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「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」 第6回 3
2002年6月9日(日) 
 
  第6回 「韋提希の出会った浄土の教え」 3

  1

 昨日、順番に各班の座談会にうかがいましたおりに、少し気になったことがありましたので、そこからお話させていただきたいと思います。
 最後のところで、お釈迦さまが韋提希に「汝はこれ凡夫なり」と言って、あなたは欠点や問題がなくなって立派になり、完成して自分ができあがると思っているかもしれないけれど、そういう方向で歩もうとすること自体がいろんな問題をはらんでくるんだ、あなたは終わることのない課題を抱えた凡夫という存在だと、そういうふうに如来から言い当てられたと、お話したかと思います。
 凡夫というのは、何も卑下した言葉ではありませんし、あるいはあきらめの言葉でもありません。
 私たち自身の姿をありのままに白日のもとに明確に言い当ててくるはたらきが如来です。その如来が我々を凡夫と呼んだ、そしてそのことに韋提希は間違いないですとうなずいた。そういう出会いのところに浄土の教えの門が開くんだということを全体としてお話したつもりです。
 座談会にうかがっておりましたら、昨日の私の話を受けとめられての言葉かと思いますが、「あるがまま」という言葉をキーワードにお話されている班がありました。
 「あるがまま」というのは、なかなかできないことだと思います。私たちはすぐ取り繕いますし、外見を飾るのが常のことですし、なかなか「あるがまま」というわけにはいかないと思います。
 また、「あるがまま」と「わがまま」とどこが違うのかという問題もあります。
 「わがまま」は我々はできるのではないかと思いますけれど、「あるがまま」というわけにはなかなかいかないということもあります。ただ、その峻別がつかないと問題です。
 教えを聞いて、「あるがまま」でいいんだと喜んで、「あるがまま」にやっている。やっている本人は大喜びなんですけれど、まわりは大迷惑ということもあります。
 それは非常に独善的な信仰に陥りやすい問題だと思います。よく真宗では、いろんな先生方が「あるがまま」とか「そのまま」という言葉を使って、大事なことを伝えてくださるということがありますから、間違っているということではないんですけれど、やはり「あるがまま」ということは危険性を持っている言葉だろうと思います。
 本当なら、こんなふうになって、こういう問題をなくして、こういう欠点をなくして、きちんとしたいんだけど、それがなかなかできない、だから今のあるがままでいいというふうになると、本当はこうなりたいけれども、仕方ないから、あるがままでいいんだということになります。
 これは残念無念という形の「あるがまま」です。我慢することになりますから、ちょっと違ってくるように思います。
 『現代の聖典』では、念仏という言葉が出てきませんから、念仏には触れませんでしたけれど、念仏ということも一般的には、身体がうまく動かなくなったし、昔のような若さや気力もないし、十分なことができなくなった、もうこうなったら念仏しかない、そういう念仏もあります。
 これは、何もできないし、何もする気力もないので、念仏でもという形です。そうなると残念無念の念仏になります。
 親鸞聖人が私どもにすすめておられる念仏とは、そういうことではありません。ですから、そこのところを少し注意しなければならないように思います。
 欠点や問題をなくして、立派になって救われたい。でも、立派になることはできなくて、途中で挫折したりする。ならば、うまくいかないから念仏だとか、うまくいかないからあるがままだ。
 そういうことではなく、そんな歩み方そのものにいろんな問題をはらんでくると気づいていくことが大事だと思うわけです。
 昨日、高史明さんの「迷惑をかけない」という言葉をキーワードにした時に、かえって息子さんの豊かな人間関係を切っていってしまうようになったというお話をしました。
 あるいは、教えを聞いて、だんだんわかっていって、立派になってという時、どの程度わかったかどうか。学校のようにテストがあるわけではありませんから、点数はつきません。ですから、あの人よりはわかったとか、あの人にはかなわないというような形で人と比べる。
 仏教を学ぶということがそういう中で行われるならば、それは差を喜んだり、差をなげいたりするわけですから、最も非仏教的なことになってしまいます。
 努力することが悪いというのではありません。立派になって、完成してやっていこうということ自体がはらむ問題に気づいていくということが、教えに会うということの大事な意味ではないかと思います。

