ギフチョウ Luehdorfia japonica Leech,1889


広島県広島市安芸区江下山 2003年4月18日


広島県呉市江ノ藤山 2007年5月27日(食草はサンヨウアオイ)

 


 ギフチョウ属はアゲハチョウ科の中では原始的なグループとされ,中国大陸・ロシア沿海州・朝鮮半島・日本列島に4種が分布する。シナギフチョウとオナガギフチョウが中国特産,ギフチョウが日本特産,ヒメギフチョウがいくつかの亜種を形成してロシア沿海州・朝鮮半島・日本列島の広範囲に分布する。
 ギフチョウ属の種分化に関しては多数の報告があり,斑紋・♂交尾器や食性からは,ヒメギフチョウが日本列島で種分化したと考えられてきた。しかし近年,ミトコンドリアND5遺伝子塩基配列の系統分析により,ギフチョウ属の祖先種から最も古く分化したのがギフチョウで,ヒメギフチョウは最も新しい種であることが明らかになった。この分析はブートストラップ値99.8であり,信頼度の高い解析である。また,ギフチョウの個体間のND5遺伝子はほとんど変化がなく,均一の個体群であることも報告された。
 このように,日本列島特産のギフチョウは古くから日本列島に生息し,氷期・間氷期による海進や海退にともなう大きな変動にも耐えてきた。過去から現在まで広範囲に連なった生息域が確保されてきた証であり,またそのことが本種の生息条件かもしれない。今日,各地で多くの生息域を失っており,個体群間の遺伝子交流阻害による種の衰退が懸念されている。
 本種は環境庁RDB及び広島県RDBの危急種に指定されている。

【形 態】
 ♂は♀に比べてやや小型で,翅形も丸みに乏しい。オスは胸や腹部に長い毛が生えており,メスはこの毛が少ない。また♀は♂との交尾によって,♂の分泌物でつくられた交尾後付属物(交尾嚢,sphragis)を付けている。
 斑紋・翅形・サイズなどの地理的変異に富んでおり,特に分布の周辺部にある孤立した個体群に特異な変異が見られる。しかし,多数の個体を比較した場合には例外的な個体も多く,あくまで傾向として捉えるべきである。県南部産が比較的サイズが大きく,県中・北部産はやや小型となる。広島市や呉市周辺の個体群を中心に,和歌山県竜門山と同様の前翅前縁中央部の接する黄色条が内外それぞれ連結してメガネ状になる個体が一定の割合で現れる。広島県の本種といえば,後翅中央部の黒色条が中ほどでえぐられたように黄色部が湾入するいわゆる「瀬戸内カット」が有名であるが,広島市周辺では比較的高率で現れるが呉市では1割程度であるなど,出現率も各地で異なる。一般には黄色条の発達する傾向があるが,世羅台地では黒色条の発達が目立つ。また御調町・尾道市では小型で翅形が丸味を帯び,尾状突起が細長い傾向があることを指摘されている。
 ♂交尾器ではvalva外面に長毛を密生し,交尾の際にはこの毛塊を粘液と混ぜて♀の腹部に交尾嚢をつくる。交尾嚢の形状は,ギフチョウでは幅広く平板状で,ヒメギフチョウでは後方に長く突き出すこん棒状の突起になる。ギフチョウ属のvalvaは関節部の構造が特殊で,♀の腹部をはさみつける力が弱いと考えられる。Valvaの形状はヒメギフチョウは後縁が軽く湾入するのに対して,ギフチョウはむしろ緩やかに盛り上がっている。

