今週のみことば


11月29日

「母はしもべたちに言った
『このかたが、あなたがたに言いつけることは
なんでもしてください』
そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って
それぞれ4、5斗もはいる石の水がめが六つ置いてあった
イエスは彼らに
『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので
彼らは口のところまでいっぱいに入れた」
(ヨハネによる福音書2章5-7節)

ガリラヤのカナで婚礼があった時
イエスの母や、イエスご自身と弟子達もそこにいました
婚礼の最中にぶどう酒がなくなったため
母はイエスにそのことを伝えますが
その時点ではイエスは動こうとはしませんでした
すると母はしもべたちに向かって告げます
『このかたが、あなたがたに言いつけることは
なんでもしてください』

その言葉に従って
しもべたちは、その後イエスが命じたことを忠実に行います
そして水がめが料理がしらのところに運ばれた時には
水は上等なぶどう酒に変っていました

しもべたちは、イエスから
『かめに水をいっぱい入れなさい』と命ぜられたわけですが
どこまでが”いっぱい”と言えるのか
それはしもべ達の感覚に任せられていたことです
そして、彼らにとって”いっぱい”とは
まさに水がめの口ぎりぎりまでであり
彼らはイエスの命令に忠実に出来る限りのことをしました
しかも、彼らはこうして水を汲んで運ぶことの意味を知りません
ただ、イエスの母から
『このかたが、あなたがたに言いつけることは
なんでもしてください』
といわれた言葉と
イエスご自身の言葉に忠実に従ったのでした

このように
現在わたしたちの信仰生活にあっても
神に従うことは、ひとりひとりの自由であり
それぞれの信仰に任せられています
しかし、神に従う者、すなわち
自分に与えられた使命(仕事)に忠実である者は
水を汲んだしもべたちのように
神の業をその目で見、実感することができるのです

今、わたしたちは色々な立場に置かれていますが
そこにあっても
なんのためにこんな苦労をするのだろうと
納得のいかないことも多々あるでしょう
そして、納得がいかない道を歩まされるのは辛く
その労力も惜しいと思うかもしれません
また、そこから先をどう歩むかも個人に任せられています

信仰は常にその人の心の中にあり
自分の使命に忠実に歩もうとする信仰が
たとえ水がめが重くなっても口までいっぱいにする行為となって現れるわけで
これは、”常に良い仕事をしよう”という心の現われなのです
そして、この忠実な働きの先にあるものは
その場にある人がみな幸いを得ることであり
神の栄光へとつながっていく証でもあります

カナの婚礼にあっても
しもべ達の労により、水はぶどう酒に変わり
新郎新婦は恥をかくことなく、かえって誉められ
招かれた人々は上等のぶどう酒にあずかり
こうして皆が共に喜んでいったのでした

「彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである
しかし、その聞いたみことばは、彼らには無益であった
それが、聞いた者たちに
信仰によって結びつけられなかったからである」
(ヘブル人への手紙4章2節)


同じように聖書のみことばを聞いても
誰もがそれを信じるわけではなく
信じなければみことばも無益なものとなってしまいます
では、信仰とはそんなに難しいことなのかといえば
そうではなくて
ただ、「神さまにあれば何とかなるのだろう」という程度でも
その行動は少しでも神に従う方向へと動いていくでしょう

「この神の言葉は、信じるあなたがたのうちに働いているのである」
(テサロニケ人への第一の手紙2章13節)


この聖書のみことばに従っていく信仰は
信仰とその生活が常に密着していて
みことばがそのまま生活に生きるところに意味があります
もしこれを人の言葉として侮ったり
あるいは
みことば自体が飾りとなって生活に生きてこないなら
それは信仰生活ではありません

いにしえの預言者も皆わたしたちと同じ人間でしたが
彼らに大きな神の業がなされたのは
そこにゆるぎない信仰があったからです
行き先もわからないまま行けと言われるところへ出て行き
信じがたい約束であっても信じて待つ
すべては信仰からはじまり、信仰によって事が成就していったのです

「あなたはいのちの道をわたしに示される
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」
(詩篇16篇11節)


自分にとって本当に大切だと思っているものが何であるか
神さまなのでしょうか、それとも、お金や名誉なのでしょうか
そして、それが自分の人生にどのように用いられるのか
益となるのか、そうでないのか
それはいずれ必ず明らかになります

マタイによる福音書7章13節では”狭き門”と表現される”いのちの道”
そこは決して窮屈で辛い道ではありません
そこでは神にあってあふれんばかりの喜びと楽しみがあるというのです
その約束を信じて
各々の使命に忠実に歩み
神の業を自ら体験していくことが出来ますように



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