  2

 昨日、紹介した絵本、レオ・レオーニの「ペツェッティーノ」ですけど、時間が十分になくて途中で終わってしまいました。今日はもう少しこの絵本を使ってお話したいと思っています。
 「あるがまま」ということの問題を考えてみたくてお話するんですが、ペツェッティーノは自分のことを、

ほかの みんなは おおきくて おもいきった ことも すばらしい ことも いろいろ できた。かれは ちいさくて きっと だれかの とるに たりない ぶぶんひんなんだと おもって いた。

と、自分のことを誰かの取るに足りない部分品だと思っているわけです。「どうせ僕なんか」「どうせ私なんか」という形で出てくる言葉です。
 子どもたちの中で、「どうせ僕なんか」「どうせ私なんか」という形で、自分のことを自己否定的に見てしまうことが増えていると、昨日お話しました。
 たとえば親や学校や社会が、純真で真っ赤な色をしているのが子どもだ、「らしい」子どもという形で、その子どもを赤という色で見るとします。ところが、ペツェッティーノはこのようにくすんだオレンジのような色をしています。このくすんだオレンジのような色が、実はペツェッティーノの持ち味の色なのですから、なかなか赤になれません。でも、親や学校や社会が期待するから、赤になろうとして努力するわけです。
 子どもというのはみなそうなんです。多くの場合、子どもは親や学校が期待するような赤がいいんだと言われれば、赤い色になろうと努力します。しかし、なかなか赤になれませんから、赤になれない自分を自分で嫌います。
 極端な場合は自傷行為、自分で自分を傷つけることになってきます。それはなかなかかないませんから、自分で自分が嫌いだという形で、自分に向ける刃を強要するものに向けていくわけです。
 それが少し前に問題になった「キレル」といった言葉になってきます。あるいは「ムカツク」といった言葉もそうかもしれません。
 問題は「キレル」とか「ムカツク」ということをしなくなるということではなくて、その子の持ち味の色があるのに、それを認める前に、赤い色が子どもだと決めているほうに問題があります。ところが、そこのところになかなか向かないわけです。
 ですから、なかなか赤になれないから、自分なんかだめだという形で、色がない、透明な存在になりたいということが出てくるかと思います。
 神戸の事件の酒鬼薔薇という犯行声明を出した少年は、もちろんやったことは許されることではありませんが、彼の声明文の中に「透明な存在」と自分のことを言っていて、その短い文章の中に「透明」とか「存在」という言葉が14回くらい出てきます。それほど、自分の存在とか自分の持ち味の色を出せない、そのことで自分を腹立たしく思って傷つけてきた、そういうことがあるのかもしれません。
 そういう気持ちを抱えているのが、このペツェッティーノです。

 最初、彼は「はしるやつ」に、私はあなたの部分品ではないだろうかと尋ねます。「はしるやつ」は足が長くて、いかにも早そうな感じがするわけです。この長い足で勢いよく走ってきて、あっという間にペツェッティーノを追い抜かして彼方に走り去っていくというのが、「はしるやつ」の姿です。
 ですから、「はしるやつ」というのは、速さというものを象徴しているかと思います。この速さというのは現在においては、まさに時間を表現するかと思います。
 時間というものの流れかたは変わりません。去年の一時間より今年の一時間の方が少し早くなったということはなく、六十分なので変わらないわけです。しかし、やはり時間は早くなっています。次から次へとやらなければいけないこととか、いろんなことが押し寄せてきて、いつも何かに追いたてられているような形で生活するということがあります。
 言っては悪いですが、同朋会館での生活もそういう面があって、「はい、小屋組み見学です」「はい、講義です」「はい、座談会です」「はい、掃除です」と追いたてられる感じがします。
 感想文の中にも、「ちょっとスケジュールがハードです」というような文章がだいぶありましたけれど、その通りだと思います。何かに追いたてられるという感じですね。
 私たちはこの時間をうまく使うためにスケジュールを立てます。けれども、そのうち立場が逆転するんです。時間をうまく使うために作ったスケジュールに、逆にこちらが使われてしまって、スケジュールに追いたてられて、逆転してしまうんです。
 ですから、スケジュールに追いたてられて、ひとこまひとこまがバラバラになってしまい、ただスケジュールをこなすだけの部分品のような形で私たちは生きてしまう。流れの中で大きく物事を捉えるのではなくて、その場その場、その時その時でバラバラになって、スケジュールに追いたてられて、スケジュールをこなすだけの部分品という形で私たちが生きざるを得ないようなことになっている。
 そういう問題が、この「はしるやつ」のところに象徴されています。ペツェッティーノもいつもそんなふうに生きていましたから、いつの間にか、私は速く走ってくるあなたの部分品ではないでしょうかと言い出さざるを得ないようなことになっているかと思います。

