今週のみことば
11月1日
「むすこは父に言った
『父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても
罪を犯しました
もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません』
しかし父はしもべたちに言いつけた
『さあ早く最上の着物を出してきてこの子に着せ
指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい
食べて楽しもうではないか
この息子が死んでいたのに生き返り
いなくなっていたのに見つかったのだから』
それから祝宴がはじまった」
(ルカによる福音書15章21-24節)
今週は
先週の「一匹の羊の例え話」の続きに当たる「放蕩息子」です
ある人にふたりの息子がいましたが
弟は父から自分が受ける分の財産をもらい
それをもって遠くへ旅立ち、放蕩に身を持ち崩しました
そして、すべてをなくしてしまった頃にききんが起こります
困り果てた弟は、やがて父を思い出し
父の元に息子としてではなく
しもべとして雇ってもらうために帰ることを決意します
しかし
そんな彼の帰りを非常に喜んだ父は
息子の言葉をさえぎり
出来る限りの歓待をするのでした
財産をわけてもらって家を出た弟は
そのお金を持っていれば十分やっていけると思っていたのでしょう
しかし、お金のあるところにはそれを利用しようとする人々が集まります
また、ききんという計算外の事態も起こってくる
「これさえ持っていれば大丈夫」
そんな人間の計画など
実に簡単に崩れてしまうものです
「父の元に帰ろう」
心が定まった時、弟は自ら起ち上がります
それは
今まで価値があると信じていた世のもの(お金)に空しさを覚え
真の幸いの元がどこにあるか気づいた証でした
父のところにいる時には何不自由なく暮らしていた
そんな幸せを特に幸せとは思っていなかったのが
急に目が覚めたのです
心から悔いて帰ってきた弟を父は歓待しました
この父親は神のひな形です
本当の幸いがどこにあるか気づいていない人は
お金や名誉と言った世のものに価値を置き
それさえあれば幸せだと思っています
では、「これさえあれば」と信じているものをもって実際にやってみればいい
それはひとつの教育でした
そして、その教育の結果が現れたわけです
世のものに価値を置き、それに頼る道が間違いであったと気づいたら
今度は神に頼る道を選ぶ
すると、そこには自分が思い描いていたこととは違った事態が待っていました
恥をしのんで帰ってみれば
最上の着物で装われ、指輪と靴も与えられます
指輪とは、その家にとって重要な人に与えられるもの
また、靴は、これから信仰の道を歩むためのものです
心から悔い改める者のために
神はこのように装い、歩みを祝してくださるのでした
一方、放蕩の限りを尽くして帰ってきた弟に対し
父が歓待するのが許せない兄は不平を言いました
自分は今まで父に忠実に仕えてきたのに
この弟にするような扱いを受けたことがない・・と
兄は放蕩はしませんでしたが、その心は以前の弟と同様に
父の元にある幸いを理解していません
自分が正しく生きていると思っても
神にある本当の幸いを理解しているわけではなく
神の心、愛もわかっていない
恵まれた環境に置かれた人は
しばしばその恵みを理解していませんが
神にあって信仰をもって歩む人は
一見恵まれていないような環境に置かれても
そこで感謝を見出していきます
神の愛は寛大で
人はどのようなところからでもその恵みにあずかり
最高のものが与えられ
信仰の世継ぎとして成長させられる
そのために必要なのは
心から神を信じ、敬い、従って行くことです
人生には失敗もつきものですが
そこから何を学び、その後何を見ていくのかが重要です
もし、父の元に帰った弟が残った財産に目をとめるならば
再び堕落してしまったでしょう
失敗は失敗として受け入れ
そこから信仰を持って正しく歩みだす
心から神の言葉を受け入れるのが本当の悔い改めです
さまざまな試練にあうことはあっても
神にある者はそれでダメになってしまうことはありません
常に信仰をもって起ちあがり
すべてを神にゆだねて
ひとりひとりに与えられた使命に忠実にしたがっていきましょう
<目次