと。そういう逆説的な言い方をここでお釈迦さまはしておられるわけです。

  4

 続いて『現代の聖典』70ページを読んでおきます。

仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「諦かに聴け、諦かに聴け。善くこれを思念せよ。如来いま、未来世の一切衆生の煩悩の賊のために害せらるる者のために、清浄の業を説かん。善きかな、韋提希、快くこの事を問えり。阿難、汝当に受持して、広く多衆のために仏語を宣説すべし。如来いま、韋提希および未来世の一切衆生をして、西方極楽世界を観ぜしめんことを教えん。仏力をもってのゆえに、当にかの清浄の国土を見ること、明鏡を執りて自ら面像を見るがごとく、かの国土の極妙の楽事を見ることを得べし。心の歓喜するがゆえに、時にすなわち無生法忍を得べし」。
(仏陀はあらためて阿難と韋提希に告げられました。
「あきらかに」聴きなさい。これから言うことを心にとどめてよく考えなさい。如来はいまから、未来にこの世に生まれ、煩悩によって苦しみ迷うすべての衆生のために、浄らかな行業を説きましょう。韋提希よ、よくぞあなたはこのことをたずねてくれました。阿難よ、あなたは仏語をしっかりと受け止め記憶して、多くの人たちに広くのべ伝えなさい。如来はいまから、韋提希をはじめ、未来にこの世に生まれてくるすべてのものたちが、西方極楽世界を想い浮かべる方法を教えましょう。それは仏の力によるのであるから、ちょうど澄みきった鏡で自分の顔かたちを見るように、彼の濁りない浄らかな国を見、その国土の言葉もおよばぬ安らかなありさまを必ず見ることができるでしょう。そうしたすばらしい浄土の光景を見れば、歓喜のこころが生じて、ただちに無生法忍を得ることができるでしょう。」)

 そして、「仏力をもってのゆえに、当にかの清浄の国土を見ること、明鏡を執りて自ら面像を見るがごとく、かの国土の極妙の楽事を見ることを得べし」と、ここに仏力という言葉が出てきます。
 私たちがはらんでいる問題を見事に言い当て、問題を全部見通していくのは、仏力によるんだと。言い当ててくる教えの世界によって、初めて私たちは自分の問題に目を覚ますんだと。そうしたことを言われます。
 こういう一連の言い方を通して、自分が完成して、こうなったら救われる、ああなったら救われる、と考える我々の方向が、むしろ阿弥陀仏を遠くしているんだと。完成を願ってやっていくこと、むしろそのことが、完成から遠ざかっていくことになる問題を、人間は持っているんじゃないかと。そしてそのことを見事に言い当ててくるのが仏さまの力だと。私たちはその力を信頼し、自分を言い当てられてくる世界を信頼していくんだと。
 ちょっと面倒な言い方をしましたが、浄土の世界と浄土の教えの意味が、お釈迦さまによってそのように説かれているかと思います。
 たとえば私たちは、「人に迷惑をかけない」と言いますね。迷惑をかけないような人間になって一人前だと。ところが、「迷惑をかけない」という教えを実行しようして、どういうことが起きていくるかと言いますと、自分に迷惑をかけてくる者を拒否することになります。そういう関係を絶つことになります。そして、迷惑をかけずには生きられない自分をも拒否します。

 作家で、親鸞聖人の教えを深く信頼されている高史明という方がおられます。高さんの息子さんは十二歳、中学一年になったばかりの時に自殺します。『ぼくは12歳』という詩集が出されて有名になりました。その本を原作にして、NHKでドラマになりましたから、ごらんになった方もおられるかと思います。
 高さんは中学校の入学式から帰ってきた息子さんに、

 君は中学生になった。これからは自分のことは自分で責任を取りなさい。他人に迷惑をかけないようにしなさい

 こう話されたというんですね。それからしばらくして息子さんは自殺されるわけです。高さんは、

 「他人に迷惑をかけるな」。では、十二歳になるまで他人に迷惑をかけていなかったのか。他人のはたらきを頂戴していなかったのか。
 「他人に迷惑をかけるな」。私はその言葉で十二年間いただいてきた他人のはたらきを全部帳消しにしてしまったわけです。私は違うふうに言うべきでした。
 今までどれだけの人のはたらきを頂戴してきたか。本当の人生とは、作ってくれた人がいたということ、いのちを提供してくれた他の生き物がいたということがわかって、本物のいのちの人生になる。そのことを言うべきでした。
 それが言えなかった。自分のことは自分で責任をとれと言いました。

