今週のみことば


11月22日

「すると人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて
イエスのところに連れてきた
ところが、群衆のために近寄ることができないので
イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて
中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした
イエスは彼らの信仰を見て
『子よ、あなたの罪は許された』と言われた」
(マルコによる福音書2章3-5節)

イエスがカペナウムに帰ってきた時
たくさんの人々が家に集まってきたので
戸口まですきまがないほどになっていました
そこへ運び込まれた中風の者は
戸口からは入れないので、屋根からつりおろされます
何とかしてイエスにこの者を癒して欲しい
その熱意=信仰が届き
彼はこの後癒されていくのでした

”何とかしてイエスの前に”という願いは
わたしたちにとっては、心からの礼拝を表しています
ただ教会に来てすわっているだけの見てくれの礼拝ではなく
”霊と真をもって”心から礼拝をすることを第一としていく時
心の中にある様々な信仰の障害物は取り除かれ
そこにみことばを宿らせて
真の平安を得ていくことができるのです

聖書にはさまざまな病人が登場しますが
わたしたちの人生にあっても
その歩みを妨げる「病気」、卑屈な思いや不安等から
立ち上がっていかなくてはならないのです

また
わたしの人生はこうならなくては幸せではないとか
思い通りにならなくては神さまなんていないなど
こういう「不信仰の温床」も取り除き
試練の中にも必ず神の恵みがあること
どんな人にもその求めに応じて愛をもって報いられることを信じ
自ら求める心を忘れないようにしましょう

大きな川の水も、海の水も
みな小さな水の粒子で出来ていて
一滴の水が大河の元になっています
それと同じように
わたしたちの信仰も
礼拝も祈りも賛美も含めてほんの些細な行為も
すべて大きな信仰の元となるものです

日々の地道な歩みの中に神の恵みを見出し
小さな信仰の積み重ねで
やがて大きな困難も乗り越えていける信仰が育っていきます
変りばえのない日常というのは魅力に欠けるかもしれませんが
気づかないところで神の助けや装いがあることを信じ
また、感謝して歩んでいきましょう




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