てこの愚かな使い方



てこは簡単な構造をしている。探せばいろんな所に見つかる。
人の腕をてこと考えることも出来たりする。
支点、力点、作用点は、実は解釈次第である。それは次の問題を考えれば分かる。
手漕ぎボートのオールの図があり、水に触れている部分、ボートと接している部分、
オールを手でつかんでいる部分に、A、B、Cと記号が振ってある。
A、B、Cに、支点、力点、作用点を振り分けろという問題である。
つい、ボートと接している部分を支点と考えがちだが、それでは不正解。
水に沈んでいる部分が支点なのだ。ボートとオールの接点は作用点である。
さもないとオールはボートを進めるためでなく、水を掻くための道具になってしまう。

もちろん、水を掻き混ぜるためにボートに乗っている人も、存在しないとは言い切れない。
ここから、支点、力点、作用点を決定するには、
その道具を使用する目的が決定されていなければならないということが分かる。
シーソーでは視点を向こうとこっちどちらにとるかで、力点と作用点が交代する。
上にいる人と下にいる人、どちらが偉いという話ではない。

てこだって意外と難しいのかもしれない。忘れられない問題がある。
支点が作用点よりも力点の近くにあるようなてこの使い方は賢いか、それとも愚かか。
中学のとき期末テストで出た問題である。どう答えたかは言わない。
でも、僕は知っている。うちの先生はこれをてこの愚かな使い方だと思っていた。

てこの仲間に輪軸がある。先生の考えを敷衍すれば、車は一速で走るのがいちばん賢い。
うちわや、ほうき、箸、投石器などは愚か者の道具である。そういうことになる。
力よりもスピード(あるいは距離)を稼ぎたい場合には、
愚かな使い方もなかなか役に立つ。そう考えておけば特に問題はなさそうである。