 次にペツェッティーノが会うのは「つよいやつ」です。「つよいやつ」というのは力というものを象徴します。ですから「つよいやつ」自身も強そうな感じで大柄な体格を持っているわけです。
 我々は力の前に負けていきます。やはり力のあるものが幅をきかせ、力のないものは片隅で我慢しなければならないというのが、人間の作っている社会の大きな問題です。
 『大無量寿経』の中に「強者伏弱」という言葉があります。『大無量寿経』は上下二巻に分かれていて、長いお経ですけれど、下巻のところに、人間が行い、作っている問題を、五悪段といって五つの悪に分けてお釈迦さまが説かれている部分があります。この五悪段の一番最初に、第一の悪と問題にされているところに「強者伏弱」という言葉があります。
 「強き者は弱きを伏す」と読みますが、つまり力があって強いものが幅をきかせ、弱い者をねじ伏せて人の世が作られてしまうということです。
 だから、力のあるものが幅をきかせ、そうでないものは片隅で我慢する。まさにこの「つよいやつ」がそうなんです。力が強いですから幅をきかせているわけです。するとペツェッティーノのような小さな弱い存在は隅っこで我慢しなければならない。
 力というのはいろいろあって、腕力というのは最も基本的な力ですが、武力とか経済力とか権力というものも力です。私たちはそういう力を得れば幅をきかせますし、力がなければ隅っこで我慢するということになります。
 韋提希の場合、お妃という椅子はかなりの力ですから、王舎城の中で幅をきかせていたわけです。ですから、まわりの人はこの力をはばかって我慢しながら頭を下げていたことになります。
 現在の世界もそうです。アメリカの一人勝ちですから、アメリカの武力と経済力の前にあらゆるものがなびかなければいけない。それに対抗しようとすれば、テロという形でまた力を使うことになります。そういう形で私たちの混乱は続いているわけです。
 ですから、力というものの前に人間はいろんな形で我慢させられているわけです。
 たとえば、この現実世界を仏教では娑婆と言います。「娑婆の風」とか「娑婆に戻る」などと、娑婆という言葉は日本語になっていますけれども、元々の語源はインドのサーハーという言葉です。
 それを中国人は「忍土」と翻訳しました。現実社会は我慢しなければならない世界だということです。
 力があって幅をきかせる人よりも、数の上では片隅で我慢する人の方が圧倒的に多いわけです。数の多い人たちに焦点を当てれば、我慢しなければならないという形でこの世はできています。
 しかし、我慢するばかりではかなわないということがあります。できることなら幅をきかせるほうにまわりたいですから、力をめぐって争うわけです。そういう形で人の世が作られてしまうという問題を、「強者伏弱」という言葉でお釈迦さまは言われたんです。
 ただし、弱いのだから片隅で我慢しなさい、それがあなたのあるがままだと、言われたわけではありません。そういう力をめぐって、人の世は歪んだり、偏ったりするという問題に目を覚ませと言われているわけです。そこのところを間違うと非常に危険なことになります。
 私は弱いのだから、片隅で我慢することがあるがままだということになれば、力を持って支配する者にとっては非常に都合のいい教えになってしまいます。浄土真宗はそういうことではありません。
 そういう形で私たちが歪み、偏ってくるという人間の問題に目を覚まし、そういう人の世を作っている自分自身の責任を感じていくことが、本当の意味の目を覚ますということだと思います。
 世の中は力がすべてだから、力のない者は我慢しなければならない。そして我慢していれば、死んでからお浄土へ行って我慢しなくていいですというのが浄土の教えだったんです。それを、そうではないんだ、私たちの作っている人間の社会の問題に目を覚ましたところに浄土の門が開くんだということを明らかにしてくださったのが、親鸞聖人です。
 今は弱いままで我慢して、死のところ浄土の門があって、お迎えが来て向こうへ行ったらそうではなくなるんだということでは、現実に対し残念無念な浄土の話になってしまいます。
 親鸞聖人はそのような浄土の真宗を明らかにしてくださったのではありません。そういうことになれば、親鸞聖人より前の浄土教のほうに戻っていってしまいます。それだったら、現世において力を得て支配している者にとって、非常に都合のいい話になってしまいます。そういうことではないんだということを考えていただきたいと思います。

