成長する庭


ディスクを整理していたら
2年前の改築の時の写真が出てきた
建物は補修が主で
外観は何も変わっていないが
駐車場や庭の部分は
それまで周りを囲んでいた生垣を取り除き
全く違ったイメージのオープンスタイルに変身した



工事と梅雨が重なり
雨のために予定通り進まない日がつづく
そして
所定の位置に樹が植えられた頃はもう7月
一番雨のほしい時に
梅雨は明けてしまった

庭つくりはどうするのかと聞かれて
「自分でやります」
と簡単に答えてしまったものの
それまで狭いスペースでお花を楽しんでいたわたしには
この空間はあまりに広すぎた

バラどころか
看板もアーチも何にもないゼロからの出発
それからはただ
園芸の本と自分の頭に浮かぶイメージを頼りに
苗を植えては抜き
場所を移してまた植える作業を繰り返す
朝は5時から水撒きをし
日中は36度にもなる中でレンガを並べる

「5年経ったら樹が成長して庭らしくなりますよ」
という業者の人の言葉を思い出しながら
5年なんて長すぎる、、、
と、途方に暮れる日々



あれから2年
あまりに殺風景だった庭はここまで成長した



持て余していた空間も
今は足りないと思うようになった


正面から見たブルーガーデンの原型



今のスタイルに落ち着くまで
何度移植を繰り返したことだろう



ブルーガーデンの原型庭を横から見ると



とってもすっかすか
これが2年後には



すっかり植物で埋め尽くされた

庭つくりをはじめた頃は
図書館へ行っては庭関係の本を端から借りて読んでいたが
ある本の中に
”日本の庭と西洋の庭の違い”が記されていた
日本の庭は初めからスタイルが決まっていて
計画通りに植栽が成され
通常一度植えられたものはそのまま移動することがない
庭の形としては初めから完成されており
庭を管理する者は
その形を保ち続けるために手を入れる
一方、西洋の庭は
管理者の個性で自由にレイアウトし
多くの失敗を経ながら変遷をとげる
そこには”完成”の文字はなく
庭は常に成長し続けるのだという
わたしはこの『成長する庭』という言葉がすっかり気に入った

初めから完成されたものを守り続けるのは息が詰まる
ぱっと目には格好はいいが
スタイルを変えることができないので
そのうち嫌になってしまうだろう

わたしはこうして庭をゼロから造りはじめることができて
本当に幸せだと思っている
はじめの第一歩はご覧の通り寂しいものだが
この2年間
植物の成長を通して私自身も色々と自然の不思議を教えられ
庭の成長と共に
自分の心も柔軟になった

「何もないところから」とか
「ゼロから」という言葉は
よく苦労話に出てくるが
実はゼロであることがすべて苦労なわけではない

相続の問題はいつの時代にも絶える事がないが
これは多くの人が
”プラスの遺産”しか頭にないからだ
親が亡くなり
その子どもが家業を継いだ場合
同時に家業の抱える問題点も継ぐことになる
借金があればそれも負う
悪い評判があればそれも付いてくる
反対に良い評判があれば
いつまでも先代と比較される立場に置かれる
これらはすべて”マイナスの遺産”となる
そしてこのマイナスの遺産は
場合によってはプラスの遺産をしのぐほどになる
こうなった時には
何ももらわなかった人の方が幸せかもしれない

「仕事も財産も一代限りのもの」
と言って
父が亡くなった後さっさと家業をたたんでしまった母の思いが
わたしにはよくわかる
今こうしてわたしたちは
夫の父親がはじめた教会を継いでいるが
昔と今とでは
根本的な内容こそ変わるものではないものの
やり方についてはある意味全く別物といってもいいかもしれない
親子であっても
父親の時代と息子の時代はそれぞれが一代限りだ
マイナスの遺産を嘆いた時期もあるけれど
今はもうどうでもいいことのように思う

小さなバラ園を夢見る庭つくりは
これもわたし一代限りのもの
同じ花好きでも娘とは少々趣味が異なるので
わたしが歳をとって管理できなくなったら
娘が植えたいものを植えたらいい
いや、その頃は息子の嫁が管理するのかな?
などと色々考えつつも
2歳になったばかりの庭の今後に
当然ながらまだまだ限りない夢をはせている





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