僕のくるまの歴史
1999年夏、「僕のくるま」を開設。コウ、当時大学2年21歳。
「僕のくるま」はここから始まりました。当時はPCに乏しく、メールをやり取りするだけでも一苦労。
解説した理由は、暇だったから…。
そして自分の講義ノートがレンタルされる為、HPに載せれば貸す必要がなくなると思ったから。
この頃付き合っていた彼女と疎遠がちだったので過去にすがってしまう。
ちなみに当時の彼女は日記に登場するとある人ではない。誤解せぬよう。
1999年冬、実家で車を購入してもらい、それを元にヴィッツ中心のHPになる。
当時、ヴィッツは日本では画期的なコンパクトカーとして登場。
現在のあらゆる日本車のモデルとなっている。
2000年春、コウ、大学3年。学科内に自分のHPの話題が出るようになる。
この頃にBBSや日記を始める。
BBS「僕の喫茶店」は訪れた人が楽しく交流できるようにということで名付けた。
「僕の日記帳」サブテーマの「メッセージ」の意味は、自分へのメッセージでもあり、
大切な人へのメッセージでもある。
この頃からYahoo!などのサーチエンジンでヒットするようになる。
当時は日記のカウント数も1週間で3〜5程度だった。
2000年夏、研究室選びに悩む。同時にHPが現在のスタイルへなりつつある。
この頃から日記を毎日書くようになる。よっぽど暇だったのだろう。
とある人と再会しだしたのはこの頃だっただろうか…
2000年秋、当時の彼女と自然消滅。お互い、顔を合わせることがなくなった。
HPにはそんなことは全くアップせず、日記で過去を振り返る毎日…
2000年冬、HPが現在のスタイルへ。
2001年春、コウ、大学4年。
HPが研究室内に広まり、自分の知らないブームになる。
2001年夏、HPの更新はほとんどが日記中心となる。
我が青春の一ページである。
2001年秋、日記のカウント数が急増する。
一体、誰が読んでいるのかわからなかったが、その答えは卒業と同時に明かされる。
2001年冬、就職活動も終え、PCの活躍の場が減る。
日記だけは毎日書き綴る。
2002年春、コウ、社会人1年目。
大学卒業と同時にこのHPを実はみんなが見ていたことを明かされる。
飲み会の席で明かされ、とある人から「人気者やん」とメールが届く。
初めて嬉し泣きをした。
社会人になっても日記だけは続けている。
2002年夏
研究室の後輩たちや、高校時代の親友等に「僕のくるま」が知れ渡る。
現在では週間ヒット数100以上は確実となる。
研究室のHPブームはどうやらこれから始まったらしい。
2002年秋〜
職場にも徐々に浸透する。
一部のブラジル人にも広まったが、ポルトガル語に対応してないので、訳がわからないらしい。
そして、「僕のくるま」は未来に向かって走りつづけます。
僕の夢や希望を乗せて走って行きます。
死ぬまで一生走り続ける予定です。
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