発病前から

最初に悪性リンパ腫が発病したのは、平成4年の年末、仕事の途中に左の足の付け根のあたりが急に痛くなり足も上がらなくなり仕事にはなりませんでした
この痛みが病気の前兆かどうかはわかりませんが、でも、その半年ぐらい前から体重が減っていました
ちょっとダイエットしていたからそのせいだろう、と思って気にしてませんでした
仕事で2週間に1度会うお客さんも、会う度にまたやせてるね、と、うらやましがられていました
その頃の生活は、仕事も忙しいのに、仕事が終わって食事もとらずに夜11時頃までよくボーリングをしてたし、仕事ではストレスたまるし、家でも小言ばかり言われるし、そして、毎月多額のローンの返済もありストレスが溜まりつづけていました

そして年末になり余計に仕事が忙しくなった頃、かぜとまったく同じような症状が出てきてかぜ薬を飲んでいたのですが、そのうち39度前後の高熱が毎日出るようになり、解熱剤を飲んで仕事をしてました
朝になると熱のせいでパジャマがびしょびしょになるほど汗をかいていました
でも熱が下がると何もないかのように生活できるのでそこまで気にはしてませんでした
そしてその後食欲がなくなり年末になり口の奥にぶつぶつとできものができてきて、そのあとから痛くなり飲み込むことも口をあけるのも痛いので食事もほとんど食べれませんでした
3日ほどたってからか少し楽になってきて少しづつ食べれるようになりました

それからは体重がよけいに減ったのでなるべく食べるようにして2キロぐらい増えました
しかし、ただのかぜだと思っていたので病院にも行きませんでした
でも、彼女にむりやり病院へ連れて行かされて、かぜだと思ってるから、それなりの治療をしてもらっただけでした

それから1週間たってもぜんぜん熱が下がらないので先生もおかしいと思い、大きな病院に紹介状を書いてくれました
そして、それからようやく紹介された病院に行って血液検査をしたら、結果はよく覚えてないのですがどの結果も数値ががたがただったみたいなことを聞きました。
その頃は尿の色もどす黒くて妙な匂いをしてたのを想いだします
で、即入院の話、そこの病院とT病院とどっちに入院するか、と聞かれ、そこはけっこう大きな病院だったのですが、家に近いT病院に入院する事にしました
結果、これが選択ミスのひとつ

それから入院生活がはじまりました
しかしその病院に1週間いたのですが、病名も原因もわからないまま、今度は、またよその大きな病院へ転院する事になりました
入院していろいろ検査をして、悪性のリンパ腫だということがわかり喉と股の所に、ぐりぐり(がん細胞)ができているのがわかりました
それと腹が痛いので調べてもらったら、胃潰瘍で胃に大きな穴が開いてました

それから個室に入り抗がん剤治療をはじめたので、胃に負担がかかり吐血してしまいました
初め内臓がでてきたのではないかと思ったのですが血が固まっていたらしいです。液体ではなくてちょうどレバ肉のようでした
それから1ヶ月間何も食べれませんでした。ベスト体重は68Kgなのですが、入院した時には60Kgまで落ちて、入院して1ヶ月で48Kgまで落ちました

1回目の抗がん剤は非常に強かったので、白血球が60まで下がり、熱は出るし口内炎はできるし、口の中がからからになってつばもでにくくなるし、しんどいし髪の毛は抜けるし、物は何も食べてはいけなかったし、約1ヶ月監禁されてたし最悪でした
抗がん剤の影響は例えると、船酔いや酒に酔って吐きそうになったり気持ちが悪くなったりする時の症状とよく似てます。それが1日中何日も続くんです
しかし、1回目の治療がよく効いたので、がん細胞が小さくなり、熱も出なくなりました
2回目の治療からは、弱目の治療だったのであまり辛くなかったです
でも、3回目の治療で最後まで残っていた眉毛まで抜けて、体中つんつるてんになりました
人は眉毛がなくなると怖い顔になるもんですね〜、ついでに頭の毛も抜けてたもんで、自分で自分の顔見て恐くなりました
でも毛は3ヶ月もすれば生えてくるので安心です
でも、もとから薄い人は、やはりそれなりにしか生えてきません。(今度はいっぱい生えてこないかな〜)でも病気なもんでいいわけは出来るけれど。病気のせいで、って
約月1回の治療を4回してとりあえず退院しました

それから1ヶ月して移植の為に再入院
この移植も選択ミス

抗がん剤だけでリンパ腫は治っていたはずです
その時の移植は、自家末梢血幹細胞移植と言って、自分の造血細胞を使って移植するものでした
はじめに全身放射線、その後バイオクリンルームという無菌室に入り、大量の抗がん剤を使って治療をして移植、抗がん剤の影響で味覚が全然なくなり、塩を直接なめても全然辛くもないし、味もしませんでした
また極度の船酔い状態になり、1週間ぐらいくたばってましたし、ぜんぜん食べれなくなりました
しかし高カロリーの点滴をしてたので、ぜんぜん体重が減りませんでした

今度は白血球が40まで下がり、それから10日ぐらいで2000まで上がり、無菌室から出られたのです
無菌室を出るのに3週間かかりました
白血球が2000まで上がったら部屋から出てもいい、と言う事だったので、2000まで上がるのが待ちどうしくて、部屋から出たら、即タバコを吸いに行ったのですが、ぜんぜんおいしくなくて、反対に吐きそうでした。そこでタバコをやめればよかったのですが、やめる事が出来ませんでした
その後なかなか血小板が上がりませんでしたが、入院して2ヶ月半、はれて退院となりました
これで、もとの生活になると思ったら、当分?ずっと血液検査の結果がよくなくて、約1年たって再発。ではなくて2次性の白血病になっていました

