今週のみことば


2月16日

「この世で富んでいる者たちに命じなさい
高慢にならず、たよりにならない富みに望みをおかず
むしろ
わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に
望みをおくように
また、良い行いをし、良いわざに富み
惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び
こうして、真のいのちを得るために
未来に備えてよい土台を
自分のために築き上げるように命じなさい
テモテよ
あなたにゆだねられていることを守りなさい
そして、俗悪なむだ話と
偽りの「知識」による反対論を避けなさい
ある人々はそれに熱中して
信仰からそれてしまったのである」
(テモテへの第一の手紙6章17-21節)


「この世で富んでいる者たち」とは
単にお金持ちのことを言っているのみではなく
お金や名誉、地位、家柄など、世のことばかりが気になって
心が神に向いていない人のことをも示しています

彼らが追い求めているものは
「たよりにならない富み」であり
それらは一時的には人を喜ばせ楽しませるものですが
いつ消えうせるかもしれない実に不安定なものです

わたしたちはそのような空しいものを頼りとすることなく
「すべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神」に望みをおき
その命じるところに従って歩むことで
「真のいのち」を得て生きる平安な未来への備えをすることができます

こうして神を土台とした生き方についての指針が
聖書には記されているわけですが
同じ聖書を読みながらも
そこに記された言葉がそのまま心の中に生きていくのではなく
人が勝手に作り出した「知識」を取り込み
それをもって互いが対立して
議論に走るようなことは避けなくてはなりません
なぜなら
そのようなことに熱中していると
結局信仰から外れていってしまうからです

「あなたにゆだねられていることを守りなさい」
パウロがテモテに命じた言葉は
わたしたちに向けられたものでもあります
神がわたしたちにゆだねられたこととは何なのでしょうか

「わたしがマケドニアに向って出発する際頼んでおいたように
あなたはエペソにとどまっていて
ある人々に違った教えを説くことをせず
作り話やはてしのない系図などに
気をとられることもないように命じなさい
そのようなことは信仰による神の務めを果すものではなく
むしろ議論を引き起こさせるだけのものである
わたしのこの命令は
清い心と正しい良心と
偽りのない信仰から出てくる愛を目標としている」

(テモテへの第一の手紙1章3-5節)

この時代すでにイエスが命じたものとは「違った教え」があり
作り話が横行して人々の心を惑わしていました
そんな中にあってただ求められてきたのは
「清い心と正しい良心と偽りのない信仰から出てくる愛」
これがわたしたちにゆだねられた信仰の目標です

ところが、同じ章に
「ある人々は正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った」(19節)
とあるように
正しい良心、つまり神にある者の心を捨てて
世の中の欲の道に走る者も出てくるのでした

「しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい
信心のために自分を訓練しなさい
からだの訓練は少しは益するところがあるが
信心は、今の命と後の世の命とが約束されてあるので
万事に益となる」

(テモテへの第一の手紙4章7-8節)

ここで「信心」とあるのは
文語約聖書では「敬虔」と記されており
敬虔とは
神を信頼し、かしこんで、つつしんでこれに仕えるとの意です
体を鍛える修行というものも少しは益になりますが
これは万能ではありません
むしろ敬虔のために訓練することこそ最も重要なのです

「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて
悪から悪へと落ちていく
しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに
いつもとどまっていなさい
あなたはそれをだれから学んだか知っており
また幼い時から、聖書に親しみ
それがキリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を
あなたに与えうる書物であることを知っている」
(テモテへの第二の手紙3章13-15節)


聖書には、洗礼と聖霊による救いと共に
神を信じる者が「完全にととのえられた者になる」(17節)ための
知恵の教えが備わっています
それは聖書は人が勝手に考えて書いたものではなく
「神の霊感を受けて書かれたもの」(16節)だからです
よって
聖書のみことばは人が勝手に変えることは許されません

「聖書の予言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら予言は決して人間の意思から出たものではなく
人々が聖霊に感じ
神によって語ったものだからである」
(ペテロへの第二の手紙1章20-21節)


また、同じくペテロへの第二の手紙3章16節には
聖書に無理な解釈をほどこすことで
かえって自分の滅亡を招いているとも記されています

同様のみことばは
ヨハネの黙示録22章18-19節にも記されている他
旧約聖書でも
箴言30章5-6節には以下のような記述があります
「神の言葉はみな真実である
神は彼に寄り頼む者の盾である
その言葉に付け加えてはならない
彼があなたを責め
あなたを偽り者とされないためだ」


聖書によれば
単なる知識を仕入れることが救いの条件ではなく
聖書に記されたことを信じて
その言葉に従うところに益があります

人間の心はもろいものですから
良心を捨ててしまうなど誰にでも起こり得ることです
だからこそ
神に対する信心=敬虔を保ち
心に隙間ができないように注意していかなくてはなりません

神はわたしたちに
ただ苦しいだけの信仰生活を与えられるのではなく
喜びや楽しみをたくさん与えてくださいます
そして
神より与えられる喜びは
世から得る楽しみのような一時的なものではなく
平安な未来につながるものです

いつまでも変わることのない神に希望をおき
自分の面子を保つことばかりに意固地になるのはやめて
聖書はいかに生きるべきと教えているかを学び
本当の平安を得ていきましょう

信仰生活とは
自分の人生のために堅固な基礎を築く歩みであり
世の中がどんどん悪くなっていったとしても
堅い基礎を持っていれば揺らぐことはありません

さまざまな問題のために
自らを孤独に陥らせることは危険です
どんな状態にあっても
必ず神はわたしたちのうちに生きて働き
支えてくださいます
そのことを固く信じて
日々の戦いに勝利を得ていくことができますように
祈って進んでいきましょう



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