同窓会


今日は高校の同窓会へ行ってきた
昨年から2年間の役員を引き受けているので
今日の会は無事終わるまで
何かと気がかりだったが
色々連絡ミスなどの不手際はあったものの
その場その場で
「あ、いいですよ〜」と許してもらって
どうにかなったのは本当に感謝な事だった

極めつけはお花屋さん
とあるデパートのお花屋さんに
電話で花束を注文してあったのだが
行ってみると受け付けてないと言う
とにかく急いで作ってもらって間に合ったが
夜になって
「花束をまだ取りに来ていらっしゃいませんが・・」
とのお電話(・・謎)

なんとまあ
わたしは”本店”のお花屋さんに電話したつもりで
”駅前店”にかけていたらしい(呆)
まったくもって迷惑な客だ。。。(嘆)

さて
実のところ同窓会へは
2年前、20年ぶりに参加するまで
大変ご無沙汰をしていた

結婚してからは
何かと環境も変ってしまって
そう
家が教会だというだけで
なにやら特殊な感じがして
今思えば
私がそう思い込んでいただけなのかもしれないが
だんだん自分が世の中から遠ざかって
自分の狭い世界に閉じこもっていった
という状況にあった

特に
どっぷりと”介護生活”に浸っていた時代は
出口の見えない暗闇の中にいるようなもので
もうすっかり
わたしという人間は取り残されていると
卑屈にもなっていた

それでも
狭い世界で限られた人とだけ
無難に付き合っていくのは楽でもある
悪くはない
しかし
これがこうじると
最後には誰にも会いたくなくなる
さすがにこれはまずい

結婚した頃
夫はよく
「友だちは大事にした方が良い」
と言っていた
だから
わたしが友達と会う事にすると
要するにそれは遊びに行くわけだが
いつも快く送り出してくれた

今日もつくづく思ったのだが
わたしたちももう40を超えて
それぞれの積み重ねてきた人生がある
それは
今何か特別に活躍しているとか
そういうことではなくて
地味であろうが地道であろうが
とにかくここまで生きてくるのは
けっしてみんな楽ではなかったわけで
その間に得たものをそれぞれが持っているということ

色んな人の話を聞いていると
ああこんな生き方もあるのかとか
こういう考え方、感じ方もあるのだなと
とても勉強になる
人を見る時の見方も変ってくる

わたし自身もこれまでたくさんの経験をしてきたが
それでもそれは
広い世界のほんの一部でしかない
まだまだ知らないことがありすぎる

平均寿命から考えると
ちょうど折り返し地点にいる今
人と接する事で
もっと広い視野をもって
許容範囲もずっと広げていけるようにと
考えている

最近
ある年配の人が
「同窓会は出世した人が行くところだ」
と言っているというのを聞いて
何かその気持ちはわかるなぁと思った(苦笑)
”出世”はともかく
気後れするというのか・・

しかし
20年ぶりに参加した時
全く違和感なく話に入っていける自分に
あれ?まだ結構まともだなと密かに嬉しかった
その時
次の役員はさせてもらおうと決心した

わたしは今でも
山奥でひっそりと自然を相手に
仙人のような暮らしがしてみたいと思うが
これは結局現実からの”逃げ”なのだろう

まだ枯れるには早すぎる(笑)





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