 それから、次に「およぐやつ」というのが出てきます。この「およぐやつ」というのは、最後に「ふかい みずの そこへ もぐっていった」とあります。つまり、「およぐやつ」というのは人間を深みに誘っていくものです。
 この「およぐやつ」自体が邪悪な存在というわけではなく、象徴的にあらわしているのは、人を深みに誘っていくということです。そういうものを象徴しているかと思います。
 これはどういうことかというと、現在の大量生産、大量消費という消費文化というものがそうです。いろんな物を使って、使い捨てていく、そういう形で人間は深みにはまっていきます。
 カタログ販売がそうですね。毎日のように通信販売の本が、たくさんの紙を使って、ドサッというくらいに送られてきます。頼んだことないのに送られてくる。名簿がどこかに出ているのだと思います。皆さんも一度はあると思いますが、お寺にはお寺独特のカタログが送られてきます。
 もちろん、通信販売は便利な面もありますが、問題はカタログを見たばかりに買ってしまうということです。おそらく、カタログを見なければ買わなかったものがだいぶあるんじゃないですか。
 テレビのテレショップみたいなのもそうです。見るとすぐ欲しくなるものですから、画面に出る電話番号にすぐ電話してしまうことになります。その時にたまたまテレビを見たばかりに買うわけです。後から考えると「しまった」と思うこともあるわけです。
 中には、通信販売で買ったものは何勝何敗だと言う人がいます。「十買って、四つはよかったけど、六つは失敗だった。四勝六敗だ」とか、そういうことを言うくらいなのですから、見たばかりに買うわけです。
 私のところでも、妻が届いたカタログ、特に洋服などのカタログをよく見ています。私が「そうしたものは」と言うと、「見ているだけです」と言われて、後は黙っているわけです。
 そのように、見たばかりに買うわけです。そういう形で私たちはどんどんどんどん深みにはめられていくわけです。
 いろいろな商品でもそうでしょう。少しだけ形を変えたり、少しだけ工夫したり、少しだけ便利になって、形を変えてきます。ですから、会社では今こうゆう洗濯機を売り出すとしたら、次に売り出すのも、その次に売り出すのも決まっています。だったら一番最新の開発したものを出せばいいんですが、順番に出していきます。そして全部買わせるわけです。
 そういう形で経済がまわっているわけですけれど、実はそういう形で地球全体を使い減らしているということもあるわけです。そういう意味で、この「およぐやつ」というのは、我々を深みにはめていくということがあります。
 ペツェッティーノはそういう中で、消費文化というものの中で買って使い捨て、買って使い捨てという形の全体の中の一つのこまになっているということです。
 「つよいやつ」の場合もそうでしょう。力があって幅をきかせる。それを我慢することで、世の中を支えている一つのこまとして扱われています。
 そういう状況がペツェッティーノに、自分は「誰かの取るに足らない部分品なんだ」と思わせるような世の中を、ペツェッティーノも含めてですが、私たちがよってたかって作っているということがあるわけです。