 このように述懐しておられます。

 小学校の高学年から中学生ぐらいまでは、友だちづきあいの中で、それこそ迷惑をかけたり、かけられたりしながら、そのことでケンカになったりしながら、一緒くたになっていろんな関係をつちかっていく時期ですよね。そこに「迷惑をかけない」というフレーズを入れることによって、自分に迷惑をかけてくる友だちを全部絶っていくことが、まじめにやれば起こってきます。
 ですから、我々が当然と思っている「迷惑をかけない」という教えも、そのことをまじめにやろうと思えば、豊かな人間関係を切っていくことにもなりかねないわけです。そして、自分が自分になっていくことを遠ざけてしまいます。
 これも前にお話ししたかと思うんですが、去年三万人を超える自殺者が日本で出たんです。日本は高齢者の自殺が世界一です。そのキーワードは「迷惑をかけない」です。老いを持ち、病を得て、身体が不自由になって、若い者に迷惑をかけたくないということが、むしろ人の命を縮めていくことになっているわけです。
 自殺率が最も高いのは秋田県です。秋田県は三世代、四世代にわたって一緒に生活するという同居率が一番高いんです。一番同居率が高い秋田県で、老人の自殺率が一番高いわけです。
 身近に暮らしていれば、老いて痴呆になったり、寝たきりになったりしたら、若い者に迷惑をかけてしまうと。迷惑をかけるくらいなら、その前に身をたたむと。ですから、こういうことがいいことなんだと、こういうことが人の道なんだと、そういうことを真面目に追求することによって、むしろ人間関係を断ったり、人の命を絶つことにもなるわけです。
 それで、そういうことをあえて出しながら、それを真面目にやることによって、むしろ人間は崩壊していくという問題を抱えるんだということを、お釈迦さまは知らせてくださるんです。そして、そのこと全体を言い当ててくる教えを信頼しなさいと。
 仏教を真面目に修行して、だんだんわかって、そして救われるんだ、という時もそうですね。真面目に仏教を修行し、がんばって勉強して、だんだんわかって救われるんだという時には、どの程度自分はわかったのか、どの程度自分が救われたのかがはっきりしません。ですから、どうするかというと、人と比べるわけです。あの人よりは私はだいぶ話を聞いたとか、あの人よりは真面目にやっているとか、そういう形で、人と比べ、人を足げにし、差を喜ぶわけです。ですから、真面目に仏教を修行することが差を比べることになってしまい、もっとも非仏教的なことになることをはらんできます。
 そういう人間のことを言い当てて、明らかにしてくるものを、全面的に信頼して、自分の問題に目を覚ませと。それが浄土の門の教えなのだと。そのようにお釈迦さまはここでおっしゃったんだと思います。

仏、韋提希に告げたまわく、「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず。諸仏如来は異の方便ましまして、汝をして見ることを得しめたまう」。
(さらに、仏陀は韋提希に向かっておっしゃいました。
「あなたは本当に道理に昏い凡夫です。心弱く、まだ物事を正しく見通す力が身についていないから、遠く離れた仏国土を観ることができません。しかし、如来である諸仏たちは、特にすぐれたてだてをお持ちで、それによってあなたのような心弱い者にも彼の国土のすばらしいすがたを目の当たりに見ることができるようになさるのです。」)

 そして最後にお釈迦さまは、「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」と。あなたは凡夫だと韋提希に言われます。
 立派になって、全部わかって、悟りすませて救われるのではないんだと。いろんな問題を抱えた身であることに目を覚まして、そのことによってあなたの大地に帰るんだと。そういう意味で「汝はこれ凡夫なり」という言葉を韋提希に投げかけて、韋提希自身を言い当ててくるわけです。
 そういう出会いが浄土の門を開くことなんだと、善導大師は見ておられるかと思います。
 凡夫に帰っていくことについて、もう少しお話したいと思いますが、ここで休憩します。

  5

 だいぶお疲れのご様子ですから、もう一冊絵本を紹介しまして、凡夫に帰るということを考えてみたいと思います。
 レオ=レオニという人の『ペツェッティーノ じぶんを みつけた ぶぶんひんの はなし』という本です。作者はオランダに生まれて、アメリカに行かれた、世界的に有名な絵本作家です。1999年に亡くなられました。訳は詩人の谷川俊太郎さんです。

かれの なまえは ペツェッティーノ。ほかの みんなは おおきくて おもいきった ことも すばらしい ことも いろいろ できた。かれは ちいさくて きっと だれかの とるに たりない ぶぶんひんなんだと おもって いた。だれの ぶぶんひんなんだろう、とうとう あるひ かれは たしかめようと けっしんした。

