燦々


2月に入ってから何となくタイトルも2文字で続いているので
ついでにこのまま2文字で行くかな〜なんて考えている今日この頃・・

「燦」という字をはじめて知ったのは高校生の時だが
当時からすでに派手なものを好まなかったわたしにも
この字の持つ自然に輝くようなイメージはちょっとした憧れだった
それは多分
人為的な輝きよりも自然の輝きを求めていたからだろう
燦々と降りそそぐ太陽の日差しは
どんよりとしたこの季節にはいっそう切望されるものでもある

さて
ここ一ヶ月あまりどうにも風邪らしき症状が治らないので
昨日はやっと近所の(徒歩一分)内科に行ってきた
そこで「2001年から来てませんね」と言われ
ああそんなに長い間ここにお世話になっていなかったのかと思いつつ
お年寄りばかりに囲まれての点滴には
場違いな気恥ずかしさもあった(苦笑)

幸い特にどこか壊れているというわけでもないらしいが
「とにかくこういう時はちゃんと休まないといつまでも治りませんよ」と言われたので
買い物と食事の仕度以外はごろごろして過している
6種類も薬を飲んでいるせいか
これでもかというほど眠れる自分がおそろしい
まあちょうど息子も春休みに入ったところだし
週末の掃除はまかせることにしよう

面白いことに
わたしは何か自分を取り巻く状況や調子が悪いほどテンションが上がる傾向にあるようだ
1月半ばから唐突に長文を書き進めてきたのも
体調が良くないことの反動みたいなもんだなと思う
極端な言い方をすれば
今やっておかなければもう明日がないような気がするというか
人間の存在なんて実に危ういものだと思っているので
だからこそ
「今その時」に一瞬のきらめきみたいなものを残したい気持ちがあるのだろう
別に誰に見せるためというわけでもなく
まあ自己満足みたいなものだ

思い起こせば
2003年はわたしがサイトの中でも最もたくさんの文章を書き
バラを中心にした新しい試みを最も精力的に行った年でもあった
あの時の原動力は何かといえば
2003年という年が非常に良くない状況だったというのが最大のポイントだろう
あの頃毎日は色んな意味で本当にスリリングだったけれど
家庭は総じて平和だった
あれから5年が経ち、状況はまた随分違ってきた
あと10年も経てば、またこのことも過ぎた時代の話と笑えるのかもしれない

4年前くらいだったか
もう内容については忘れてしまったが(まあ忘れるくらい些細なことだったのだろうが)
息子と何かで口論になった時のこと
「こっちは明日死んでもいいと思って生きてるんだ」と息子が言い放ったのを聞いて
そういう覚悟なら好きなようにやれ!とわたしも突き放すように言ったのを思い出す
「それだけのことを言うからにはこれから自分で責任もって態度であらわせ」と

あの時の息子の言葉は刹那的で何か危険にも聞こえたけれど
わたしが持っている「明日はないかもしれない」との思いと多分同じだったのだろう
考えてみれば元々小心者のわたしと
自分で自分を「臆病なんだろう」と表現する夫の子どもだ
どちらに似たとしても
わたしが心配するような道を踏み外すほどの大それたことができるはずもないし
自分が与えられた範囲内で自分の思うようにやってみたいとの気持ちは
誰にでもあるものだ
そして
もちろんそうすることの方が自然だといえるだろう
でも、親は何かと先回りして心配してはあれこれ言いたくなる
これが
子どもにはできれば切羽詰った状況に陥らせたくないとの親心というものだ
今思えばあの言葉を聞いた時がわたしの子離れの瞬間だったのかもしれない

あれから息子はいよいよのびのびと生きている
先日もある人から「反抗期はどうだったの?」と尋ねられて
「別に反抗期なんてなかった」と答えたらしい
そりゃあそうでしょう、基本的には好きなようにやってたからね
それでも、節目に当たる時には無難に帳尻をあわせてきたから
本質的にはやはり臆病なのだろう
だからいざという時には必ず親の忠告を聞き入れるし
特に父親の言葉は絶対だ

人生に切羽詰ることなんてなければ幸せだろうとも思うが
追い詰められることで生み出されるものも多いわけで
そこには自然のきらめきのようなものがある
試練の冬から新しい芽が出てくる季節へと向う今
「燦」の字がいよいよまぶしく、希望に満ちて見える


(2008.2.14記)



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