今週のみことば
12月13日
「さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈りのときに宮に上ろうとしていると
生まれながら足のきかない男が、かかえられてきた
この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため
毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに置かれていた者である
彼は、ペテロとヨハネとが宮にはいって行こうとしているのを見て
施しをこうた
ペテロとヨハネとは彼をじっと見て『わたしを見なさい』と言った
彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると
ペテロが言った
『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう
ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』
こう言って彼の右手を取って起こしてやると
足とくるぶしとがたちどころに強くなって
踊りあがって立ち、歩き出した
そして歩き回ったり踊ったりして神を賛美しながら
彼らと共に宮にはいって行った
民衆はみな、彼が歩き回り、また神を賛美しているのを見
これが宮の「美しの門」のそばにすわって施しをこうていた者であると知り
彼の身に起こったことについて、驚き怪しんだ」
(使徒行伝3章1−10節)
この足の不自由な人は
普段、人からの施しを受けることを目的としてこの門にすわっているので
『金銀はわたしには無い』と言われたら
彼にとってすでに目的は達せられないとわかってがっかりしたことでしょう
それでも彼はそこから立ち上がらされ、足が強くされて
自分で歩くことができる身とされたのです
これは、本来の施しを受けるという目的とは違っていましたが
彼がこうして人の施しをあてにしなくては生活できないような現状問題を
根本から解決する結果が待っていました
人が神に祈る時
その祈る内容は単純に自分の願いです
そして、もちろんその願いがかなえば幸いだと信じて祈るわけですが
本当に願いがかなったからといって
すべてが幸いに結びつくわけではありません
例えば
大きな家が欲しいと願う人の願いがかなって
その時は最高に喜んだとしても
もしその大きな家を維持していく費用が無かったら
家を購入したがための問題もついてきます
このように
人の想像を超えた問題が世の中にはいろいろあって
願い通りになること=幸せでは決してないのです
しかし
神に自分の利益を求めて信仰する「ごりやく信仰」は
人の心を捕らえやすく
聖書を通して本当の信仰を学んでいかなくては
真の平安は与えられないでしょう
ペテロが『金銀はわたしには無い』と言ったところは
ちょうどわたしたちが祈る願い事に対して
自分の思い通りになるわけではないと宣告されたようなものかもしれません
でも、大切なのはその先です
神にはもっと大きなご計画があって
それはたちまち自分にとっては嬉しくないことであっても
自分の現状を根本から変え
真の幸いへと導いていただけるのです
考えてみれば随分自分勝手に生きようとしているわたしたちの歩みが
『ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』
とのみことばに従うことで、正しく整えられていくことが
この「美しの門」において
自分の足で立ち、歩むことができるようになった奇蹟を通じて教えられます
この奇蹟を目の当たりにした民衆は
神の賛美するよりも、むしろこの事実を驚き怪しみました
そこでペテロは彼らに向かって説教し始めます
「イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに
あなたがたのいま見て知っているこの人を強くしたのであり
イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で
このとおり完全にいやしたのである」(16節)
かつて人の施しによって生きていた人は自立し
それは彼がイエスが神であることを信じ、その名によって立ち上がらされ
結果として強くされた
この状態は、以前の病んだ状態から完全に癒されたものであり
わたしたちの歩みもまた
お金や名誉にすがる殺伐とした世の中の価値観から離れ
神に希望を置く価値観へと
完全に癒され変っていかなくてはならないのです
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために
悔い改めて本心に立ちかえりなさい」(19節)
洗礼と聖霊による救いを与えられ
クリスチャンと呼ばれる者となっても
わたしたちはなおこの世の中に生活し
そこにあるさまざまな欲と戦いつつ
多くの間違いをおかしながら生きています
そんな中で
自分の間違いはどこにあるのかを見直し
素直に間違いを認め、悔い改めていくことは
信仰生活にあって必須です
神よ神よと言いつつも
実は神以外のものに希望をおき
寄りすがってしまうのが人間の弱いところ
しかし
「美しの門」に居ることでペテロたちに出会う幸いを得た人のように
わたしたちもこうして今、同じ神の恵みにあずかる信仰に出会っています
聖書のみことば=神のみことばとの出会いを大切にし
その言葉ひとつひとつを力として
それぞれ置かれたところで信仰をもって踏み出していきましょう
単に自分の願いどおりになる信仰ではなく
どんな状況下にあっても
人を強くする信仰こそ本物の信仰であることを認識し
心から神を求め信頼していくことができますように
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