嘆息


以前も紹介したことのあるサイトの日記に興味深い報告があった
興味深いというか、サイト主も書いているように
「リアルでやや恐怖を感じる」というところがわたしも同感だ

プチメタ日記2月18日

ここでリンクされている『生徒指導が極めて困難な事例の研究』の内容は
教育関係者のみならず
わたしたちのようにちょうどカウンセラーのような仕事をしている者にとって
最も解決(改善)が困難であると実感するケースだろう
人生の問題の中には時間の経過と共に自然に解決するものも少なくないが
この手の問題は10年20年と時間が経っても一向に解決しない傾向にある
なぜなら
当人を堅固にバックアップする「親」という鉄の壁が立ちはだかっているからだ
家庭は言わば聖域のようなものだから
他人は奥まで踏み込むことができない

こうして家庭で堅固に守られてきた人は
やがて「空気の読めない人」と呼ばれる存在になっていき
他人からは自然と距離を置かれてしまうが
根拠のないプライドを持っているため
自分に否があるとは到底考えられないところが悲しい

「自分は間違っているのかもしれない」
わたしはそう自戒する必要性についてたびたびサイトでも書いているが
親にも子にも基本的にそういう姿勢が育っていないことが
やがて深刻な問題へとつながっていく要因となり得るのだ

今回の研究報告を読みながら
もう随分昔のことになるが
ある女性との関わりを通しての苦い経験を思い出している
何不自由のない家庭で育った彼女は、見栄張りの母親から過度の保護と干渉を受けていた
やがて結婚して子どもを持つに至るが
見栄を張ることばかりが先行するため結婚生活も子育ても上手くいかない
お金だけは不自由がないので、すべてはお金で解決しようとするが
精神不安定はお金ではどうしようもないため教会に電話をかけてくるようになった
直接来るのは面倒だから手っ取り早く電話だ
その内容はいつも同じで、自分がいかに可哀相であるかという話が
だいたい毎回40分は続いた
しかも、その電話はわたしが食事の支度をしている時間に必ずかかってきた
それはその時間帯であれば必ずわたしが居ると思ったからだろう
そして、その時わたしは「依存」という名の恐怖のようなものを感じていた

多い時は一日に2回、落ち着いている時にはしばらく日があいてからまた電話と
そういう日々が2年くらい続いただろうか
その間、わたしも随分色んな話をしたと思うが
彼女は常に自分の言い分を曲げようとはしなかった
それは確実に母親から刷り込まれたであろう信念みたいなもので
この母親がバックに居る限り
彼女はそのゆがんだ信念から解放されないままだった

何がきっかけというわけでもなく
ある時から彼女は電話をしてこなくなった
わたしも時々どうしているかなと思いつつも自分の生活に忙しくしているうち
気がつけば一年が過ぎていた
そして、夫が留守のある夜、1時と3時に電話がなった
どちらも無言電話だった
その2日後、彼女の訃報を聞いた・・

あの電話は彼女からだったのかもしれない
もし彼女が何か話してくれれば、わたしは彼女を助けられたのだろうか?
いや、そんなことはないだろう
助けの手を差し伸べても、相手がその手を取らなければ誰も助けられはしない
すべては本人次第なのだ
生か死か、光か闇か
わたしはただその選択が光であって欲しいと祈るのみ

親子の関係は上手くいく時は素晴らしい輝きを生み出す一方で
そこに歪んだ感情が介入すると
これほど悪くなるかと震撼とするような状況に陥ってしまう
そして、何が恐ろしいといって
親子だからこそ情を断ち切ることもできず
甘えからも逃れられず
大切な人生がずるずるとどこまでも深い闇に引きずりこまれていくのだ
それが見えていて手を出せないもどかしさがあるからこそ
わたしはこうして年中同じようなことを呟いている


(2008.2.20記)



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