「もしもし、ぼくは きみの ぶぶんひんじゃ ないでしょうか?」
はしるやつに かれは きいた。
「ぶぶんひんが たりなくて はしれる はず ないだろう?」
ちょっと びっくりして はしるやつは いった。

「ぼくは きみの ぶぶんひんかな?」つよいやつに かれは きいた。
「ぶぶんひんが たりなくて つよい はず ないだろう?」
それが こたえだった。

そして およぐやつが うかび あがった とき、ペツェッティーノは かれにも きいてみた。
「ぶぶんひんが たりなくて どうして およげる?」およぐやつは そう いって ふかい みずの そこへ もどって いった。

「おおい! ぼくは あなたの ぶぶんひんですか?」やまの うえの やつに むかって のぼりながら ペツェッティーノは さけんだ。
やまの うえの やつは わらった。「ぶぶんひんが たりなくて やまに のぼれると おもうのかい?」

ペツェッティーノは とんでるやつにも きいた。こたえは いつも おんなじ。

さいごに ペツェッティーノは ほらあなに すんでいる かしこい やつの ところへ いった。 「ぼくは あなたの ぶぶんひんかしら?」
「ぶぶんひんが たりなくて かしこく なれると おもうかい?」と かしこいやつは こたえた。
「ぼくは だれかの ぶぶんひんに ちがいないんだ、どうしたら さがし だせるの?」ペツェッティーノは さけんだ。
「こなごなじまへ いって ごらん」かしこいやつは いった。

あくるあさ はやく ペツェッティーノは ちいさな ボートで ふなで した。
そとうみの おおなみに もまれ、びしょぬれで くたくたに なって、かれは こなごなじまに ついた。

なんと へんな しまだろう! まるで こいしの やまだ。き いっぽん くさ いっぽん はえて いない。とにかく いきてる ものが ひとつも いない。
ペツェッティーノは のぼったり、おりたり のぼったり、とうとう つかれはてて けつまずき、ころがりおちた……

……そして こなごなに なって しまった!
かしこいやつは ただしかった。やっと ペツェッティーノにも わかった。じぶんも みんなと おなじように ぶぶんひんが あつまって できて いると。

かれは げんきを とりもどして じぶん じしんを ひろい あつめ、たりない ぶぶんひんは ひとつも ない ことを たしかめると、ボートへ かけもどった。
すこしでも はやく うちへ かえろうと、かれは ひとばんじゅう こいだ。

ともだちが ひとりのこらず かれを まって いた。
「ぼくは ぼくなんだ!」かれは おおよろこびで さけんだ。
なんの ことか よく わからなかったけど ペツェッティーノが うれしそうだったから みんなも うれしかったのさ。

