失敗の伝承


このHPに載せられた花の画像は
ほとんどが夫の撮影によるものだ
わたしも一応デジカメを使えるし
自分なりに色々撮っては見るものの
実際に載せてみると
なんだか平坦な写真ばかりで実につまらない
せっかく美しい花がたくさん咲いているというのに
何とかそのままを伝えられないものだろうか
そう願いつつ
努力もしつつ
それでも納得のいく写真など
わたしには到底撮れない

夫は中学生の頃からカメラが好きだった
というか
何でもメカニカルなものが好きなので
カメラもそういうもののひとつということかもしれない
写真を写すのはもちろんだが
ネジ一本まで全部バラバラにして
また一から組みなおす技術には恐れ入る
「仕事を間違えたかもしれないな〜」
などと時々笑っているが
本当に転職できそうな気がする(笑)

もっと驚きなのは
カメラを分解するための工具まで自作していること
目的を達するまでは
どうにかして前進しようとする試みは
時には無謀で失敗も数限りないと言う

「ここまでくるのにいったいどれほど壊したことやら(苦笑)」

機材をつつきまわすのと平行して
もちろん写してきた写真の枚数も数知れず

「写真を上手に写したかったら
とにかく枚数を撮るしかない
たくさん写すほど腕は上がる」

要するに
どれほど失敗してきたか
その歴史がものをいうらしい

というわけで
わたしはあっさりとHP用の画像は夫に頼むことにした
もちろん
姿形がわかれば良いという目的程度の画像は自分でも撮る
でもお庭関係はやはり少しでも美しい画像を公開したい

しかし
夫にとって
デジカメはまだ本気で使い始めての歴史が浅い
長年アナログでやってきたので
デジカメはずいぶんと勝手が違うようだ
最近ちょっと真剣に勉強をしている

その側でわたしが
この角度からあーしてこーしてと
うるさい注文をつける

高価な機材をそろえればもっと撮りやすくなるのだが
今持っているものをどれだけ活用できるか
それが腕というもの

ここからまた新しい失敗の歴史が始まる

夫は息子にプラモデルを作るコツを教えるが
それはみな自分が失敗してきた道のりを伝えている
子どもの頃のことも
近所の畑に友達と入っては
並んで植えられている白菜をゴム銃で撃って
何個目まで貫通したかを競っていたとか
勉強が嫌いで
算数ドリルのページを一枚一枚糊で貼り付けて使えなくしたり
実にずさんな発想でもって逃げようとしていたことなど
子どもにとっては大喜びするような内容が盛りだくさんだ(笑)

何かに行き詰まった時
「みんなはこういう時どうしているのだろう」
と誰かに尋ねたくなる
そんな時
自らの失敗談を惜しげもなく話してくれる人を
わたしは尊敬する

だからわたしも
聞かれたら
あるいは聞かれなくても必要なら
何でも話すことにしている

でも時には
人のことを聞くだけ聞いて
自分は何も話さないで良い格好をしようとする人もある

勉強を教えるのが上手な先生は
自らが勉強がわからず苦労した人が多いという
具体的にどういうところがどんな風にわからないのかを
自分が一番よく知っているから
その失敗を元にしてわかりやすく教えることができる

家庭教師というと
すぐエリート校の学生に依頼したくなるが
頭の良い人が教え方が上手いとは限らない

夫ほどスケールは大きくないが(笑)
わたしも子どもの頃からの失敗談には事欠かない
小学校に入った時
宿題をするということそのものがわかっていなかったので
何にもやらないで毎日遊んでいた
今日はあちらの道から
今度は向こうの山からと
毎日続く楽しい道草
野生児のような子どもだったので
自分の気の向くままに行動していたら
ある時母親からえらい勢いで叱られた

わたしはとんでもなく悪い子だから
明日からそういう子どもが入れられる怖い施設へ行くのだと言う
次の日は楽しみにしている遠足の日
そんな日に
わたしはひとりとんでもない所に行かされるのか

もう恐ろしくてわあわあ泣きながら母にしがみついた
それでもなかなか許してはもらえない
今思えば
母は実に役者だった

実はこれと同じ経験を
母自身も子どもの頃にしている
やはり親のいいつけを守らないでいたら
ある日突然母親から”悪い子収容所”行きの宣告
さっさと荷物までも作りはじめる

現在のように
子どもを腫れ物に触るような扱いをする時代ではない
とにかく怖くて怖くて
その時のことは一生忘れない

昔の親はみな体当たりで子どもを教育していた
そこにはややこしい理屈などない
我が子が可愛いからこそ
秩序というものを教えるためには手段を選ばない

母は思い知った
親の言うことはとにかく守るべし

祖母も実に役者だった

母はこの時の自分の失敗を
後にわたしの教育で生かした
親とは、げに恐ろしきもの
その迫力にわたしはたじたじになった

そして時代はめぐり
息子は保育園の時同じ目にあう
このたびのシナリオは少々異なる
行き先は”収容所”ではなく”山”だ

言うことを聞かない息子を
夜、車に乗せて出かける
真っ暗な山道をどんどん上る車
真剣な母親の顔
泣きわめく息子

「ちゃんということききますからゆるしてください」
何度もそういって
やっと家に帰れた
わたしも実に役者だった

ついでに今回の状況を娘にも教えておく
自分も同じ目に合わされてはたまらない
親の権威は絶対だ
娘は兄の失敗で学習した

親が厳しいと子どもがグレると言う人があるが
それは間違っていると思う
本当に親を怖いと思っていたら
グレたりなんかしたら
それこそどんな目に合わされるかわからないと思うものだ

最近では
小さな子どもが
当たり前のように親に口答えするのをよく見かけるが
わたしならあんなことは恐ろしくて絶対にできなかった
それでもって
反対に親のほうが子どもに謝っていたりなんかするのだから
もうひっくり返りそうになる
自分の子どもにいったい何を遠慮しているのだろう

時代はどう変わっていっても
親の権威だけは子どもに伝承しておきたい
そしてうちの子ども達も
将来きっと同じ手段を選ぶだろう
それは自分自身にとって最も有効だったから

このやり方は祖母から伝わってきたのだが
その祖母自身は子どもの頃どういう経験をしたのだろうか
やはり”収容所行き”だったのだろうか
祖母が生きているうちに聞いておけばよかった




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