今週のみことば
1月26日
「イエスはそう言って、地につばきをし
そのつばきで、どろをつくり
そのどろを盲人の目に塗って言われた
『シロアムの池に行って洗いなさい』
そこで彼は行って洗った
そして見えるようになって帰って行った」
(ヨハネによる福音書9章6-7節)
この章の初めで
弟子たちはイエスにこう尋ねています
「この人が生まれつき盲人なのは誰が罪を犯したためですか
本人ですか、それともその両親ですか」
それに対するイエスの答えは
「本人が罪を犯したのでもなく、その両親が犯したのでもない
ただ神の栄光のみわざが彼の上に現れるためである」
というものでした
その言葉の通り
盲人の目は見えるようになりましたが
イエスを否定するパリサイ人たちは自分たちの立場を保つために
その奇跡のわざを素直に認めようとはしませんでした
神のことも聖書のことも誰よりもよく知っていると自負するパリサイ人は
こうして自ら神を知る機会を逃していくのです
なぜ目が見えるようになったのかと問い詰められた元の盲人は
とにかくイエスが癒してくれたことと
そんなことは神から来た人でなくてはできるはずがないと
ありのままの事実をパリサイ人に告げます
それがどんなに彼らにとって都合の悪いことでも
事実は変えようがありません
神のみわざは誰の目にも明らかに示され
今までイエスを知らなかった人であっても素直に受け入れるなら
その時点から目が開かれて
神に栄光を帰し、神を見上げて歩む人へと変えられていくのでした
このように
イエスはさまざまな形で人々を癒していますが
その方法については今回のは少々奇抜とも思われるものです
唾で泥をつくって目に塗るなど
常識的に考えれば非常に失礼なことですし
それを素直に受け入れた盲人は
屈辱に甘んじたと言えるかも知れません
実際にそのような扱いを受けた場合
わたしたちはどのように感じるでしょうか
実際のところ
神の前には何がどのように用いられるかわかりません
そこは人知を越えた世界です
「唾+泥」という汚らしい組み合わせさえも
最後には神の栄光につながる
これは頭で理屈をこねても理解できるものではなく
神の世界は何でもありなのだという広い視野でもって
ただ淡々と目の前に起こる事柄を受け入れることで
神のみことばが成就する体験ができるわけです
しかし
もしわたしたちがパリサイ人のように
「自分は知っている」「見えている」と言い張るなら
その思いが神の言葉をさえぎってしまい
結果的に神を知ることはできないのでした
「イエスは彼らに言われた
『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう
しかし、今あなたがたが”見える”と言い張るところに
あなたがたの罪がある』」
(ヨハネによる福音書9章41節)
今も昔も
多くの人々が勝利の道を模索ししています
しかし、自分でこれこそ正しいと思って進んでみても
結果が勝利に結びつかないなら何かが間違っているのです
そんな時には
自ら持っている固定観念を捨て
”見える”と思っていたことも実は何も見えていなかったのだと
根本的な癒しを求めていく必要があります
「油断することなく、あなたの心を守れ
命の泉は、ここから流れ出るからである」
(箴言4章23節)
根本的な癒しが与えられるかどうかは
ひとりひとりの心にかかっています
神に対する心(信仰心)を守っていれば
見えなかった人も見える者となり
必ず神によって生かされていくのです
生まれながらの盲人は
物乞いをするしか生きる方法がありませんでした
しかし、その目が見えるようになることで
彼は人に頼るだけの物乞いの道から
自立への一歩を踏み出すように変えられたのです
これはまさに
死んだ状態から生きる者とされたのであり
闇から開放された姿でもあります
彼はそのために”感じの悪いもの”でも受け入れました
すべてはそこから始まったのです
神のわざが起こるために
人には様々な試練が訪れます
すると、何か起こればすぐにバチがあたったかのように
自分の罪だと結びつける人もあるでしょう
しかし
神のわざは災いのためにあるのではなく
幸いのためにあるのです
心のうちに起こってくる不安な言葉に左右されることなく
潔く神の言葉によって生きる道を選ぶ
やり直しのきかない人生だからこそ
真実を見極める目が開かれて
平安のうちに生きていきたいものです
「イエスは彼女に言われた
『わたしはよみがえりであり、命である
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない
あなたはこれを信じるか』」
(ヨハネによる福音書11章25節)
聖書に「生きる」とあるのは
神とともに歩む平安な人生を指しています
どんな苦境からも、どんな状態からでも
信じる人は必ず生かされるとのお約束ですから
今すでにこうして生かされていることを感謝して
与えられた道を祈りのうちに進んでいきたいものです
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