 それから「やまにのぼるやつ」というのは、人間を階段状に並べていく人の世の問題を表しています。
 子どもたちはいつも点数で階段状に並べさせられて、上に行く者が立派なんだということになっていて、下の者はいつも悔しい思いをしたり、悲しい思いをするわけです。
 夏休みに山陽教区の子どもの集いがありました時も、この絵本を紹介しました。ここの部分にきたら、非常に共感する子どもたちがいました。おそらく、その子どもたちも、点数で上がっていく階段の下のほうの部分品として、いつも悲しい思いをしているんでしょうね。
 そういう子どもたちが「そうだ」と言って、ずいぶん共感を持っていたんですが、そういう形で人を並べていくことの残酷さとか歪みが私たちは見えなくなって、我が子が上さえ行けばいいんだというので、合格を祈願することがあります。そういう宗教もあります。
 合格を祈願するということ、うちの子が合格できますようにと祈ることは、無意識ですが、ほかの人が落ちるようにと願っているわけです。
 ですから、信心が厚ければいいというものではありません。残酷な信心もいっぱいあります。人が不幸になるということを願うという信心もあるわけです。ですから、そういう私たちの問題、歪みに目を覚ませということです。

 そういう意味でこの「とんでるやつ」というのは、現在の情報社会でしょう。降るようにやってくる情報、何でもわかるような気がしますけれど、結局情報に操られて、情報社会の中の一つのこまにならざるをえない形で人の世が動いてしまう。
 そういう中でペツェッティーノは「どうせ僕なんか」とを思っていってしまうわけです。

 そういう中で、ペツェッティーノは最後に「かしこいやつ」によってこなごな島へ行き、自分がこなごなになって、そして自分自身を全部拾い集めて帰ってきます。その時に「げんきを とりもどして」となっています。
 そこでレオ・レオニーが語っているのは、自分は誰かの取るに足らない部分品なんだと思っていたペツェッティーノが、自分もみんなと同じように部分品が集まってできているんだと、自分のことをとらえなおすということです。そのことをこなごな島の智慧によって言い当てられたわけです。
 ペツェティーノは、もっと力があって、もっと優れていて、もっと立派な誰かの部分品なんだと思っていたわけですが、そうではないんだ、「じぶんも」と言い出したわけです。
 「だれかの」というのは無責任な表現なんですが、初めて「じぶんも」というように、みんなと同じように部分品が集まってできているんだと、自分で責任をみるわけです。つまり、誰かのためにこんな目に遭わされているというのではなく、みんなと同じように自分もいろんなものを抱えて生きていたんだ、いろんな問題も欠点も課題も含めて全部自分だったんだという形で自分を見出すわけです。
 世の歪み、人間社会の偏り、狭さ、そうしたものの中で、ペツェッティーノは寂しい思いや悲しい思いをたくさんしたけれども、この人の世の歪み、偏り、狭さを自らも作ってきたんだと、自分自身と自分が作ってきた世に対する責任を持つ者として、自分自身を取り戻していくわけです。
 私と私の世にとんでもないことをしてきたと韋提希が驚いて目を覚ますように、とんでもない歪みや偏りを当たり前にし、その中で我慢していくことは当たり前だと思っていたけれど、それは自分で自分を台無しにすることだったんだと、あらためて自分の問題、そして自分がかかわって作ってきた人の世の問題に目を覚ましたというわけです。

 韋提希がそうだったんです。自分に力があるがゆえに、我こそはと、まわりを引きずりまわしていたわけです。ところが、お釈迦さまの教えによって、とんでもないことをしていたと目を覚まして、あらためて頻婆娑羅にも、阿闍世にも、そして王舎城の人々にも出会いなおしていくことで、韋提希は凡夫である自分を取り戻していったわけです。
 このことは現状のあるがままを仕方がないけれど認めていくということではありません。そこのところは注意していただければと思います。

 『現代の聖典』は、一番最後に韋提希の言葉で終わっていきます。

 世尊、我がごときは、いま仏力をもってのゆえにかの国土を見つ。もし仏滅の後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかにしてか当に阿弥陀仏の極楽世界を見るべきと。
(その時、韋提希は仏陀に申し上げました。
「世尊よ、このわたくしは幸いにも、いまみ仏の力のおかげで彼の国土を見ることができました。もしあなたがこの世を去ってしまわれたならば、その後に生まれてくる者たちはみな心が濁り悪が身に満ちていますから、光を失った世界のなかでさまざまな苦しみにさいなまれねばならないでしょう。仏であるあなたが世を去られた後の人々は、いったいどうしたら阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるのでしょうか。」)

