のどかな祭日


今日は祭日
子どもたちが二人とも家にいるというので
近くの川に園芸用の砂を一緒に取りに行った
前回行ったのが夏休み中の雨続きの頃で
それでなくとも重い砂が
たっぷり水を含んで運ぶのが大変だったが
今日も朝起きると雨が降っている
あらら、せっかくお手伝い要員が二人もいるのに
これは作業中止か?!

すると朝食を終えた頃から雨はやみ
よぉ〜し、今だ!とばかりに勇んで出かける
わたしが車に土嚢袋やらバケツやらを積み込んでいると
長靴をはいた娘が家から出てきた
そこへちょうど通りかかった近所の人が
「どこへ行くの?」と尋ねる
わたしはとっさに
「川へ砂を取りに行くんです」とは言いづらくて
結局「ええまあ・・」とあいまいな答え方をしてしまった
別に悪いことをしているのではないけれど
ものをタダで調達しに行くのは
ちょっと気が引けるのだった

この前も
無人精米所の米ぬかを取りにいったとき
『米ぬかはご自由にお持ち帰りください』
と書いてあるものの
そこにちょうど精米しにやってきたおじさんが
隣でせっせと米ぬかを袋に詰めているわたしを見ている視線が気になった
スーパーの買い物袋一杯程度ならまだしも
大きなバケツ持参の上に
更にゴミ袋にも2袋詰めているのだから
きっとこのおじさん
”こんなに漬物を漬けるのかな”
程度のことを考えていただろう
いや別に何をどう思われようとかまわないけれど
そう言いながら
こういう小さな事でも結構気になるような
わたしは小心者なのだ

さて
雨はやんだものの
川は結構増水しており
向こう岸まで渡らないと砂がとれない状況だった
早速長靴をはいた子どもたちが向こうへ渡り
土嚢袋に砂を詰めてはこちらへ運んでくる
おかげで
わたしひとりではとても運べないほどの砂を持って
喜び勇んで帰路につく

家に帰ると
母は早速その砂を使って野菜の種まきをする
そして
わたしも春の花の種まきを。。

昔は祭日になると
子ども達を隣町のスーパーに連れて行って
そこで行われるイベント(何か物を作る)に参加させたり
土日はどこかへ遊びに連れて行く事はできないので
その分ちょっと気をつかっていたものだ
そんな時代も過ぎ
今では祭日というと
5時起きしなくていいし
お弁当は作らなくていいし
お手伝いもしてくれて良いことばっかりだ
こうわたしが嬉しそうに言うと
本人達は
あまり嬉しくなさそうに”ははは”と笑うのだが(笑)

最近は(というか前からだけど)
”のどか”という感覚がとても好きで
川へ行ってもほっとするし
家で種をまいていてもほのぼのする
”癒し系”が好まれる昨今
わたしもいつもほっとする穏やかな空間を求めている

このサイトをはじめて2年近くなり
その間には
いろんな方々からたくさんの感想メールなどを頂いてきたが
それらはみなとても好意的で
宗教サイトにありがちな誹謗中傷は
不思議な事に一度もなかった
そしてここで感じたのは
みんなその立場は異なっていても
一様に”心の平安”を求めているということ
聖書の難しい理屈とか言葉の言い回しとか
そういうことよりも
まず今実際に生きている自分自身に
生きる力を欲していて
それがどこかにないか探しているのだ

「このサイトに出合って慰められました」
そういうメールを頂くたびに
わたし自身もまた大いに慰められてきた
わたしも常に”心の平安”を求めているひとりであり
その平安に支えられて生きているので
それをどなたかひとりにでもお返しできれば
とてもうれしい事と思う

昔は
一時期人間嫌いのようになっていたこともあったが
今こうしてネットを通じて色んな方と交流しながら
知らなかった事や気付かなかった事を教えてもらい
自分の持っている世界の狭さを思わされている
頭も心も
もっと大きく広げたい
のどかな川の風景を見ながら
そう思うのだった



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