 非常に単純な話です。
 ペツェッティーノは韋提希の逆だと思います。韋提希は我こそはと自信がありました。しかしペツェッティーノはみんなと比べると小さいですし、取るに足りないものだと思っていたわけです。「どうせぼくなんか」と、自分を否定的に見ていたわけです。
 子どもたちが親や学校や社会の期待に添おうと思って努力するんですけれども、うまくいかないと、どうせ私なんかというふうに自分を見てしまいます。
 小学校の三年生で34%の子が、自分が生まれてこなければよかったと思うことがたびたびある、と答えています。これは盛岡の教育研究所の調査です。そのように自分を否定的に見る子どもたちが増えています。
 ペツェッティーノは「はしるやつ」の一部になって、速く走るものになって完成するんだと夢見ます。次には、力が強い大きなものになったら、自分は立派になって完成できるんじゃないかと考えます。泳ぐのもそうです。すばらしく泳げるようになったら、自分は完成できると思うわけです。そして、山の上に登れるような、そういうたくましさを身につけたら、自分は完成するんじゃないかと思います。
 山の上に登るというのは、社会の中では上下に人間を並べていきます。それが私たちの社会です。ペツェッティーノはそういう社会の下で、上を支える部分品だったわけですから、その階段を登って、上に立てる人間になったら立派になれるんじゃないかと考えたかと思うんです。
 子どもたちは点数で上から階段状に並べさせられるということが日常あります。階段の下の方にいる者は、上に登っててっぺんに行けたら立派になれるんだと、激励されるし、がんばれとも言われる。それで、下にいる者は取るに足りない者で、階段の上を目指して上に立つ者が立派なんだと考えます。しかしそうはできなくて、つらい思いをしているわけです。このことを子どもたちによく話すんですが、非常に共感します。
 「とんでるやつ」もそうなんですね。そして、最後にかしこくなったら自分は完成するんじゃないと思って、「かしこいやつ」の所へ行きます。ここに作者の苦労がありまして、「かしこいやつ」だけ洞穴の中にいるんですね。他のやつは普通の所にいるんですが、「かしこいやつ」だけは洞穴に入れるんです。つまり、普通のかしこさとは違うかしこさだと、作者は言いたいわけです。どういうかしこさかというと、こなごな島を知っているというかしこさなんですね。
 それでペツェッティーノはこなごな島へ行くわけです。こなごな島は木一本、草一本はえておらず、生きるものは一つもない島ですから、あり得ない島です。どこかに行けばこういう場所があるのではなくて、そういう場所として設定された島です。
 そこで自分もこなごなになってしまって、ペツェッティーノは気がつくわけです。ああ、自分もいろんな欠点や、いいところや、問題や、そういうものがいっぱい集まっていたんだと。そして多くのものとの関わりで、自分は自分になっていたんだと。自分がこなごなになって初めて、そのように気づくわけです。
 問題はいっぱいあるし、欠点もいっぱいあるし、しかしそういうもの全体としてつながって、ぼくになっていたんだと。そして、自分自身を全部拾い集めて帰っていくわけです。
 私は取るに足りないんだと、自分を否定的に見ていたけれども、ぼくはぼくだったんだと、そのことに目を覚ましたことが、ペツェッティーノの喜びになっています。「ぼくは ぼくなんだ! かれは おおよろこびで さけんだ」。
 そのことに気がついてみれば、今までうらやましく思っていた、「はしるやつ」「つよいやつ」「かしこいやつ」「とぶやつ」「およぐやつ」、それぞれみんながいろんな問題や欠点や悩みや課題を抱えて、それぞれがそれぞれになっている人たちだったんだと。そうして多くの人にあらためて友だちとして出会い直していく喜びが、そこに出てくるわけです。
 ペツェッティーノは、どうせぼくなんか、と自分に自信を持てず、そして早く走れたら、強くなったら、そうなったら自分になれるんだ、だから早くなるために、強くなるためにと、自分を持っていっていたんです。それが、ぼくはぼくなんだ、ということを遠ざけていたわけです。
 こなごな島という教えを通して、私は私だったんだ、いろんな問題を抱え、課題を抱え、悩みを抱え、そしていろんなものとつながって生きているんだと、それ全体が私だったんだと、そのことに気づく。気がついてみれば、私と同じように、みんなも同じ地平に立って生きていたんだ。同じ悩みや課題を抱えるものとして、友として、そういう人たちともう一ぺん出会い直して、私が私になっていくんだと、そういう出発をペツェッティーノはしていくわけです。

 おそらくそうしたことが韋提希の上に起こってきたんだと思うんですね。韋提希は我こそはという自信を持っていたんですけれど、息子の反逆によって崩壊します。しかしそれでも、立派になって完成しようと自分を見ていたわけです。そのことが韋提希が韋提希になっていくことをもっとも遠ざけていたんです。私は私だったんだ。そのことを言い当ててきた言葉が、「汝はこれ凡夫なり」です。
 あなたはあなたになればいいんだ。あなたはあなたの中にいろんなものを足して、立派になって、完成して、救われるんじゃないんだと。あなたはあなたになればいいんだと。そして、いろんな問題や悩みや課題を抱えたあなた自身に目を覚ましなさいと。そうすれば同じような悩みや課題を抱えて生きながら、そして自分を見失っている人の苦悩に深い愛情を持って関わることができるんだと。あなたがあなたになる。あなたがあなたに全面的にうなずくことを、そういう目覚めが生み出すんだ。
 お釈迦さまの韋提希に対する深い愛情を持って関わるはたらきに目を覚ますことで、韋提希は韋提希になっていったわけです。そのことがわからずに迷いの中に苦しんでいる人たちに、深い愛情を注ぐことにもなっていきますと。あなたは凡夫なんだと。そういう深い愛を持った言葉を、お釈迦さまが最後に韋提希に贈って、この物語は一応のピリオドを打ちます。
 私たちは韋提希を通して、私が私にうなずいていく道が開かれるんだと、そういう世界が開かれていくんだということを、我々に先立って示してくださったのが、韋提希という方の歩みであったかと思うことです。
 最後ははしょってしまいまして、十分なお話ができませんでした。時間がきておりますので、ここまでとさせていただきます。どうもありがとうございました。

2002年6月8日(土)に東本願寺同朋会館で行われました安芸南組推進員養成講座でのお話しをまとめたものです)