沿革
(福山城下町最古の寺院)
妙智山 普門院 能満寺はJR福山駅から西に歩いて数分に位置している。もと現在の福山城のある丘陵にあって、福山城築城の際、現在の西町の地に移された。寺伝によると開創は平安時代末期・治承四年〔1180〕高倉上皇の勅願寺とされる。鎌倉時代には備後守護職杉原家の菩提寺として栄え寺紋も足利尊氏ゆかりの《剣巴》である。その後江戸時代初代福山藩主水野勝成公によって城下町が造られることになるが、その際、当院を城山より西南(未申)方向の現在地に移築し福山藩の裏鬼門の守護寺とした。福山城築城地鎮祭には明王院住職が導師を、そして能満寺住職が副導師を勤めている、その後天和六年夏芦田川決壊による大洪水により堂宇すべて流され今日に至る。現在は往時の十分の一の規模と言われている。現在、本堂・客殿・庫裏・研修センターなどがある。