共鳴


わたしがインターネットを始めたのは2000年の1月だから
すでにネット歴は9年目に入ったことになる
まだパソコン操作もおぼつかなかった頃にある洋楽系掲示板で知り合った女性から
つい先日電話があった
「今年は年賀状出さなくてゴメン。代わりにちょっと近況報告の電話をと思ってね」
考えてみれば彼女と以前話をしてからもう一年が経つ
思えば随分疎遠になった感じだが
それでもこうして話し始めるとあの頃のように気持ちが通じることに安心した
お互い年はとっても何にも変わっていないのだった

建築士として自宅でご主人と一緒に構造計算の仕事をしている彼女は
うちと同じ年の息子がいたり
朝から晩まで夫と顔を合わせている環境だったり
性格はわたしと同様(それ以上かも?!)に「女の子度数」が低かったり
あと、その欲のない仕事ぶりや、あっけらかんとしたやりとりに
随分と共通・共感する点が多かった
そして、縁あって実際に会う機会にも恵まれたのだが
その時のお互いの感想は
「ネット上で抱いていたイメージそのまんまの人」
いやもう可笑しいくらいに昔から知っている人のように感じたものだ

あの頃はお互いまだ30代で、子どもも小学生だった
わたしたちはどちらも自分のサイトは持っておらず
同年代の人たちがやっているサイトを訪問して、よく掲示板にも書き込みをしていたが
彼女は特に仕事の締め切りが迫るとストレス解消に書き込みの回数も増えて
切羽詰れば詰まるほどだんだん内容が壊れていき
ギャグのセンスが冴えるのが見ていて楽しかった

いつも行くサイトは管理人さんも訪問者も同年代の人が多かった関係で
趣味の話とは別に、子どもの教育についてもしばしば話題になったが
ある時、『子どもが大きくなって暴走族に入ったらどうするか?』という話が出たことがある
普段は冗談ばかり書き込んでいる人たちも、
その時は親としての自分の気持ちを色々考えて書いた
わたしも何か書いたと思う
その中で、彼女の書き込みはこの短い一文だった・・・『わたしの手で殺す!』

そこでコレを見て、引いたり批難する人は誰もいなかった
むしろ流石!といった感じだ
わたしもそう思った
彼女ならやる、いや、その前に彼女は絶対子どもをグレさせはしない
といった方が正しいだろうか
文字を通して彼女の迫力は常に伝わっていたし
それが子どもに対する真の愛情から出ていることもよくわかっていた
仕事が忙しく、家事も中途半端になったりと
いつも自分のことをあけすけに語りながら「ダメ母なのよぉ〜」という彼女だが
その語る言葉には、きれいごとや嘘がなかった
だからこそ、人間として正しく生きて欲しいとの親の切なる心情は
ストレートに響くものがあった
考えてみれば
「昭和の母」は多かれ少なかれみんなこんな迫力を持っていたような気がする

人間は誰でも「この人にはかなわない」という存在を持っていると
いざという時に道を踏み外すことがない
あれからすでに長い年月が過ぎ
お互いの息子たちも大学生になった
そして、彼女の息子は親と同じ職業につくために勉強を頑張っているという
建築科は一年生の時から課題も多くてなかなか大変らしい
決して親が勧めたわけでもないというその道は
息子が親を尊敬しているからこそ選んだのだろう

2002年の秋にわたしが自分のサイトを持った頃から
わたしも彼女もなじみのサイトに訪問する回数が減っていった
更にネットはブログ〜mixi時代へと広がりを見せ
昔なじみの仲間たちもそれぞれが自分の場所を持つようになっていったため
お世話になった懐かしい掲示板は現在どこもほとんど動いていない
わたし自身も自分のサイト管理がいっぱいいっぱいで
mixiのお誘いを受けてもなかなかお付き合いもできず
彼女との交流もこうして一年に1〜2回程度の電話と年賀状だけになっている
それでも
あの頃感じた「この人は同類だ」とのイメージは変わらず
お互いの間に共鳴する音も同じままだ

「あの子達、これから先はもう自分で何とかやっていくでしょ」
それぞれが自分の息子のことを同じような思いで見つめ、同じ言葉を語る

普段やっていることはバラバラでも
心の共鳴が感じられる関係には安心感がある
夫婦、親子、そして友人と
それぞれの間に同じ感性と価値観の音を確認しながら
こういうものは決してお金では買えないのだと、あらためて考えさせられた

(2008.2.3記)



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