カンボジア
CAMBODIA

     ●カンボジアの入国ビザ●
 <1ヶ月有効観光ビザ。シングル>

 カンボジアの首都プノンペンにある、ポチェントン空港にて取得。この空港は今まで行った中で一番小さな国際空港やったなぁ。
とても国際空港とは思えなかった。US20$と写真を渡せばすぐにビザは発給された。
 最近になって、タイとの国境が開き、陸路での入国も可能になった。国境の町ポイペットでもビザは取得可能。ただし賄賂が必要?
 

【カンボジアってどんなとこ?】
    ポル・ポト政権による虐殺、その後長く続いた内戦、最近では1997年に発生したクーデターなど恐いイメージばかりが
   先行するカンボジアだが、この国は実は色んな意味でとても居心地のいい国である。
   確かに強盗の類に合う確立は他のアジア諸国より高いし、運が悪ければ殺されることもあるようだが、自分の運を
   信じてこの国を旅行したい。
   私は2度渡航し、通算滞在約6週間だが、幸いトラブルには巻き込まれていない。運が良いだけかもしれないが。
   
   カンボジアの一番の見所は何と言っても”アンコール・ワット”!!!
   遺跡が好きな人にはたまらない最高の遺跡群である。その凄さは説明が出来ない。

夜明けのアンコール・ワット
朝早起きするのは大変だが、朝日に燃えるアンコール・ワットは・・・!!!

【アンコール遺跡群】
    一般にアンコール・ワットと言われているのは、アンコール遺跡群の中心に位置する遺跡の名称である。
   アンコール遺跡群は大小合わせ約200有ると言われており、アンコール・ワット以外にも様々な遺跡がある。
   そんな代表的遺跡をちょっと紹介。

≪バイヨン≫
スマイリング・フェイスが印象的。つられて笑いそう。
≪タ・プローム≫
この遺跡は、自然に飲み込まれる姿そのままを保存するために、
敢えて修復の手を加えられていない。
≪バンテアイ・スレイ≫
乳白色の砂岩で建造された遺跡。緻密なレリーフが各所に
彫られている。95年1月にこの遺跡付近でアメリカ人が
2人殺された。(合掌)
≪リンガとマニ≫
分かる人だけ笑って下さい。(笑)

なかには、「石ばかりでおもしろく無い」と言う人もいるが、そんなこと言う人は黙ってプノンペンに戻り、70thストリートへ行くべし!
シェムレアップはアンコール遺跡が目的でなくとも、沈没するにはいいところです。
カンボジアで是非ゆっくりして欲しい町です。



【キリング・フィールド】
  プノンペン郊外。かつてクメールルージュ(ポルポト派)によって処刑が行われて場所のうちの一つ。
 ここで殺された人は、数千とも数万ともいわれているがその数は定かではない。
 この場所に降り立った瞬間、背中を押され肩を押さえ付けられたのを感じた。言いようのない悪寒だった。

そこには慰霊塔が一つあるだけ。
この写真には白い影が写り込んでいた。
慰霊塔の中には、ここで発見された頭蓋骨が
ずっと上まで何段にも並べられている。
地面には人骨、歯、服の切れ端などがそこら
中に転がっている。



【ツールスレン刑務所】
  プノンペン市内。もともとは高校だったが、クメールルージュが刑務所として使用し数々の虐殺が行われていた。
 ここで圧巻なのは、殺される人の顔写真をクメールルージュが克明に記録撮影していたことである。
 拷問の後が生生しい顔、諦めの顔、悲しみの顔。自らの死期を悟った顔、苦悩の顔が並ぶ。
 クメールルージュの狂気が噴出した場所である。

外観は普通の建物。かつて高校だったことに何の
違和感も感じない建物である。
ある一室に掲げられた写真。
この部屋にはこの写真と同じ形の血糊が残っていた。
殺された人に顔写真が並ぶ。
この様な部屋がいくつも続く。
頭蓋骨を並べてで作られたカンボジアの地図。
こんなものを作る気が知れんが・・・。


アンコール遺跡の壮大さと、クメールルージュの遺産の落差がとても大きいカンボジアであるが、この国の人々は
皆活気に溢れている。この国に平和が訪れてまだ間も無いがこれからの発展が楽しみである。


【番外編】

 カンボジアを旅する日本人旅行者の間で有名になった人達。その名前は南米・アフリカまで届いていたらしい。
 カンボジアにやって来てここに通い詰めた人も多いのでは?
 あえて名前は出しませんが、分かる人は昔を懐かしんで下さい。。

プノンペン・キャピタル2裏の大五郎カフェと言えば
ピンッときた人は多いはず。
ベトナム難民の彼女に、私はいつもこう言っていた。
「シンローイ、チョトイ・モンリ・カフェ・ダー!」
シェムリアップのシェイク屋と言えばピンッときた人は
多いはず。当時中学生だった彼女の送り迎えをした
人はきっと私だけではないはず。
「シェムレップリェー」「シェムレップスー」