今週のみことば
12月20日
「ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって
心から教えを受け入れ
果たしてそのとおりかどうかを知ろうとして
日々聖書を調べていた」
(使徒行伝17章11節)
なぜ彼らは「日々聖書を調べていた」のかというと
聖書は人の思いや考えで書かれたものではなく
神の語られた言葉だからです
つまり、イエスの弟子たちが伝える教えが本当に神の言葉かどうか
それは聖書に書いてあるので
直接自分で読んで、その結果、心から教えを受け入れたのでした
わたしたちはつい、
個人の説を神の言葉として勘違いし
聖書に本当にそう書いてあるのかどうか確かめもせず
間違った方向に歩んでいても気づかない場合があります
聖書は、神の語る言葉ですから
それを変更することは許されません
しかし、現実には
それは人の考えによって変ってしまうこともあるのです
「聖書の予言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら、予言は決して人間の意思から出たものではなく
人々が聖霊に感じ
神によって語ったものだからである」
(ペテロの第二の手紙1章20-21節)
「愛する者たちよ、それだから、この日を待っているあなたがたは
しみもなくきずもなく、安らかな心で
神のみまえに出られるように励みなさい
また、わたしたちの主の寛容は救いのためであると思いなさい
このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが
彼に与えられた知恵によって
あなたがたに書き送ったとおりである
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている
その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって
無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように
無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている」
(ペテロの第二の手紙3章14-16節)
人間は、一人ひとり愚かな存在で
一体自分が何者で、どういうところに置かれ
そこでどう生きるべきなのかわからないまま過しています
人生とは、すなわち、この世の中における歩みであり
世の中にはわたしたちが目を奪われるようなきらびやかなものや
華やかなものが満ちていますが
上を見ればきりがなく
欲深くなればなるほど、あれこれ目移りしているうちに
大切なものを見失っていくでしょう
そんな欲の惑わしが満ちた世において
大切なものを見失わないで生きる生き方を教えてくれるのが聖書です
ところが、長い年月の間に
聖書は人によって勝手な解釈をされ
その結果、いくら信仰していても
その目的が達せられない事態に陥ってしまうようになりました
これは、聖書を人の都合で勝手に変え
自ら滅びを招いている状態です
また、ペテロの第二の手紙3章3節には
末の世において、「あざける者」が信仰者をあざけりに出てきて
自分の欲情のままに生活し
信仰していてもムダだというような惑わしを持ってくるとあります
一見、神に頼るよりも
お金や人間の権威に頼った方が現実的と思えることから
その生き方はどんどん聖書の教えから遠のいていきがちです
しかし、真実はいつまでも変ることなく
神の言葉も永遠に変わりません
だからこそ
どんなに時代遅れのようであっても
いつもわたしたちは聖書という原点に戻って
自分の生き方を省みなくてはならないのです
「このことについては言いたいことがたくさんあるが
あなたがたの耳が鈍くなっているので
それを説き明かすことはむずかしい
あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに
もう一度神の言葉の初歩を
人から手ほどきしてもらわねばならない始末である」
(ヘブル人への手紙5章11-12節)
もし自分の耳がふさがれていたら
そこでは自分の声しか反響しません
つまり、自分の思いのまま、他の言葉を聞くこともなく歩み
間違いにも気づかないのです
いくら信仰生活が長くても
耳がふさがれていたら、聖書のみことばは心の中に響かず
結局、世の中の人と同じ欲望の中で迷い
神にある真の平安も喜びも体験しないままでしょう
だからこそ、自分で聖書を読み
自分で本当のことを知ろうとする気持ちを持つことが大切で
そうすることによって生き方を教えられ
また平安を得るか否かを実際に体験しながら
本物の信仰を身に着けていきましょう
「キリストもまた、多くの人の罪を負うために
一度だけご自身をささげられた後
彼を待ち望んでいる人々に
罪を負うためではなしに二度目に現れて
救いを与えられるのである」
(ヘブル人への手紙9章28節)
クリスマスにあたり
神ご自身が救い主として人間の姿に生まれてくださったこと
それが万民を救うためであることをもう一度確認し
洗礼と聖霊のバプテスマによって救われることと
その後の生き方を整えていくための信仰生活の重要性を
あらためて教えられていきましょう
すべての人に
神にある者の本当の喜びや感謝が与えられるチャンスがあります
心を開いて聖書のみことばに耳を傾けていくことができますように
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