美学
2002年のサイト開設当時には、子どもたちのページがあった
やがてサイトの容量が不足してきたので1年後には削除したが
保存ファイルを開いてみると
懐かしい当時の様子が思い起こされる
あの頃、中学2年生だった息子のページには
戦闘機のプラモデルや、自作の紙工作が載せられていた
この紙工作の戦車は「90式レオパルト」とのこと
パソコンで作成した展開図
そして、以下は当時息子がプラモデル作りについて書いたものだが
そこには自分なりの美学が記されている
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『プラモデルの事』
飛行機のプラモ特に旧日本軍機にこっているわけは・・・
最初は別に飛行機よりも軍艦にこっていた(日本軍)
やはり日本人としての血が騒ぐというのか
日本の物ばかり作っていた
小学六年生の頃、それが運命の分かれ道だった
学校から帰ると、机の上に箱がおいてあった
なんだろうと思い見てみると
箱には「隼」と書いてあった
飛行機のプラモだった
あまり飛行機に興味がなかった頃だったが、一応つくった
当時技術も未熟だったので
色も塗れずへたくそな白い塊になっていた
案の定、父に「話にならん」と言われ
やっぱり飛行機はダメだなと思った
その年の夏休み
父に戦艦武蔵の350分の1スケールを買ってもらった
色のついていないプラモを見かねたのか
色の塗り方を教えてくれた
色の塗り方を覚えたら、飛行機のプラモにリベンジしたくなった
その年の誕生日に一式陸上攻撃機のプラモを買ってもらった
あまり色はついていないが
初めて飛行機らしいものを作った
そしてお年玉で二式水上戦闘機のプラモを買い、塗料も買って、
少しずつだが、技術も上がっていった
その頃から
架空戦記小説にはまり飛行機に関しての知識も手に入れた
そして父に紫電改のプラモを買ってもらい精一杯作った
快作だった
汚しを入れてみたが、初めてなので失敗
直すわけにもいかないので、そのまま完成とした
今、「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」をつくっているが
塾に行ったり忙しいのでなかなか進まない
そうこうしているまに誕生日が来て
「九七式艦上攻撃機」を手に入れた
コレはまだ未開封である
忙しい・・・・
話はかわるが、なぜ旧日本軍機なのかというと
「美しい」からである
暗緑色と明灰白色の機体に大きな日の丸
これほどゾクゾクする物はない
現代のように、「ロックオン」「ミサイル発射」で撃墜とは違い
相手の背後をとり、機銃で撃墜するのである
パイロットの腕が勝敗を分ける戦いなのだ
こういう風に書くと現代の兵器はダメだというように聞こえるが
決してそうではない
兵器とは、その時代の技術に合う物なので、今はこれでよいのだ
これから飛行機も発達していくと思うが
それはそれでいいと思う
後日完成した「九七式艦上攻撃機」
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息子がこれを書いたのは
ちょうど中学校の部活(吹奏楽部)を辞めた頃だった
今の公立中学校では、部活を途中で辞めることはタブーとされている
それは学校側に概ね以下のような見解があるからだ
「続けられないのは根気がないから」
「部活も続けられないようでは社会に出てもやっていけない」
「部活でもしていなければ暇をもてあましてロクなことをしないに違いない」
「部活と勉強を両立してこそ素晴らしい青春時代だ」
わたしはこの部活至上主義に閉口した
しかし、悲しいかな
それがやがて高校受験の内申書にまで影響するらしいことがささやかれていたため
正直なところ、親としてその問題だけは頭が痛かった
それでも結局息子は部活を辞めたが
結果的にそれで正解だった
上記の文章にもあるように
彼はとっても忙しかったのだ
うちにパソコンがやってきたのは彼が小5の時で
その後は見よう見まねでどんどん使い方を覚えていき
こうして工作をするようになる一方
ネットを利用して一気に知識の世界が広がった
やってみたいことが次々増えていく
自由な時間は
彼に夢と楽しみと希望を与えてくれた
何が幸せといって
心から「美しい」とか「ゾクゾクする」と感じられるものに出会うことは
一生の宝を得るようなものだ
そして
息子にそのチャンスを与えたのは父親だ
美学もまたこうして親から子へと伝承されていくのだった
(2008.2.5記)
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