今週のみことば
10月4日
「エリシャは言った
『あの人が車をはなれて、あなたを迎えたとき
わたしの心はあなたと一緒にそこにいたではないか
今は金を受け、着物を受け
オリブ畑、ぶどう畑、羊、牛、しもべ、はしためを受ける時であろうか』」
(列王紀下5章26節)
先週の『らい病が癒されたナアマン大将』の続きです
預言者エリシャの言葉に従って
ヨルダン川で7回その身を洗ったナアマンは
すっかり病がいやされ
大喜びでエリシャの元に戻ってきました
そして彼はたくさんの贈り物をエリシャに渡そうとしますが
エリシャはかたくなに断ります
奇蹟の業は神によるものであり
エリシャが病気を治したわけではありません
よって、エリシャは決して報酬を受け取らなかったのです
これを見ていたエリシャのしもべゲハジは
主人に黙ってナアマンの後を追いかけ
自分は主人から使わされたと嘘をついて
ナアマンから銀と着物を受け取り、家に持ち帰ります
そして
何食わぬ顔でエリシャの前に出ると
『ゲハジよ、どこへ行ってきたのか』と問われ
すぐに『しもべはどこへも行きません』と答えました
ところが
エリシャはすべてを知っていました
『あの人が車をはなれて、あなたを迎えたとき
わたしの心はあなたと一緒にそこにいたではないか』
隠れてこっそりやっているつもりのことも
すべては神によって見せられていたのです
神の業を利用して自分がもうけようとしたゲハジの企みは
すなわち神をあざむくことであり
その報いとして彼にはナアマンのらい病がついてしまったのでした
『今は金を受け、着物を受け
オリブ畑、ぶどう畑、羊、牛、しもべ、はしためを受ける時であろうか』
一体、今はどうすべき時なのか
神の言葉に立つのか、それとも世の欲をとるのか
その分かれ目にあって
ゲハジは欲の方に流されてしまいました
それは
彼が金銭などの世のものに希望を置いていたからです
これに対して
エリシャは神の言葉に希望を置いていました
ゲハジはエリシャの元にあって
これまでたくさんの神の業を見てきたにも関わらず
その心は世の欲から離れることができませんでした
そこが人間の弱さであり
わたしたちもしばしば陥る可能性のある姿です
つまり
救われて、礼拝に集い、聖書のみことばを教えられながらも
なお人の心は”神か欲か”の間で揺れていて
ともすれば、今は何が一番大切なのかを見失うこともあるのです
そんな分かれ道にあるとき
神の言葉を正しく聞くことができなければ
歩みが間違ってしまいます
ゲハジはエリシャの言動に従わず
欲に惑わされて行動を間違えたのでした
「金銭を愛することは、すべての悪の根である
ある人々は欲ばって金銭を求めたため
信仰から迷い出て多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」
(テモテへの第一の手紙6章10節)
ゲハジはエリシャの側で神の業を見ながらも
それを自分のものにできませんでした
これと同様に
みことばを聞いても、それが自分のものとならず
自分の人生に生かされていなければ
その欲を制御することも
正しい道を選択することも難しいでしょう
聖書のみことばを”わが足の灯火”として進む信仰生活の大切さを
ゲハジの失敗を通して教えられます
「主よ、あなたの道をわたしに教えてください
わたしはあなたの真理に歩みます
心をひとつにしてみ名を恐れさせてください」
(詩篇86篇11節)
どんなところにおかれ、どんなことがあっても
神の言葉に希望を置き
神を求める心だけは失わないように
常にみことばを通して教えられることが大切です
また
心を見る神によって各々の心の中は見られていて
格好だけの表面的な信仰ではなく
心からの信仰が求められていることを心にとめ
真の平安を与えられる道を歩んでいきましょう
<目次