この1年、血液の数値が上がらないので、私も先生も薄々気ずいてました
原因は放射線による被曝で染色体異常をおこしていました
染色体の画像を見たのですが、染色体とは21個あって順番がつけられていて私の場合6番と21番の染色体の形がいびつにへこんでいました
6番と21番が異常をおこすと白血病になるそうです

白血病の治療はリンパ腫に似たような治療で、でもけっこう強い治療でした。それで4クール治療をして退院しました
それからは、1年かけて1ヶ月おきの入退院で地固めの治療でした。その間も退院して1ヶ月もすれば、血液の数値が下がってました。それで最後の治療の前に調子がいいので、2ヶ月間入院しなかったら再発しました。
それでまた再発の治療をしました。しかし、白血球がなかなか上がらなかったのです。それで、この前移植の時に集めておいた冷凍保存してある自分の造血細胞が残っていたので、急きょそれを使ったのです。それでやっと白血球も上がったのです。今は続けては治療ができないという事なのでそれで退院しました。
この造血細胞は白血病になる前のものです

それから1年半再発せずに持ちました。その間、仕事もしてました。しかし、やはり再発しました
再発したら治療の繰り返しで、その為白血球がなかなか上がらなくなってました
もしもという時の為に造血肝細胞は採って保存してあります
治療で白血球が上がらない時は白血球を上げる薬を1日2〜3本使う事もあるのですが、上がらない時は、何本使っても上がりません

今までの経験では、白血球の中にもいろいろな細胞があり、その中の好中球という細胞が現れて上がりはじめれば、白血球も上がっているようです
私の場合は、好中球が30%ぐらいに増えた頃、やっと白血球が上がりはじめます。好中球が1%でも出現するようになれば、1週間もすれば白血球が上がるみたいです
好中球が出現するのは、治療をはじめて、だいたい3週間目ぐらいです
でも他の人は白血球が下がっても、すぐに上がるんです
それだけ今までの治療の影響で、骨髄が弱っているから、と主治医は言います
私はいくら上がらなくても3週間までは余裕で待てるのですが、主治医、看護婦はなかなか上がらないと心配しているみたいです

この時は2クール治療したのですが、敗血症になりました。白血球が低い時に健康食品を飲んだせいです。高熱が出てこの時ばかりは死ぬかと思いました。この時も自分の造血肝細胞を使ってなんとか助かりました
それでなんとか退院したのですが、それから3ヶ月してまた入院
そして、またいつもの治療を1クールして退院しました
その後も血液の数値は、ある程度までしか上がりませんでした

それで、今までは治療すれば治ると思い治療してきたのですが、結局治りそうもないので、移植をする事に決めました。今まで悩みに悩んでました。 やっぱり怖いけど、あと1回治療すれば治る、と考え方を変えたら少しは気が楽になりました。
そして、決心をしての今回の移植。
その間、いろいろありました。
彼女と5年付き合ってたのに別れたし、仕事を1年ぐらいした事もあったし、敗血症になった事も、タバコを吸いたくて白血球が70になった時も、窓開けてタバコを吸った事も、タバコを吸ってたら主治医、看護婦に見つかった事も、腹減って脱走してラーメン食べに行ったりパチンコしに行ったり、いろいろありました。
今まで約6年、合計9回入院してますので、もう病院が別荘のようなものだし病棟の主みたいなもんです。
その間、何十人と見送りました。人は誰しも死に直面するのだけど、いつも楽に死ねたかな〜と思います。

自分も死ぬ時は楽に死ねたらな〜と思います。
移植しても成功率は50%、うまくいっても拒絶反応、合併症、副作用などで死ぬ場合もあります
移植とは戦争に行くようなものなんですかね
成功すれば完全に治る、失敗すれば死というリスクが伴ってくる、これは賭けなんですよね、しかし移植をしなくても、再発する度に治療をする、という選択もありますが、それでもあと何年かわからないけど、生きていられるでしょう。(私の場合体力あるし、たちの悪い白血病ではないみたいなので)しかし、それでは再発するのがわかっているので結婚もできません、結婚ぐらい1回はしてみたいですからね

しかし、移植しようにも移植出来ない人もいます、この賭けにチャレンジしようにもチャレンジ出来ない人がいます。その人達に比べるとまだ移植が出来るという事は恵まれているんですね。という想いもあって移植に踏み切ったのではないかと思います
私の病名は、急性骨髄性白血病です
移植後十何年かたつ頃看護婦に、あんたよう今まで生きとるねえ、って言われます。私もそう思ってます
敗血症になった時も死にそうだったし、あまりの苦しさでほんと死にたい、と思ったぐらいです
その時の、ため口で(頑張るんよ)、と言う看護婦の力強い言葉、すごく勇気づけられました

今こうして元気でいられるのが不思議なぐらいです
自分が弱い時ほど人を頼りにするものですね、普段は人の言う事なんか聞きもしないのに、文句が言えるって事は、まだ元気があるって事ですね
それと、主治医、看護婦とはコミュニケーションをとっておきましょう。少しはわがままな事でも聞いてくれるかもしれませんよ
この前、退院したのは、今年(平成10年)の、1月29日です
日記は移植する前からの日記になってます

私事ですが、日野先生ぞうさん、まだ生きとるよ〜
お世話になりました。お世話かけました