今週のみことば


10月25日

「あなたがたのうちに
百匹の羊を持っている者がいたとする
その一匹がいなくなったら
九十九匹を野原に残しておいて
いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め
『わたしと一緒に喜んでください
いなくなった羊を見つけましたから』というであろう
よく聞きなさい
それと同じように、罪びとがひとりでも悔い改めるなら
悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる
大きい喜びが、天にあるであろう」
(ルカによる福音書15章4-7節)

取税人や罪人たちがイエスの話を聞こうと近寄っているのを見た
パリサイ人や律法学者たちは
イエスに対して『罪人を迎えて一緒に食事をしている』と批判します
それに対してイエスは上記のたとえ話を語りながら
ひとりの罪人が救われることの重要性と
神の心を説いています

失った一匹の羊をたずね、救ってくださる神の心
その心に習う者となるために
まず、わたしたちひとりひとりもそうして見出され救われたのだと
心から感謝することが大切です

羊は当時は重要な財産でした
財産とは、生活の支え、ベースとなるものであり
もし、目に見える財産を最も重要なものとしているなら
そういう価値観はさておいて
いつの間にか失っている神への心を
もう一度さがしに行かなくてはならないでしょう
実際のところ、神を敬うよりも
結局は
自分にああして下さいこうして下さいと
欲の注文ばかりになっているかもしれません

「正しい者が助けを叫び求めるとき
主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される
主は心の砕けた者に近く
たましいの悔いくずおれた者を救われる
正しい者には災いが多い
しかし、主はすべてその中から彼を助け出される」
(詩篇34篇17-19節)


正しい者とは神に従う者です
神に従っていながらも「災いが多い」とは一見理不尽なようですが
その後には必ず神の助けが記され
どんな災いにあっても、それで滅びていくのではないことがわかります
苦難の中にも平安を得る
この平安は神にある者にこそ与えられるものなのです

「母のその子を慰めるように
わたしもあなたがたを慰める
あなたがたはエルサレムで慰めを得る」
(イザヤ書66章13節)


エルサレムとは教会を示しており
悩める人、悲しむ人も
教会で慰めを得ることが約束されています
それは、そこに神の働きがあり
神による慰めがあるからです

人はつい自分を第一として歩みがちですが
そういう歩みは結局不平不満ばかりを生み出してしまいます
神を第一とし、その心に習う者として
日々の歩みを、聖霊の導くままにまかせて行くとき
慰めと励ましと共に、思わぬ喜びが与えられるでしょう

一匹の羊の例え話の後には、放蕩息子の話が続きます
ここを読むときには
世のもの(お金)に望みをおくことの空しさと
人によりすがっても結局は満たされないことを教えられます

「”彼におる”と言う者は、彼が歩かれたように
その人自身も歩くべきである」
(ヨハネの第一の手紙2章6節)


「神にある者」と言われる者は、「神と共に」
その歩みに習って自らも生きる人です
聖書のみことばは、従うことではじめて実感できるもので
そこから新しい道が開けていきます

今ひとりひとりが生きている道は
自らの意思とは違う、仕方なく歩まされている道かもしれません
そうであっても
そこで粛々と神に従って行くならば
必ず平安と喜びが与えられます

この世にあって、たとえ死んだような状態になっても
神にあれば必ずよみがえる(立ち上がる)ことができる
その希望を持って
新しい週も祈って踏み出していきましょう



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