 私は今、お釈迦さまの教えと促しと愛情によって、私に願いをかけている教えのはたらきに出会うことができました。しかし、お釈迦さまも人間の身体を持っているわけですから、あなたもいつか死ぬでしょう(この時、お釈迦さまはだいたい七十二歳ですからもう晩年です)。あなたもやがて死んでいくでしょう。そうしたらあなたが亡くなった後の人々はどうやってこの浄土の教えに出会うのでしょうか。その人たちにはどうやって浄土の教えの門が開くのでしょうか。
 自分のことしか考えなかった韋提希が、未来のいのちの問題を我が問題として語るわけです。そういう韋提希に変化しているわけです。
 自分が立派になって、自分がみんなに尊敬されるということを関心の中心に置いていた韋提希が、この先に生まれてくるさまざまな人々がどうやってこの深い浄土の教えに出会うのでしょうかと、そのことをお釈迦さまに問うわけです。
 自分のことだけを問題に問うていた者が、自分を超えた、この先に生まれてくる命の問題を問うわけです。韋提希はそういう形でこの世に責任を感じたわけです。そういう責任を感ずる主体として立ち上がっているわけです。

 『現代の聖典』には出てきませんが、こういう言葉が出てきて『観無量寿経』は終わります。

韋提希、五百の侍女と、仏の所説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。
仏身および二菩薩を見たてまつることを得て、心に観喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然として大きに悟りて、無生忍を得。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの国に生ぜんと願ず。世尊ことごとく「みな当に往生すべし」と記す。

 経典の文章なのでわかりにくいと思いますけれど、五百人の侍女というのは、たぶん王舎城で韋提希に仕えていた女性たちのことです。
 五百人の侍女と一緒にお釈迦さまの教えを聞いて、浄土を願い、そして目を覚まし、浄土の教えを聞きつづけるという、そういう出発をしたわけです。
 それまではいつも王妃という椅子に座って、自分の力を背景に五百人の女性を扱っていた韋提希が、椅子を降りて五百人の女性と一緒の地平に立ってお釈迦さまの教えを聞いて、浄土の教えに聞きつづけるという出発をするということで、『観無量寿経』が終わっていくわけです。
 韋提希は自分は今まで好き勝手に扱ってきた人たちとあらためて出会い直して、その人たちと共に救われていくということが課題になっていきます。そういうことが凡夫というものの広がりです。そして、そういう広い大地に私たちを見開かせるというのが浄土の門ということだと思います。
 私と私の作っていた世界に本当に責任を果たしていこう、大変なことをしてきたし、大変なことをしているし、そしていろんな問題をはらんでいる自分だ、そしてそのことによって世が歪み、偏り、狭くなっていたんだ、そういう問題に自分の全生活をあげて取り組んでいこう。
 そういうのが凡夫の大地に立った者の姿なのだと思います。

 王舎城の事件の後半部分はまだ残っています。
 韋提希は浄土の教えに出会ったわけですけれど、問題は阿闍世です。クーデターを起こして自分の父親を殺した阿闍世の問題がまだ残っています。
 この物語の後半では、阿闍世が苦しみ出します。自分の父親の死骸を見て、自分が間違ったことに気がつくわけです。それから阿闍世の大変な苦しみが始まっていきます。
 このことは『観無量寿経』ではなくて、『涅槃経』というお経に詳しく記述してあります。そのところで阿闍世が本当に自分と自分が作ってきた世に責任を感じて、その課題を背負って立つ、そういう阿闍世に変わっていきます。
 親鸞聖人は『涅槃経』のその部分をほとんど全文、『教行信証』という書物に引用しておられます。
 阿闍世がどうなったんだろうということを、おそらく皆さん気になられると思いますが、ここが終わりまして、七月十日にもう一度広島へお伺いして、お話するように言われてますので、そこで残りました阿闍世の問題をご一緒に読み、私と私の世に責任を持っていく形で凡夫という大地に立っていくということを、阿闍世を通して考え読んでいきたいと思っています。そこを課題にと思っています。
 時間がきておりますので、ここまでとさせていただきます。十分なお話ができず誠に申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

(2002(平成14)年6月9日(日)に東本願寺同朋会館で行われました安芸南組推進員養成講座でのお話をまとめたものです)


2002年6月7日(金)に東本願寺同朋会館で行われました安芸南組推進員養成講座でのお話しをまとめたものです)