【生 態】
 成虫は年1回,4月に発生するが,正確な発生時期は各地で微妙に違って,主に幼虫の食餌植物での発芽時期と密接に関係している。発芽の早いミヤコアオイを食する中・北部の個体群は,4月上旬にはすでに発生している。発芽の遅いサンヨウアオイを食する南部の個体群は,気温が高い地域にあるにもかかわらず,発生はやや遅れて4月上旬から中旬になる。特に呉市江ノ藤山のサンヨウアオイを食する個体群は発生期が遅く,最盛期は4月15日から20日で,5月になっても新鮮な♀を見ることがある。
 成虫は主に晴れた午前中に活動し,山頂部や稜線部で集合離散をくり返しながら交尾・産卵を行う。そのため,本種の生息にはこうした集合離散できるような里山的環境が必要となる。交尾後の♀は,ミヤコアオイやサンヨウアオイの葉裏に数卵から十数卵まとめて産卵する。産卵された卵は約二週間でふ化し,葉裏で生活しながら5齢で終齢幼虫となる。初夏には岩や木の幹,落ち葉下などで蛹となり,そのまま越冬する。

【食餌植物】
 瀬戸内海沿岸部から賀茂台地南部にかけてはサンヨウアオイ,県中・北部では広くミヤコアオイを食している。近年発見された東部の福山・尾道地区ではミヤコアオイを食すことから,基本的には中・北部と同じ個体群であると考えられる。世羅台地の大和町周辺ではヒメカンアオイを食している。また君田村や口和村ではフタバアオイやウスバサイシンから発生する個体群も報告されている。

【分 布】
 国内では,本州の秋田県南部から山口県までほぼ連続して分布する。
 広島県では中国山地の最深部や高標高地,瀬戸内海の島嶼部を除き,ほぼ満遍なく分布する。県東部では最近まで分布の空白地帯であったが,1999年になって福山市・府中市や御調町で発見され,古い記録しかなかった尾道市でも再発見された。

【産地一覧】
 帝釈峡,比和町古頃,口和町下金田・皆原・橋堅・吾妻山・大月,庄原市水越町,君田村森原・石原・茂田・櫃田・東入君・二本谷口,布野村下布野,作木村岡三淵・龍頭山,三良坂町皆瀬,三次市下乙原・三原・山家・日下・江の川・高谷山,高宮町川根・佐々部,美土町郷,八千代町向山,向原町戸島・長田,吉田町柳原,上下町井永,世羅西町黒川・別迫,福富町下竹仁・上戸野,豊栄町別府・中野・安宿,大和町大貝,河内町入野,東広島市西条町福富・蚊無峠・岩谷山・高屋町・八本松町原・正力・茶臼山,本郷町,呉市郷原町・苗代町・灰ヶ峰・二級峡・神山峠・江ノ藤山・焼山南,川尻町野呂山・小仁方,熊野町呉地町民グラウンド,坂町絵下山,府中町小太郎山・吹晴山・水分・長尾林道・笹ヶ峠,広島市絵下山・茶臼城山・牛田山・呉娑々宇山・二ヶ城山・大茶臼山・竜王山・沼田町綾ヶ谷・長束・可部町福王寺・高陽町中山・高陽町中深川・高陽町下深川・大畑・八木・火の見山・勝木・水越山・虹山・観音山・高須・植物公園・権現山・阿武山・沼田町久地・白木山・落合,大野町,佐伯町津田・友田,湯来町葛原,吉和村匹見越・中津谷,廿日市市極楽寺山・原・長野・野貝原山,沼隈町山南,尾道市木ノ庄町,竹原市朝日山・小梨町,福山市,御調町,府中市

【参考文献】
青山潤三(1991) 海の向こうの兄弟たち,アニマ222:65−72.
梅原努・中村慎吾(1981) 広島県萩川上流域のギフチョウ,広島虫の会会報20:15−21.
新川 勉(1999) ギフチョウ属のミトコンドリア分子系統,昆虫と自然34(2):26−29.
高田詔民(1999) 広島県尾道市でギフチョウ生息地確認,みのむし1(3):13−14.
蝶研出版編集部(1999) 1999年広島県ギフチョウ探索レポート,蝶研サロン145:1−8.
渡辺一雄(1998) ギフチョウの飛翔行動と分布論ー地形依存的集合・散開運動による散逸の防止と生殖ー,ホシザキグリーン財団   研究報告2:165−223.